shirajira
2024-12-29 10:31:09
9239文字
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風花踊る後夜祭

ビマヨダワンドロより。「クリスマス」「雪」「プレゼント」。これにてワンドロお題全制覇です。

 しんしんと、音もなく雪が降り積もっている。夜明けにはまだ時間があるようだった。
 寝台の中から窓の方を確認し、それからビーマは傍らの熱に身を寄せた。一糸纏わぬ小麦色の肌は温かい。仮初めの心臓が立てる鼓動に耳を寄せ、ビーマは息を漏らさずに笑みを浮かべる。
 雪は静かに降り積もるから、男が必死に噛み殺そうとしているひしゃげた喘ぎ声がよく聞こえた。雪明かりが月光を反射して、灯りを消した部屋の中を微かに照らしたから、男の取り繕う余裕の失せたぐちゃぐちゃの顔がよく見えた。
 どれも本人が知ったら憤死しそうだから、言わないけれど。いい夜だった。また何度でも同じ夜を迎えたくなるような。
 すぅすぅと傍らで静かな寝息を立てる男は、ビーマの好敵手にして宿敵、そして恋人だった。
 ドゥリーヨダナ。霊基に刻まれた、互いに切っても切り離せない相手。
 人理の危機を観測した星見台に、揃って召喚され、そうして生前選ぶべくもなかった関係を選んだ。けれども男同士だ、触り合うくらいはしていたが、本当の意味で繋がることができたのは昨夜が初めてだった。
 にまり、と口元が緩むのを抑えきれず、ビーマはもにゅもにゅと唇を動かした。胸がぽかぽか温かくなる。これでしてやれることが一つ増えた。喜ばしいことだ。
 まあ、経緯を考えるとにまにましていていいのか考えものだが。ドゥリーヨダナの胸に耳を寄せながら、ビーマはここに至った経緯を振り返った。


 クリスマス・イブから年末までサンタサーヴァントは大忙しだ。クリスマスから年末にかけて皆休暇と称してあちこちに出向いている上に、年々大所帯になっていくカルデアでは、一夜でプレゼントを配りきるのは難しい。
 今年ビーマはプレゼントを頼まなかった。人に頼むような欲しいものは特になかった。ドゥリーヨダナも同じくプレゼントは頼んでいなかったが(サンタからもらえるものなんてたかが知れている、というのがその理由だった)、カルナから私的なプレゼントをもらったのだと、そう声を掛けられたのが、クリスマスの翌日のことだった。
 互いに周回だ宴会だと忙しく、まともに顔を合わせるのは随分久しぶりだった。今日はマスターがサンタの手伝いをしていて周回も休みなのか、ドゥリーヨダナはあまり戦闘向きではない第三霊基の姿をしている
「その……お前と数日、二人でゆっくり過ごしてきてはどうか、と。ま、お前が用事があるというなら他の者と行くまでだ。高級旅館でわし様と二人きり、しっぽり過ごすという栄誉を喜ばぬ者はおるまい」
 言いながらドゥリーヨダナがぺらりと振ったのは、紅閻魔が女将を務める雀の御宿、閻魔亭の宿泊券だった。
 ちょうど、ビーマも大晦日までは厨房働きを休んでいいと言われていた。カルナがそれを知っていたかどうかは知らないが。
「カルナは俺と行けって言ってたんだろ? なら俺を連れていけよ。しばらく休みをもらってる」
 ビーマが伝えると、ドゥリーヨダナが「そうか! ならば行くぞ。なぁに、準備はいらん。必要なものがあれば、向こうでわし様がいくらでも買ってやるわい」と機嫌よく笑った。早く早くとでも言わんばかりに歩き出す男の足取りは軽い。見るからに浮かれている。
 それを見て嬉しくなってしまう自分も大概だなと、ビーマは思う。昔は機嫌のいいドゥリーヨダナなんて見ても、何かまたくだらないことでも企んでいるのかとしか思わなかったのに。
