有栖川
2024-12-30 12:35:42
14689文字
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皇帝は恋を知らない⑤

自分の感情がよくわからないkisと、友達になろうと思ったらそれ以上の感情に気付いてしまった41が、
事故ったりすれ違ったりしながら恋心を自覚してつきあうまでの話。
🇫🇷戦後捏造if/ngさんとroさんとcgrさんとnsでる

 ——悪い、夢を、見ていたような気がする。
 或いは悲しい結末の絵本。ちいさい頃、幼稚園で手にして、読み聞かせてもらってからずっと泣いていたようなさみしい御伽話。マッチ売りの少女は自分をあたためようとしてマッチを擦り、心は慰撫されるが、しかし身体は冷え切って天へと昇ってしまう。

…………?」

 ゆっくりと目を見開き、遅れて瞬きをする。薄ぼんやりとした夢の中で見た悲しそうな男の顔が、見慣れた天井に取って代わられて消えていく。ここは……実家だ、実家の、自分の部屋だ。でもどうして実家に? 監獄は? ……そこまで考えて、ワッと洪水のように昨日の出来事が寄せ返してくる。

「ああそうだ、俺は、カイザーと渋谷観光に出掛けて……でも崩落で監獄に戻れなくなったから実家の方に戻って、冷食チンして食べた後リビングで雑談して……

 ——そしてこの部屋で、カイザーに抱かれた。

 世一は思わずばっと手のひらで唇を覆った。昨晩の記憶はひどく曖昧で、薄ぼやけていて、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか、よくわからなかった。カイザーに手ひどくされたような気がする、むごい真似を働かれたような気も、けれど子供部屋のベッドは清潔に保たれて、横には誰もおらず、世一の身体にもべたついたり気色悪い感触が残っているような違和感はない。

「じゃあやっぱ夢……?」

 そりゃそうだよな。そうに決まっている。確かにあの男は世一を蹂躙して這いつくばらせることにかなりの情熱を注いでいたような節があったけれど、それはあくまでピッチ上での、サッカーにおける遣り取りでの野望だったはずだ。その証拠にロッカールームやシャワールームでたまたま一緒になることがあっても、一言二言嫌味を投げつけていって消えるか、まるで無視されるかのどっちかしかなかった。あいつは綺麗な顔とシュートを完全に帳消しにしてマイナスにしてあまりあるぐらい性格がひん曲がって終わっているけれど、いくらなんでも嫌がらせのためだけに世一を抱くような、そんな人間じゃ、

——いてっ!?」

 と、そこまで自分に言い聞かせるように思考を重ねたところで、ふと、下半身に鈍い痛みが走った。下半身というか、これは……有り体に言うと腰と尻だ。尾てい骨のあたりに奇妙な感覚が残って、逃れるように身をよじると、何かがドロリと滑り落ちていくような湿った感触が襲ってくる。

「え、うそだろ、おい、」

 思わず寝間着の中に手を突っ込んで、垂れたものを掬ってしまう。恐る恐る引っ張り出した手のひらには、白く濁った体液がこびりついていた。
 漂ってくる臭いからしても、〝それ〟が何であるかなんて、これ以上考えるのも怖ろしい。

「〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 世一は目を見開き、顔を真っ赤にすると、ぱくぱくと声にならない声を零して完全に固まってしまった。
 だとすればあれは夢ではなかったのか。無理矢理身体を暴かれ、痛みに耐え、到底入ってはいけないようなものを出し入れされて。……そのうちわけがわからなくなって、ひどくキモチイイような気がしてきて、縋るように腕を伸ばして。……温かい心臓に胸を埋めて、抱き合い、それから、それから、それから……

「あいっつ、ぶっ殺してやる……!」

 こうなってはもういてもたってもいられず、世一はベッドから飛び降りると——その瞬間ずきりと腰に走った鈍い痛みは、やはり昨晩の惨事が事実であったことを証明していた——腰をさすりながらバタバタと足音を立てて自室を後にした。カイザーを探すためだ。〝あんなこと〟のあとだから、勝手に抜け出していなくなっているかもしれないと思ってまず玄関を確かめるが、鍵はしっかり掛けられたままで、カイザーの靴も揃えられて置かれたままになっている。ではどこだ? 客間か? まさか人の両親の寝室を勝手に使ってはいないだろうな——そんな懸念と共に家中を忙しなく歩き回った果て、最後に立ち寄ったリビングで、この家にあまり似合わない、美しい金髪の男の姿が目に入る。

