ななき
2024-12-26 20:29:18
10812文字
Public 吸死
 

世界の終わりにほしいヒト

(ドラロナ)
世界が終わっちゃったらしい。なにも言わずにお別れしたふたりの話。
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 いつの間にか、この世界の寿命は尽きていた。らしい。

 ◇

 ――目が覚めたら世界が様変わりしていた。

 真っ白な部屋だった。
 より正確には、部屋が、真っ白だった。金属や布といった質感は辛うじてわかる。墨引きしたような黒が、物の輪郭とわずかな凹凸で助けてくれている。その黒を頼りに見回せば、置かれたものには確かに全て覚えがあった。
 ここは住み慣れた部屋だ。俺と、同居人達の暮らす部屋。
 その部屋の色が、漂白されたように抜け落ちている。雪のようなと評するには無機質で、雲のようなと比喩するには愛想も情緒もない白。昼か夜かもわからない、白。

 その中で、俺と俺の腰掛けるソファには色がついていた。
 
 手は動く。身体も。いつもの退治衣装の上下。帽子無し。靴下。手元に愛銃はない。下等吸血鬼叩きハエタタキもない。あれがあるだけですこし安心できるというのに。
「今度はどういう変態だぁ……?」
 吸血鬼驚きの白さとかいうとんでもないポンチを相手したことがあるが、ヤツの親戚だろうか。とんとん、と床を軽く蹴って存在を確かめてから体重をかける。

 まずは部屋の確認だろう。……同居の吸血鬼たちがいない。背後の棺桶らしき杏仁豆腐を手探りで開けてみたが空。枕元の籠も空だ。水槽も充電ドッグらしき豆腐も空。部屋の隅に見えるドアを開ければ、やはり真っ白な事務所で、優秀な門番の姿だけがない。
 机にスマホらしき四角があった。が、つるりとした黒い液晶は鏡のように反射して、赤い衣装の退治人を写すだけ。電源の反応はなし。洗面所、風呂、クローゼット、予備室。誰もいない。いたずらの類なら俺の反応を観察できる一等席に仕掛け人が誰もいないはずがない。同居人、主にクソ砂の大掛かりなドッキリというわけではなさそうだった。
 中に手がかりがないなら、次にすべきは窓の外の確認だろう。波打った四角形となったカーテンの端を握り軽く引く。
 ――絶句した。
 白、白、白。黒と、白。空すら白い。白と境目の黒だけしかない場所では遠近感も狂うと知った。これが細密画だとしたら作者の執念はいかほどか。街ごと催眠にかけられたり真っ白になったりウインナーになったりは経験があるが、これは。
 知らず、半開きになっていた口元を引き締める。これが吸血鬼の仕業なら、街も相当な混乱のはずだ。今すぐ退治にいかねばならない。身に染み付いた習慣で部屋の中にホルスターを探して振り返った、その瞬間。
「誰もいないし、もうなにもないぞ。あれもこれも全部、残り香だ」
「いっ!?」
 真横から声がして飛び上がった。振り向けば、見慣れた顔があった。黒いマント姿で、偉そうに腕を組み首を傾げてこちらをみている。色が、ついている。いまどこから……そりゃあ、もうコンビを組んで長いが、いくら慣れた気配だからといって気づかないなんてあるだろうか。
「ドラ公……?」
「他の誰にみえる? ああ、私はたった今、ここに呼ばれたからな。キュウリvs.猫もびっくりの愉快ジャンプを気に病む必要はないぞロニャルド君」
 愉快げに同居人が言う。いつもなら拳か蹴りを入れるところなのだが。
「これ、お前の爺さん絡みか」
「お祖父様? お祖父様ももういない。ジョンさえいない」
 大袈裟な身振りで両腕を上に。なぁんにもない、らしい。黙っているとその細長い腕が俺の方へ降りてきて、心臓を指差した。
「君も、わかっているだろう。『そうされている』はずだ、世界最後のひとりだよ君は」
 ――そうだ。本当は目が覚めた時から『理解させられていた』。世界が終わったこと、それが事実であること。石版に刻みつけられた文字のように、意識に刻まれたその認識が俺の中にある。

