柩木
2024-12-31 21:45:04
3953文字
Public 崩壊:スターレイル
 

丹穹|食べたい。食べさせたい。

ハウジングイベ。
穹の部屋。バスルームでのひととき。

――相談がある。至急俺の部屋まで来て欲しい。

そんな穹のメッセージを受け取った丹恒は作業途中のデータを切りの良いところまで進めて保存し、資料室を後にした。
俺の部屋と態々指定してきたのだから穹も列車にいると考えていいだろう。にも関わらずわざわざスマホにメッセージを入れてくるのだから、手が離せない状況には違いない。当番をこなし、資金を集め、ようやく完成した部屋を満足そうに眺めていたのはほんの数日前だったような気がするのだが、もうトラブルに見舞われたとでも言うのだろうか。
パーティ車両の二階へ続く螺旋階段を上がり、唯一存在するドアの前に立てば自動で丹恒を迎え入れてくれた。
部屋の奥までは進まず、入口付近で部屋の主に向かって声をかければバスルームから返事が聞こえてくる。てっきり本人が顔を出すと思っていただけに丹恒は訝しんだ。バスルームで起こるトラブルをいくつか頭の中でシュミレートしながら扉を開け、湯気とともに丹恒を包みこんだ香りに考えていた全てが初期化されていく。

なぜ、風呂からラー油の香りが漂ってくるのか。

大抵の場合バスルームとは石鹸の香りやそれに使われる香料の匂いがするものだろう。しかし、丹恒の頭の中にはどうしてか金人港の屋台街が並んでいる。食材を揚げる音。美しく盛り付けられた料理。スパイスが効いているのだろう食欲をそそる匂い。行き交う人々の手には各々が選んだ軽食がある。
そんな光景を思い浮かべ、一瞬のうちに金人港へ旅立った思考を現実に戻し、バスタブの前で腕を組んで立っている穹の姿をようやく確認した。
彼は丹恒を一瞥することもなくバスタブを見つめている。

「この匂いはなんだ……?」
「とりあえずこの風呂を見て欲しい」

丹恒の疑問へこれが答えだと言わんばかりに指し示された湯船はとにかく赤かった。バスルームに充満するラー油の匂いと真っ赤な湯船に浮かぶ赤唐辛子のせいで、風呂というよりは鍋に見える。入浴する者を食材に見立てて煮るのがコンセプトなのだろうか。
ボコボコと沸騰するように音を立てているのはバスタブに備えられたジャグジー機能の為、だと思いたい。バスルームの壁に備え付けられた温度計がおよそ人間の入浴に適していない数値を叩きだしていたが、丹恒は深く考えない事にした。きっと温度計が狂っているのだろう。現に穹は湯船に手を突っ込んでかき混ぜているが、いたって平気そうである。

「火鍋のように見えるが」
「だよな。実際パッケージにはラー油って書いてあった」

穹が差し出してきた入浴剤の包装を受け取ると、全面に押し出された赤唐辛子のイラストが否応にも目立つ。説明がなければひと目で入浴剤だとは見抜けないだろう。
そもそもの話、入浴剤に赤唐辛子を選ぶ時点で間違っている気がする。商品開発担当者は何を考えてこれを世に売り出そうと決めたのか。

……およそ入浴剤とは思えないな」

商品化された経緯など知る由もないが、そんな身の危険を感じる入浴剤を穹は既に使用している。数ある入浴剤の一つとして何も考えずに使ってしまったのだろうが、赤く染まったバスタブには流石に身の危険を感じたようだ。そうでなければ入浴前に丹恒へ連絡などしないだろう。

「入っても大丈夫かな」
「通常、唐辛子などに含まれるカプサイシンは粘膜に触れると痛みを引き起こすとされている。流石に唐辛子そのものは入っていないだろうが……

そこで丹恒は湯船に浮かぶ唐辛子を見つめた。穹も視線の先を追うように見つめ、何とも言えない顔をしている。

「それでもお前は入るのか?」
「これもある意味開拓……。骨は拾ってくれ」
……分かった。もし体に異変が出たら洗い流してやる」

一度決意したら穹は躊躇わない。その精神性を丹恒は高く評価していたが、こういうところで発揮されてしまうのはいかがなものかと思う。今回は最悪の場合を想定して救護班――もちろん丹恒のことである――を予め呼ぶという理性はあったようだが、これを穹から信頼を寄せられていると解釈していいものかは疑問だ。
服を脱ぎ始めた穹を眺めながらそんなことを考えていたらいつの間にかその上半身が顕になっていた。薄暗いバスルームと湯気のせいでぼんやりとした輪郭ながらも、程よく筋肉のついた背中をなんとはなしに眺める。本人は時々筋肉がつかない、ムキムキになりたいと嘆いているが、戦闘訓練での動きに筋力不足が影響している様子は見られない。現状維持で問題ないのではと丹恒は思うのだが、頭の中では穹が不服そうに唇を尖らせる。
そんな穹がベルトに手をかけたところで我に返った丹恒は、待ったをかけるように口を開いた。