「てっめ、何してくれやが、る…………

 カイザーは、リビングのソファで窮屈そうに背を丸め、眠っていた。
 整った相貌に翳りを落とし、苦しげに眉根を寄せ、魘されるようにして眠り続けていた。

…………ぁ、」

 振り上げた拳が、行き場を無くして降りていく。まぶたを閉じて低く呻くカイザーの額には脂汗が滲んでいた。ファミリーサイズとはいえ日本人用の狭苦しいソファに、まるで怯えるようにして身を縮こまらせ、その男は——救いを求めるかのごとく己を抱きしめながらぐっと唇を食い締める。

「Yo, ichi……

 零れ落ちた言葉は懺悔でもしているみたいにか細かった。

「Es, tut, ……mir Leid……

 聞き慣れない異国の言葉と共に、彼のまなじりが滲んでなにか透明な雫が垂れ落ちる。涙だ。舐めて味を確かめるまでもない、あの誇り高く気高い、決して人前では弱みを見せない青薔薇の皇帝が、——泣いている。世一の名を呼びながら。

「Yoichi……Am liebsten mag ich dich……

 何を言っているかは、まったくわからない。
 でも、こんな顔をして祈るように泣いているのだから、きっと、夢の中でなら言えるような、そんな言葉なのだろうと思った。
 世一は今自分がイヤホンをつけていなかったことを悔しく思い、また、同時に、そのことに心から感謝した。なんとなく、それらの台詞は、こんなところで盗み聞くような形で知ってしまってはいけないもののように感じたのだ。
 しかし、世一には昨晩イヤホンを外した記憶は無い。とすればきっとこの男が、世一の耳から外してしまったのだろう。昨晩傲慢に犯した世一の身体から、……一体どんな気持ちで?

「バカ、わかんねぇよ、なんなんだよお前」

 べたつきひとつなく綺麗な自分の身体、シーツ、そして昨日引っ張り出したのとは違う寝間着を、今更のように見おろして、世一は首を振る。尻の中はまだモゴモゴしているし腰だって痛むのにそれ以外が全部身ぎれいなのは、どう考えたってカイザーが全部世話してくれたからだ。カイザーが、手ずから、汚れた世一の身体を拭き取り、清め、服を着替えさせて布団を入れ替えたのだ。よくよくリビングの窓を見遣ると、カーテンの隙間から見える庭の物干し竿に、シーツやら何やらがつるしてあった。どうにか洗って干したんだろう。本当、わけがわからないところでマメなやつだ。

「なんであんなことしたんだよ……

 これではまるで、大事な恋人にそうしてるみたいじゃんか。あんな強引に無理矢理犯したくせに。
 どの面下げてそんなことを、と罵ろうとして、でも、その気持ちは言えずに唇の中でほどけて、形を失い、波に呑まれるようにして消えて締まった。

「くそ……

 目が醒めた瞬間には確かにあったはずの憤りのようなものが、後ろ髪を引っ張られて萎んでいく。代わりに思い出されるのは、遠のく世界の向こうで、泣きそうな顔をしながら世一に手を伸ばす、あの冷え切ってさみしい顔色ばかりで。
 ——自分は確かに酷いことをされて、訴えたって仕方ないようなことに晒されたはずなのに、どうしてだか、自分の不幸を嘆くのとはまったく違う理由で、胸が締め付けられるような気分になって仕方が無い。

「なんで……

 ふっ、と、腕を伸ばす。魘されているカイザーの頬や額を、撫でてやりたいと思ったから。そうすればこのさみしい顔が、すこしは和らぐかと思ったから。だけど出来なくて、頬に触れる直前で、ぴたりと手を止めた。触れたら起きてしまう。それがその時世一には、ひどく恐ろしかった。
 だって起きたら、きっともう二度とこの顔を見られなくなってしまう。
 苦しそうな顔で寝かせておくのは忍びないと思うのに、同じぐらい強く、この、きっと今世界中で世一しか知らない姿を、自分だけのものにして留めておきたいと願ってしまう。

「くっそ、お前のせいでめちゃくちゃだよ俺……

 起こしてしまわないようこっそりと口走り、世一は首を横へ振った。

 ——わかっている。今になってまだ怒りや憎悪の感情を向けきれない時点で、きっと世一はもう、自分が思っていたよりもずっとミヒャエル・カイザーという男に絆されていたのだろう。
 そうなるだけの関わりを、少なくない時間を、この男とピッチの上で過ごした。着飾る余裕もなく剥き出しの闘争本能をぶつけ合い、互いに殺意をかわしあって、普通の友人知人なら永遠に知らないで終わるかもしれない本質を触れ合わせあった。試合という濃密な空間で、魂の輪郭を擦りつけあうように、……互いを知りあったのだ。
 そしてただ潰し合うだけの関係で留まらずに、友達になってもいいななんて考えて、世一から観光に誘った。思えばあの時点で多少は憎からず思っていた、ということなのだろう。

