千代里
2025-01-01 11:56:14
8084文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その24


 暖炉の中で炎が爆ぜる、暖かな音。常ならば、これは寒気に凍える体を包む、安心の音――そのはずだった。
 しかし、今のオデットの表情は暗い。
 それもそのはず、彼女の腰掛ける椅子のそばには、一人の青年が寝台にて眠りについていた。飛竜二体をからくも討伐したオデットを含む三人は、負傷したノエを連れて村に戻り、他の仲間たちと合流した。
 ヤルマルたちのドラゴンフライ退治も無事に片付いた後であり、危機に晒された村民は一転して安堵の空気に包まれ、口々にイレーナやノエたちに感謝の言葉を捧げた。
 ノエの負傷を聞きつけた彼らは、すぐに彼を村にいる医師の元へと連れて行った。猟を生業にするこの村では、昔ながらの伝統的な治療法を秘術として代々受け継ぐ医師が在住しているとのことだった。
 ヒューイのように錬金薬を常備する技術はなくとも、猟師たちの外傷を何十年も見てきた経歴は信頼するに足り得る。老齢のエレゼン族の男性医師は、ノエの外傷を見て、一目見て骨がずれていると見抜いた。
 幸い、骨が粉砕しているようなことはなかったため、ずれた骨の位置を戻した上で治癒魔法を施し、安静にしていれば一日二日で痛みも引くだろうとのことだった。
 被害としては、ただそれだけだ。治癒魔法が最も効果を発揮するのは、外傷の修復。それは、同じように治癒魔法を得手とするオデットが一番よく知っている。
 けれども、今も寝台の中で眠り続けているノエを前にして、何事もなく済んで良かったなどとオデットには到底思えなかった。
……だって、兄さんもイレーナさんも傷ついていました」
 オデットとて、魔物と一対一で戦い、少なからず怪我をした。あの戦いで何の損害もなかったなどとは言いたくなかった。
 だからこそ、ノエの負傷は自分で治したかったが、今のオデットには医術的な知識はなく、結果として村の医師に頼るしかなかった。
 とはいえ、何かしていないと気持ちが落ち着かない。そのような思考の末に、オデットはノエの付き添いを率先して引き受けることにしたのだった。
 彼は今、医師の診療所にある別室にて絶対安静の指示に従い、体を休めている。他の面々が周りにいたら気が休まらないだろうと、医師に勧められたからだ。
 傷自体は塞がっていても、骨を元の位置に戻すとなると肉体的な痛みや疲労感までは魔法では癒せない。その証拠に、一時間ほど前に軽く食事を摂ってから、ノエはずっと眠り続けている。熱も出てきたようで、寝る前は応答すら朦朧としていたときがあった。
「氷枕は先ほど変えましたし、汗も拭ったところですから……あとは……
 自分のできることを指折り数えながら、オデットはノエの普段より赤い顔を見つめる。その瞼は閉ざされていて、まるで重病人のようにも見える。
 とはいえ、今のオデットにできることはない。治癒魔法は炎症には効果がないからでもあるし、医師にこれは一時的な体の反応だから放置しておいても落ち着くと言われていたからでもあった。
「だから……これは、わたしの自己満足なのでしょうけれど。でも、わたしは、今の兄さんを一人にしたくないんです」
 ノエを起こさないように、息だけを吐き出すかのような細い声で呟いた。
 自分がここにいる意味はあると言い聞かせるように、オデットは水差しを持ち上げて中身を確認し、意味もなくベッド横の袖机にあるカップを並べ直す。
 きっと、ノエはオデットが看病しているなどとは思ってもいないだろう。
 彼が眠りにつく前に、ルーシャンやヤルマルに「オデットを宿に連れ帰ってください」と頼んでいたのを、オデットは知っていた。その二人に頼み込んで、オデットはこの場所にとどまることを許された。とはいえ、彼らは「夜遅くなる前に迎えにいく」といい、徹夜までは許してくれなかった。
