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残りの夜が来た
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ファ。
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信じる
狂聡狂の年末
2024/12/31
今年の年末は実家に帰らなかった。特別重い事情があるわけではなく、むしろ逆というか、実家側が聡実の帰省の延期を提案してきた。結婚何十周年と勤続何十周年かがうまく噛み合ったのでハワイに旅立った優子と晴実は、今時正月にハワイて、と呆れる正実、正実が何に呆れているのかいまいちピンとこない聡実へのお土産を、出発前から早々に決めているような浮かれようだった。
二人を止める理由は何一つなかったが、正実に正月は家に来るか尋ねられて初めて、聡実は一人東京に取り残されることになるということに気づいた。とはいえもう社会人一年生だ。大学生の時も特別手当目当てにアルバイト先で年を越してから帰省をしていた聡実が一人で年を越せない道理はない。世帯を持ってすぐの正実の家にお邪魔する方が気が引けた。ゆえに後悔はしていないのだが、正実の提案の理由もまた宜なるかな、と感じる年の瀬の空気である。東京なんか聡実とおんなじように全国から集まった人間で構成されているのだから一人で正月を過ごす体制もまた万全であろうと安易に考えていた聡実の理解は一部正しく一部誤っていた。それは確かにそうなのだが、普段の聡実のように全国から集まった人間が彼らの故郷に吸い込まれていくのが東京の年末年始であり、そしてここに根を下ろして暮らす人々の、しめ飾りのはみ出る買い物袋や、普段買い物をしないであろう面々が携帯のメモを片手に掃除用具などを探し求めている姿などは、クリスマス以上に聡実の孤独を掻き立てた。蕎麦を食う予定もお節料理を食う予定もないので、普段のラインナップ、もやしとか、が欲しかったから訪れたスーパーで全ての商品が謹賀新年仕様になっているのを目の当たりにした時なんか、もういっそOBとしてファミレスにアルバイトに行こうかと思ったほどである。
こういった時に一般的に一緒に過ごすとされる相手も聡実にはいるのだが、かの人間の勤め先である伝統的ブラック企業の年末年始はなかなかにハードなスケジュールと見える。こういった時に一般的に一緒に過ごすとされる関係になってから向こう、おそらく無理やり時間を作ってものすごく変な時間にメッセージをよこしてきていた彼に、忙しいなら無理せんでもええでといったのは聡実である。拗ねとるとかやなくて、僕はもう狂児さんからちょっと間連絡がこおへんくらいで怖なったりしないから。まあ生存報告は欲しいですけど──
つまりお前を信じていると告げたのだ。聡実としてはまあまあ重めの愛の告白をしたつもりだった。しかし狂児はそういうことではないのだと彼の内心を理解させる言葉をずうっと探していて、聡実はそれだけで満たされたし、同時に胸が痛かった。彼の気持ちもわからいではないので、聡実もそれ以上は何も言わず、クリスマスは電話で睦言を交わしたし実際当日もその連絡を待っていたりもした。しかしそれ以降は、といっても一週間も経っていないが、パタリと連絡が途絶えた。どうやら今年は本当に忙しいらしい。正月は東京に残ると告げはしたがそれだけだ。約束も何もない。約束ができるならば聡実だってしたかったが、約束は何もない。
蕎麦もおせちも食う予定はなかったがせめてこれくらいはと始めた大掃除も終わってしまい、ついにやることがなくなってしまった。こたつに入ってつけたテレビからの圧倒的年末ムードに辟易してすぐに消す。読もうと思って買ったものの開かずに半年くらい持ち歩いていた本の存在を思い出しなんとか数ページ読み進めたが、途中から目が滑り頭では別のことを考え始め、読んだ覚えのないページを10ページ近く遡ること三回目で読書は諦めた。酒という気分でもない。かといってこのままではイタズラに携帯をいじって過ごす年末になってしまう。実家にいる時と何か違うのかといったらそうなのだが。
あれやな。年末バタバタ忙しくするのは、他にやることがないからなのかも。これは真理かもわからん。