「俺、俺もしかして、コイツのこと好きなんだ…………

 だけどそれに気付くのが今になってからだなんて、ほとほと笑えて嫌気がする。

「はは、あんなことされて脈あるわけねーのに、馬鹿すぎ……

 思い出されるのは、昨晩リビングで過ごした時間の、最後の記憶。
 世一を鷲掴みにして首筋に指を突き立てる、あのつめたい眼差し。そして吐き捨てるように何かを叫んだ、あの唇……
 意識が朦朧としていたせいで、そのときカイザーが何を言ったのかは、よく聞き取れなかったけれど。
 …………まぁ、あんな顔して言うぐらいだから、きっとろくなことじゃないだろう。
 すくなくとも世一が今自覚した想いにふさわしいような感情ではない、でなきゃ〝あんな事故〟、起こるわけがないのだから。


◇ ◇ ◇


 カイザーが目を醒ましたのは昼過ぎになってからだった。ソファから起き上がり、昼食をどうするべきかキッチンをうろついていた世一を見るなり決まり悪そうに舌打ちをしたカイザーは、昨晩のことに一切合切言及せず「クソ寝覚め悪ぃ、シャワーを浴びる」とだけ言い残して風呂場に行ってしまい、従って、世一も、昨晩のことには触れずに過ごすことを決めた。
 昨晩同様パックごはんと冷凍食品の簡易メニューで出されたランチに、カイザーはまたしても文句を言わなかった。食事は互いに無言で進み、それから同じ空間にいるというのに互いに顔を合わせずそっぽを向き合ってスマホを弄って食後の時間を過ごした。そしてそうこうしているうちにアンリから「監獄への道が復旧した、これからバスも動かす」という連絡が来て、どちらからともなく立ち上がると荷物をまとめて家をあとにした。
 そんなだったから、当然、監獄へ戻るまでも「進行方向が同じだからやむを得ず一緒にいるだけ」みたいな調子で目線すら合わせることすらなく、監獄へ向かうシャトルバスを捕まえたとたんにパッと離れて散り散りになった。
 昨日は友達になろうとそれなりに意気込んでいたはずなのに、顔見知りを通り越して、赤の他人にまで戻ってしまったみたいだ。
 いや、それ以下か。ゲロかドブカス以下だ、あんなに熱くピッチ上で競り合って一度は手間で結んだ間柄とはとても思えない。他人行儀を遙かに超えたそれは、つまるところ——存在を互いに消し合っているのと同じだ。

(はあ、最悪だ……

 ただ世一にとってそのとき幸いだったのは、すぐ同じバスに蜂楽が乗り込んできて声を掛けてくれたことだった。世一は蜂楽とのなんでもない雑談に勤しみ、つとめてカイザーのことを思考の外へと追いやることに決めた。これ以上あいつのことを考えたくなかったのだ。
 だって考えたら、自分の中に芽生えていたかもしれない感情と、向き合わなくちゃいけないから。
 ……それはとても恐ろしくて、だから見て見ぬふりをすることにして、でもそのツケは、目に見えるかたちで日に日に世一を蝕んでいった。

「潔、お前なんかあったか? 動き硬いぞー、ってか緊張してる?」

 休暇も半ばを過ぎた頃、イングランド棟に申請を出して顔なじみの連中と自主練に勤しんでいた世一は、不意に、そんなことを言われた。練習をはじめてものの十五分と経っていなかった。ひとりだとどうもやりきれないからという理由で練習相手を頼んだ友人——千切豹馬は、世一へ向かって飛ばそうとしたボールをパッと足元で留めると、さっと横へ寄ってきて、世一の背中を叩いた。

「どーした? 嫌なことでもあったのか?」

 気安く訊ねてくる千切の言葉に嫌味は無い。純粋に案じて、気を遣ってくれている調子だ。

「いや、別に、なんでも……

 その優しさがどうにもいたたまれなくて言葉を濁すと、千切はどうも納得いってなさそうな調子で「ふーん?」と小首を傾げた。

「全然そうは見えないけど。最近の國神よりずっと無理してる感じだぜ、ドイツ棟でなんかあったのかよ」

 そもそもさ、わざわざイングランド棟まで来てる時点でちょっと変って言ったらそうだもんな。今更だけど——となんでもないふうに点けられた言葉に、ギクリと背を震わせる。確かにそうだ。以前に蜂楽や千切は「國神(と世一)に会いに」という理由でドイツ棟に来てくれたことがあるけど、世一は行ったことが無い。どうも世一は自分のことにのめり込みすぎる性質なせいで、薄情と言われると言い逃れができないところがあるのだ。