 白黒の部屋の中、紫を帯びた黒いマントがひらりと揺れる。
「で、キミはどうする?」
「あ? 」
「終わったんだよ、世界は。どうする?」
「どうするったって、まだ……
 お前もいるじゃん、と言いかけたがドラルクの顔をみて言葉がつっかえた。遠くを懐かしむようなもしくは寂しさをこらえるような、見たことのない顔をしていて怯んでしまったのだ。
 ドラ公らしき何かは、ああ、と肩をすくめてゆるりと腕を広げた。
「私は正確には君の知っているドラルクそのものではなくてね。世界が記録から再生した模倣品だ。バーチャルドラルク、とでも言おうか。いわばナビゲーターだな、世界の最後にゴリラ一頭ご案内ー」
 普段と変わらないように見える。言っていることは微塵も普段通りでないし何言ってんだ馬鹿野郎だが。

 今も窓の外は異常な景色だ。ならば、雑魚を疑うより優先すべきことは他にあるだろう。
 ふう、とひとつ深く呼吸して切り替える。  
「ドラ公では、あるんだな?」
「ドラルクだが? 脱稿ゴリラの脱稿ハイで被った迷惑を片端から挙げてやろうか。……まあ、“私”がドラルクなのは世界から君への最後の福利厚生だよ」
……
 思わず顔をしかめる。この雑魚砂が福利厚生だ? 世界、しょっぱくないか? すげえケチだったりする?
「びっみょうな顔しおって。感謝感激踊り狂って喜べ。でなければ、とりあえず大騒ぎして私を殺してみるとかしろ」
 ほれほれピッピロピーと目の前で舌を出しやがるので反射的に拳を握った。が、一呼吸分だけ考えてそれをほどく。
「なんにもねぇのに殺しづれぇ」
「ほぅ?」
 にやにやしている様はクソ砂そのものなのだが。バーチャルってすげえなと投げやりな感想がでてしまう。
……状況確認が先だ。出る。ついてくるかどうかは好きにしろ」
 意外そうに片眉を上げた自称バーチャルドラルク――面倒なのでVドラでいいか――Vドラの前を横切り、事務所へのドアを目指す。白と黒になってしまったブーツに足を突っ込めば、見た目はともかくいつもの履き心地で安心できた。
「そうだな、ロナルド君はそういう人間だ」
 初めて聞いた不思議な響きの声が、後ろから聞こえていた。

 ◇

 バーチャルだろうがドラルク自身はクソ雑魚無害。放置して出るつもりだったがVドラは後をついてきた。
「どこまで?」
「ギルド。吸血鬼の仕業なら情報拾えるだろ」
「違うってわかってるくせに」
 なぜか嬉しそうなVドラを横目に、ビルを出る。
 
 街はどこもかしこも真っ白と黒い線の連続で、人の気配も吸血鬼の気配もない。静寂のなかに俺とVドラの足音だけが響く。いや、調子っぱずれな鼻歌も聞こえる。そこはせっかくバーチャルなら直しとけよ、作ったのが誰だか知らないが、やっぱりケチなんだろうか。
 マス目の並ぶ原稿用紙のようなビルの間を縫って、ただの黒枠となったガードレールや電柱を避け、なんとか歩いていく。色も影もないと、物なのか空間なのかもとっさに判断できない。土地勘のない場所だったら歩くだけで苦労しただろう。なお、Vドラはすでに五回死んでいる。一回目は事務所から出ようとして段差につまづいて死んだ。崩れた体が見慣れた色の塵でなく、真白い砂になったのでぎょっとしたが、おそるおそる触れた白い砂は慣れた感触だった。そこから、にょきりと身体が生えるのもよく知ったテンポ。――死んで戻る。ドラルクそのものだ。このドラルクが本当にバーチャルなんて得体が知れないもので、俺の同居人そのものでなかったとしても……警戒心など湧いて来はしないだろう。

