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koto
11462文字
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れめしし😈🦁
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わだつみの気紛れ
2024年お年賀救済のイラストに感化されて年始に書き途中だった話を一年越しに書き終えたれめしし
龍神😈さんと青年🦁さんの話で設定はふんわり昭和中後期くらいのイメージですが正確では無いです
「なあ、オマエこのままだと死ぬぞ」
真っ暗な視界。さっきまで千切れそうなくらいにかじかんでた指先の感覚も今はもう消えてしまった。海中の流れに飲まれ上も下も分からない。チューニングのズレたラジオみたいなノイズがくぐもって鼓膜を揺らす中、その声は異常なほどハッキリと獅子神の頭の中に響いた。
死ぬ。確かにそうなのかもしれない。疑いようもなく生きていると断言できる要素を己の身体から見つけることが今の獅子神にはできない。身体の感覚は殆どない。
死ぬ。死ぬのか? このまま流れに身を任せて? 冗談じゃない。泥水を啜り、砂を噛み、ようやくスタートラインに立ったのは、ついこの間のことだ。生まれ落ちた場所で背負ったマイナスをようやくゼロまで持ってきて、重く垂れ込めた雲間からほんの少しだけ光が差し込んだようなところだった。それなのに死ぬだって? ふざけんな。
「あれ? 死にたくないの? そこまでしがみつく価値のある生だったわけ?」
んなわけねぇだろう。クソみたいな人生だった。だからこそ、だ。寸暇を惜しんでできること全部やって出口の見えないトンネルをバカみたいにひた走って。ようやく光が見え始めたところで、ハイ終了、なんて、そんなの呑めるはずがあるかっ。
なにも見えていないはずの視界で暗闇がぐにゃりと歪んだような気がした。目は閉じているはずなのに。なにがどうなっているのか分からないが、とにかく苦しい。頭がおかしくなりそうな程に。それでも、この苦しさが生きていることを示しているのなら獅子神はそれにすらもしがみつこうとする。
「へぇ~、いいじゃん! 思ったより悪くない」
頭の中に響く声音が少しはしゃいだものに変わる。何がいいのかを考えるほどの余裕は持ち合わせていない。
「いいよ、ちょっとだけ手貸してあげる。生きるか死ぬかは
……
まあ、五分五分ってところか? このまま死ぬのに比べたら儲けもんだろ」
獅子神の理解が追いつかないまま声の主はどんどんと話を進めていく。
「オマエ、名前は?」
獅子神は促されるまま自分の名前を頭の中で唱えた。
「OK、ケイイチ君ね。生にしがみつきたきゃ自分の悪運に賭けてみな」
身体の感覚は既に不明瞭になっていたはずなのに、硬い平べったいなにかがぺたりと胸元に宛がわれたのが分かった。だが、それが冷たいのか温かいのかもよく分からない。
「それじゃあ、ケイイチ君。命懸けでオレを魅せてみろよ?」
その言葉を最後に、まるで無線が途切れたようにブツリと音も気配も消え失せる。次の瞬間、獅子神を襲ったのは抗えない程に激しい海流だった。そうして、今度こそ獅子神はその意識を手離した。
§
長いようで一瞬にも思える、そんな夢を見た気がする。獅子神がうっすらと瞼を持ち上げると、そこには見慣れない天井があった。顔を照らす眩しさを確認するように小さく顔を動かせば、よくあるような何の変哲もない、でも見覚えはない窓があって、そこから差し込む西日が眩しさの原因だった。ぼんやりとした頭は何かを考える段には及んでいないようで、獅子神はそのまま眩しさから逃げるように反対側へと顔を動かす。
向いた先にはドアがあり、そこから今まさに部屋に入ろうとしていた女性と目が合った。相手は二度ほど瞬きをした後に少し慌てて獅子神のもとへ駆け寄る。