「わざわざコッチ来るってことは、たぶんドイツ棟でなんかトラブったんだろ? なに、黒名? 氷織? それとも雪宮? 最近の試合見てる限りではそーいうコトもなさそうな雰囲気だったけど。お前たまに信じらんないぐらいエゴいからなー」
「いや、だからその、そういうんじゃ……
——お〜い、なーにやってんだお前ら?」

 そうしてグイグイくる千切に押されてモゴモゴ言いよどんでいると、妙な様子に気がついたらしい玲王までこっちに寄ってくる。ちょっと待ってくれ、ただでさえ千切のぶっ込みだけで厳しいっていうのに、玲王の知略まで合わさったらマジで言い逃れのしようがなくなっちゃうんじゃ……。そう危惧を抱いた世一はどうにかふたりを振り払おうとしたが、「なに? 潔なんか隠し事してんの?」その瞬間死角からゆるい調子で背中に乗っかってきた凪のせいで、完全に逃げ場を塞がれてしまい、世一は途方に暮れた。

「違うんだよ〜、ホントそういうんじゃなくて、ちょっと考え事があるってだけだから……!」

 凪の全体重(ぶっちゃけかなり重い!)を頭上に感じながら俯いて鼻っ柱を擦る。ほんと、違うんだよ、友達と喧嘩したとかそんなかわいい話じゃないんだ。友達にすらなり損ねたやつと事故って、そこでようやく自分の気持ちを自覚したみたいな、クソだせー話なんだから正直ほっといてほしい。
 ……でも。気が良くていい奴らであるこいつらが、それを許してくれるはずもないと薄々わかっているから。
 しばらく凪に揺すぶられて息を吐くと、世一は観念したように口を開いて、もたつく舌を一生懸命に動かして目を逸らし、

「なんつーか、好きかもって気付いたのに、その時にはもう失恋してたって分かったみたいなカンジで……

 それだけをぼやく。

——ふぅん」

 すると玲王が、何にも細かいことは言っていないはずなのに、何故か全てを察したような顔付きになってそう唸った。
 その反応を見てはじめて、潔世一は、己がとんでもないレベルの失言をかましてしまっていたことに気づき、「あ、」と口を押さえて蒼白な声を漏らしたが、もはや全てが遅かった。

「え、潔好きな子いたんだ! 意外だなー、お前サッカー狂いのイメージが強すぎてそういうのイマイチ想像つかないっていうか……何? 地元帰った時に再会してそれでって感じ?」
「えっ、あっ、しまっ……! いや違っ、違うんだって、今のは言葉のあやっていうか!」
「それが言葉のあやって顔かよ、鏡で見せたいぐらい真っ赤だけど」

 いいじゃん別に、好きな子いるぐらいさ。俺もいるよ、とけろりとした顔で千切が言う。しかし友人のさりげない言葉に盛り上がって聞き返せるような余裕は今の世一にはない。普段の世一なら、そうは言っても高校生男子なので「とんでもない美女の母と姉を持つ千切の好きな人ってどんな感じなのかな」ぐらいは気になっていただろうけど、もう、全然だ。頬がかあっと熱くなるのを必死に押さえて誤魔化すので精一杯で、おまけにそれすら、神妙な顔で唸る玲王の言葉でご破算になってしまう。

「失恋ねぇ、——何があったのかは知らないが、相手が俺の想像通りだったらそうはなんないと思うんだけどな」

 そう言って玲王が何故か凪に目配せをすると、赤くなったり青くなったりする世一の頭にまだ乗っかったままだった凪が頭上でぱんと軽く手を叩き、玲王の言に頷いた。

「ん〜? ……あ、そだね。俺も玲王と同意見。……ホントに相手がソイツだったらだけどね」

 おいちょっと待てお前ら、人の頭上でわかり合ってんじゃないよ。ていうか何をわかり合ってるんだよ。
 ……そう文句を付けてやりたいところだがその元気すらなく項垂れていると、話に置いて行かれているらしい千切が世一の代わりにその想いを代弁してくれる。

「え? 何? 凪も玲王もなんの話してんの?」

 潔が片想いしてたってだけで一大事なのに、相手知ってんの? 千切が暗に問うと、凪はちらっと世一と、それから玲王を見て、「ん〜、心当たりがないでもないんだけど、名誉のためナイショ」と唇をすぼめた。