 
 白い街はどこもかしこも空っぽだった。空っぽのヴァミマ。空っぽの公園。空っぽの駅。散々走り回った街が見知らぬ場所のよう。いや、まさに見知らぬ場所だった。
 駅前も、無人。だが、この街の吸血鬼騒動の八割は駅前で起こる。この状況が何らかの吸血鬼の仕業なら遭遇できるだろうと駅出口でしばらく待機してみたが、誰も通りがからない。ポンチの名乗りもない。文字通り猫の子一匹いなかった。
 
「案外冷静だな、ロナルド君。もっと無計画に走り回るかと思ったのに」
 好き勝手フラフラとしていたVドラが、俺の横、植木を囲む柵へ腰掛けてそんなことを言った。バカにしているのかと拳を握ったが、Vドラは本気で意外そうな顔をしていた。
「相手もわからねえのに慌ててらんねえだろ、もう若くねえんだし。……なんだよ」
 じっと見てくる視線が居心地悪い。え、マジでなに。
「君、今いくつ――あ、五歳でちたね」
「殺した」
 軽く蹴りをいれる。ザァと砕けた体はすぐさま戻って、そうか、となぜかまた嬉しそうに笑っている。
「お前、さっきから死ぬ度なんか楽しそうじゃねえ? ついに目覚めた? 『我が名は吸血鬼死ぬの大好き!』……うわ」
「本気のドン引きやめろ違うわ!」

 
 ギルドのドアを押すと、カラン、とベルの音だけはいつもと同じに響いた。
 結局、駅前での情報収集は諦めたのだ。誰も居ないのではどうしようもない。それでこうして最初の予定通りギルドへ来てみたのだが……。モノクロになったフロアを見渡す。誰の気配もないガランとした店内。休業日にだってマスターか誰かがいたカウンターにも人影はないし、誰かいたらそれだけで頼もしかっただろう退治人仲間もいない。
 Vドラをちらとみやると、ね?といいたげに肩をすくめる。こういう芝居がかった仕草が似合うところ、少しだけうらやましい。

 心のなかでマスターに謝って、カウンター周りを探る。片づけられてはいるがさっきまで誰かが居たとしか思えないような様子だった。食器や保存容器の形の白黒の箱、予約のメモ、射的の的。見覚えがあったりなかったりの品々だが、この事態を説明できるようなものはなにも見つからない。
「ああ、懐かしいね。賞品にされたのはあれが初めてだった」
 細長い男はカウンターチェアに座って、放り出された円形の的を手にしていた。懐かしい、といったか。覚えてんのか、バーチャルのくせに。
「お前を賭けた五番勝負か。あったな、そんなこと」
「あれなんだったんだい、途中から急にやる気出して」
「フクマさんから電話があったんだよ」
「ああ、なるほど」
 フクマさんのおかげだったか、と、けらけら笑う様子に毒気も抜かれる。ひとしきり笑って、ああ楽しい、と納めたVドラは手を止めた俺を見やってすこしだけ真面目な顔をした。
「で、世界の終わりを信じる気にはなったかね?」
……。まだ俺だけが別世界に飛ばされたか、催眠に掛けられてる可能性を疑ってる」
「そういえば君、異世界に飛ばされたらしいことあったねえ」
 本当に何でもありで滅茶苦茶で、なんと騒がしい街 だった ・・・ことか!
「それで? それでもここの探索はそろそろ終わりだろ、次はどうするんだ。鶴見川でも行く? いまならバーベキューし放題だ」
「バーベキューは大勢でやるから楽しいんだろうが」
 昔やった一人バーベキューは困惑の連続で楽しくなかったからな。
 ……さて。あごに手をあて、少し考える。さっきはああ答えたが疑いはささやかなものだ。『世界の寿命は尽きている』。信じるというより、納得している。聖堂に響く鐘のように繰り返し刷り込まれる認識。ずっと明るさの変わらない空。誰も居なくなった街。バーチャルと名乗る相棒。
 『ロナルド様』なら、きっとそれでも街を走り回る。誰かひとりが残されている可能性を捨てず、これが吸血鬼の仕業である可能性を追って、情報収集に励み街の外との通信を試みる。退治人としてならそれが正しいし、そうすべきだ。そう、してきた。