 数日間二人きりは、初めてだ。ビーマはドゥリーヨダナに負けず劣らず軽い足取りで、その隣に並んだ。同じ高さにある顔に話し掛ける。
「あの女将の御宿か。一度行ってみたかったんだ」
「最近はサービス向上のために受け入れる客数を絞っているらしい。のんびりできそうだ」
「のんびりなあ」
 この男と二人でいてのんびりしたためしがないように思う。ビーマはじっとしているのが苦手だし、ドゥリーヨダナは飽き性だ。二人でいてものんびりするよりは、あれやこれやと何かすることの方が多かった。
 だが、たまの機会である。のんびりする、そういうのもいいのかもしれない。そんなことを思いながら、閻魔亭にたどり着いたのだが。
「飽きたな」
 宿に到着し部屋に案内され、一頻り棚の中だの何だのを物色し終えた後、ごろんと畳の上に寝そべりながらドゥリーヨダナがそう言った。
「早すぎだろ。全然のんびりしてねえじゃねえか」
「物珍しいものって逆にすぐ飽きることないか?」
「知らねえよ。単に過ごし方がわからなくて落ち着かねえだけじゃねえのか」
 む、とドゥリーヨダナが下唇を突き出す。図星だったのだろう。ドゥリーヨダナが勢いよく体を起こす。
「森育ちが偉そうに! お前だって何をしたらいいかわからんのだろう? 顔にそう書いてあるぞ!」
「そりゃあ、のんびりしろと言われたところでな……飯まではまだ時間があるみたいだし、散歩でもするか?」
「散歩ってどこを」
「裏手に山があるだろ。鹿か猪でも獲れるんじゃねえか?」
「お前のんびりの意味、わかっとるか?」
 呆れた顔をするドゥリーヨダナに、ビーマが言い返そうとした途端、「話は聞かせていただいたチュン!」と勢いよく襖が開いた。見れば部屋に案内してくれた従業員の雀が、お盆を持って立っている。
「あ、これはお茶とお茶菓子でチュン」
「ほほう、気が利くではないか。んむ、うまい」
「お気に召したら売店でお土産に買っていってくれると嬉しいチュン。それよりさっきのお話でチュン」
「さっきのお話?」
「裏山に鹿か猪を獲りに行ってくれる話でチュン!」
 ビーマはドゥリーヨダナと顔を見合わせた。ドゥリーヨダナはしかめっ面をしている。そんな二人の様子にも気づかずに、雀が言い募るには、何でも近頃裏山を荒らしている魔猪がいて、安心して山菜を取りに行くこともできず困っているとのことだった。紅閻魔も事態を把握はしているが、宿泊客にまで被害が及んでいないのもあり、手が回っていないらしい。
「魔猪を倒してくれたら、とっても助かるチュン! お二人は腕も足も丸太みたいで強そうチュン! 魔猪をコテンパンにしてほしいチュン!」
「おう、わかった」
「はぁ~!? 引き受けるのか!?」
 ビーマが二つ返事で頷くと、まるでそれをかき消すような大声で、ドゥリーヨダナが喚いた。
「休暇だぞ!? のんびりしに来たんだろうが!」
「そう言ったって、暇を持て余してただろうが。それにこう頼まれちゃ、放ってはおけねえよ。別にいいぜ、行きたくないならお前はここでのんびりしてても。俺一人で行ってくる」
「そ、そうは言っとらんだろうが……! ええい、それ相応の礼はあるのだろうな!?」
 ドゥリーヨダナの言葉に、雀が「女将と相談でチュンが、魔猪を倒してきてくれたら必ずお礼はしまチュン」と囀ずった。
 渋々といった様子でドゥリーヨダナが立ち上がるのを尻目に、ビーマは雀から説明を受けた。
 魔猪は山の中腹より上を住みかとしているらしい。山には山小屋もあるから、何かあれば好きに使ってくれということだった。それからこの辺りはそうでもないが、山の上の方は雪が積もっているから寒さに気をつけてくれと、ビーマが第一霊基だったからだろう、腹の辺りをガン見されながら言われた。