「たぶん? 会ったことあるヒトだと思うし。まぁともかくそんなヘコむことないと思うよ潔ー、元気だしてこー」
「お前製薬会社のコマーシャルかよ、……じゃなくて! も〜、頼むから俺でおちょくんないで、なんかわりと本気でヘコんでるっぽいから!」
「んー? おー、そっかそっか……

 頭上から雑に頭を撫でられてぶんぶん顔を振り回すと、凪ではなく、千切のほうが世一の言葉を汲んだように頷き、ぱっと腕を伸ばして凪を剥がしてくれた。そのまま玲王に凪を渡してひらひらと手を振り、それから、千切がすこし考え込むような素振りと共に世一の方へと振り返る。

「わかったよ、もうこの件は根掘り葉掘り踏み込んだりしない。誰だって知られたくないことはあるよ、聞こうとしてごめんな」
……千切」
「でもさ、俺、わりと本気で心配はしてるから。言いたくないならいいけど、誰かに聞いてほしくなったらいつでも話聞くぜ。『Uー20W杯』までもうそんな日もないしさ、そんな調子じゃ満足なプレーが出来るか怪しいじゃん? さっきもパスカット、全然だったし……。お前だって俺らに取って喰われて終わるのはご免だろ、大会始まるまでには気持ち整理しとけよ」

 誰に懸想してんだか知らないけどさ。軽口を叩いて千切があっけらかんと笑う。そのからっとした裏表のない態度に、どこか張り詰めた心がすこしだけ和らぐような心地がする。ああ、そうだった。そういえば千切ってこういうやつだった。イングランド戦が終わったあと國神に声を掛けていた時の千切も、なんだかアッサリしてて、気持ちのいい感じだった気がする。

——その、だったらさ、一個だけ訊いてもいい?」

 その気持ちのいい返答に、ふっと、俯いてばかりだった顔を上げる。張り詰めた呼吸を整えて唇を開くと、千切は元より、凪や玲王も、真剣な顔をして、世一の顔を真っ直ぐに見てくれる。

……相手が何考えてるかわかんない時って、どうしたらいいと思う?」

 訊ねると三人は顔を見合わせ、好き勝手ばらばらに話し始めた。

「教えてくれるまで待てばいいんじゃない?」
「凪……お前がそんなだったせいで俺がいったいどれだけ思い悩んだと……
「玲王……かわいそうに…………いやでも自分から聞きに行かなかったのは玲王もだよな?」
「お嬢ちょっと待って、事実なんだけど真正面から言われると滅茶苦茶傷口抉られるから」

 盛大に脱線し掛けつつも、ああでもないこうでもないと話し合い、三人が首を捻る。「相手が相手だから素直に聞くのは難しいかもね。……想像通りなら」と凪が呟くと、玲王が「そうだなぁ、あいつもどっちかというと言わせたそうなタイプだしな〜……想像通りなら」と意味深っぽく頷く。対する千切は「だからその含みを持たせた言い方はなんなわけよ、言う気ないならやめとけ?」とふたりを宥めつつ、「でも」と一息ついて話をまとめてくる。

「なんていうかさ、気になって他のこと手つかないぐらいだったら、自分から行ってどうにか話するしかないんだろうな、結局。國神とかもさ、俺から話し掛けなきゃ相手してくれなかっただろうし。……でも行っちゃえばさ、なんだかんだ一緒に練習できたわけじゃん? よ〜し潔、こうなりゃ当たって砕けろってやつだ!」

 そうして、ぱんと気持ち良く世一の肩を叩いて、千切が言った。

「ま〜、とはいえ避けられるようだったら作戦が必要だと思うけど」

 その隣で玲王にもたれかかりながら、やっぱりのんびりした調子で凪が言う。

「そうなったら俺らでもいいし他のやつでもいいし、また他人の力を頼ればいいんだよ。……これはうまくヒトに頼れなかった玲王おれの自省も込めた言葉だ」

 そうして最後に玲王が、そんな凪を支えながら、とても難しい顔をして囁いた。
 ……なんというか、すごく真に迫っていて、身につまされるアドバイスだと思った。


◇ ◇ ◇


 そういうわけで友人たちからありがたいお言葉をいただいて思うところのあった世一は、その夜ドイツ棟に戻ると、さっそくカイザーの姿を探すことにした。今まで世一の方から避けていたが、取りやめて、真正面から行く作戦に変更したわけだ。
 この作戦変更を素直に踏み切れたのは、ひとえに、玲王のやけに重々しい口ぶりにあった。さすがにあそこまでマジな感じで言われると蔑ろにはできない。まずは言われたとおりやってみようと素直に思えたのである。
 だがその結果分かったのは、当然、相手を避けていたのは世一の側だけでなく、カイザーの側もらしい、ということだった。