 でも俺はどうしたいだろうか。この、今ここにいる俺は。
「おいクソ福利厚生、残り時間わかるか」
「その呼ばれ方はさすがに初めてだな、怒るべきか? ……時間はいくらでもと言いたいところだが」
「無いんだな」
「世界を片付けている誰かさんは案外せっかちでね。長くてもあと半日。君次第で短縮もありってところかな」
 俺の望みはシンプルだった。これ以上の終わりを迎えるなら、事務所がいい。皆と暮らした、あの愛着のある場所にいたかった。

 聞き慣れたベルの音に見送られてギルドを出る。Vドラも、何も言わずに着いてきた。行先は言わなかったが、伝わっていたかもしれない。吸血鬼のこいつだって数えていないほど何度も歩いた、いつものパトロールの道を選んだから。
 歩きながらポツポツと、どうでもいい、くだらない、中身がなければ湿度も余計な熱もない、ただ慣れた空気だけが詰まった会話をする。街が真っ白でさえなければ、ジョンが不在の日のパトロールと同じになるように。

 高校前。まあ当然何もないし誰もいない。
「美しき青春の名残だな」
「君の青春、セロリの香りがしそう」
「あばらきゃほあ!!」
 こうなってから初めて、Vドラに殴りかかった。いつも通り拳に衝撃はなく、つまりびっくりしてVドラは砂山になった。すぐさま、音ばかりは聞き慣れたものがして、白い塵が痩躯を形作る。
「いいね! 調子が戻ってきたか?」
「うるせぇ!」

 VRC近く。なんの気配もない。
「ポンチ共もいない、んだよな」
「おや、信じる気になったんだね」
……
 わかってるんだろうにVドラはにやにやと俺をみている。バーチャルでもムカつくなドラルクという存在は。
「ヨモちゃんにも世話になったなぁ」
「それ以上に迷惑かけられたけどな、あの変態マッド」

 風ひとつ吹かないビル街を歩く。空を見上げて、ビルの合間に月が出ていることに気付いた。一応夜であるらしい。当たり前か。ドラルクが出歩けているんだから。
「こういう時は月一個なんだな」
「三日月型の額縁だな。情緒がない。きれいですねとも言い難い」
「死んでもいいとも言えねぇよ」
 Vドラの足が止まった。顔を見る勇気はないまま、俺は足を動かし続ける。
 後ろの気配は静かだった。その話は俗説で~、とか適当な蘊蓄混ぜて煽ってくれでもすればいいのに、無言のまま着いてくる。不思議と気まずくはない。気配の主も同じだと、思いたかった。

 事務所ビルへの道を歩きながら、ふと思いついた。しばらくぶりに振り返った先では、マントが揺れる。
「なあ、お前は? みたい場所とかねぇの」
「私? ふむ、そうだな。スーパー寄れるか?」
 横に並んできたVドラは少し意外な場所を挙げた。
「スーパー?」
「よく買い物に行っただろう。その筋肉の構成要素の大半はあそこ由来だぞ」
「それは俺が感謝する理由で、お前が愛着をもつ要因ではなくねぇ?」
「君ね。それが皮肉でないのがタチ悪いわ。……私も報われんわけだ」
 白手袋が近づいてくる。俺の目に掛かった髪を、子供をなだめるときのような手つきで弾いていった。
 俺がいくつになろうが若造と呼び続けるこの男にとって俺はずっと、面倒をみてやる対象だった。そのことにもどかしさを感じるようになったのはいつからで、受け入れたのはいつだったろうか。
「バーチャルが何言ってんだ」
 Vドラは一瞬きょとんとして、そういえばそうだと苦笑した。


