現パロ同棲テリサイです。あんまり深く考えなかったので舞台が限りなく現代日本です。お題箱にもらった「現パロで一度別れて、よりを戻す話」でした!いただいてから1年も経ってしまいました……お題ありがとうございました!
きっかけは本当に些細なことだった。はじめは、分担しているはずの家事が疎かになっていると注意しただけだ。サイラスが謝って終わったと思っていたが、翌日になって自動掃除機が自宅に届いたことでまた口論になったのだ。サイラスは自分の金で買ったからいいだろうと主張したが、まるでテリオンの許可を得る必要性すら感じないと言わんばかりの態度が癪に障った。
確かに、同居しているとはいえこのマンションの名義はサイラスのもので、テリオンは家賃を折半すらできていない。代わりに家事の負担を増やすということで互いに同意してはいるが、どうしたってこちらには引け目がある。サイラスの個人的な所有物に口を挟むつもりはないが、家に置くものなら話は別だ。せめて、相談くらいはあって然るべきだろう。
「……」
「……」
ダイニングテーブルを挟んで向き合うサイラスの表情は硬い。言いたいことを言い合って、しかしどちらも譲らないから話は平行線を辿っている。
サイラスと出会って、恋人になって、そして彼の家に転がり込むようにして同棲を始めた。その過程の中でこれまで大きな喧嘩をしたことはなかった。大抵はどちらかが退くか、許すか、そんな風に譲り合って事を治めてきた。
「……はぁ」
聞えよがしなため息に、またカッと腹の中が熱くなった。思わず強く握った拳を振り上げかけたが、ぐっと唇を噛んで自身の腕を背中に回す。
サイラスとテリオンは、生まれも育ちも何もかもが違う。暴力を受けたことがある人間は、当たり前のように自身も暴力を振るうという選択肢を持つ。だが、サイラスを好きになってからは、そういう選択をしないと決めたのだ。人や物に苛立ちをぶつけない――あたり前のことなのに、テリオンには意識しないとできない。むかむかと沸き上がってくる衝動を堪え、怒りを吐き捨てるように呟いた。
「……少し頭を冷やす。距離を置きたい」
すると僅かにサイラスの瞳が揺れた。彼の頭に過ったのはどんな言葉だろうか。テリオンへの悪態か、それとも自分自身を苛むものか。しかし次の瞬間、彼は平坦な声で言い放った。
「分かった。別れよう」
「……!」
後頭部を強打されたような衝撃だった。誰がそこまで言った、と叫びかけたが、既のところで呑み込む。ひとたび激情に身を委ねてしまったら、もはや自分が止められなくなるような気がしていた。サイラスの顔を見ることはできずに、そのまま貴重品だけ持って家を飛び出した。
***
その晩はネットカフェで過ごし、翌日以降は友人の家に上がり込んだ。そして一週間が経った日の夜、テリオンは居酒屋の個室にいた。
「……ってことらしくてよ、プリムロゼ達からも何か言ってやってくれよ!」
「まあ……そんなことがあったのですね」
「聞けば聞くほど、つまらない喧嘩ね……」
「……」
泊めてやる代わりに酒を奢れ――そう言われるままアーフェンに連れてこられたが、個室ではプリムロゼとオフィーリアが待ち構えていた。勝手にサイラスとの共通の知人を呼んで事情を話したアーフェンを睨み付けたが、彼は気圧されずにテリオンを指さした。
「俺が諭したって聞かねえから、助っ人を呼んでおいたんだ。俺だって、ダチを寒空の中放り出したくないけどよ、ゼフからも言われてんだよ……」
「ゼフが? なんでだ、上手くやってただろ」
「上手くやりすぎなんだよ! お前なあ、ニナに気に入られちまって……ゼフが、ニナがお嫁に行くって言い出したらどうしようって半泣きになってたんだぞ!」
「知るかよ、んなこと……」
アーフェンの家に宿泊している間、彼の幼馴染である兄妹とも何度か顔を合わせて食卓を囲んだ。せめて迷惑はかけないようにと好青年らしく振る舞ってみせたのが、却って裏目に出たらしい。ため息を吐いていると、オフィーリアは穏やかに微笑んでみせた。
