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ひさね
2024-12-29 10:38:44
11241文字
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当該世界の余録と補遺
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野次馬について
本編5話。
人が死ぬ所を見に行く話。
――
哲学者は魔法使いにならないが、魔法使いは哲学者になりたがる。
埃臭くて、ランプだけが灯る薄暗い部屋の中。床に平積みされた本の山々に囲まれて、蹲る少女が一人。積まれた本を見れば、より床に近い、本に伸し掛かられる本は天井に近付く順に魔術書、呪術書、禁書ばかりだった。それが、何時の間にか哲学書ばかりを読むようになっていたのだろう。表層も中層も古今東西の知を愛したものばかりが積まれていた。
周りの山もちょっとバランスを崩せばあっという間に少女ごと飲み込むのも容易いと言うのに、そんな代物を作った当の本人は全く脇目も振らず膝下を見下ろしている。
そこに何があるか、わたしは良く知っている。運命論者の本。演繹法。主体と受動の区別。制約の中の善と当為者性の論理。
きっと床で引き摺っては擦り切れる程伸びたであろう髪を掻き揚げながら、野暮ったくて鼻から摺り落ちそうな眼鏡を押し上げながら、読み込んでいる。必死に。掴みたいものを掴もうとして。縋りたいものに縋ろうとして。
人間の言葉をなぞれど意味などないのに。
私が掴めたものはなかった。「わたし」は良く知っている。
茫々見下ろせば、ガラスのレンズの奥、翡翠色の目が光った気がした。
***
ガタン、と車が跳ね上がる。車輪が小石でも踏みつけたのだろう。瞼を上げる。黒い馬車は粛々と目的地へ向かう。
振動で立ち消えた白昼夢
――
人間以外は夢を見る事がない以上決して正確な表現ではないのだが、それを思い起こす。久しいものを見た。
「乗ってる人、全然居ないねえ」
「だってお金払ってまで見たいものじゃないから」
「でも金払って乗ってるんだよな」
「きみの運賃はわたしが払ってるんだけどね」
コソコソ声を潜めて、隣のニアとその向こうに座ったケントに適当な言葉を返す。
午前六時頃、この馬車に乗ってその後は誰一人乗せることなく一時間程経ったのだろう。日も緩慢に昇ってきて、空はぼやけた薄紫色になっていた。
「案外遠いね、処刑場」
目的地を口にしたニアは内緒話の後の様にくすりと笑った。笑える内容ではないが咎める気も起きず、否、咎める意識すらなく受け流す。
これから人が死ぬ所を見に行くのだ。路銀を払って。
昨日の特別裁判の速報は、会議でも一瞬だけ持ち上がった。現に売人と同乗していた面子が居たのだから分からなくもない。ただ、その面子が面子だから、一瞬で話題から離れていったのだが。それにニアとハチの最終結論も聞かなければならなかったし。そうして夜まで変哲もない談笑をし、差し障りのない近況を共有した。
皆、足元に何かがある素振りはなかった。宿に戻ってからロイにニアから聞いた事を伝えて、ロイからケントとソウの屁理屈の応酬と結果を聞いた。これが昨日の事。
判決の末を見ようと言われたのは、今朝の事だった。会議の面子は、マリィに言いくるめられて暫くここに滞在する事になったから、まだ薄暗い内に同乗者二人に宿のロビーに呼びつけられたのも不可能な事ではない。問題は会話する間もなくあれよあれよと馬車の駅まで連れて行かれた事で、気が付けば財布を開いて、この馬車に乗っていた。
馬車は町ほどは舗装されていない道を走って行く。流れる景色は低木と茂みと空ばかりで人っ子一人居ない。
「終わったら何するの、シオンは」
もう見た後の話をするのか。無神経と誹られても仕方がない話題だな、と思いつつ、話しかけてきたニアに目線をやる。