床に取り残されていた髪の毛を寝転んだ瞬間に発見し、拾って捨てにいくでもなくぼんやり眺めているうちに、スキップの予定だった蕎麦をやはり食べた方がいいのではないかこんなにやることがないのならばという気持ちが大きくなった。えいやとこたつから這い出し適当な上着を羽織り、もう年末も終盤中の終盤、日の落ちた街に出たものの、近くのスーパーにはすでに麺など残っていない。コンビニにも蕎麦だけない。うどんはある。なんやねん。みんな年末やんねや。僕だけか蕎麦を食べないで年を越すつもりだったのは。この分では明日は急におせちを食べなければならないという気になり東京中を探す羽目になるかもしれない。
棚にかろうじて残っていたカップ蕎麦を一つ手に取り、ちょっと考えて二つ買った。聡実はカップ麺の写真を撮って狂児に送った。『蕎麦買い占められとる。最後の希望』そして既読を待たずすぐにスリープにしてポケットに突っ込む。
いつもと大差ないに違いないのに、大掃除や年越しの準備をきちんと終えた街はきちんと静まり返っていた。これを一人できちんとやり過ごせると思っていた自分が急に恥ずかしくなった。聡実は自分の寂しさの容量を見積もれていなかったわけだ。寂しさの容量を知らないということは家族や狂児が聡実の寂しさを未然に埋めてくれていたということでもあり、そのことにようやく気づいた自分も不甲斐なかった。連絡がこおへんくらいで怖くなったりしないからと胸を張った聡実が本当に怖くならないように狂児は連絡をくれていた。
今年のうちに気づけてよかった、そういうことにしようと聡実は考えた。情けなくもあったが、その気づきとともに一人で新年を迎えるのも良い経験だという前向きな気持ちであった。ゆえに、戻ったアパートのドアの前に立っている黒いコートの大男の姿を認めた時には思わず後ろに飛び退いた。「ひっ」
「ひって」
「なんで? お化け?」
「生体やで」
「なんで? めっちゃ忙しいって」
「今年は組ごと大阪湾に沈めてきたわ」
「
……
すぐ浮きそうやな」
勢いよく抱きついた手から遠心力を得た蕎麦がぽこんと狂児の腕を叩く。狂児もちょっと泣きたくなるくらいの力で聡実を抱き返してきた。
「ごめんな〜」
言いながら背中をさすられる。「大阪帰れへんって聞いてすぐ約束したかってん、ほんまは。できんくてごめんな。しかも結局アポなし」
聡実はずっと鼻をすすった。
「
……
そんなんええです」
「正月もいてかまへん?」
「
……
良いですけど、え」
「あと、おせち包んでもろてん。明日食べよ」
「え、」
「おせち食べる? お肉の方が良かった?」
「食べる
……
」
玄関先で抱き合う適正時間を超えている気がしてようやく体を離す。まじまじ見た狂児のクマはいつも以上に濃く、『組ごと大阪湾に沈める』ためにどれほどの調整が必要だったのか聡実には知る由もないが、とにかく今自分が甘やかされていることだけは痛感する。先ほどの決意を大股で跨いでやってきた大きすぎる幸福にろくな言葉を返せないまま、かろうじて思い出したのは自分の握っているビニール袋のことだった。「
……
蕎麦買ってきました、僕」
狂児はフッと笑った。「最後の希望や。分けてくれんの」
「二個ある」
「ほんまに?」
「うん」
「嬉し
……
」
噛み締めるように笑う狂児の顔が本当に嬉しそうで、聡実は胸が痛くなった。連絡がこおへんくらいで怖くなったりしないからと胸を張った聡実が本当に怖くならないように狂児は連絡をくれていた。でも、じゃあ、狂児は。狂児は怖くなかったのか。連絡なしでおせち持って新幹線に飛び乗って、僕のいない部屋の前で待っているのは──「狂児さん」
「ん」
キスした唇が冷たくて、聡実は慌てて鍵を開けた。つけっぱなしのこたつに狂児を押し込み、お湯を沸かしながら、聡実は考えていた。こうして二人になった途端テレビの年末ムードもいいもののように感じられてしまうこと、急にやることがたくさんになったような気がするお正月のこと。
「狂児さん、もうお蕎麦食べます?」
「まだ紅白も始まってへんよ」
「お腹空きました、僕」
「ほんならおせちつまむ?」
「まだ年明けてませんよ」
狂児とずっとこうして過ごすにはどうすればいいのかということ。
信じるということ。
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