 もう何度目になるかわからない水差しの確認をしているとき、オデットは寝返りしようと身じろぎする兄の気配に、思わずそちらを見やる。
……思えば、兄さんが眠ってところをゆっくり見るのは、久しぶりかもしれませんね」
 以前は、同じ部屋に泊まっていたので、お互い休んでいる姿を見る場面はあった。
 目撃したところでどうというわけではないが、自分が特別に思う相手が安らいだ顔で眠っている様子を目にするのは、オデットにとっては心がほっと落ち着く瞬間であった。
 だが、今の彼を見ていても、オデットの心は落ち着くどころか不安が満ちてしまう。
 熱が上がっているからか、ノエの息遣いは普段より荒い。無意識に時折寝返りを打とうとしているものの、万一のために固定された腕のために思うように体を動かせず、結局身じろぐだけに留まってしまっている。
 一晩もすれば落ち着くと言われても、彼にとってこの夜はあまりに苦しく長いものではないかと、やるせなさばかりが生まれてしまう。
「せめて、痛み止めと熱冷ましを、もっと飲んだらそうしたら、少しは楽になったりはしないでしょうか……
「うーん、むしろ薬がそろそろ効いている頃だから、追加で飲ませる必要はないってお医者様は言っていたよ」
 独り言のつもりで呟いた言葉に返事が返ってきて、オデットは声なき悲鳴をあげてしまった。
 椅子に座ったまま小さく飛び跳ねるオデットの背後に、コツンと靴音が響く。
 振り返ると、防寒具を片手に抱えたゲルダがそこに佇んでいた。外は相変わらず冷えているようで、外を通ってきた彼女の頬は常より赤く染まっている。
「どうしてここにゲルダが……?」
「そろそろ戻ってきたらどうかって、ルーシャンが言ってたから迎えに来たの。オデット、このままだと何が何でもここにいそうだからって」
「ちゃんと、時間が経ったら戻るつもりでしたよ」
「それはいつ?」
 問われてすぐに返せなかった時点で、すぐに帰るつもりはないと言っているのと同じようなものだ。ゲルダは鳥の雛のように唇を尖らせると、オデットの腕をくいくいと引っ張る。
「お医者さんもノエの様子を見ておくって言ってくれてたよ。だから、今はオデットが休む時間」
……
 オデットは不満げに唇に力を込めていた。
 それでも、ゲルダに手を引かれるままに一度外に出たのは、感情のままに発言してしまったら、大きな声にノエが目を覚ましてしまうと思ったからだ。
 ノエが眠っている患者用の寝室の外に出てから、オデットは「でも」とようやく口を開いた。
「わたし、兄さんのそばにいたいんです」
「だけど、ノエはもう治っているんだよね。オデットはそばにいても、することがないんじゃないの?」
 オデットの中に巣食っていた懸念そのものをずばりと指摘され、オデットは口を噤む。
「それは、そうですけれど……でも、わたし、兄さんを一人にしておきたくない」
 普段のような魔物によって負った傷ならば、ここまで大事に捉えなかっただろう。
 オデットも得意とする治癒魔法ならば、怪我をしても負傷はすぐに塞がる。ノエとて、これまでの戦闘でいくらか痛みに慣れを見せており、こういっては何だが多少の負傷はもはや二人にとって、日常の延長になりつつあった、
 だが、今回ばかりは少し違った。
……兄さんは、普段自分が怪我をしても、すぐに自分で塞いでしまうんです。でも、今回はそういうわけにはいかなくて……戦闘が終わっても、ずっと怪我していたところを庇って、すごく痛そうにしていました」
 それは、彼にとって慣れない種類の痛みだったからだろう。微かに顔を顰める程度ではあったが、そのような苦しそうな表情はオデットにとっては見慣れないものだった。
「わたし、兄さんが怪我をした時、そばにいたんです。……なのに、何もできなかった」
 このまま治療しては、余計悪化するかもしれないから。そう言われてしまったら、もはやオデットにできることは何もない。