「でも、こんなに長くお家を空けているのですから、サイラスさんもきっと心配されていますよ。一度帰られたほうがいいのではないでしょうか」
「……別に、あいつから連絡もないしな」
「お互い意地になっているだけでしょ。……サイラスって、テリオンに対しては妙に意固地なところがあるわよね」
「それだけ心を許し合っているのだと思います」
悔しいが、アーフェンの人選は悪くはない。プリムロゼの批判的な言葉は的確にテリオンの胸を抉り、オフィーリアの穏やかな声色は固い心を解きほぐそうとする。勝手に注文された烏龍茶をちびちびとすすりながら、自身のスマートフォンを横目で見遣る。通知画面にはどうでもいいメッセージばかり並んでいて、最も会いたい相手の名前はない。
「……向こうが先に頭を下げるならまだしも、俺から謝る気はない」
「じゃあこのままでいいのかよ? 別れるなんて、本気で考えてるんじゃないだろうな?」
「さあな……あいつは本気らしいじゃないか」
「一度言ってしまったから簡単には撤回できないのよ。あなたがそれに同意してるんならいいけど、そうじゃないなら多少は譲歩してあげたら?」
一週間離れている内に冷静になり、なんとも馬鹿らしいことで別れ話を持ち出されたものだと思い始めたのは事実だ。勝手に高級家電を買ってきて、テリオンに口を出す権利はないと言われたことはショックだったが、だからといってあそこまで激昂することはなかった。
こんなことで嫌いになれる訳がない。本当は今だって、声が聞きたくて、笑顔が見たくて仕方がないくらいだ。だが、好きだからこそ、些細なようでいてどうしようもなく大きな価値観の相違を突きつけられると苦しい。
「まあ、サイラス先生らしいよな。できないことを他の方法で解決しようとするのは……。プリムロゼだったらどうする? もし同棲相手がさ、相談なしに家電を買ってきたら」
「そうね……この件に関しては、私もテリオンと同じ意見かしら。そもそも相談なしに買ってくるのがいただけないわ」
「二人で使う物ですものね……。せっかくなら一緒に悩んで購入を決めたほうが、思い出に残るような気がします」
「そんなもんかねえ。俺は勝手に家に食洗機とか来たら、嬉しいけどよ……」
腕組みをしながら考え込むテリオンを尻目に、三人は好き勝手に喋りながら食事をつまんでいる。テリオンも適当に口に押し込みながら、動きのないスマートフォンの画面を眺めていた。
結局適当に飲み食いして、一時間ほどで解散することになった。店の外に出ると、吹き荒ぶ夜風があっという間に体温を奪ってゆく。勘定はきっちり割り勘にされ、アーフェンの分くらいは払うと言ったが、なんだかんだニナ達も楽しんでたからいいと固辞されてしまった。
「お互いしっかり頭も冷えたでしょうから、よく話し合うのよ。そもそもの喧嘩の原因と別れ話は違う話なんだから、切り分けて考えること。良いわね?」
「素直にテリオンさんが思っていることをお話しすれば、きっとサイラスさんも分かってくれますよ」
「そうそう。ちゃんと仲直りしろよなー!」
「……分かってる」
駅前で彼らと別れ、暫く足が遠のいていた自宅へと向かう。彼らの指摘は的を射ていた。放ってしまった言葉を撤回できずにいて、何かきっかけがなければ動く気になれなかったのだ。
サイラスにメッセージを送るか送らないか、迷っている内にマンションに着いてしまった。殆ど無意識的に鍵を取り出して、差し込む寸前に少し考える。サイラスと顔を合わせたらなんと言おうか。彼の目に浮かぶ色が、これまでと変わっていたらどうしようか。優しく温かだった眼差しが、嫌悪と冷笑を含むようになっていたら、自分にできることなどあるのだろうか。冬の冷たい空気に晒された手がかじかみ、思考までじんと痺れているような気がした。
「……テリオン?」
どれくらいそうしていたのか。背後から声を掛けられ、はっとして振り返る。覚悟ができる前にサイラスの顔を見てしまったが、彼は心配そうに眉を下げて、真っ直ぐにテリオンの眼を見つめていた。いつも通りというよりはさすがに元気がないが、それでも怒っているような様子はなかった。