「
……
図書館行こうかなって思ってる。新聞でも読もうかと」
「情報収集のために?」
「そう。魔法と魔術が分離するらしいから」
「お、そうなのか?」
魔法という言葉を出せば、興味無さげに外を眺めていたケントが食いついてきた。
「みたいだよ。魔法と魔術が大好きなきみが知らないのも珍しい」
「だって伝聞じゃないと分からないからな」
「ニアから聞いてないの? 話しそうなもんだけど」
「ああ、最近会ってなかったんだよね。あたし、ちょっと用事で離れてて。一緒に行こーって言った時に久しぶり? 半年振りぐらいに会話したなって感じ」
「そういう事だな」
取って代わったニアの回答にケントは頷いた。
ふと、レノの言葉が思い出された。音信不通だったとは聞いてはいたが、ニアとも会っていなかったのか、此奴は。何だか不可解で、顎に手を当てた。そのまま目を閉じる。スラムに閉じ篭もるケントを想像しようとして、視界が真っ暗なまま何一つ浮かんでは来ない。諦めて、瞼を上げる。経験則ではあるが、ケントは善悪、倫理を問わず何かをやる、何かを起こすのが常であるから、黙って一つの場所に留まっていられるとは中々想像し難い。人目も憚らず、眉を顰める。
「レノも半年前に急に来なくなったって言ってたけど」
「ああ、地元が大変な事になって外に出るのが厳しくなった時期があって。丁度今みたいに混乱で有耶無耶になるまで待ってたのが真相だぞ」
「列車が倒れ放題のきみの故郷ね。話を聞くに荒れ放題だけど何があったの?」
「王の暗殺未遂。外には出てない様だから対外的には隠しているっぽいな。まあ持ち出した所で意味ないし、懸命な選択だな」
「
……
闘争が激化しているんだね。成る程」
ケントのあっさりとした、実に乾いた返答に隣国の過ぎた迷走ぶりに合点がいった所で、ニアがケラケラ笑って続ける。
「そう言う事。崩御さえしちゃえば、あのヘタレて捻くれた王子しか居ないからね。傀儡にうってつけ! でしょ?」
「ああ、確かに」
無害な魔物にだって腰を抜かして疑心を沸き立たせる様な男だ。武力さえあれば簡単に御せると言うのであれば、使わない手はないだろう。
「何か失敗したら身代わりにだって
なってくれる
しね」
ポツリと付け足せば、二人とも鼻で笑った。同情心の欠片もない様だった。一応隣国に帰属して長い彼、彼女がそんな反応をするのだから、民からの心象も推して知るべし、というものだろう。
そうなると中々王子と言うのも悲惨な境遇に在る。だからといって旅を散々迷走させられた手前、同情できる訳ではないが。
「そこにアリストスも噛んできたからな。中々に迷走してるぞ」
ケントはあっけらかんと厄介で忌々しい一族の名前を口にする。
ある意味で関係者のお前が言えた口ではないだろう、とは口外しないだけの理性は流石にあったので、じっとりと非難を込めた視線だけ紫の瞳に向ける。それをすぐに察知したケントは「ぼくはもう関係ないぞ」と素気無く呟いた。
それは、そうだった。信仰に縛られるのが嫌いだから、抜け出す様にするに決まっている。
何も言い返す必要性も言葉もないので、素直に話を戻す。
「未遂の実行犯は?」
「分からないから片っ端からギロチンに掛けてるんだぞ。役人を。対抗勢力の下っ端から」
「ああ、そう。体の良い、とは言い難いけど、使える言い訳として使われている訳か」
「アリストスじゃない方は内ゲバで全然役に立たないしな。誰も止めないからこのままだと全部居なくなるんじゃないか」
「大したもんだね。
……
それはさておき、皆してじゃない方って呼ぶの、大分長い習慣だよね。明らかに悪意があるし」
二大と冠されていた隣国の貴族も今やすっかり一強になってしまった事が伺われる。ふと、脳裏に半月の様な目が過ぎって閉口した。仲間に関係者が居ると、こういう時に困る。王子へのそれとは全く異なる心境に、ダブルスタンダードと批判されれば反論はできない。