 第二霊基に切り替えて、山へと向かう。ドゥリーヨダナがぶつぶつ文句を言いながらもついてきた。風に靡く髪を鬱陶しそうに払っている。第三霊基の姿はどう見ても山登りには向いていない。
「お前、霊基を変えないのか? 戦闘向きじゃねえだろ、その格好」
「はあ? わし様、戦闘をするなんぞ一言も言っとらんぞ。野蛮なことはお前に任せる」
「じゃあ何で着いてきたんだよ」
 戦闘をする気がないのなら、大人しく待っていればいいだろう。ぶつぶつ文句を聞かされるだけなら、ビーマとしてもその方がいい。
 思って尋ねると、むすっとした顔が返ってきた。何か言いたげで、けれども口にする気はない、そんな顔。
 一応、ドゥリーヨダナとは恋人関係になったわけだが、だからと言って相手のことが全てわかるわけではない。何か理由があって着いてきているのだろうとは思うが、それが何かはわからなかった。元より、ドゥリーヨダナの思考はビーマでは図りかねることが多すぎる。
 ひたすらに山を登る。獣道よりは上等な道は、雀たちが山菜取りに行き来している道だろうか。思いながら足を動かしていると、やがて地面が白いもので覆われ始めた。灰色の空から、雪が降ってくる。
 雪が音を吸収しているのか、二人分の足音以外は何も聞こえない。静かだ。
「いつになったら魔猪が出てくるのだ? 冬眠しとるんじゃないのか~? さっきから小鳥の鳴く声一つ聞こえん。もう帰ろう、食事の時間に間に合わんぞ」
「猪は冬眠しねえよ。狩りってのは気長にやるもんだ。予定の時間までに帰ってこれなかったら、一回キャンセルしてもらうように頼んである」
「何勝手に頼んどるんだ!? そんな話、聞いとらんが!?」
「作らせて食わねえのは迷惑だろうが。帰ったらそれから簡単なものでも作ってもらえばいい」
「嫌だぞそんなの! 楽しみにしておったのに!」
「じゃあ一人で帰るか? 別にいいぜ、俺はそれでも」
 足を止めて喚き出したドゥリーヨダナに言い返す。マジで何でこいつ、着いてきたんだろうな。ため息をつきながら視線を前方に戻し、人工物があるのに気づいた。山小屋だ。
「おい。帰りたいなら先に帰っていてもいいが、嫌ならそこの小屋で待ってろ。俺一人で魔猪は倒す」
 これで文句はないだろう。そう思いながらビーマは山小屋を指差したが、ドゥリーヨダナはますますむくれた顔をした。突っ立って、一人で帰る様子も、山小屋に向かう様子もない。
「何がしたいんだよ、お前」
……英雄を邪魔するやつは、昔から何と呼ばれるか」
 突然語りだしたドゥリーヨダナに、ビーマは瞬きをした。ドゥリーヨダナが乾いた笑みを浮かべる。
「悪役だ。正しいことをしようとするお前に文句を言うわし様は、なるほど悪役なのだろう」
……ドゥリーヨダナ?」
「だがなあ、久しぶりだったのだぞ。嬉しかったのだぞ。それを台無しにされて機嫌を悪くして、何が悪い? せめて一緒にいたいと思って、何が悪い? 物分かりよくお前を見送って、それでわし様の欲しいものが手に入ったのか? 違うだろう!」
 ほとんど絶叫のような怒鳴り声が、白と灰色の世界に響き渡る。燃えるような瞳がビーマを射貫く。
「お前はいつだって正しい英雄だ! 間違っているのは、悪役なのはいつだってわし様だ! ずっと前からそう決まっている! だがお前は、そうじゃないわし様も見てくれたんじゃないのか? だから欲しがったんじゃないのか? それともお前にとって、俺は、やっぱり、お前を邪魔する悪役でしかないのか……?」
 くしゃりと歪んだ顔に、ビーマは腹に重たい一撃を食らったような気分になった。はくはくと口が動くばかりで、言葉が出てこない。
「ドゥリーヨダナ、俺は」
