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いを
2024-12-26 18:42:50
2447文字
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モイラと鼎と糸車
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冷ややかな旬を飼えども
※15歳未満の方は閲覧をご遠慮ください※
了
・恭介さん【nnonno1217580】
お借りしています。
指で、指先で、なぞる。「うらみわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ」。後拾遺集、相模が詠んだ歌。
ペンでも万年筆でも鉛筆でもない、指先で書いたものだから残るものは何も無い。何も。詠んだ了以外も、きっと知らない。
「あなたのことを恨む気力もうしなった」「恋のせいで」「
――
自分の評価さえ、落ちてしまう」。
了は恋をしたことがないから、分からない。恨む気持ちはおそらくあるのだろうけれど、恨んだら恨んだぶん、ひどく心が疲れる。まるで恨みが自分に返ってくるかのようだった。だから
――
疲れるから、恨まない。恋のせいでおかしくなってしまうという感情もよく分からないが、男女関係なく往々にしておかしくはなるのだろう。そういう作家を見てきた。恋をして評判が落ちた作家は〝恋をしたからだ〟と愚痴を言っていたが、逆に評判が上がった作家は〝恋をしたからだ〟とは言わない。言う作家もいるかもしれないが、少なくとも了は見たことがない。何故だろうか。世間から吐き出される評価というものを、全て自分の手柄にしたいのだろうか。
そんなものなのだろうか。作家というものは。
作家という存在は。
着物の袖から出た手を見ている男がいた。なんとなしに手のひらを丸めて袖に隠す。男は何も無かったように視線を逸らした。清野恭介は今日も家に来た。原稿を取りに来るだけではなくて、ただ、了の世話をしに来る。まるでそのために来ているような気がした。文机に向かっていても、彼はなにをいうでもなく、淡々と箱のなかにたまった塵を集めたり、洗濯物を畳んだり、食事をつくったりする。積極的に話かけず、話さず、たまに口を開けば仕事の話をした。話といっても、恭介がつとめる白昼社の安っぽい愚痴などではなかった。この男が愚痴を言うところは見たことがないと気付いた。了が否定も拒絶もしない恭介に甘えて、卑屈や皮肉を言っても男はなにも言わない。傷つかない程度の、軽い皮肉を返してくるくらいだ。了がいないところで愚痴を言っているのだろうか。そうかもしれない。だがそんな男だと思いたくはなかった。結局これも了の甘えで、ただの願望だ。本当のところは彼自身にしか分からない。
なんのために恭介はこの家にくるのだろうか。
我儘を言えば男は容易くも見えるほど呑み込み、甘やかした。どうして、といつも考えている。優しさに甘えて縛ってはいけない、とも。かといって恭介が離れると寂しい。こんな子どものようなことを、いつも考えている。
この寂しさは先生を亡くしたときと違う感覚だった。生者と死者だからだろうかと考えても、それも違うような気がした。似ているようでも、咲く花の色や形が違うような感覚だと思う。
外は当たり前のように暗くなっていて、顎を無意味に上げた。同じ体勢でずっといるので、からだのあちこちが軋む。肩に手のひらをあててそっと摩った。
木綿の生地はざらりとしていて、手のひらの皮膚を逆に撫でたようだった。正絹のものは最近まともに着ていない。着て外に出るとしたら冠婚葬祭くらいだろうか。あとは木綿で済ませている。皺はよるが、汚れて擦り切れても捨てやすい。解けば雑巾くらいにはなる。
湯呑みを机の上に置いた恭介をぼんやり見上げた。彼の顔にはたくさんのそばかすがある。星のように散っていて、思いついたように手を伸ばし触れても怒らない。星に触れられたようですこし誇らしい気持ちになった。そう思った後、ふいに手首を手のひらで包まれた。筋張った手首に触れたって心地悪いだけだと思うのだが、了が恭介の薄い虹彩の目の色が好きなのと似たようなものだろうと思った。ほぼ、無理やりに。
気付いたら口づけをせがんでいた。シャツの衿を引き寄せて、くちびるの横あたりに触れる。
口づけだけではなく、体温を擦りつけ合うことも許してくれている。それと同時に、許さなくてもいいともどこかで思っている。恋人でもなんでもないのに、こんなことをするほうがおかしいのだ。そしてやはり、「どうして」と思う。
――
気付いてしまった。これは恋なのではないかと。こんな、ままごとのような片恋を、恭介に付き合わせているのではないかと。そう考えると、からだと頭の奥がずんと重たくなった。同時に醜い欲望が腹の奥で渦巻いた。それでもすぐにそれは消えて、からだの芯から冷えてきた。
「寒い」
と呟く。
ガチガチと歯が噛み合わない震えを感じた。
三十も半ばの男が初恋など、滑稽なプロットのようだ。それでも気付いてしまったらなかったことにはできない。そんなことは一生、できない。
ただ、かたちのない恐ろしさを感じた。
恭介の肩口に手のひらをあてる。許しを乞うように。
気付かないでほしい。そう思う。気付いたらきっと、はれものに触れるように扱うだろう。今から、きっと。そうはならないでほしい。いつものように、変わらずにいてほしい。触れたままの手首にかすかに力がこもる。痛まないくらいの力は、情欲を誘った。寒いと言った了のからだに、優しい手が触れている。
抱かれながら恭介に謝った。上擦った声の合間に。彼は聞こえていたのだろうか。聞こえていただろう。いつも彼は冷静だ。
こんなことに付き合わせて本当に悪いことをしている。だがこうするほか了はやり方を知らない。自分の感情を伝える方法などいくらでもあるのに。抱かれながら気付かないでほしいと思っている。謝るしかない。
――
謝るしか。どうするのが正解なのか分からない。こんな、分からないことしかない自分を、彼はどうして。
果てたからだはだるくて熱かった。目尻からすっと流れていく冷たい液体を無視して恭介の腕に収まったまま、謝った。
彼はなにも言わなかった。
叶わないことなどいくらでもあったのに、ただ今は苦しかった。
今更、相模が詠んだ歌がひどく心に突き刺さった。
鋼の縫い針を呑み込んだようだった。
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