ヨジ🔞
2024-12-28 19:40:39
2969文字
Public logh
 

【ロイエンタール母子】黒い光

ロイエンタールが母親の愛人に憑依する話。
※キスやセックスはしませんが、裸で寝ています。
※タイトルはあとで変えるかもしれません。
→タイトル変えました
→戻しました

 オスカー・フォン・ロイエンタールが目覚めたとき、まだ、隣で女が眠っていた。
 はて、この女は誰だろう。彼の記憶では、今関係を持っている女は赤毛だった。これは、違う女である。
 どこか見覚えのある顔だ。彼よりいくらか年上のようだが、美しかった。
 嗅ぎなれない、頭痛をもよおす甘ったるい空気が、あたりに充満している。ここはロイエンタールの寝室ではない。調度の趣味からして、この部屋の主人は女だろうと、彼は判断した。だとすれば、自分はこの女の家に、無理やり連れこまれたのだろう。
 どのような経緯があったか、まったく記憶がないにもかかわらず、彼は冷静だった。身の危険を案じるべき状況だったが、どういうわけか、焦りはなかった。ただ、事後のような圧倒的倦怠感が、体を支配していた。
 彼は重い体を叱咤して、ベッドから抜けだした。さっさと立ち去るつもりだった。だが、寝椅子に引っかかっている服は、彼のものではない。
……どうしたの、寒いわ。はやく戻ってきなさい」
 ロイエンタールが振り向くと、女は気だるげに身を起こしていて、じっと彼を見据えていた。
 その青い双眸と対峙したロイエンタールは、心臓をわしづかみにされた錯覚を覚えた。
 彼女は、彼の母親だった。