 スーパーは静かにそこにあった。
 自動ドアをこじ開ける。ガラスは透明なので反射頼りのほとんど手探りだ。中は当然、無人。いつも賑やかに鳴っていた呼び込みの音楽も、買い物客のざわめきもない。ここは慣れているということなのだろう、Vドラは迷いなくスタスタと店内へ入っていった。俺もそれに続く。一応、いつものようにカゴを手に持つ。

 意外なことに白黒でも、売り場のモノはそれなりに判別ができた。たぶんりんご、おそらく大根、推定ほうれん草。……緑の悪魔っぽいものは視界に入れない。
 白黒の野菜たちが並ぶ中から真っ白な棒、メイビー=キュウリを手にとって、Vドラは残念そうに息をついた。
「調理できそうなら最後にリクエストを聞いてやろうと思ったのだがね。これはムリだな。白黒のブロックが大量にできて何がどうなっているかわからなくなるのが関の山だ」
 スーパーに何を見にきたのかと思えば、材料調達のつもりだったらしい。
「お前、最後にする事が料理でいいのか」
「理想的な最後だろう。 趣味で締めくくるの、は、」
 つと不自然に言葉を切ったドラルクは視線を揺らし、観念したように息をつく。次いで浮かべたのは、くしゃりと見慣れない形の笑みだった。
「君達に料理を振る舞うのは、滅法楽しかったからな。吸血鬼生でも一番を争うくらいにね」
 そんな顔するなよ。俺だって、お前の飯がなにより楽しみだったぜ。
 そう言えたら良かったのにな。
 言えなかったのは、言う覚悟を決める数瞬すらじっとできない砂おじさんが全面的に悪い。緑のアレらしき野菜っぽいなにかを目の前に出したりするから殺すのに忙しくなってしまったのだ。ほんっと、お前、マジで。

 ひと通り殺して溜飲をさげた後、りんごらしき白い球をいくつかと牛乳と書かれたパックを拝借してスーパーを出る。当然というかレジが動かなくて困ったが、支払いしないのも気が引けて、コイントレーにポケットから出した白黒の千円札を乗せておいた。
 
 この現実感のない景色の中でも、スーパーから事務所への道は苦もなく歩ける。どこになにがあるかなんて知り尽くしているからだ。ドラルクだって死なずに歩いている。
 ヒラヒラヒラヒラ、リズムよくマントが揺れる。真白な世界の中で、色があるのはドラルクだけ。ウサギ小屋と笑った城で、俺達と暮らしていた高等吸血鬼にだけは、色彩がある。ドラルクから見た世界では、リンゴですら白いのに俺だけが赤色か。それは愉快かも知れなかった。

 先を歩きながらまたどうでもいい話を始めた背中に、どうでもいい相槌を打って、俺はスーパーに入る前の会話を思い返していた。
 ――私も報われん訳だ。
 Vドラはそう言った。『報われない』、ね。
 相棒である吸血鬼は、不思議と人との距離の取り方がドライなやつだった。誰とでも簡単に親しくなるのに、ある線から踏み込まない。皆を巻き込んで楽しそうに騒いでいるくせに、ふとしたときに何もかもから距離をとるような顔をする。体質がそうさせるものなのか、生来の気質なのか、最後まで俺は読み切れなかったけれど。
 つまりは、あの吸血鬼は俺に何かを期待したことなんてない。と、思っていたのだ。だが、だとしたら『報われない』とはなんだろう。……俺に返せる、あいつが欲しかった何かがある、のか。
 今からでも返してやれるだろうか。世界の最後を、人間の若造と過ごす吸血鬼に。
 