ああ、病院か。女性が身に着けていた衣服でそう納得すると、途端にふわふわとしていた意識がスッと頭の中のあるべき場所に収まった気がした。自分がベッドに横たわっている経緯を思い起こそうと脳が働き始める。思い出せる最後の記憶は強い揺れで船から荒れた海へと身を投げ出されたときのものだ。浮遊感から数瞬も置かずあっという間に全身が海中へ沈んだのはハッキリと覚えているが、そこから先は酷く曖昧だった。
看護師が獅子神の状態を確認していると、すぐに医師と思しき人物が姿を現した。最悪の事態も想定されていたのか、喉と口の乾きに眉を寄せながらも比較的しっかりとした獅子神の受け答えに医師は驚きと高揚を隠せていない。看護師が持ってきてくれた水を口に含み、何往復かの医師との問答で分かったのは、海中に投げ出された自分が運良く浜に打ち上げられていたことだった。更には荒天の中どうにか戻ってきた漁船が港に停泊する際、乗っていたうちの一人がそれを発見した。この診療所に運ばれた後は、三日三晩意識が戻らない状態が続いたという。
あの状況下で発見されたことも、こうして目を覚ましたことも、目立った障害がなさそうなことも、医師いわく、その全てが幸運としか言えない状況だそうで、九死に一生を得た事実に獅子神は改めて身震いした。
問診の結果、意識ははっきりしているものの体調は万全とは言えないとされた獅子神は医師から今暫らくの入院を勧められることとなった。獅子神としても現状は着の身着のまま身一つの状況なので、まだ滞在できるのはむしろありがたい。
意識が戻った今、獅子神がまっさきにすべき事は従業員への連絡だった。獅子神には半ば成り行きで雇用するようになった従業員が二人いる。仕事はそこそこできるほうだが、果たして音信不通の間に不測の処理をどれだけ進められたのか。商売に致命的な事態になっていなければ良いのだが。獅子神は電話を借りると、祈るような心地で自宅兼仕事場へと連絡を入れた。
電話交換手の案内の後で繋がった先では、従業員の一人である園田が何故か半泣きになっていた。仕事で取り返しのつかないことでも起こったのかと肝が冷えたものの、ただ単に獅子神の無事に対しての反応らしく、なにをそこまで
……
と力が抜ける。仕事はどうにか恙無くやり過ごせているようで、獅子神は今後の申し送りと併せて病院の連絡先を知らせ、あとは路銀や衣類など必要な荷物をこちらへ運ぶよう指示した。
受話器を置く頃には、日がとっぷりと暮れていた。窓の外をなんとなく眺めながら廊下を進むと、獅子神の部屋の前に一人の年老いた男が佇むのが視界に入った。見覚えがないどころか、自分を訪ねてくる人間に心当たりなどはなく、獅子神は不審そうに老人へ声をかけた。
「あの、なにか?」
獅子神に気付くと、老人は上から下まで不躾に視線を浴びせる。
「ああ、アンタか」
容姿から確信を得たのか老人は納得したようにそう言った。どうやら自分を目的としてここに居ることは分かったが、それ以上のことは分からない。獅子神が訝しんでいると、老人は自分が海岸で獅子神を見つけた漁師の父親であることを手短に伝えた。そのことに獅子神が感謝の言葉を伝えるよりも先に、老人は言葉を続ける。
「アンタ、倅が言うにはうっすら光ってたらしい」
「は? 光る?」
予想だにしない内容を不意に突きつけられ、獅子神は取り繕うこともせずに聞き返す。思わず何をバカなことをと言外に匂わせてしまったが、相手は大して意に介してなさそうだ。それどころか、獅子神を見る目に多少の憐憫さえ滲ませている。
「普通は光らん。光るっつうのは、普通じゃないってことだ」
「オレが化け物だとでも?」
さすがに今は少なくなったが、昔は獅子神が持つ金の髪と青い目をあげつらってなんのかんのと揶揄う輩は確かに居た。ある程度の年端になれば、この容姿も使いようだと分かり利用もしたが、田舎や年寄り相手にはまだ眉を顰められることのほうが多い。だから、そういった趣旨の話だと反射的に険を含ませてしまったが、それは獅子神の早とちりだった。