事実、「だって」とニアがわたしの言葉に言い返した。
「実際家の機能果たしてないし。先代は強硬過ぎたし、当代はやりたい事が不明瞭、暫定次代は先代とは別ベクトルで凶暴と来た」
「あ、次の代、暫定でも決まったんだ」
「そう。後継者候補全員死んだか行方不明って認められた後に幽閉されていたらしい末弟が出てきて、そのまま収まったよ。でもこっちの末路は見てて楽しいかもね。そういう意味では勝ってる」
「いやあ、相変わらずヤバい趣味してる」
まるで何かを対比させるような事を言ってにまにましだしたニアに苦笑を溢せば、「褒め言葉?」なんて台詞を打ち返される。
「そう取りたいのならご自由に」
ガタンッとまた車が跳ねる。立て続けに何度も。長話をしていたら舌を噛んでいたかもしれない。暢気なことを考えながら外を見る。周囲も背の高い木が多くなり、道も次第に悪くなってきていた。
目的地に着々と近づいている。馬車が止まるまで、後十分程度だろう。
なら、そろそろ切り出しても良いか。だんまりになっても耐えられる時間であるし。
「
……
二人は何で昨日の人の首を見に来たの?」
「首を見に来た訳じゃないよ。そこは誰でも良いの」
何時も通り煙に巻かれると思っていたので、ニアのあっさりとした答えに驚く。
「じゃあ処刑の観覧自体が目的?」
「そういう事」
彼女は顔の前で手を組む。悪戯に微笑んで。
「役人に罪人を用意しろって言うのも酷でしょ」
「
……
何か悪い事でもしていたの。昨日より凄い事」
「なーいしょ。言ったら都合が悪いから」
そう言って、また、とびきりかわいく、笑った。
良く笑う女だ、と思う。笑顔以外を見た事がないとは言わないが、笑顔以外は想像できない。
更に言えば、彼女の真顔を見た事がない、かもしれない。正しくは想像ができないのだ。恐らく、彼女は常にそう見せている。ニアという少女のロール、そのイメージを与えている。わたし達に。第三者に。
そうする理由をわたしは知らない。理解できるとも思っていない。
息を一つ吐いて、ケントに顔を向ける。察しの良い事で、口元に手をやって微かに目を細めた。
「ぼくは、そうだな。
……
ギロチン以外でやる所を見たかったから?」
ケントは首を傾げる。自分の内の事だのに語尾が上がって疑問形になっている。噛み付き所ではあるのだろうが、わたしにも覚えがある事象だから深く追求はしない。例え、訳なんか一つもなかっただろ、と心中穏やかでなかったとしても。いくら相手が嫌いで、もしかしたら憎んでいたとしても、ミイラ取りがミイラになっては詮方ない。
「向こうは地べたに直置きで機械的だから、こっちの伝統的な方も見ておこうかと。確か剣でやってるんだよな?」
「伝統的ね。
……
うん、そうだよ。ギロチンは使わない主義らしいから。遺族、で良いのかな。当事者の親類とは鉢合わせない様に人を入れているみたいだし
……
だから朝っぱらから呼び出された訳だけど。手間暇掛かってるよ、本当に」
処刑場にはまず観覧者が、次に当事者の親類、最後に受刑者が護送される。そして迅速に刑が執り行われ、埋葬されるらしい。観覧者は埋葬をする馬車を見送ってから、町に戻る事になる。これは昨日、ソウから聞いた話だった。牧師であるために、そして教会の方針を踏まえるに、この手の埋葬をした事があるのだろう。一般人は態々見に行かないのだから、当事者でもなければ極刑の手順と流れを知る筈もない。
馬車が緩やかに速度を落とし、止まる。そして車のドアが開けられた。目的地に着いた様だった。
ケントから降りていく。そして形式的にやって来るだけの馬車を見るだけだった警護役の役人が、降りてきたわたし達に目を見張り、やがて左目だけを眇める。成る程、神妙な顔だった。気持ちは分からなくもない。
その役人の先導で、鬱蒼と生い茂った葉と木々の更に奥、観覧場へと向かっていく。足取りは軽くもなく、重くもなく。