 急く気持ちと共に一歩前に出ようとした、その時。地響きと空気を震わせる気配に、ビーマは咄嗟に旗槍を顕現させた。ハッと目をやれば――魔猪の群れが迫り来るところだった。一際大きいのが、ボスだろうか。
「こいつは……思っていたより手間取りそうだ」
「あの雀め! こんな大量に群れておるなんぞ聞いとらんぞ!」
 棍棒を握ったドゥリーヨダナが、先んじて前に出る。風に髪を靡かせ、踊るような、けれど力強い足取りで、魔力を爆発させながら。
「ええい、もう知らん! 全部滅茶苦茶にしてやる! 八つ当たりだ! 暴れるぞ、我が弟たちよ! 一より生まれし百王子!!」
 宝具の解放によって、ドゥリーヨダナの弟たちが戦馬と共に現れ、魔猪を蹂躙していく。
「痛っ! おい、この馬鹿共、俺まで攻撃してるぞ!」
「馬鹿っていう方が馬鹿なんですぅー」
「このくらいで済ましてやってるだけありがたく思えよ」
「早く死ねビーマ」
 ついでのように小突いてくる百王子たちにビーマは文句を言ったが、ドゥリーヨダナは流し目をくれるだけだった。まずいな、とビーマは思う。
 完全にへそを曲げている。今回ばかりはビーマの対応もよくなかったのだろう。
 別にお前を蔑ろにするつもりはなかった。お前のことを悪役だなんて、そんな風に思ったことはない。早くそう伝えないと、ドゥリーヨダナのことだ、何をするかわからない。
 ただふてくされいじけるだけならマシで、最悪関係性の解消からのビーマ抹消を企む可能性がある。生前のように。それは嫌だった。
 せっかく生前と異なる関係性になれたのだ。ここだけの関係に。失いたくない。
 俺だって嬉しかった。お前と一緒に時を過ごせて。でもお前がつまらなそうな顔をしてばかりいるから、嫌だった。そんな顔をさせるくらいなら、お前は俺と一緒にいない方がいいんじゃないかと思った。
 俺たちには、まだまだ足りないものが、埋めるべきものが多すぎる。
 早く。早く終わらせよう。それで仕切り直そう。間に合ううちに。
 そう思うのに、どれだけ倒しても魔猪は減らない。まるで倒した端から補充されていくかのようだ。
「おかしいだろ!? こんな……聖杯でも使っておるのか!?」
 怒りのままに何度も宝具を打っていたドゥリーヨダナが、魔力切れを起こしているのか、青白い顔でぜえぜえと荒い息で叫んだ。聖杯、の言葉にビーマは魔猪の群れに目を向ける。
 一際大きい魔猪を囲むようにして、通常サイズの魔猪が群れている。先頭が崩されれば次のものが次々と出てくる様子は、なるほど統率が取れている。不自然なほどに。そもそも魔猪はこの規模で群れたりはしない。
……本当に聖杯かもな。となると、あのでかいやつか?」
 ボスが聖杯を持っている。となればビーマの宝具で一点突破するしかあるまい。幸い一発強いのを打てるくらいには魔力が貯まっている。
 だが、ビーマの言葉にドゥリーヨダナは「バーカ」とせせら笑った。
「お前は何も見ておらんな? わし様はあのでかいのはブラフと見た。その脇に全く動かん小さな魔猪がいる。聖杯を持っているとしたらそいつだろう」
 言われて目を向ける。どれのことかわからなかった。蠢く魔猪は一際大きいものを除き、どれも同じに見える。
 ビーマの沈黙をどう取ったのか、ドゥリーヨダナが「ま、悪役のわし様の言うことなんてお前は信用せんか」と笑った。口調は剽軽だったが、どこか投げやりで寂しげな笑みだった。
「おい、それやめろ」
「あ?」
「英雄だの悪役だの、そんな小さな枠に俺とお前を押し込めんな」
「小さな枠だと?」
 ドゥリーヨダナの顔が赤くなる。その口が開くより先に、ビーマは続けた。