「……」
「アーフェン君から連絡があったよ。……夕飯は食べたかい?」
「ああ……」
「私も外で済ませてきたんだ。……もし小腹が空いているなら、一緒に食べないかい? アップルパイなのだが……」
サイラスが持ち上げてみせた袋には、近所のケーキ屋の名前が印字されている。袋とサイラスの顔を交互に見ると、彼は短い間隔で瞬きをした。機嫌を取られてやるつもりはないが、彼なりに仲直りのきっかけを作ろうとした姿勢は評価できる。頷くと、サイラスはほっと安堵の息を吐いた。
「……食べる」
「ああ、よかった……。すぐに支度をするよ」
「あんたは先に着替えてこいよ。コーヒー淹れてやるから」
「……任せていいかな、ありがとう」
あんなに躊躇っていたのが嘘のように手早く鍵を差し込んで回し、扉を開ける。明かりを付けて室内を見遣るが、特に大きく変わった様子はない。妙に荒れていることも、かといってきれいになっている訳でもなく、テリオンが出て行った晩から殆ど変化は見受けられない。自動掃除機が入った箱も廊下にそのまま置かれていた。
サイラスは袋をダイニングテーブルに置くと、小走りで自室に向かう。その背中を見送ってキッチンに入り、電子ケトルで湯を沸かす。コーヒーを淹れると言っても、自宅に常備しているのは個包装のドリップコーヒーだ。パックの口を切ってカップに固定して、沸かした湯を注ぐだけ。
コーヒーの香りが立ち昇ると、決まって思い出す光景があった。――良く言えばレトロ、悪く言えば古びた喫茶店の隅の席で、本を片手にコーヒーカップを傾けるサイラスの姿。サイラスと出会ったのは、高校生の頃バイトしていた喫茶店だ。彼は常連客で、店を訪れる曜日や時間はまちまちであったが、決まってひとりでやって来た。
目立つ男だったのですぐに顔を覚えたが、向こうはどうだったか分からない。初めてまともな会話をしたのは、テリオンがカウンター裏で問題集を解いている時だった。応用問題だったが、解答を見ても解き方がさっぱり理解できずに、暫くそのページを開いて頭を抱えていた。そんな姿を見ていたのか、サイラスはいつの間にかカウンター裏に回り、テリオンの手元を覗き込んだかと思うと人懐こく笑ったのだ。
『やあ、頑張っているね。良かったら少し解説しようか?』
驚き、やや半信半疑に彼を見上げたが、サイラスは柔らかい声でその問題を完璧に解説してみせた。そんな二人を見ていた喫茶店のオーナー夫妻が、サイラスに勉強を教えてもらったらどうかと提案したのだ。サイラスと個人的な連絡を取るようになったのはそれからだった。
「……」
意識を現実に引き戻し、二つのアップルパイをそれぞれ皿に載せてフォークを出す。ちょうどコーヒーカップをテーブルに並べた頃、サイラスの部屋の扉が開いた。コートもジャケットも脱いだ身軽な姿の方が見慣れたのは、いつ頃からだろうか。
「支度してくれてありがとう。食べようか……」
「ああ……」
いつもと同じように、向かい合って座る。サイラスはコーヒーカップを持ち上げ、まだ湯気の立つそれに唇を付ける。テリオンは先にフォークを取って、パイに差し込んだ。軽やかな音を立てて崩れたパイ生地の中では、大ぶりなりんごにもったりとしたカスタードクリームが絡みついている。口に含んで、甘く爽やかな風味を楽しんだ。
「……うまい」
「良かった。……テリオン、先日はすまなかったね。キミの気持ちを考えない、軽率な行動だったと反省している」
強張った声色に視線を上げると、サイラスは両手を机の上に置いて指を組んでいた。彼にしては珍しく緊張していることが伝わってくる。それだけで十分かとも思えたが、敢えてもう少しだけ踏み込んでみることにした。そうしなければ、この溝はいつか本当に二人の関係を分かつものになりかねない気がしていた。
「……あんたにとっての俺は何なんだ? ただの居候か? それとも家事手伝いをしてくれる便利な同居人?」
「そんな風には思っていないよ。キミが許してくれるのなら……まだ恋人でありたいと思う」