先導する彼にはわたし達がどう見えているのか。ふと、考える。物好きな奴か、軽薄な奴か。最早何とも思っていないのか。
考えても意味はないと分かってはいる。どうせ、この一時だけの繋がりでしかない。でも意味のない事を考えて、求める悪癖は、ずっと治らないまま、ここに居る。
日が昇って空は朝らしい爽やかさを湛えるが、ここは木々に覆われてしまって薄暗い。
思考が引き摺られる内、視界が開けて、小さくて簡素な小屋が見えた。
先導者が扉を開けるのを見て、ここが観覧場だと気が付いた。
***
小屋の中も簡潔で質素だった。椅子も机もない。フローリングも剥き出しだ。ただ床と壁と天井がついているだけの空間だった。
その一番奥に大きい窓がある。そこからお立ち台が、刑の舞台がはっきりと見えた。距離も近すぎず、遠すぎず。処刑人の助手が舞台の上で断頭台の用意をし、聖職者は棺の用意をしている。
野次馬はここで立ち見をしていろという事なのだろう。趣味の悪さを考えれば、雨風を凌げるだけで十分高待遇というものだ。
静かに背後でドアが閉められる。そして、ここまで来る馬車は一本だけだから、わたし達の後に乗り込む者は居ない。実質的な貸切状態だった。
「で、二人がここに連れてきた人についてなんだけど」
「お、単刀直入だねえ」
「やっと人目を気にしなくて良いから。断頭台とか舞台の準備にまだ時間は掛かるだろうけど、さっさと済ませた方が余計な事考えずに見たいもの見れて得でしょ?」
「あはは、それはそう」
ニアは窓に軽やかに駆け寄って、外の設営をちょっと眺めたら、くるりと振り返る。
「で、質問は?」
「
……
どうやって一介の商人から元締めまで搾り出させたのかと思って。大抵、この手の汚い商売は元締めまでは掴めないように、間に結構な数の人を挟む事が多い。だって足が着いたら、首が落ちる訳だし。商人自体は元締めの顔も名前も知らないまま一人で死ぬ方がスタンダードだ」
ニアの隣まで行けば、彼女はわたしを見上げた。口元には微笑。外から差し込む光が赤い瞳に反射して、キラキラ輝いている。そして小首を傾げてわたしの言葉を待っていた。
「でも今日は二人。掴めないはずの胴元がちゃんといる。これすら身代わりだってオチがなければだけど、元々調査自体はしていたみたいだし、王御自慢の司法が間違う筈もないとして。だとすれば売人が元締めに商品を献上する役割だった可能性が高い。なら裏切られないように甘い汁を吸わせるなり、過剰な暴力で抑圧するなりして関係を密にしていた筈。それを吐かせるなんて、夜盗より酷い事をしたのかと思って」
「すっごい言い掛かり! そんなに信頼してもらってて申し訳ないけど、何にもしてないんだなーこれが」
絶対嘘、とニアを見下ろせば、またくるりと今度は窓に体を向けて、出窓に肘を着いた。頬杖を着いた横顔、視線はまっすぐ舞台に向けられている。
「本当本当。あたし達は、単純に人を売ろうとしてるんでしょって言っただけ。丁度カキとハチを降ろした所で。そうしたら相手が大体全部話し出したの」
「
……
流石に脈絡がなさ過ぎる」
「そうだよ。だってあたし達は完全な部外者だもん。強いて言うならタロットカードみたいに使われたって訳」
「その喩えも良く分からないんだけど」
「要は、遅かれ早かれこうなっていたって事」
ニアは上着のポケットに手を突っ込んだ。そして、四つ折りにされた黄ばんだ紙を、黒い手袋越しに丁寧に広げる。覗き込んで、目を見開く。
「契約書。何でニアが持ってるの?」
「んー、形見分けって所かな。あるいは上手く行かなかった時の次善策か」
契約書の皺を伸ばして、彼女は一番上の署名欄を指差した。新聞で見た、元締めの名前が書かれている。
「凄かったよ。馬の鞍には元締めへの契約書、車の床下には元締めが悪どい取引を吹っかけている録音、写真、焼きごて、エトセトラ。時間かけなきゃ手に入らないものばっか。加えて中には人の形をした商品も居る。証拠で出来た馬車と言っても過言じゃなかった。万一見つかれば二人セットで死ぬだろうなって感じ」