 ◇
 
 カサカサと音をたてる袋をキッチンのカウンターに置く。スーパーの袋はもともと白いからか、それ単独でみるとこの状況でもあまり違和感がなくてそれがおかしい。
 ドラ公はマントと手袋を外してキッチンへ。エプロンがないのは見つからないかららしい。
 それをダイニングテーブルから眺める。ひょろ長い姿がシンクの前に立つ、この光景も見納めか。何度、こうしてこの男を眺めただろうか。
「りんご、ウサギにしてくれ」
「ロナ坊やはいつまでも坊やでちゅねー」
「殺……さねえけど殺すぞ」
 軽口だ。俺もアイツも笑っているだけだし、リンゴはきっとウサギだ。
 
 しかし、俺はリンゴを食いはぐれた。ドラルクが包丁を取り出したところで、困ったように停止したのだ。窓を見つめている。
「やーれやれ。最後に一休み、のつもりだったんだがな」
 溜め息と共に包丁が置かれ、ドラルクはわざわざマントを羽織って部屋の窓の側へ立つ。
「始まったからご覧。……思ったより早かったな」
 赤い爪先を追うとその先で、町外れのビルが墨絵のように輪郭をぼかした。ぼかして、歪んで、何かに飲まれたように、消える。ややあって、次にはそれより少し近いビルが。
 あの消滅の波がここまできたら、俺も消える。実感はない。明日は月曜日だってさ、くらいの感慨しかない。やはりもっと最後まで足掻いて走り回って、ドラマチックに迎えるべきだろうか。そのほうが、こいつの中の『ロナルド』だっただろうか。
 でも俺は、ドラルクの隣で、消えていくビルを見ていたかった。

 波の縁が一回り近づいたころ、座りなよ、そう言ってVドラはいつものようにソファに腰掛けた。俺も、隣の定位置に座る。
 さて、と隣の男が口を開いた。
「最後の言葉を聞こうか。世界が君を残した理由はそれを聞くためらしいから」
 この期に及んで、そういうことにしたいんだな。いつもの駄々こねおじさんはどこいったよ。 
 ならば、答え合わせだ。
 膝の上に肘を立て、手を組んで顎をのせる。ちょっと探偵っぽくカッコつけてみたい。
「ほら、あまり時間はないぞ」
「ダメだ」
 そう伝えると、ごま粒のように小さくて赤い瞳の目が見開かれた。
「ダメだ。ごまかされてやらねえ。ちょっとこのまま叶えてやろうかなと思ったけど、やっぱりダメだ。そんなのは俺とお前じゃねえわ」
 
 ――ロナルド君はそういう人間だ。
 ――君今いくつ。
 ――報われない訳だ。

 ナビゲーターという単語で納得しかかったが、俺の意識に書き込まれた『世界は終わった』の認識。そんな真似ができるなら最後のひとりには情報を全部渡しておけばいい。ナビなど不要。
 では真っ白なここで、世界とやらから全ての情報を渡され、終わりの刻限まで感知できたのは誰だ?
「バーチャルドラルクだ? 違うな。バーチャルは俺の方だ、そうだろドラルク。本当の最後の一人はお前。それでお前が世界からの最後の福利として望んだのは――そうだな、俺ならどうするのかがみたい、あたりか。だから、俺は最低限の情報しか持たされなかったし、俺の最後の言葉が聞きたいのは、お前だ」
 同居人は反射的に何かを言いかけ、しかし口を閉じて諦めたように天を仰ぐ。
 短い沈黙のあと、そうだよ、と苦々し気な声が漏れてきた。
「記憶が無いにしては変だと思ったんだ。今の見た目くらいだった頃のロナルド君はもっと落ち着きがなかったしあのパトロールコース、君がベテランになってからのルートだ……君、今いくつ?」
「五歳のロニー坊やだが」
「ロナルド君」
 睨まれて笑ってしまう。怖くも畏怖くもない。もうとっくに睨まれて素直に煽られる歳ではない。退治人としても作家としても大ベテランだぞ、俺。
「正確な年はわかんねえ。体はたぶんコンビ組んだころくらいか? でも、三十年はお前と暮らした気がするぜ」
「ああ、そういう再現になってるの……
「お前も見た目弄ってる? 俺の記憶だともうちょい老けてたし髪も長かった。マントも久しぶりかも」
……君が若い姿で現れたから……気合いで変身したらこうなった」
 ひっさびさの大成功だよ、世界とやらが手を貸してくれたのかも知れんがね、と、俺が人生の大半を一緒に暮らした男はなぜだか泣きそうな声で笑った。

