戸惑えど 2

Waveboxにコメントくださった方ありがとうございました。
なかなかくっつかない利こまの続きです。まだ終わりません。
時間がかかりますがどうぞ気長にお付き合いください。
肌色表現、捏造設定あります。利の態度と口が悪いです。ご注意ください。



 小松田くんが熱をはらんだ目で私を見ているのには、ずっと気づいていた。
 男から懸想されるのは何も初めてではない。世の中広いから物好きはたまにいる。まさか小松田くんが根っからそういう性質だとは思わないが、おれに抱かれたいとか言ってくる奴は実際に何人かいた。
 ふざけるな、と思う。野郎のケツなんか掘って楽しいわけないだろうが。
 小松田くんのは単なる憧れにすぎないんだろうから隣に布団を並べるくらいならそう邪険にしないが、本当は憧れられるのだって勘弁してほしい。彼は忍者を格好いい職業だと信じ込んでいるし、目指すと口にして憚らないのに必死さが全く感じられない。そういうところに正直嫌悪しか湧かない。忍者というのは畢竟、血生臭く陰惨な道を歩く日陰者だ。勘違いも甚だしい。
 やつはどう見たって、陽の当たる場所で人から向けられた温情にぬくぬく浸かって生きていくのが性に合ってる。忍の道など耐えられるはずがないのだ。
 思慕を弄んで囲い込むのは訳無いが、隣を歩いて行けない者は側にいらない。
 第一、あのアホでのろまな姿を見るだけで、イライラする。

 忍術学園の前まで来て、敷居を跨ぐにはあいつの前を通らないといけないんだよなと憂鬱な気持ちで門を叩くと、今日に限って吉野先生が入門票を持って現れた。
 普段ならサインしてさっさと中へ入るところを小松田くんに会わなくてすんだので、少し外の様子なんかを話してから父に用があると伝えた。
「あいにく山田先生は授業で出かけておられますが、夕方に戻られる予定ですよ」
と吉野先生が仰って、父の部屋で待ちたいと言うと快く通してくれた。
 事務のおばちゃんが出してくれたお茶はほどよい濃さと温度でとても旨く、プロの事務員というのはやっぱりこういうのを指すのだと一人頷いた。
 父上と同室の土井先生も出払っているし、他の先生方も授業中だからか誰もいないようで教員長屋はとても静かだ。
 空は晴れ渡り、鳶が遠くで鳴いている。なんてのどかなのだろう。
日頃の忙しさの反動でだんだん眠くなってくるが、父上の部屋で寝転ぶわけにもいかないので、せいぜい足を投げ出して座るくらいの寛ぎ方で待つ。
 授業が終わるまでしばらくかかるだろう。退屈なので図書室に行って本でも借りてこようかと思ったところへ、人が廊下を歩いてこちらへ来る音がした。
 ぽてぽてとした足音に隠すことすら知らない気配や衣擦れ。嫌でも彼だと気がついた。
「あのぉ、利吉さん」
 おずおずと顔を現した小松田くんを見て、無性に腹が立った。
 鈍くさい奴はきらいだ。
 このところ、向こうから話しかけてくることも減って清々していたくらいなのに。
「何?」
 苛立ちを隠さずに要件を急かすと、
「あの、僕、今日はお仕事お休みなんです」
「だから何?」
「利吉さん、その、もしお手隙でしたら、手裏剣の練習を見ていただけないかと」
 願い事をする小松田くんはうつむきながらもじもじと、前で下ろして組んだ両手の指先を動かしている。もっと図々しい時の方が多いが、いまは真剣らしくさすがに緊張するようだ。
 立ち上がってため息をつきながら、部屋の入り口にいる小松田くんのところへ歩いて行く。見下ろした状態から顔を近づけて、
「めんどくさいから嫌だよ」
と彼の鼻を強くつまんでから廊下へ出ると、図書室へ向かった。
 いつもなら「何するんですかぁ!」と背後から怒った声が聞こえるはずだが、小松田くんから言葉が飛んでくることはなかった。