「アンタが普通じゃない者になったのか、そういうのと関わったからなのかは知らん。昔ガキの頃、神隠しで戻ってきた子がおっての。それも光ってたから似たようなもんに気に入られたのかもしれん」
「神隠し」
突飛な話題に、そういった類の話かと獅子神は少々鼻白む。そんな獅子神の反応も織り込み済みなのか構わず話は続けられた。
「普通じゃ起こらんことが起こる時は普通じゃない者が関わってるもんだ」
「はぁ
……
」
とてもじゃないが真面目には取り合えない話を極当たり前のように言う老人の温度感に、どこかぞわりとさせられる。
「まあ、なんでもいい。アンタに言いたかったのは、今後うちの倅には関わらんでおいてくれっつうことだ。とばっちりを食うんじゃ割に合わん。アンタ海に居たんだろ? 魅入ったのが龍神様だったなら尚のことだ」
強い口調でそう告げると、老人はくわばらくわばら、とでも言い出しそうな雰囲気でその場を後にした。いくら近代化が進み十年一昔とはいえ、それはあくまでも都会の話で田舎はこんなものなんだろう。
少し呆気にとられたものの気を取り直した獅子神は寝支度を整える。遅くまで起きている理由もなく、あとは横になり目をつぶるだけだ。布団に手をかけると腕の開きのせいなのか、胸の皮膚が少し引きつるような感覚があった。寝間着の合わせを寛げて見ると、そこにはうっすらと痣のようなものが浮かび上がっている。いつできたものなのか。少なくとも昔からのものではない。全体像を確認すべく鏡の前に立つと、痣は不思議な形をしていた。閉じ切らない円の片端は尻尾のようにも渦潮のようにも見え、その中央には塗り潰された丸があった。今回の事故でどこかに殴打したのだろうか。それにしては青痣の様に滲む感じの広がり方ではなく、入れ墨や焼き鏝のように形作る線には迷いがなくはっきりとしていた。そうして、それは心なしか微かに発光しているように獅子神の目には映った。おそらくは月明かりの加減でそう見えるだけなんだろうが。
そうっとその痕を獅子神は指で辿ってみる。熱を帯びているわけでも無いがどこか内側で疼くような感覚がある。治りかけの傷口に近い感じだ。ちょうど心臓の真上にあたる場所にあり、ぺたりと掌を当ててみる。なんだろう。つい最近、似たような感じでここに触れたものがあった気がする。獅子神は霞がかった記憶をどうにか知ろうと不明瞭なそれを探っていった。
――
それじゃあ、ケイイチ君。命懸けでオレを魅せてみろよ?
不意に脳裏を過ぎる鮮明な声に、獅子神の体がビクリと跳ねる。そこからは芋づる式だった。出来過ぎた作り話みたいな記憶は朦朧とした意識が見せた夢幻の類だろう。普通に考えれば。死に際に居たのだから幻覚や幻聴だってなにも不思議ではない。それでも、それは余りに鮮明すぎた。
もしも、万が一、これが夢でも幻でもなかったら?
先ほどの男の言動に思考が引っ張られている気がしなくもないが、この奇妙な痣と頭に残る声にそこはかとない胸騒ぎがする。
獅子神は寛げた合わせをただすと、今度こそ布団の中へと潜り込む。疲労の滲み始めた頭と本調子ではない体で深く考え込むのは良策とは言えなかった。まずは休息をと目を閉じる。すぐに眠れそうな状態にも関わらず、寝入るまで少し手こずる獅子神の頭には、さきほど思い出したばかりの聞きなじみのない声が浮かんでは消えていった。
§
「え! 獅子神さん、帰らないんですか!?」
病室の中で信じられないとばかりに声を上げたのは園田だった。他に入院患者が居ないとはいえ、あまり褒められた行為ではない。普段ならこういったことに気が回る男だが、数日前の獅子神の行方不明からこうして実際に直接安否の確認ができた今に至るまで気が気ではなかったのだろう。獅子神の顔を見てほっとしたのも束の間、先に帰れと言われたのだから、この反応も無理はなかった。
「別にそんな長い間留守にするわけじゃねぇよ。今回世話になったところに礼をしに行くだけだ。園田、オマエは先に戻って仕事の件諸々頼むわ」