「俺にとってのお前は、お前でしかない。従兄弟でガキの頃からの好敵手、生前からの因縁ある男、でもって、今は俺と同じ英霊で、俺の恋人だ。英雄だの悪役だの、勝手に余計なもん挟まれて、距離を置かれるのは……堪えるぜ」
 俺だって、お前と二人で過ごせるのが嬉しかったんだ。伝えると、口をへの字にされ、疑わしげな目を向けられた。その顔に告げる。
「とっととこいつら倒して、で、今度こそ二人でのんびりしようぜ。話したいことがたくさんある」
……そもそもお前が引き受けなきゃよかっただけの話だろうが!」
「そうかもな。だがそれが俺だ。それとも、そんな俺じゃあ、お前の恋人にはふさわしくないか?」
「そんなことは言って……ええい、さっさと片付けるぞ! こんな状態では落ち着いて話もできん!」
 ふらふらとドゥリーヨダナが棍棒を構える。視線を魔猪に向けたまま、「おい」と横柄な声を掛けられた。
「わし様が宝具で雑魚を蹴散らし、馬鹿なお前にもわかるよう、聖杯を持っていると思わしき魔猪を示してやる。お膳立てはしてやるから、後片付けはお前がどうにかしろ」
「お前、もうガス欠じゃねえのか? 大丈夫かよ?」
 ドゥリーヨダナの顔色は悪い。ただでさえ燃費の悪いバーサーカー、マスターや他のサーヴァントの援助もない。それを忘れて普段の周回のようにバカスカ宝具を打っていたのだ、魔力切れになってもおかしくない。
 だが、ドゥリーヨダナは鼻で笑った。額に脂汗を流しながら、それでも。
「ふん、わし様は考えなしのお前と違って、やりくり上手のできるサーヴァント故、まだ十分余力を残しているのだ」
 痩せ我慢の空元気だ。ビーマは思う。だが、ドゥリーヨダナは口にしたら最後まで、そのように振る舞うだろう。
 ならばビーマのやることは一つだ。
「わかった」
 宝具解放に向け、鎧を纏い、風を集める。その間にドゥリーヨダナが走り出す。乱れた髪を靡かせながら。
「蹂躙せよ、我が最強の軍団よ! 百より生まれし百王子!」
 呼び出された騎馬が魔猪を蹂躙する。ドゥリーヨダナの乗った戦車が、ある魔猪を轢こうとしたところ、一際大きい魔猪が割って入るのをビーマは目にした。限界を迎えたのか、ドゥリーヨダナの弟たちや戦車が消える。
 ――あれか。
「あとは、任せたぞ……!」
 後退したドゥリーヨダナと入れ替わるようにして、ビーマは前に出た。
「嵐の力よ、集いて我が手に!」
 大きな魔猪を脳天から槍で貫く。地響きと共に沈んだ魔猪の影から逃げる小さな魔猪を、ビーマは見逃しはしなかった。
「まだまだぁ!」
 槍から手を離し、拳を構える。弾丸のように、一直線に獲物へと飛ぶ。
「風神の子、此処に在り!!」
 皮を、肉を、骨を、一撃で砕き貫く。心臓らしきものを引き抜けば、その場で聖杯に姿を変えた。あれほどいた魔猪が、塵となって消えていく。踏み荒らされた雪だけが、先程までの戦闘の名残だった。
……マスターにいい土産ができたな」
 膨大な魔力リソースはあってもあっても足りないくらいだ。持ち帰った方がいいだろう。とは言え同行者が文句を言う可能性はあるが。
 思いながら振り返ったビーマが見たのは、地面に膝をつき、辛うじて棍棒にすがっているものの、ほとんど倒れかけているドゥリーヨダナだった。
「ドゥリーヨダナ!」
「はは、さすがわし様……ビーマのやつをうまいこと利用して聖杯を手に入れてやった……マスターもこれには驚きだろう……
……ああ、そうだな。俺たちはよくやった」
 魔力切れを起こして震えている体を抱き起こす。急いで山を降りるか山小屋で休むか一瞬迷い、思い出したようにちらつき始めた雪を見て、後者を選んだ。何か使えるものがあるかもしれない。
 山小屋の中は簡素なもので、寝台が二つに窓が一つ、あとはちょっとした保存食が棚にあるのを見つけた。ドゥリーヨダナを寝台に寝かせ、ビーマは棚からありったけのものを取り出した。ドゥリーヨダナの顔を覗き込む。