 同じ棟で過ごしているうえにそこまでバカ広い施設というわけではない、ちょこまかと忙しなく探し回っていれば、食堂やシャワールーム、ロッカールームなどで後ろ姿を見かけること自体はあるにはある。けれど世一が姿を認めてあっと振り向いた瞬間、カイザーはぷいと露骨に顔を背けてどこかに行ってしまうのだ。
 というか目を逸らされるということは、世一が気付くまでは向こうもこちらを見ているということだと思うのだけど。
 ……気付かれるまではガン見してきてるくせに(たぶん)、いったいどういう了見でそっぽを向いて足早に出て行こうとしたりなんかするんだ?

……いや、ぜんぜん、謎ではないよな。気まずいんだろうなたぶん、なんたってアイツ加害者だしな?)

 都合八回ほどのエンカウントミスを終えた頃、世一はロッカールームの隅で頭を抱えていた。
 そう、さほど、驚くようなことではない。何しろカイザーは同意を取らずに世一を犯した。世一の方がどうも心の底から嫌だと憎みきれない程度にカイザーに絆されてしまっていたから今のところ明確なアクションを取っていないだけで、その気になれば、一発スキャンダル……とまでは行かなくとも、絵心なりなんなりを通じて多少の制裁ぐらいは望めるだろう。
 サッカー選手としてのミヒャエル・カイザーをピッチ上で喰らい尽くしたいという欲求をまだ消化しきっていないこともあり世一はそういった行動に及ぶつもりはないが、カイザーからしたら気が休まらない時間が続いているに違いない。いやだったらそんな無体働くなよという話なんだが。

(そんだけ、俺の事、傷つけたかったんだろうな。初対面の顎クイも嫌がらせだったって本人から言質取れたし、観光のあいだヘンだったのも、もしかしたらそのせいだったのかも)

 しかしそう思うと、流石にヘコむ。あいつはそこまで世一のことが嫌いだったのか、と。世一の方は、100%ひゃく殺すしブッ潰すけどそれはそれとして宿敵ライバルだと思っていたので、なおさらだ。
 だというのにその状況で友達になろうなんて、カイザーからしたらきっとお笑い草もいいところだっただろう。
 観光に誘ったときの、カイザーの微妙な顔をふと思い出した。それからアイツらしからぬしどろもどろな返事。あの時いったいあいつは何を考えていたんだろう。「したかったから」と言って世一にキスをしようとしたあの男は、本当は、何を思って世一に手を伸ばし、一緒に渋谷まで行って、一日じゅう歩いていたというのだろう……

(わかんねぇよ……

 だけど行きつく先はいつもこれだ。答えなんかない。だから聞き出すしかないのに、あの皇帝さまと来たら今度は話し合いの席にすら立ってくれないと来た。

「はぁ——

 このまま、ずっと、避けられ続けて終わるのかな。
 思いっきり頭を抱えて溜息を吐く。もう監獄内でバスタード・ミュンヘンとして共に戦うことはないだろうから、ノアに迷惑を掛けて気まずい空気を垂れ流す必要も無い。その後仮にプロ入りしたとしてもお互いリーグが別々になるように避けあって(だってあいつレ・アールからもオファー来てたし)、ドイツと日本で代表試合をするときだけは仕方ないからボールを奪り合うけど、それ以外では目も合わせない。
 シケた未来予想図だが、思い描くのは容易かった。だってこれまでも試合の中でしか殆どコミュニケーションを取ってこなかったから。サッカーをしているあいだは他の余計な事全部取っ払って目の前の勝利にだけ全力で駆けていける自信があるけれど、それ以外は……
 嫌な考えが堂々めぐりになって世一の頭の中をいっぱいにする。はぁ。再び大きな溜息が漏れた。こんなこと考えてたって仕方が無いと分かっているのに、頭がごちゃついて、じっとりして、重たくって仕方が無い。

——こんなトコで何をしてるんですか、クソ世一?」

 けれど、そんな陰鬱な思考を、突然第三者の声が降ってきて強制的に遮った。

……え?」
「いえ返事は必要ありません、キミがカイザーのことをクソ追いかけ回しているのはもう気付いていますから。……それでカイザーがキミを避けているのも」

 頬を手のひらで覆ったまま思わず声がした方に顔を上げると、仏頂面のアレクシス・ネスが立っていて、怨めしそうに世一を睨み付けてきていた。俺こいつにこんな顔される謂れあったっけ? そう首を傾げかけて、まぁネスからしてみればあるかもなぁ、と思い直す。