頼む、と言われてしまえば園田に否という選択肢はない。役目を与えられたのだから、それを全うするのが雇用主へ報いる一番の方法だと理解はしているようだ。それでもため息の一つや二つは出てしまうらしい。
「分かりました。にしても、獅子神さん不在でオレらがどうにか仕事回せる期間なんてタカが知れてるんですからね? できるだけ早く戻ってくださいね?」
後ろ髪を引かれるようにしつつも園田はそう言い残し、数刻前に来たばかりの道を戻っていく。獅子神はそれを見届けると、園田が持ってきた荷物の中から馴染みの背広に腕を通した。さきほど着替えの際にちらりと胸元を確認したところ、痣は依然としてあったが発光するようなことはなく、やはりあれは見間違いだったのだろうと獅子神は結論付ける。
退院の手続きを終え、獅子神が足を運んだのは港の船着場だった。行く先は日に一回だけ連絡船が通う島だ。病院や役所など主だった公的な施設は海を渡ったこちら側にだけあり生活の便は悪いものの、それでも代々住んできた土地を手放すことなく島で暮らし続ける人間も少なくないのだとか。
意識を戻した日、獅子神に話しかけてきた老人は島出身の人間だった。漁での怪我が原因で数年前に息子家族とこちら側に移住してきたのだと話好きの看護師が教えてくれた。ついでに、あの時口にした龍神様とやらも尋ねてみると看護師は少し驚いた顔をする。老人の口振りから、もしかしたら避けるべき話題だったのかと危惧したが、次の瞬間には「そんな話、よく知ってるわねー」と感心しながらも話して聞かせてくれた。看護師はここいらの出身ではないものの、仕事柄入院や通院の患者の話を聞く機会も多いという。そんな彼女に言わせると、龍神様とは島の、主に年寄りが信じている迷信みたいなものらしい。神社のような大仰なものは無いが祀るための祠が島の海岸沿いにある。島の住人全てが信じている訳でもなく、今では子供騙しに「龍神様に連れてかれるよ」と脅し文句に使う程度だとか。
獅子神はもともと信心深いたちではない。本来であれば、園田と一緒に帰り早々に不在時の仕事を片付けるべきだった。事業が少し軌道に乗ったとはいえ、手を抜くほどの余裕はないはずだ。それなのに、こうして日に一度の連絡船に乗っている。今から獅子神が世話になった礼をしにいく先は、自分を発見した漁師ではなく島の祠だった。
我ながら滑稽だなとは獅子神自身思っている。ただ現状奇跡的にもこうして一命を取り留めたどころか五体満足で居るのだ。この幸運に少なからず心当たりがあるのなら、やはり御礼参りはしておくに越したことはないだろう。
晴天の下、すんなりと島に辿り着いた獅子神は聞いた話をもとに海岸沿いを歩く。滑りやすそうな岩肌に、履いてくる靴を間違えたなと思ったものの後の祭りだ。周囲の岩や木などの特徴を確認しながら用心深く歩みを進めると、岩肌を抉るような洞穴が少し先に見えた。聞いていたとおりの場所に、自然と歩みも速まる。時計を見ると干潮の時間はもうすぐだった。満潮時の海面は腰ほどの高さになるらしいが、時間はたっぷりとあるのだから大丈夫だろう。
いざ洞穴の入口に立つと中はさほど奥まってはいないことが分かる。最奥は外からの陽の光がぎりぎり届くか届かないかといった具合だ。高さは二間無いくらいか。少なくとも獅子神が屈む必要はない高さだった。
恐る恐る中へ進んでいくとやはり場所は間違っていなかったようで、最奥にはこじんまりとした祠らしきものがあった。
「さて、どうすっかな」
とりあえず来てみたものの具体的にここから先のことを考えていた訳ではない。神社であれば賽銭やらお布施やらなにかとやりようはあるものの、ここでは手を合わせるくらいしか思い浮かばない。目の前の祠は立地もあってか暫く手入れはされていないように見える。信じているのは年寄りが多いという話だった。年寄りがここまで来るのはなかなかに骨が折れそうで、そうなってくるとこの有様も仕方なく思える。もしくは、手厚く祀るというよりは、おいそれと近付くのを避けるような位置付けなのか。
「こんなとこまでお礼参りに来るなんて、今時の奴にしちゃ感心だな」