「おい、食えそうなもの、あるか? 少しは魔力の足しになるかも――
 伸びてきた手に胸ぐらを掴まれる。とっさに片手を寝台についた。
 抱えていた保存食が床に落ちたのを、咎める余裕はなかった。それより先に、口を塞がれていたから。
 かさついた唇が触れる。こじ開けるようにしてねじ込まれた舌が熱かった。何を強請られているのか察して、ビーマは目を細める。
 粘膜接触による魔力供給。だが、キスでは足りないだろう。元々大して効率がいいやり方でもない。やるのであれば――深くまで、繋がる必要がある。
「腹は、空かせとかんとな。うまい食事が待っている」
 口元を拭って、ドゥリーヨダナが呟いた。血の気の失せた顔の中で、瞳だけがギラギラと輝いている。
「わし様は疲れた。お前が動け。魔力に余裕があるだろ」
……いいのか」
 大きく上下している胸に手を当てる。仮初めの心臓、仮初めの熱。けれど確かにここにあるもの。
 生前選ぶべくもない関係になった。触れ合い、語り合うようになった。それでもう、十分だと思っていた。
 だが、それより先が許されるのなら。鼓動を、熱を、分け合うことができるなら。
「俺が、もらっちまっても」
…………構わん。遅くなったが、クリスマスプレゼントというやつだ。わし様は貧乏なお前と違って、気前のいいお金持ちだからな。くれてやる。元より、そのつもりだった」
 何でもない風に装ったつもりなのだろう声は、わずかに震えていた。額に張り付いている髪を見ながら、ビーマはふと、ドゥリーヨダナが頑なに第三霊基の姿でいた理由がわかった。
「ああ、ラッピングか」
「は?」
「悪いな、気づかなくって」
 めかし込んでいてくれたのだろう。ビーマのために。プレゼントを喜んでほしくて。
 綺麗なラッピングなんてなくたって、そのプレゼントの価値が変わることはないのに。だが、臆病で見えっ張りな男がビーマにプレゼントを受け取ってほしくてそうしたと思えば、それも愛おしかった。
「何だかわからんが、腹の立つことを考えられている気がする」
「気のせいだろ」
 口づけながら服の隙間から手を差し入れると、ドゥリーヨダナの目元が緩んだ。その顔をビーマは覗き込む。
「プレゼント、ありがとよ。……こんなもんじゃ礼にもならんが、一先ず魔力は満たしてやる。俺の本気の礼は後でだ、期待してろ」
「はん、するかそんなもん。いいから、早く……
 雪が降りしきる外は、魔猪も消え、ただ静かだった。まるで世界には二人以外の者は何も存在しないかのように。


「ん……
 むにゃむにゃと呻く声に目が覚めたかと見やると、特にそういうわけでもなかったらしい。力の抜けた眉間やだらしなく緩んだ口元を眺め、ビーマは再び窓の方を見た。
 あれからどれだけの時間が経ったのかわからないが、ビーマにかかれば山を降りるのは一瞬だ。ひょっとしたら今ドゥリーヨダナを叩き起こせば、食事の時間に間に合うかもしれない。
 だが、そうしたいとは思えなかった。
 もらえるとは思っていなかった、遅いクリスマスプレゼント。今日が終わったら消えてしまうわけではないが、もう少しこの喜びに浸っていたい。
 後でドゥリーヨダナは怒るかもしれないが。そうしたら、閻魔亭の食事に負けないくらいの料理を作ればいいだけだ。それはそれで腕が鳴る。
 思っていたら、急にドゥリーヨダナが寝返りを打った。伸びてきた手に、頭を引き寄せられる。
「ん~……ふふ……ぜんぶ……わしさまの…………
……ああ」
 心音がよく聞こえる静けさも。寄り添い熱を分け合う理由になる寒さも。全てが愛おしかったので。
 ビーマはドゥリーヨダナを抱き返して、目を閉じた。