「ごめん、この前の試合でカイザーから『俺のことは忘れろ』って言われてたの、たぶん俺のせいだもんな……

 それで割と素直に申し訳ないと思ってそう言うと、ネスは血管ブチギレそうなぐらいの勢いで笑顔のまま眉間に皺を寄せ、「シャラップ!」と歯ぎしりをした。

「いーんですよそういうコトばっかり言い返してこないで! ホンットに腹立ちますねこの最悪エゴイスト!? あの時カイザーが僕に語ってくれたお礼の言葉は本心です! それはそれでいーんです!」
「え? あ、ごめん……?」
「ふん、というかですね、僕が言いに来たのはそんなことじゃないんですよ。人の話遮らないでください、要はお前のせいでカイザーのパフォーマンスが著しく悪化しているという話をしに来たんです僕は!!」

 それからネスが、千切れそうなこめかみの血管をどうにかこうにか指で押さえて鼻息荒くそう叫ぶ。「え? カイザーのパフォーマンスが悪化してる?」世一はぽかんとして、間抜けにそう繰り返してしまった。するとネスはいよいよもってヒートアップして「そうですよ!」とか火山みたいにかっかと言い返してくる。

「シュートの精度もイマイチですし、誰に何言われても生返事ですし、明らかに普通の様子じゃありません! そしたらそのカイザーを執拗に追い回しては逃げられてる道化師ピエロがいるじゃないですか、じゃあもう犯人は世一しかいないですよね」
「ぼ、暴論……
「でも事実でしょう?」
「そうだけど……ってなんでそんな自信満々に言い切られなきゃいけねーんだよ!?」
——わかりますよ」

 そのとんでもない勢いに押されそうになり、思わず、ネスから逃げ出すようにわたわたと後ろに下がる。けれどネスが突然シリアスなトーンになってぼそりと言うものだから、それに呆気にとられてしまって、逃走には失敗した。ネスがゆっくりと顔を上げる。震える子犬のような顔、いや忠犬そのものの表情で、唇を噛みしめ、誰よりも確からしく——頬を羞恥からではない朱に染める。

「だって僕、彼のことずっとそばで見てきましたもの」

 それはたぶん、悔しさの朱だった。
 あるいはきっと、誇り高きゆえの朱。
 そしてもしくは……もう二度と後悔をしたくないという決意の色だ。

「キミが初めてなんです。カイザーがあそこまでひとりに固執するのは。彼は気に食わない人間を星の数ほど沈めてのし上がってきましたが、どいつもこいつも簡単にへたばりやがるもんですから、きっとカイザーはそいつらの顔も名前もろくに覚えていません。……でも世一だけは違った」

 ネスが言う。胸にばんと手を当て、世一の思い違いで無ければ、自分自身にも言い聞かせるようにして、ハッキリと。

「特定のひとりのことをずっと話しているカイザーも、あんなに熱烈に青筋おっ立てて興奮してるカイザーも、見たことがなかった。自分の首を絞めてまで、誰かを倒すために夢中になる姿も……。キミのせいでカイザーはもう滅茶苦茶ですよ、最悪です! ——でも」

 指先が、胸元のシャツを掻き毟った。ネスが真っ赤な面をあげて世一を再び睨み直す。目元が滲んでいる。熱の篭もった瞳は、アレクシス・ネスという男がどれだけミヒャエル・カイザーに心酔して、尊敬し、忠愛を捧げ、……そしてどれほど純真無垢に皇帝と戴いた男の幸福を願っているのか否応にもわからされてしまうような、そんな色をしている。

——でも、楽しそうでした。彼のあんなに楽しそうな姿も生まれて初めて見た。……悔しいけど、それは偽りようのない事実です」

 ——あの人の夢が僕の夢なんです。
 ——その夢を、こんなところで、こんなつまらない理由で潰えさせちゃならない。

「お願いですから、どうかあの人をこれ以上振り回さないで……

 ネスは震える唇でそれだけを言い切ると、顔を押さえ、呻くように啜り泣き始めた。
 振り回さないでって、振り回してるのはあっちの方だろ。そう思う気持ちはあったけど、とてもじゃないが、今のネスにそんなことを言う気にはなれなかった。あのネスがここまで言うのだから、事実カイザーは不調だし、その理由は潔世一なのだろう。
 でもどうして。
 気まずいのは分かる、悪意を向けられるのも分かる、だけどどうしても、世一に囚われて調子を崩す意味がわからない。