祠の中を覗き込むようにした途端、洞穴内に声が響き、獅子神は即座に背後を振り返った。
「っ!?」
驚きのあまり勢いがつきすぎたせいか、足がズルリと滑るとそのまま尻もちをついてしまった。強かに打ち付けた臀部の痛みとジワジワと布地に染みてくる水気に顔を顰めつつ、獅子神は入口の方へと視線を配る。洞穴に入る前、辺りに人影は無かったはずだった。用心深い獅子神はしっかりと確認した。それなのに誰かがここにいる。そして、その事実以上に獅子神を驚かせたのは、聞こえた声そのものだ。それは獅子神の記憶にはっきりと刻まれたものとそっくりだった。
ごくりと固唾を呑んで声の主が現れるのを待つものの、明るい出入り口から人が現れる様子は一向にない。まさか空耳とでもいうのだろうか。自身の幻聴を疑い始めた時、トンと背中に何かが当たる感覚があった。獅子神は座り込んだままがばっと勢いよく振り返る。そうして見上げた先には一人の男が居た。さっきまでは、まず間違いなく居なかったはずの男が。
その男はハレの日に着るような和装に見たことのない材質の服を合わせている。豪奢な着物以上に目を引くのは頭巾部分から生えた角だった。装いに輪をかけて男自体の容姿も普通ではない。獅子神も髪や目の色でやんや言われた口だが、その男は紫の髪に赤色の目をしていた。さっきの声の主がこの男であるとしたら、どこからどこまでが夢なのか。
「
……
オマエ、何者だ?」
「ケイイチ君が考えているのでほぼ正解だよ」
「なんでオレの名前?」
「だ、か、ら、ケイイチ君の考えてるとおりだってば。ちゃんと思い出してよ。オレは言わば命の恩人ってやつなわけ」
男が獅子神の胸元を指差し、虚空を突くように数度軽く指を動かせば、それに合わせて痣の辺りがチリリと痛むのを感じた。
「改めまして、ごきげんようケイイチ君。こうして姿を見せるのは初めましてだな」
男は大きな口でニッカリと笑みを浮かべるが、その目はじぃっと獅子神を見据えていた。次にどんな挙動を見せるのか見当もつかず、座り込んだままほとんど無意識にじりじりと距離を取る。そんな動きを一笑に付すように男は一歩踏み出してしゃがみこむと至近距離で獅子神の顔を覗き込んできた。間近にある赤い瞳に、思わず息を飲む。
「そんなに身構えなくても取って食いやしないぞ」
獅子神を安心させるためなのか目を細めて見せるが、それなら安心だと警戒を解くはずもない。
「用心深いのは良いことだけど、ずっとソレだと埒が明かないな」
「オメーがオレの思ってるとおりだってんなら、なんか見返り渡せっつー話か?」
命の恩人という言葉が出たが、目の前の男が凡そ人とは呼べない者であることは否が応でも分かった。その圧倒的な存在感と底知れなさがそこにはあった。それでも、上手く理由は言えないが完全に呑まれたら終わるという確信があり、獅子神は辛うじて目を背けずにいる。
「なるほど。どうやら勘も良いみたいだ」
至近距離にあった顔が離れたかと思うと、地面に着いていた右手を取られる。ぐいっと引かれ、促されるまま地べたから立ち上がると、デカいと思っていた男が実際に自分の身の丈以上だったことに獅子神は気付いた。ちょっとお目にかかれない長身だったが、それ以上に他の印象が強烈で、そんなことは些細なことにも思えた。
「じゃあ、ケイイチ君。見返りって話が出たけどさ、ちょっと借り返すと思ってオレのお願い聞いてくれない?」
獅子神の様子など意にも介さず男は話を進めていく。そういえば事故の時もこんな感じで、こっちの反応などお構い無しに話が進んだことを思い出した。命を助けられた借りなんて、どれほどのことをさせられるのか。さすがに二つ返事というわけにはいかない。
「オレの記憶どおりっつーなら、オレが頼んだ訳じゃなくてオメーが勝手にやったはずだったと思うけどよ」
獅子神の返しが意外だったのか、男はキョトンとした後で愉快そうに吹き出す。
「あっそ。じゃあ、戻そっか? その胸に入れてやったオレのもの引き剥がして、今からもう一回嵐にでもして、荒れた海の中にでも投げ入れて。今度こそ自力で生き延びられるか挑戦してみるか?」
