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John
2024-12-27 23:09:10
2961文字
Public
カサブランカ
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25日・夜
203G号室のドアを開くと、今朝がた部屋を出た時と寸分違わぬ景色が出迎えた。
今日見つかった死体は七つ。目を覚ました時はまだ昨日の晩餐の夢のような心地から抜けきっていなかったのに、たった一日でこれほど現実は変わり果てていた。それを素知らぬような部屋の現状に、かえって今日起きた事をまざまざと思い知らされる。
「どうした、なにか問題が?」
入り口で呆然としていると、背後から声をかけられた。夜になり、後は休むことになったスノーを部屋まで送り届けてくれたヴェルナーだ。
「いえ、なにも」
振り返るとヴェルナーの分を一歩譲り、施錠に問題ないことを告げる。
「なら今夜は部屋にいる限り安全だろう。念のため俺も部屋に詰めているが、いいな?」
そんな、と思わず遠慮が口から出そうになるのを、スノーは寸でのところで堪えた。
温室を出てからというもの、半日を彼と過ごしている。その間ことある度に、不器用で分かりにくくはあっても彼はは自分を気にかけてくれていた。スノーにとっては大人に世話をされること自体、自分が厄介者になったのではという気がしてつい萎縮してしまうのだが、それも過剰では相手に更に負担を強いることを理解しつつある。それに、共に過ごすことはこの非常事態においてごく合理的な理由で、既に温室で取り決められたことだ。今更断れることでもない。
「すみません
……
。お世話になります。あの、ヴェルナーさんも寛いでくださいね」
スノーがぎこちなく謝意を口にすると、ヴェルナーは了承したのかそうでないのか僅かに首を傾けた後、ずかずかと部屋に踏み入っていった。一人で過ごすには余分としか言えない広さを突っ切って、それに付いていく。
203G号室は部屋の一辺を本館正面に共有する、
三階
セカンドフロア
の部屋だ。壁の大部分を占めるガラス窓は、隣の201A号室──今は負傷し、手当てを受けているというスヴェンの部屋に繋がっている。本来ならホテルの前庭を望むことができる絶景は、今はただ吹雪さえ闇に沈ませているだけだった。
ヴェルナーは初めて見る室内の構造を気にしてか、窓辺に佇んだまま戻ってこない。スノーは今のうちに着替えを済ませることにした。
昨日はろくに着替えもせずにベッドに倒れたが、休むにしても眠るにしても、替えのあるブラウスはともかくとりあえずジャケットは脱いでおきたい。なにしろスノーにとって唯一の一張羅であり、ホテルの中を出歩くならこれしか着るものがないのだ。
花弁を思わせる燕尾は数年前に仕立てたものだが、今着ていると丈も短く、少し子どもっぽいなと思う。そろそろ新調するべきなのだろうが、高価な物を保護者に頼むのが気が引けるのでつい先延ばしにしてしまっていた。卒業するまでには新しいのを買ってもらわないとな、とありもしない未来について考えて、急速に心が渇いていくのを感じた。自分が、この先どんな時に華美な礼服を着るというのだろう。
着替えはまだ、昨日ダニエルがバゲージラックに置いてくれたトランクケースに入っている。持ち上げてベッドの上に乗せると、いつの間にか窓辺を離れ室内を見回していたらしいヴェルナーがこちらを振り向いた。
「随分と大荷物なんだな」
おそらく、スノーがしゃがめば半身を隠せそうなほど大きなケースを指して言っているのだろう。しかし、
「
……
実は大して中身は入ってないんです」
ベッドの上でトランクを開いて見せると、容量の半分に、それも詰め込んでいると言うには程遠い荷物が納まっていた。その大部分が着替えであり、申し訳程度の日用品と、恐らく書く物が入っているケース、それから本とレターパッドも見える。
一見、旅行としては相応の荷物だが、実のところスノーの私物はこれで殆どなのだ。制服をはじめ旅に不要な物は学生寮に置いてきたが、残りを全て詰め込んだとしても十分この中に納まるだろう。トランク一つで家を出た時から何も変わっていない。
「父のお下がりなんです。ちょっと大きいんですけど、他に旅行鞄を持っていなくて」
「ぬいぐるみでも入れているのかと思ったぞ」
「あはは、そんなに子どもじゃないですよ」
ヴェルナーの珍しい軽口に思わず笑ったが、それをジョークと思ったのはスノーだけだったようだ。
眉を顰めたヴェルナーが、真っ直ぐな視線でスノーを射抜く。
やがてゆるゆると首を振ると、殆ど溜息にしか聞こえない声で言った。
「
……
まだまだ子どもだ」
「
………………
」
ヴェルナーの言葉に反感こそ湧かないが、そう言われると返事に困ってしまう。大人達が別の生き物のように感じられるスノーは、確かにまだ子どもなのだろう。けれど、時間が経ち成長し、いつかは自分も大人という生き物になるのだろうか。その時、子どもだった自分も別の生き物のように思えるのだろうか。
「眠れそうか?」
沈黙によって気不味くなった空気を払うように、ヴェルナーが聞く。
「
……
わかりません」
「少しでも眠った方がいい。寝付けなくとも、目を閉じていろ」
こくんと大人しく頷くが、着替えを済ませてベッドに腰掛けても、どうにも気持ちが落ち着かない。それは今日の悲惨な出来事のせいなのか、今も暗闇の中猛然とふるう吹雪が不安にさせるのか。
そんな本心の代わりに放った言葉はどこか駄々をこねるような声色だった。
「ヴェルナーさんはスーツ、脱がないんですか?皺になっちゃいますよ」
スノーはとても袖を通す気になれなかったが、おそらくクローゼットを探せば大人用のガウンも用意されている筈だ。スノーがそれを薦めるが、しかし、
「このままで構わない。慣れている」
「
……
?慣れて
……
るんですか?」
たった今の自分の発言に身に覚えがないように、ヴェルナーがはっと目を剥く。しかし疑問符を浮かべたまま己に視線を落とすと、コートの下のスーツは既にシワくちゃだった。
「ご覧の通りだ」
「ふふ
……
っ」
身も蓋もない結論に開き直るようなヴェルナーに、思わず笑ってしまう。
行き倒れていた後遺症なのか、ヴェルナーは自身についての記憶がないという。本人さえ失った過去に、スノーは思いを馳せた。彼は生活をおざなりにして何かに夢中になってしまうタイプなのだろうか。それとも支えてくれる誰かに任せっきりだったのだろうか。
過去も年齢も分からないけれど、少なくともこの人がスノーの探し人でなければいいと思う。たった一日であっても親しくしてくれた人と永遠の別れをするのは、この上なく辛い。スノーにとっては一日でも人生の大部分であろうと、殆ど同じことだ。
明日、ヴェルナーさんのシャツにアイロンをかけてあげよう。
そんな他愛もない考えが浮かぶと、急速に眠気が襲ってくる。身体が重くなる感覚に身を任せ、ぽふんと枕に頭を落とす。
ようやく横になったスノーを見届けて、ヴェルナーは静かにベッドサイドに近付くと、ふかふかのデュべをそっと身体に掛けた。
「ヴェルナーさん
……
」
まだ何かを言いたくて、ちくりと胸が痛む。どこからともなく飛来したそれをかたちにする前に、意識が押し流されていく。
瞼が帳をすべて下ろしてしまう前に、広い背中が見えた気がした。
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