「ネスはさ……カイザーがなんで不調なのか、その理由が分かるのか?」

 だから少し考えたあとに恐る恐るそう訊ねると、ネスはフンと嫌味っぽく鼻を鳴らし、「アホ世一はそんなこともわからないんですか?」とか言いたげな顔でその代わりに目元を拭った。

「なんとなくですけどね。勿論彼自身が教えてくれるわけはありませんから僕の憶測に過ぎませんし、キミに話すようなこともありません」
「おい、」
……それに根拠はありませんけど、カイザー自身、その衝動をうまく解してないんじゃないかって思うんです。手なずけられてないっていうか……彼、自分の感情が、自分でもよく分からないときがあるみたいですから」

 たぶんですけど。でも、だとしたら、僕が勝手に推論を並び立てるのは不敬でしょう。
 顔を拭い終わって溜息を吐くと、ネスが顔を上げる。人には誰しも暴かれたくない秘密があるものです、それがもし自分自身すら上手く扱えずにいるものだとしたら……訳知り顔で勝手にラベリングされることほどムカつくこともないでしょうからね、と。

「だから、その原因であるところの世一自身がわかるまでどうにかしてください。……きっとキミにしか出来ない」

 そうして静かに、ネスが言った。

 世一は生唾を飲み込み、やはり静かに頷いた。身体が勝手に縦へ首を振っていたのだ。ネスの言っていることはかなりめちゃくちゃだったけど、世一だって、カイザーとの関係をどうにかしたくはあったのだから、腹心とも言えるネスにそう言い切ってもらえること自体は、背中を押されているみたいで、有り難かったのかもしれない。

……俺だってカイザーのせいでもうめちゃくちゃだよ。責任取らせてやる、あのクソ皇帝」

 呟くとネスがムッとしたような顔で釘を刺してくる。

「世一がどれだけめちゃくちゃなのかは知りませんけど、たぶんお互い様ですよ。知りませんけどほんとに。とにかく、カイザーをこれ以上サッカー以外のことで煩わせたくはありません。さっさと世一が奉仕して解決してください、マジでムカつきますけど僕じゃどうにも出来なさそうなので」
「ネス……
「一刻も早く。…………僕はもう、彼に捨てられた野良犬なのかもですけど。だからって、大切な人を案じちゃいけない理由にはなりませんからね。不可能を可能にする……彼の神への叛逆を、見届けたいんです、僕は」

 ——その一歩が世一ということなんですよ。たぶん。
 そうしてネスは咳払いをすると、最後にそう結んで、世一の肩をドンとどついた。

——わかったよ」

 世一は肩に残るすこし重たい感触を手で擦りながら、苦笑いして、そうネスに約束した。

「とは言っても、話そうとしてもアイツ逃げまくるんだけど、そこらへんはどうしたらいいと思う?」

 が、世一が意を決したところで自体は好転しないのは、ここしばらくで織り込み済みだ。そこで友人たちに言われた「困ったら他人を頼れ」というアドバイスを思い返して直裁にネスに頼ると、彼は「ハァ〜……」と露骨に嫌そうな顔でハッと両肩を竦め、それから、ポケットの中に手を突っ込む。

「そうくると思ってましたよ、仕方ないからすこしぐらいは協力してやってもいいです。クソ感謝しなさい世一」
「おい、クソはクソ余計だろ」
「必要です、世一は世一なので。…………いつも通りの休暇ルーチンなら、明日の夜頃からカイザーは自室に篭もりきりになります。そうならなそうだったとしても、なるように、どうにかしてやります。ルームキーの予備を貸してやりますから会いに行きなさい」

 そうしてガサゴソとポケットの中をまさぐると、カイザーが寝泊まりしていると思しき部屋の鍵を放って寄越してくる。

……ありがと!」

 それを危なげなくキャッチして眺め見ると、世一は流石に気になって、ネスの方をくるりと振り返った。

「なあ、なんでそこまでしてくれるんだ? いくらお前がちょっと信じられないぐらいカイザーのコト尊敬してるからって、鍵まで貸しちゃったら逆にちょっとした裏切りじゃね?」

 訊ねるとネスはべっと舌を出して子供みたいに笑う。

「ま、彼のためを思ってこその、ちょっとした意趣返しも兼ねて、ですよ。……だって酷く無いですか? 一度拾った犬を捨てるなって話ですよ、きょうびそんなことミュンヘンの子供でも知ってますっての!」

 そうしてネスは、「だからこれは僕なりの彼への復讐なんです」と、にこやかに微笑んだ。

……はは、バイオレンス……

 そしてその笑顔が、あまりに邪気がなくて真っ直ぐだったものだから、字面は物騒だけどきっと言いたいことは殆ど「恩返し」なんだろうな——と、なんとなく思った。