「もしかして、見つかるのを待っていた、とか?」
「そう。意地でも胴元を殺す気だったって事」
「何でそんな風に憎んでいたんだろうな。そこまで遠回しで受け身でなくとも、自分で切り伏せた方が早いのに」
後ろからケントが聞いてきた。ニアは振り向きもせず淡々と答える。
「さあ。人殺しについては合法性が欲しかったんじゃない。後は、相手の名誉を辱めたかったとか」
「
……
ああ。胴元は貴族だったらしいな。酒場で聞いたぞ。元から素行が悪くて金にがめつかったらしくて、まあ色々と凄かったが。名誉と権威が命と言われれば、確かに」
「それに、運んでた彼は彼で気位は高そうだったし、馬の走らせ方が静かにもう
……
お上品! って感じが隠せてなかったし。最大限相手を辱めるツボは掴んでたんでしょ。結果的に見せしめになって良かったじゃん」
彼女は手をぷらぷらと揺らして、ケラケラ笑い飛ばす。でも契約書を今この時まで持っていたり、次善策に巻き込まれた認識があったり。軽薄なのか律儀なのかいまいちはっきりしない。
「あ」とニアが声を挙げたので、窓の外を覗く。
そこには、喪服を来て日傘を差した女が一人。処刑の舞台の真ん前に立っていた。真っ黒い日傘を閉じて地面に突き立てる。
背中まで掛かる烏色の髪が美しい女だった。
後続の馬車もなく、彼女以外は来る様子もない。わたし達の後に来たのだから、そして直に舞台を見る事が出来るのだから、誰かの親族なのだろう。
「どっちか一人は来てないね」
ニアは惨い言い方をした。でも誰も同情するような溜め息や声を零す事はない。
「どっちが来てるんだろうな?」
何なら極々簡単なクイズにされる始末だ。しかもケントに。最期の一押しだけが必要だった告解者と、恥も見聞も捨て見苦しく生きた吝嗇家。この対比を前にすれば、答えなど分かり切っているだろうに。
ニアは答えない。ただ契約書をまた畳みながら、「ほら、ぼちぼち来るんじゃない? 今日の主役達。親族は執行直前に死刑囚と話せるみたいだし」とだけ告げる。
そして言葉通りに舞台上に主役が、これから死にゆく者が上がってくる。腰に縛られた綱に引かれ上がってくる。
よたよたとお立ち台の段差に躓きながらしゃがれた男が
――
新聞によると彼が元締めらしい
――
歩くのを渋ってはぐいぐいと綱を引かれてよたよたと上ってくる。素面とはとても思えない千鳥足と言っても良かった。
「薬でも入れたんだろうな」
ケントが呟いた。恐らく、その通りなのだろう。大方直前に暴れた、と言った所だろう。実に分かりやすい。
が、落ち窪んだ目は何を映していただろうか。何も映していなかっただろうか。どちらにせよ彼が何を見たか、考えたか、仮に言葉を聞く事が出来たとて、何もわ分からないのだろう。だから、考えるだけ無駄だと、なぞるだけ無駄だと思うのだけれど。
思考が何時もの袋小路に入る前に、青年が上がってきた。顔は真っ直ぐと、前から全く逸らす事なく、スタスタと階段を踏み、舞台に立つ。たるんだ綱がステップに応じてゆらりと揺れる。
そして、台の前に立つ女を見てはっと目を見張った。驚いた様な、戸惑った様な。それでも一瞬間後には、断頭台を真っ直ぐ見据えて歩き出したので、こちらも真相を知る事はない。一生。
断頭台に二人が拘束されて、執行人が上がってくる。その顔を見て、思わず息を呑んだ。わたし以外の二人も何も言わず、見つめている。
三白眼が囚人を見下ろす。顔色がやや悪く、隈も濃い。この場に居る誰よりも若い青年だった。
何を隠そう、マコトだった。
何時もの白い制服ではなく、本来の仕事の為だけに肩を通す真っ黒なそれを着ていた。腰には尖先の丸い剣を引っ提げていた。斬撃の事しか考えていない剣だった。