 隣にいたいとあれほど願い、身につけた魔法も、あの場においてはノエを癒す力にはなってくれなかった。
「何もできなくて悔しかったから、今は一緒にいたいってこと?」
「いいえ、それだけじゃないんです。わたし……怖くなったんです」
 オデットは自分を抱きしめるように、己の体を両腕で抱えながら、
「兄さんが、いなくなってしまう気がして……ちょっとでも目を離したら、指の先からスルッと落ちていくみたいに、兄さんが……消えてしまう気がして」
 そのせいで、どこか焦った気持ちが自分の中にあり続けているのかと、オデットはどこか冷静な気持ちで思う。
 自分がいれば、ノエの身を守る助けになるとどこかで思っていた。せめて側にさえいれば、何かできることもあるだろうと。
 これまでも、何度もノエの傷を治してきた。その自負が、ある種の油断になっていたのかもしれない。
……今回は、たまたま腕を折っただけでした。イレーナさん曰く、腕一本の犠牲で竜を仕留められたなら、大したものなんだそうです」
「オデットは、ノエが褒められるのは嫌?」
「嫌ではないですよ。でも、兄さんを褒めても、兄さんが怪我をしたことは変わりありません」
 それが、いつか怪我では済まない時が来てしまったら。
 自分はノエを止められず、ノエも多少の負傷で止まるつもりもなく。
 せめて隣にいたら何かできると思っても、ふとした運命のボタンの掛け違いで、彼の手が自分の元からすり抜けていったら。
……怖いんです。もしかしたら、兄さんが本当に」
 それ以上を言う勇気が持てず、オデットの言葉は途中で止まる。
 竜にノエが振り落とされた姿を見た、あの瞬間。
 彼が、本当にいなくなってしまったと思った。
 ノエが死んでしまうのではないかと思ったのは、これで二度目ではある。だが、じわじわと命の火が消えるのを見ていることしかできなかった一度目の時とはまた違う。
……だって、つい先程まで、わたしと話していたんです。ほんの少し前まで、わたしは明日も明後日も兄さんと共にいると当たり前のように信じていたんです」
 冒険者は危険と隣り合わせだと言われても、どこかでオデットは無邪気に『今日と変わらない明日』を信じていた。
 未来に続くと思っていたもの。
 それが、次の瞬間にはスッと消えている恐怖。
 もし、打ちどころが悪かったら。
 彼の落ちた先に岩棚がなかったら。
 別れを言う間もなく、後悔に嘆く暇もなく、彼との別れを惜しむ暇もなく。
 ノエは、オデットの元からいなくなっていただろう。
「兄さんはとても強いですけれど、竜を前にしたらどれだけ兄さんが頑張っても、あっさり死んでしまうかもしれない。今回は運良く助かったけれど、わたしが兄さんの隣にいても、わたしには……何もできなかった。運が悪いとかじゃなくて、それが竜と戦うってことで……当たり前の話で」
 自分でも何を言いたいのかわからなくなってしまい、オデットは胸に手を当てて俯いてしまう。
 以前、ノエは自分の我儘がオデットを縛ってしまうかもしれないと言ってくれていた。オデットの目を塞ぎ、耳を塞ぎ、心を塞いでしまうかもしれない。
 オデットの全てを騙して、詐称して、傀儡にしてしまうかもしれないと彼自身が恐れていた。
 だが、きっと逆はあり得ないのだとオデットは悟りつつあった。
 オデットが駄々をこねたら、ノエはオデットの願いを聞いてイシュガルドから離れてくれるかもしれない。剣を置き、オデットと共にいるだけの人生を選んでくれるかもしれない。
 だが、オデットの言葉では、ノエの心を騙し通すことはできないだろう。
 それでも、いっそいいかもしれないと思う。
 だが、一方で、ノエがどこか遠い場所に目を向けながら過ごす姿が、オデットには想像できてしまう。