やる。この男はそうと決めれば確実にやる。それだけはハッキリと分かった。男が楽しそうに口にする話は荒唐無稽で、人の身であれば単なる与太話にしかならない内容だった。だが、獅子神はとてもじゃないけど笑えない。男が口にしたようなことを実際にできるかできないかに賭け、お願いとやらをつっぱねるのはあまりに危険に思えた。
つまらない意地を張る場面ではない。なにをしてでもあの瞬間に生にしがみつこうとしたのは自分だ。それならば、可能な限り応じるべきだろう。
「何をさせてえんだよ」
「とりあえず、まずはこれ壊してくんない?」
そう言って指を差した先にあったのは半分朽ちかけた祠だった。
「この中に入ってるものに用があるんだよ」
早く早くと急かされるものの、おいそれと言われるがままに壊すのはさすがに気が引ける。
「これって壊してもバチとか当たらねーのか?」
「あ、意外とそういうの信じるんだ? 口では下らないとか言いつつも、バチ当たりなことはしない感じだ」
小馬鹿にするような物言いに気分は良くないが、この期に及んでも考え付く危険性は極力排除しておきたい。じっと窺うような獅子神の視線に、男はやれやれと頭を振る。
「誰が当てるんだよ。祀られてる他でもないオレが壊せって言ってんのに」
言われてみれば確かに。それに躊躇したところでそれ以外の選択肢はない。獅子神は覚悟を決めると祠の前面を覆う格子状の木枠に手をかけ思い切り引き剥がした。海風と海水でとっくにボロボロだった木材は脆く、大した力を込めなくても簡単に壊れた。祠の奥に手を伸ばすとカツンと何かが指先に当たる。取り出してみるとそれは桐箱で、近くに立つ男の視線に促され獅子神は蓋を開けた。中には掌よりも少し大きな平べったい楕円が数枚重なって入っていた。半透明で緑と紫が斑に入り混じっている。
「宝石
……
いや、鱗?」
「ご明察ー」
その美しさにうっかり見惚れていたものの、男の声で獅子神はハッと我に返る。
「ほら、取ったぞ。これで良いんだろ」
お役御免とばかりにとっとと引き渡したいところだったが、なぜか男は一向に受け取ろうとしない。
「よし! じゃあ、あとはそれをケイイチ君の家に一緒に持って帰れば問題なしだな」
「はぁっ??」
獅子神は耳を疑い、大きく声を上げる。持って帰れば? 一緒に? 何を言っているんだ。一切理解が追いついていない様子に、男は呆れたようにため息をついてみせる。
「ケイイチ君に入れてやったのも、これと同じで鱗なんだよねオレの。こっちは祀られてた分、多少ご利益的なのが強いけど」
そう言いながら、男は直接胸元に指先を押し当てる。
「で、これに悪さされたりすると多少だけどオレにも影響出るし、ケイイチ君にあげた方のはもっと影響出ちゃうかもしれない」
「影響って?」
「んー、時と場合によっては、痺れたり、腐ったり、溶けたり、破裂したり?」
軽い口調で疑問形で返された答えに獅子神は絶句する。
「だから、島の人間が勝手に御神体にしたコレが他の誰かよく分からんやつの手元に渡るってのは、ケイイチ君の心臓を他の誰かに握られるってことに近いんだけど大丈夫そう?」
「~~~っ、ざけんな! 大丈夫なわけあるか!」
「だよなー。オレもせっかくの掘り出し物がみすみす命を落とすのは口惜しい。そこでだ! このまま元に戻して運を天に任せるか、目の届くところに持ち帰って厳重に扱うか、ケイイチ君に好きなほうを選ばせてやろう」
「一択じゃねーかよ」
「まあまあ。今ならオレの気が向けばご利益も期待できるかもよ? ケイイチ君はなかなか魅せてくれそうだから死ぬまで観測してやってもいい。かかってもたかだか数十年の話だしな」
とんでもないことを軽い口調で言ってのける男に獅子神は疑念の目を向ける。多分、おそらく、この男が人ならざるものなのは確かだ。ただ
……
。
「そもそもオマエは本当に神様なのか?」