「だったら尚更、家のことは相談してほしかった。家電を買ったことが問題なんじゃなくて、何も話さずに決められたことが気に食わなかった」
「キミの言う通りだ。本当にすまない……言い訳ではないのだが、誰かと一緒に暮らすということ自体が久し振りで、相談するという考えが欠如していた。以後は改めるよ、同じ過ちは二度と繰り返さないと約束する。だから……」
この一週間テリオンが考えていたように、彼も自分の行動を省みていたのだろう。サイラスは口から出任せを言っている訳ではなく、真摯に答えてくれている。ふと、プリムロゼの言葉が頭をよぎる。――問題を分けて考えなさい、彼女はそう言っていた。だから慌てて、まずひとつの結論を伝えた。
「もちろん、別れるってのは撤回する。そもそもあれは言葉の綾というか……落ち着く時間が欲しかっただけだ」
「ああ……そうだったのか、私が早とちりしてしまったのだね……。重ね重ね申し訳ない……」
「改善してくれるならそれでいい。俺も……言い過ぎた、悪かった」
「いや、キミのせいではない。一緒に暮らしているのだから、二人で決めたことはきちんとこなすべきだし、家のことは独断で進めてはいけなかった。私が軽率すぎたんだよ」
「……そうじゃないだろ」
短く息を吐くと、サイラスの面持ちがまた不安そうに曇る。はじめから同じ言葉を伝えてられていたら、きっとこんなにこじれることもなかっただろうに。ただ、素直に口にするには少しばかり覚悟が必要だったことも事実だった。
「確かに、俺はあんたと比べると学も金もないし、幼いんだろう。それでも……俺にだってできることはある。仕事が忙しいとか、疲れているだとか……そういう事情があるのなら、頼ってほしい」
「え……」
「対等だからこそ、頼り合うのが恋人なんじゃないのか?」
「……そういうものなのだろうか?」
頷いてみせる。サイラスは神妙な顔でコーヒーカップの縁をなぞり、そしてまたテリオンを見つめる。
「私は……無意識に、全て自分で解決しないといけないと思い込んでいたらしい。そうか、そもそも分担が守れそうにないと、先にキミに相談すれば良かったのか」
「そういうことだ。先に言ってくれれば手を貸せるし、靴下が揃ってなくても多少は目を瞑ってやれる」
「はは、気を付けているつもりなのだがね……」
美しく聡明な彼のことを、出会った頃は完全無欠だと思っていたが、今やそうではないことを知っている。サイラスは案外抜けていて大雑把で、四角い部屋を丸く掃く程度の家事能力しかない。しかしそういうところも可愛いと思ってしまうのだから、テリオンも大概である。茶化すような台詞に、サイラスは苦笑いを浮かべてようやくアップルパイに手を付けた。
「テリオン、ありがとう。今度からは素直にキミにお願いしてみることにするよ」
「そうしてくれ。俺だってあんたに頼ることはある、お互い様だ」
「ああ、私にできることなら何でも言ってくれ」
「……それじゃあ、早速ひとつ。今夜はあんたの部屋で寝たい」
「……!」
すると誇らしげな表情が一転し、色白い頬が淡く色付く。今更照れるようなことではないはずだが、サイラスはいつも新鮮な反応を返すから面白くて仕方がない。パイ生地からこぼれたりんごをフォークで突きながら、サイラスは照れ笑いを浮かべた。
「……うん、いいよ。仲直りだね」
「ああ……やっとあんたを抱き締めて眠れる」
「そうだね、私も独り寝には飽いていたところだ」
冗談めかして言われるが、あいにくとそれはテリオンを盛り上げるだけの悪い言葉だ。まあ、今夜くらいはわがままに振る舞っても許されるはず。そうやって相手のことを認めて、許容しながら仲を深めていくものなのだろう。
その晩はたっぷりと時間を掛けて仲直りを楽しみ、翌日は二人で自動掃除機の取扱説明書を開いて、ああでもないこうでもないと初期設定に苦心した。なんてことはない、時間がゆっくりと過ぎる休日であった。
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