 昼前には忍術学園に着いていたのに、父上は何かと忙しく、夕刻になってようやく部屋に戻っていらした。私が学園に来るのに間を空けたので、伝えることもそれなりに多い。戦の動向、近辺の城に関する噂、仕事で得た情報。洗濯物のこと。帰省の催促。父上と一緒に戻られていた土井先生が苦笑しだすほど言い募っているうちに日が落ちたので、結局学園に泊まってゆくことになった。
 早いうちに風呂に入るとよい子たちとかち合ってしまうので、わざと後の方に入るようにしている。生徒が入浴を済ませると先生方が風呂へ向かうので、その後くらいにさっと。とはいえ安らいだ気持ちで風呂につかる機会なんて普段あまりに少ないものだから、手早くといっても少しばかり中で寛いでしまったりして。
 そのことを、今日は風呂から出た時になって後悔した。
 ほかほかと温まった体で脱衣場の方へ行くと、私の荷物の近くで服を脱いで今まさに風呂へと支度する男がいた。
 遅い時間だから誰もいないと思っていたのに。
 小松田くんだ。
 彼は子どもでも教員でもなく事務職でしかも一番若手だから、たぶん誰よりも遅く風呂にありつくのだろう。都の中でも大店といっていい商家のお坊っちゃんだなんていうのはここでは関係ない。
 今日はもう会わなくて済むと思っていたのに、こんなところで。せっかくいい湯だったのが気持ちの分だけ冷めていく。
 ああ、ともやあ、ともつかない曖昧な挨拶をして自分の着替えの場所、つまり彼の隣の方へ仕方なく寄った。
「利吉さん、客間にお布団敷いておきましたからね。ごゆっくり」
 こちらへ向いて小松田くんが、服を脱ごうと手をかけながらにっこり笑った。事務の文字を縫い付けられた着物はすでに籠の中で、中に着ていた上衣をたぐってもぞもぞと不器用にくぐる。一年生の方が着替えが早いんじゃないかと思うほどのんびりとしていて、所々苦戦している。
 今日は休みだと言っていたが、町にでも用がなければ何だかんだで仕事着を着て、急の雑務を頼まれて過ごすのだ、この事務員は。
 私の方は褌を締めながらなんとなく彼を眺めていると、あらわになった肩の白さやつるんとした肌に不意に出会ってしまって、着替える手は止めないものの思わず見入った。
 自分とは似ても似つかぬ柔らかそうな体。褌をゆるめるもどかしい手つきやむっちりとした質感に、薄く肉のついた腰回り。
 年相応の骨っぽさはあるものの、体に傷一つついていない。あまりにも忍者とは程遠く、どちらかといえば、誰かに庇護されなければ生きて行かれぬ女人や子どもに近かった。
「では、お風呂いただいてきます」と背を向けて歩いていく小松田くんの案外大きな尻をしばし眺めながら思い出す。
 遊里にあんな雰囲気の女がいたっけ。
 わざとらしくない素人くささと素直で真面目そうなところに遊女らしからぬ新鮮みがあり、気に入ってしばらく通った……とそこまで考えてから、突然自分に嫌気がさしてやめた。

 客間へ戻り、図書室で借りた本を読み耽っていたら夜中になってしまった。もう少し長く忍術学園に身を寄せる時間があれば、こうした書物にもっと精通できるのに。仕事があるのはいいが、忍務ばかりでは学問が身に付かなくて困る。実家にも兵法書はあったが、学園の蔵書は膨大で武具や火薬、南蛮医学など幅広い分野の古今の書がある。一体どういうつてで集めたのかと思えるほどで、大川学園長の恐ろしさを感じざるを得ない。
 懐かしい孫子ばかりでなく、最新の火薬書も読まなくてはなぁと思いながら本を置いて火皿の灯りを吹き消し、布団に入った。
 あのそそっかしい男が敷いた布団は意外にもきっちりとしていて、根は真面目なんだよなと思いながら不意に白く張りのある肌が脳裏に蘇ったのをかき消す。
 そういうのはいらない。もう寝よう。





(続)