どうにも獅子神がぼんやりと思い描いていた神様像とこの男はあまりにもかけ離れている。獅子神の言葉に男は少し目を見開き、そうして機嫌良さそうにニィッと笑顔を浮かべる。
「良いところに気が付いたな、ケイイチ君。これに関しては正否の判断は難しい。人間は見たいように見る生き物だが、ソイツが本気でそうと信じちまえばそれはソイツの中では真実になる。それが集まったのが信仰って呼ばれるもんだろ?」
尤もらしい理屈だが、それはどこか屁理屈のようにも聞こえる。
「どいつもこいつも自分に都合のいい夢を他の何かに投影するもんだ。元が妖や物の怪の類でも、そこに神様ってやつを見出したらそうなるって話」
それは暗にこの男も元は、もしくは今もそういった類のものなのだと言っているのか。生まれてこの方ずっと神だと言われるよりは、なんとなく、そっちのほうがしっくりくるようにも思える。そもそも、神様という存在に獅子神は未だ懐疑的だ。
「神頼みなんざしても助けて貰えた覚えはないけどな」
幼い頃、何度となく祈ったところで獅子神を取り巻く環境が変わることはなかった。自分は神様が救うに足る人間ではないのだと思ったこともあったし、そうなるべく善行を積んだこともあった。それでも、何も変わらない。ただ、そこに付随して得た己の実力で多少の道は拓けてきた。そうなってくると、神様なんてものは存在しないと思う方が健全だろう。
「アッハハハハ!!」
数秒の後に上がった大きな笑い声に獅子神の体が思わずビクリと跳ねる。なにかと思えば、男は文字通り腹を抱えて笑っている。
「んだよ、急に」
「ッ、はぁ
……
フフ、いやさ、それ、オレ目の前にして言うんだって思って」
笑いすぎたのか目尻に滲んだ涙を拭いながら、もう片方の手を持ち上げると指先でクルクルと空中を掻き混ぜる。それに合わせるように獅子神の左胸はじんわりと熱を持ち始めた。
男の言わんとしていることに気付き、たしかに笑ってしまうのも分からなくもないと納得する。超常的なものに命を救われお礼参りに来ているのは他でもない獅子神自身だ。
「誰彼構わずいつなん時でも願えば救ってくれるような神様なんてそうそういやしないって話だ。だからケイイチ君は運が良かったんだよ」
手放しで喜べはしないものの、運が良かったのはたしかにそうなんだろう。この男と遭遇し目をつけられたことも含めて。
「ま、これからしばらくよろしくな」
男はそう言うと、その大きな身体は瞬く間に消え失せてしまった。洞穴内はしんと静まり返り、出入口の向こう側は燦々と日差しが降り注いでいる。足元に気をつけながら戻ると呆気ないほどに洞穴の外へと出られてしまった。白昼夢でも見たのか。それとも気が触れてしまった結果、祠を壊して中のものを持ち出してしまったのか。手に持ったままの桐箱の中身に改めて視線を落とす。
「とりあえずはこっち入っておくから、ケイイチ君の家まで丁重に運んどいてね」
「っっ!」
半ば願望のような獅子神の見解は、頭に響く声により呆気なく否定された。この声自体も獅子神の脳が生み出す幻聴かもしれないが、どうにもこの声の主は獅子神がそう処理するのを許さなさそうだった。ひとまず、小休止を入れるように獅子神は丁寧に箱の蓋を閉める。
いやこれ、どうすりゃいいんだよ。部屋に置いとくか金庫にでも入れときゃいいのか? それともご利益とやらを見込みたいならいっそ同じように祠でも作って祀っておくべきなのか?
混乱する獅子神の脳裏に、ふと従業員二人の顔が思い浮かぶ。突然雇用主が敷地内に祠など作った日には、正気を疑われるのか、はたまた狐狸の類に化かされてるとでも思われるのか。最悪、どこかの神主か坊さんのところに連れていかれそうになる覚悟は必要かもしれない。これから先のことを考えると既に頭が痛くなりそうだった。
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マシュマロ
読後の一言などいただけたら大喜びです
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