囚人が拘束されたら後は早い。もたもたしていて薬や覚悟が抜けては困るから。
ラッパが鳴る。しかし前口上などはない。決して見せしめではないのだ。建前上。
マコトは処刑人の剣を抜き、振り下ろす。元締めと売人の順に進む。
そしてつつがなく、静かに終わった。
後は遺体を棺に入れて埋葬するだけだった。遺体を処刑台の上に安置したまま、棺に入れる準備をしていたその時、喪服の女が処刑台に近寄った。マコトが処刑台の上、立ち止まり彼女と向き合う。
二言三言、言葉を交わした様で、困惑気に助手役だった年配の役人に目を向ける。助手役は一瞬空を仰いで、しっかと頷いた。マコトも頷き返す。
彼は売人の首をそっと恭しく持ち上げた。処刑台の下に居る彼女に視線を少しでも対等にしようと、躊躇いなく膝をついてそれを渡した。
青年の首を手にした彼女は滴る血が喪服に染み付くのも厭わず、胸に掻き抱く。数秒そうしていたかと思えば。青年の前髪を掻き揚げて。
その額に唇を押し当てた。
しゃがれた男は処刑台に晒されたままだった。
それから彼女は首を返し、日傘も差さず立ち去る。血が染みた喪服で墓地へ向かう馬車に乗るのだろう。
全て終わっても、片が付くまでわたし達は出られない。窓から目を離した時、ニアの横顔が目についた。
処刑台を真っ直ぐ見つめる目。真一文字に結ばれた口。詰まる所、真顔。
初めて見た、気がする。ロールの外の彼女なのだろうか。まじまじ見ていれば、つい、と赤い瞳がこちらに向いた。そして笑みを浮かべるでもなく、何を言うでもなく、そのまま彼女はわたしを見上げる。宝石の様に真っ赤で輝く目。何時も何時も輝いてはいたが、彼女がどんな悪巧みをしたって、どんな人間の破滅を目の当たりにしたって、世界を滅ぼす元凶の思惑を挫いた時だって。
これ程澄んだ色は見た事がない、と思った。
「どうしたの。見つめちゃって」
「いや。
……
神妙な顔を、しているから、つい。どうしたのかと」
「ああ、そういう事。真顔で珍しいなーとか思ったんでしょ?」
いとも簡単にわたしの心情を読み当てられて閉口する。まごつくわたしを他所に、揶揄うでもなく、彼女は淡々と続ける。
「昔の事を思い出してさ。あたしの頭が持ち去られた時の事」
「
……
生前の話?」
「そう。身体をバラバラにされて持ち帰られた、その後の話」
懐かしむ様に彼女は言った。
これは、彼女が人間から何かしらへと振り切れた時の話だった。亡国が失われた原因の美女とその末路の話。彼女はそれを生前と呼ぶし、そう呼ぶ様に強制するから、従っている。
「戦後、四肢と胴体は見つかっても、皇帝が得た筈のあたしの頭だけが見つからないし、行方は誰も知らない。そんなオチは良く語られるでしょ?」
「うん。有名な話で、ニアも認める所だよね。
……
本当にニアが、ニア自身の所有物の行方を承知してないかは、知らないけど。さっきの口振りからしても」
「んーん。誰も知らないよ」
彼女は、目を伏せて首を横に振る。
「そう語られているなら、あたしも、誰も、なーんにも知らない。皇帝の持ち物を盗った誰かが居ても、結局語られないなら誰も知る事はないし、知らないままにしておかなくちゃ」
惜しむ様に、大切に言葉を重ねたかと思えば。次にはカラリと乾いた、何時もの軽薄に良く響く声に切り替えた。
「人に語られた事が真相だもの。白ける事はしない」
そうして不敵に笑う。高く昇った太陽の日が射し込んで、澄んだ目がより一層輝く。
「語られた事が真相じゃ、随分受動的だな。意図的に国を燃やした割に合わないぞ」
「あはは! 信念って奴だよ。世界を見通した君達でも分からない?」
ずっとだんまりだったケントに口を出されても、ニアは全部笑い飛ばして切り返す。ついでに息が詰まる揶揄も牽制で加えておくのだから、抜け目ない。
ケントは相手がわたしであれば舌打ちの一つでもするのだろうが、発言者がニアであるばかりに腕を組んで見下ろすに留まる。眉根を寄せて、大層不満気な顔を隠さなかったが。