 俺が記憶と、身体の年齢に齟齬があることに気がついたのは、事務所でスマホを拾い上げたときだ。鏡のようになった液晶には若い俺が写っていた。あの時は吸血鬼の仕業をまだ疑っていたが。
 確信はドラ公と街を回る間に。ドラ公はずっと、何かを懐かしんでいた。俺がこのくらいの年齢の頃が、一番賑やかだったから、きっとその思い出だろう。
 今の俺には還暦前後までの記憶しかない。だからこれは憶測だが、俺は普通に人として先に死んだのじゃないだろうか。それも、こいつに看取られて。そのあとどこまでコイツが生きたのかは――聞かずにおこうと思う。変身で見た目を戻すなんて芸当が出来てるということは、思っているより長く生きていたのかもしれない。 
 ここで合流してから、ドラルクは随分楽しそうだった。それにも俺は違和感を感じていたが、このクソ雑魚素直じゃない吸血鬼は、実際、楽しかったんだろう。俺をからかって、殺されて、俺にとっては昨日の続きの、いつものやりとりをするのが。

「で?その世界とやらはお前に何をさせたくてこんなことを?」
「世界というものは片づける少しの間、重しがいるんだとさ。その重しが私だ」
「とっくにくたばってた俺まで呼びだしてか」
「そのカンの良ささすが野生動物……おっと殺さないで貰おうか。会いたい相手がいるなら『再演』してやるって言われたんだよ……気まぐれなのじゃないかね。長く使っていた文房具の最後の望みを叶えてやろう、というような」
 
 窓の外をみる。近づいて来る消滅線は、二本向こうの通りに差し掛かったところだった。あまり時間はない。
「なんで俺だったんだ」
……
「ああ、文句じゃねえよ。欠片も交わらねえ生き方してたくせにそれでも一緒に暮らした相手だ、迷惑なんて思うかバカ砂」
「それは……いや。いい友人関係ではあったな」
 友人。その単語にお互い口を閉ざした。そう相手を呼んだことは、一度でもあっただろうか。少なくとも、俺は一度もなかったはずだ。初めは、友なんかじゃねぇ、というつもりで。いつしか、友という単語だけで表してはならない気がして。
 友か。友ね。友というだけでは表せなかったとしても、名前をつけるなら友でしか無かったのだ、俺たちは。おそらく、俺が死ぬまで。死んでからも。
 
 いよいよ目の前のビルが溶けた。
「最後の言葉はきめたかね」 
「ああ、死んでも言わねえつもりだったことを」
「へぇ?」

 壁が消える。
 キッチンが消えた。
 ダイニングテーブルが消える。
 棺桶が消えた。
 足元の床の感触が消える。

 残りは、ソファとその上のふたりだけ。真っ白な空間に、ふたりきり。

「愛してる。お前たちを。お前を、愛してるよ、ドラルク」

 その時のドラルクの面は、なかなかどうして見応えがあった。間抜け面。感情ごちゃ混ぜの眼。言葉を探して開閉する薄い唇。
 俺はうまく笑えているだろうか。
「ロ、……
 ドラ公が消えた。お前が先に消えんのかよ。せめてなんか言ってけ、バーカ。世界とやらも福利厚生だというなら一緒に消してくれりゃあいいのに。
 ああ、どうせならハグしてキスくらいしとけば良かったか。ほんと、最後まで締まらないな、俺。

 でもまあ。最後なんて呆気ないものだ。世界も、俺たちも。これにて終幕、観測者たる誰かにもお別れを。
 
 それでは、さようなら。
 あなたの世界が、続きますように。







◇◇◇