 善意という形で作り上げた籠で、ノエを飼い殺しにする自分を想像して、オデットはぞっとする。そこまでして、彼の人生を壊してまでわがままを貫く覚悟を、オデットは持てずにいる。
「オデットは、こまりんぼさんだね」
 堂々巡りの思考のせいで黙り込んだオデットに、はあ、とため息が向けられる。それは、ゲルダのため息だった。
「そんな言葉を聞いちゃったら、もう看病はやめて休みなさいって伝言、言いづらくなっちゃった」
……ゲルダ」
「それに、またオデットが悲しそうな顔してる」
 ゲルダは両手でオデットの頬を挟むと、
「ノエのそばにいた方が少しは気持ちが落ち着くなら、今はそのままの方がいいよ」
 言うと、ゲルダは自分の防寒具をオデットに被せる。その仕草は、まるで聞き分けのない妹を宥める姉のようだった。
「それに、当たり前にあったものがスルッと無くなるのが嫌だなって思う気持ち、私も知ってるから」
 ゲルダは再びノエの眠る部屋に続く扉を開き、オデットを招き入れる。そこが自分のあるべき場所のように、オデットは再びノエのそばにあった椅子に腰を下ろした。
……ゲルダ?」
「お母さんと私のこと。ずっと一緒にいるんだろうって、どこかでそう思ってた。私があいつらから離れたら、お母さんはすぐに私のところに会いにきてくれるって」
 だが、いまだにゲルダの母らしき竜は姿を見せてない。ゲルダには、彼女の声が聞こえているようだが、かの竜の翼の影すら見えることはなかった。
 それは、ゲルダが信じていた当たり前が少しずつ失われていることと同義だ。
……ごめんなさい。イレーナさんと兄さんは、飛竜を、その……
「うん、わかってる。飛竜は、確かにお母さんがよく連れていた友達だったよ。お母さんの方が年上みたいだったから、友達っていうのとは少し違うのかもしれないけれど」
 少なくとも、ゲルダの目に竜たちの関係はそう見えたのだろう。だが、少なくともゲルダの母の同胞は、今日、二度と目覚めぬ場所へと送られた。
「でも、私は、私がよく知らない竜よりも、オデットが大事に思ってるノエが怪我をしなくてよかったって思うの」
 ゲルダは暖炉のそばに行き、火かき棒を使って灰をかき集め、囂々と燃え盛る炎を見つめる。彼女のルビーのような瞳とは少し異なる、鮮やかな朱色の炎を。
「お母さんの友達と、仲良くしてほしいって思ってる私もいる。でも、ノエたちのことも、私は好き。だったら、そのまま大人しく殺されていてほしいなんて、今の私には言えないよ」
……ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことは、私は何もしてないと思うんだけど」
「ですが、ゲルダは許してくれようとしました」
 それは、単に自分の知り合いの方を、見知らぬ竜より優先してくれたということだけなのかもしれない。
 とはいえ、ゲルダの母は竜であり、彼女の価値観の基準は人のそれとはどうしても違う部分があるはずだ。
 それでも、彼女はオデットの悲しみに寄り添う方を選んでくれた。
(それは、きっとわたしにはできないことだから)
 オデットは再び「ありがとうございます」を繰り返す。
 ゲルダが意味もなく炎を揺らし続けている姿は、ただ火に空気を入れているだけではないようにも見えた。自分の中でまとまらない気持ちを少しでもまとめようと努力するための儀式。そのために、彼女は炎を揺らし続けているのだろう。
……じゃあ、私は『オデットはもうちょっとここにいる』ってヤルマルたちに伝えてくるね。でも、眠くなったらちゃんと休むこと。そうじゃないと、私もヤルマルに怒られちゃうから」
……はい、もちろんです。……あの、これ」
 オデットはゲルダに押し付けられていた防寒具を返そうとしたが、ゲルダはゆっくりと首を横に振った。
「一応着ておいたんだけど、私って、皆ほど外の空気が寒いって思わないみたいなのい」
「そうなのですか? でも、防寒具をいつも着ていますよね」