「もう……
 レオノラは裸で出てきて、息子の手首を捕らえて引いた。
 これはいったい、どういうことだ。
 ロイエンタールは促されるまま、母親とふたり、生ぬるいベッドに横たわった。想像するだにおぞましいことが起こっているのは理解できたが、このような事態の前に彼はまったく無力であった。
「まだ起きるには早いじゃない。どうしたの」
 レオノラはそんなふうに言いながら、ロイエンタールの髪を梳いてくる。彼は記憶にない母の声を、実際に耳で聞いていた。
 なぜ母が生きていて、自分は母と寝ているのか。
 ロイエンタールは平生の冷静さを完全に失っていた。そのうえ、母に触れられたときから、彼の体はぐっと重みを増していた。筋肉がやせ細り、弱々しくなって、口を開くことさえ難しいのだ。けれどもレオノラは、こうした彼の違和感に、気づいていないらしい。
 彼はやっとのことで、父のことを尋ねた。するとレオノラは、夫の名を出した悪い唇に、人さし指をあてがった。それは青年の唇をほんのすこし歪めるだけの無意味な力だったが、この異常な空間においては、何にも勝る効力を有していた。
「あなたまでわたしを苦しめなくていいでしょう、――
 続く名を聞いて、ロイエンタールはさらなる衝撃を受けた。まさかと思い、彼はある質問をした。
 レオノラは答えた。
「悲しくて、夢見るような色をしているわ。……わたし、あなたの目が好きよ。まるで何も見ていないみたいに無垢で」
 不倫相手に無垢とは滑稽だと、ロイエンタールの中の冷静な部分が考えた。
 彼にとってその色は呪われた色だった。そしていずれ、この女にとっても、呪いとなるのである。自分はその悲劇を、過去のこととして知っている。
 黒く淀んだ瞳に、尋常ならざる未知の鋭い光が差した。快楽と時の煮凝りのようなこの部屋で、その刃物のようなまばゆさは、歓迎しかねるものであった。
 女は眉根を寄せ、か細い金切り声で男を非難した。
「そんな目でわたしを見つめないでちょうだい。憂鬱なの! ……きっと悪い夢を見たせい、あなたもそう。調べたほうがいいわ」
 夢はすぐに忘れてしまうから、ここに置いておくことにしたの、と言いながら、気まぐれなレオノラは枕元の本を手にとった。小さく分厚いそれは、夢占い事典であった。
 頁をめくる彼女の指先は、紙で切れてしまわないか心配になるほど、華奢ではかなげである。しかし手つきは慣れていて、レオノラは暗がりの中で前かがみになって、細かい字を追った。その不自然に曲がった背骨が、まるで毛を逆立てる猫のごとき痛々しさを、彼女に帯びさせるのだった。
 ロイエンタールはここでようやく、これは夢かもしれない、との発想に思い至り、内心自嘲した。情けないことだ、夢に夢だと教えられるとは。だが、これほどまでに現実感をともなっているとは……。ともかく、こんな夢は覚めるにかぎる。たとえ現実に何ひとつ喜びを見出せなくても、この悪夢よりは幾分かましなはずなのだ。
 占いなどという非科学的な話を押しつけられる前にどうにかして目覚めようと、ロイエンタールがひそかに苦心していると、隣から突如苦しげな声がした。見れば、レオノラは両手で口を覆い、細い体を折って、えずいている。
「っ、ごめんなさい……すこし、気分が、悪くて」
 彼女はロイエンタールのほうに身を乗りだして、懸命に手を伸ばした。その先には吐瀉物を受け止めるためのものと思われる器があった。
 彼はとっさにそれを取って、母に渡していた。女は痙攣しながら、透明な唾液を吐きだした。
……めずらしいこともあるものね。あなたがわたしのために、物を取ってくれるなんて」
 悪心が落ちついたレオノラの言葉に、ロイエンタールは途方にくれた。彼はいくら女性に冷たいと評判でも、目の前で苦しむ人間を見過ごすような残酷さをもっているわけではない。いったい、今自分が肉体を借りている男は、どんな男なのか。
 困惑するばかりで黙ったままの彼に、レオノラは言う。
「わたしがいないと、あなた死んでしまうでしょう。かわいい子。それだけが取り柄なんだから……でも、ありがとう」
 器を脇に置いたレオノラは、自分がかわいがっている男をあらためて見つめ、首をかしげた。
「最後にもう一回、する?」
 ロイエンタールはおのれの胸板を、繊細な手がなでていくのを見た。
 彼をおののかせたのは、白い肌の下にねむる血の青さではない。目の前の女よりも、むしろ背後の、物言わぬ窓によって彼は磔にされ、動けなかった。
 ロイエンタールはその背中に、ありもしない視線をたえず感じていた。それは無関心よりも悪意をもったまなざしで、彼の行動を逐一観察している。それで彼は、女の前にもかかわらず、ぎこちない振るまいを強いられるはめになった。
 今はいいとかもう帰るつもりだとか、何か適当な言い訳を口ごもりながら伝えた。まったく、経験のないうぶな男のような有り様であった。
「今はいいって……しばらく逢えないって言ったじゃないの」
 レオノラは呆れ気味に肩をすくめると、帰るのね、とつぶやいた。
 ロイエンタールは彼女の沈鬱な横顔をながめ、ひらめいた。これはまたとない好機ではないか、と。
 一言、別れようと言えばいいのだ。そうだ、金輪際自分と逢わなければ、母は――
 ロイエンタールが決死の覚悟で口を開きかけたとき、レオノラはなかなか出ていかない愛人にむかって、ぶっきらぼうに言った。
「お金はちゃんと送るわよ。出産が終わって、また時間ができたら、連絡するわ」
 途端、見えない鎖が断ち切られたかのごとく、ロイエンタールの体がふっと軽くなった。この甘ったるい、生あたたかい、忌まわしい部屋から出ていくときが来たことを、彼は悟った。
 覚醒という不可抗力によって、ロイエンタールは立ち去る。その背中に、レオノラは声をかけた。
「必ず逢いにきてね」