「外にいるから何かあれば呼んでくれ」
「え、なんで? そのままいていいよ」

あっけからんと言ってのけた穹は不思議そうな顔をしている。これには丹恒もあっけに取られ、妙な間が数秒生まれた。

「俺の裸なんて今更じゃん?」

笑って、穹はベルトをするりと抜き取った。
確かにお互いの裸なんて見慣れていると言えばそうなのだが、こちらが脱がすのと穹が自ら脱ぐ様子をただ眺めるのとでは感覚がまるで違う。前者はお互いに脱ぐのが前提だが、今はこのまま穹が全裸になるのを眺めていていいのだろうかと尋ねてくる妙な罪悪感がある。
戸惑う丹恒を置き去りにしてとうとう全裸になってしまった穹の姿に丹恒は動揺し、視線を空中に彷徨わせた。





結局バスルームに留まったまま穹が湯船に浸かるのを見届けておよそ一分が経過したが、これと言った体調変化も見られず穹は呑気に鼻歌を歌っている。あれだけ不安を煽った入浴剤はあくまで入浴剤でしかなく、全てが杞憂だったようで丹恒は胸を撫で下ろした。

「まるで鍋の具材のようだ」

雑談の最中にそんなことを思った。
元々火鍋のようなバスタブだったが、穹が入ったことで尚の事鍋に見える。赤い湯船は穹の肌色をより一層際立たせており、火が通って艶が出た鶏肉を思い起こさせた。鍋の鶏肉はスープを吸ってより美味い。
そんなことを連想してしまったせいか、なんとなく空腹になってきた気がした。思えばアーカイブの作業を始めて今まで何も口にしていない。

「それって俺が美味しそうに見えるってこと?」

突拍子もない冗談は穹の専売特許だが、イタズラに笑った穹の額へデコピンを一発みまう。空腹を覚えた瞬間にまるで図星を突くようなことを言われたがゆえの、言ってしまえば八つ当たりに近いものだ。
丹恒が覚えたのは食欲から来る空腹であって、そういう意味ではない。断じて。
短く呻いて後ろへ軽くのけぞった穹は笑いながら額をさすった。それからバスタプの縁に上半身を預けて、腕を枕にしながら丹恒を見る。

「これじゃただ呼びつけただけみたいになるし、ついでに丹恒も入っていかないか? 見た目ほど熱くないし、体の内側からポカポカしてくる。インパクトは凄いけど悪くないぞ。風呂上がりはよく寝られそう」

穹の提案は悪くないと思えた。ただ全裸の穹を眺めるだけだから落ち着かないのだ。互いに服を脱いだ状態なら何も気後れすることはない。
連絡が入った時に作業も一段落させてきているし、作業の疲れを癒やすならばこのタイミングだろう。

……そうだな。そうさせてもらう」
「着替えはクローゼットの一番右の棚な」

勝手知ったる、とでも言えば良いのか。穹の部屋は本人の意向もあって、列車組であれば出入りが自由になっている。冷蔵庫を使わせてもらったり、部屋が完成する前の癖が抜けないのかラウンジのソファで寝ている彼を運んで来たり。
丹恒に至っては楽だからという理由で着替えも少し置かせてもらっていた。
穹と同じようにワゴンへ着替えを用意して服を脱ぎ始めると、おずおずと穹が言葉をこぼし始める。

「なんか、丹恒が脱いでるのを眺めるのってアレだな」
「アレ?」
「なんかいけない気持ちになるというか。……ちょっとえっちかも」

相変わらずバスタブの縁に寄りかかっている穹が少しだけ身を引いた。その頬が若干赤らんでいるのは風呂に浸かっているからか、先程丹恒が覚えた罪悪感と近いものを彼もまた感じているからなのか。
とはいえ、この説明しがたい罪悪感を理解してくれただけでも僥倖である。

「気にするなと言ったのはお前だろう」
「う、それはマジで気にしてなかった。ごめん」

服をすべて脱ぎ、シャワーを浴びてバスタブまで戻って来た丹恒を、穹は端に移動して迎え入れた。真っ赤な湯船に左手を差し入れると至って普通のお湯である事が分かり、安心して全身を沈める。
ほっとして息を一つついた。穹が言う通り、見た目ほど悪くはない入浴剤である。

「でもさ。そう言うってことはもしかして丹恒も――
「その疑問に答えてもいいが、先に俺からも一つ聞きたい事がある」

都合の悪い問いへ被せるようにして、丹恒も些細な疑問を口にした。

「お前が自分を美味しそうに見えるのかと聞いたのは、食べられたくて聞いたのか?」

丹恒が自分の空腹に気付いた時、穹が口にした台詞の意図を尋ねた。鍋の具材に見えると言われ、美味しそう見えるのかと尋ねたその意図を。丹恒がそうだと答えていたらどうするつもりだったのか。火の通った体をどうぞと差し出していたとでも言うのだろうか。もちろん差し出されたのなら美味しくいただくつもりだ。
瞬間、穹の表情が固まったかと思えばゆっくりと視線を泳がせて、ぎこちなく口元を引き結ぶ。体を小さく縮こませて何も答えないが、その横顔が真っ赤に染まっているのは入浴剤の血行促進作用だけが理由ではなさそうだ。