「うーん……そうするのが自然だからって思うし、寒いところだと体が強張ってきちゃうのは本当。でも、お母さんに出会ったとき、私って何も着てなかったみたいなんだ。だけど、凍え死んじゃうってこともなかったんだよ」
「え、この寒い場所で何も着ずにいたんですか!?」
 考えられない、とオデットは目を丸くする。
 オデットもイシュガルドの寒さに少しずつ慣れてきた身ではあるが、グリダニアの時のようにうっかり部屋着で出ようものなら、扉から出て十歩も歩かないうちに踵を返してしまう。それほどまでに、この地の寒さは人間にとって厳しいもののはずだ。
「でも、防寒具がないと体がうまく動かないし、全く寒さの影響がないってわけでもないんだと思う。あ、でも、ここ最近は、寒さで動きにくいって感覚も減ってきたの。ヒューイの薬のおかげかな?」
「そ、そうかもしれませんね……
 彼女の診察をしたらしい医師は、あくまでゲルダの体内エーテルに生まれつき少し不具合がある、としか言っていなかった。
 その調整のために薬を飲んでもらうと言っていたが、体内エーテルの不備は肉体の温度を感じる部分にも影響を齎していたのだろうか。
(お医者様でも気がついていない不調があるなら、わたしがちゃんと伝えておかないと)
 出会った直後より、オデットと触れ合ったおかげもあってか、ゲルダは感情豊かになっている。
 だが、どこか世間に慣れていない部分があるところは変わりない。彼女が見落としそうな部分は、自分が気づくべきだろう。
「じゃあ、またね。あ、そうだ。イレーナが言ってたけど、ノエが起きたら、リンクパールで知らせてくれって」
「はい、わかりました」
 オデットは深く頷き返し、遠ざかるゲルダの背中を見送る。
 彼女が残してくれた防寒具を掻き抱き、扉を閉じる前に小さく手を振る彼女と目を合わせた、その瞬間。
……?」
 部屋を見つめるゲルダの瞳。そこにうっすら紅い光が宿り、尾を引いているように見えたのだ。
(気のせい……?)
 扉は閉ざされ、再び暖炉の灯りだけが室内を柔らかく照らしている。ひょっとしたら、先ほどの光も、暖炉の灯りが反射されたものかもしれない。
 ゆるゆるとかぶりを振り、オデットは二重になった防寒具の中に体を押し込め、眠るノエの横顔を見つめ続ける。
 寝返りを打とうとして、何度目かの失敗を経たノエの左手が布団の底にはみ出ていた。
「まったく、兄さんったら」
 オデットはこぼれ落ちてしまった左手をそっと手にとり、布団の中に戻す。
 そのついでに、白い包帯に包まれ、三角巾に釣られたままの右手が目に入る。見るからに痛々しい姿に、オデットは思わずぎゅっと目を瞑ってしまう。
「兄さん。……わたし、兄さんのいない世界なんて耐えられないんです」
 それは二度目の告白であり、決して叶わない願いでもあった。
 ノエが自分の気持ちに素直になり、前を向いて歩いていく姿が好きだった。
 誰にでも優しいはずなのに、全てに平等というわけでもない不平等さが好きだった。
 オデットと共にいたいと願うあまり、自分の正しさとすら衝突して悩んでしまう不器用さが好きだった。
 彼には、何の遠慮もなく己の選択に向き合ってほしい。
 鳥が空を求めて羽を広げるように、時に衝突しながらも飛ぶことを諦めないでいる姿に、自分は何度だって焦がれ続けるだろうから。
「兄さんが危ないことを全くしなくて済む世界が来るまで、兄さんは走り続けてしまうんでしょうね」
 せめて、邪竜とやらがいなくなり、竜が人に牙を剥かなくなれば。
 あるいは、見ず知らずの旅人にすら分かってしまうほど、人々が困窮してしまうような寒冷化の波が少しでも収まってくれたら。
 あり得ない仮定をいくつも並べて、ノエが少しでも安心して飛べる空を作れないかと考えてしまう。
 そうしているうちに、オデットの瞼はゆっくりと落ち、小さな体はノエの布団に突っ伏したまま眠りの海に旅立っていった。