多分わたしも同じ顔をしている。
信念、と言われても。そんな、頼りのない、とは言わないが。
言い難い何かが喉に溜まって、でも的確な表現を見つけられず、ただ唾を飲み込んだ。
「ま、その内分かるよ、なんて無責任な事は言わないけど。でもその内結論は出す事になると思うけど」
「何を根拠に」
「世界を知る事は哲学する事だから。仕組みを知れば知る程、自分の結論を急かされるのだよ。事には固然有りって奴」
ケラケラ笑って、抽象的な、わたしには上手く理解できない所の話をするので弱った。
哲学には人間の言葉が多過ぎる。読み取ろうとすればする程、不明瞭な言葉と実感との乖離で、自分が切り立った崖に追い詰められた様な気分になる。何時も喉が閊える。そんな中、結論を、求められても。そもそも仕組みを知って尚、何を求めろと、何を掴めと言うのだろう。遠巻きに眺めて、勝手に感情を揺らされる以外に、できる事は在りそうもない。
不可解さに摘まれて食べられそうだったから、窓にまた顔を戻す。
棺も断頭台も何時の間にか撤去されていた。前者は聖職者とあの生首に接吻をした女と共に墓場へ、後者は役人達が解体して車に積んだのだろう。今は、処刑台の清掃をしていた。これさえ終われば、漸く解放される。
ニアが隣でうんと伸びをした。そして無邪気そうな弾んだ声色で言う。
「何はともあれ、あたしの目標は達成したしケントは興味を満たせた訳だよね。で、これからケントはどうするの? あたしは宿に戻って寝るけど」
話をわざとらしく変えたニアに、問いを投げかけられたケントは一層不満そうに、珍しくため息を吐いた。でも顎に手をやって、数十秒黙る。ちゃんと考えてはいるらしかった。
「
……
シオンに着いて行くぞ。魔法と魔術の話が、どうしても気になるから」
「え〜。図書館行ったってきみが得るものないでしょ」
あんまり出し抜けな提案で、思わず明け透けに拒否すれば、彼は首を傾げ「読んで聞かせてくれればあるが」と食い付いてきた。答えがずれている。理解する手段ではなく理解する事柄の問題だ。既に知っている蓋然性は高いだろうに。頭を手で押さえてしまう。
「そういう事じゃないし、読み上げるためのスペースもないよ。図書館は基本私語厳禁」
「あの一番デカい所に行くんだろ。子供が遊んだり読み聞かせ聞く所。そこら辺なら何とか」
「子供が使う所は子供に使わせなよ、大人気ない。あとそこで研究雑誌を読み上げるのも相当危ないからね」
世間一般の常識から外れて頓珍漢な事ばかり言うので、深く息を吐く。ニアはケントの発想が余程面白かったのかケタケタ笑声を上げている。そんなに笑っていないで、現代の常識ぐらい教えてやれば良いのに。
「手がない訳ではないけど。でも、本当に行くの?」
「行くぞ。知ってる事でもそれはそれで良いしな。何が明確になったかは知っておかないとボロが出るぞ。その弾みでうっかり、言い過ぎるかもしれないし」
「
…………
じゃあ良いよ。勝手にして」
「甚だ不本意って感じだな」
「だって従わさせられたんだもん」
ボロを出されると困る、とまでは言わなかった。が、顔に出ていたのか、それとも彼自身がそう意図した上の発言だったからか、ケントは意地悪く目を細め、満足そうに頷いた。
片道一時間半以上掛かる道をまた戻るのか。図書館までの移動を考えた時、矢張り肩が重くなる。ここで見たもの、請け負ったものを考えると、長過ぎる道と廉価な運賃が割に合わなかった。ニアの実際の行動と信念とやらが割に合わないのと似ている。
そんな事は幾らでもある、と一蹴して思考から外しながら、観覧場の扉が空くのを待つ。街につく頃には太陽が南中するだろう。昼飯の事を考える必要がないのは、突如増えた同行者がケントで助かった唯一だった。
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