しんと厳しく冷え込んだ一日だった。夜は雪の予報だというのに、長い一日を終えても街は眠りにつかず、あちこちで賑やかな声がする。若者が浮かれてはしゃぐメインストリートから少し入り組んだ道を入った先のマンションの一室に、その影はあった。
エントランスはすり抜けた。監視カメラにも残らない。その手法はトップシークレットだ。慎重にしかし大胆に、カチャ、と一度だけ音がしてミッションクリア。あとはドアを押せばひたすら広がる真っ暗な部屋で――、
「メリークリスマああああああス!」
その声は響いた。
「っ!」
「おやあ? こそ泥がいるぞお? 真夜中にピッキングとはお行儀が悪い!」
そう言ってターゲットがにやりと歪んだ笑顔で笑う。しかしその姿に怯むくらいなら、こうしてわざわざ特殊な芸当で玄関を突破することなどしていない。
「っ……」
突如煌々と灯った部屋の照明器具たちに、ピッキング犯――こはく――は唇を噛んだ。
「そんなに嫌な顔をしなくてもいいんじゃないかあ? そもそもその顔をできる立場じゃあないよなあ君は」
詰め寄る家の主――斑――。その顔が、その距離が、彼独特のその間合いとテンポが厄介だ。
「……やかましいんじゃおどれは」
ようやく開かれた口から出た言葉は低く響くそれだけだった。
完全に後手に回ったこはくの苦虫を噛み潰したような顔も、すべてが斑に見られている。
――任務失敗。
「はは! 眉間のシワも物騒だなあ? こはくさんは〝プレゼントはわしやで♡〟をやるタイプだと思ってないんだが?」
よく回る斑の口と舌がこはくを追い詰める。じりじり、じりじり、楽しげな顔で声を弾ませてこはくとの距離を半歩詰めた。やはりそれに怯むこはくではないが。
「ははん? そんなに渡したいプレゼントでもあるのかあ? それとも俺の自惚れ……勘違いかなあ?」
しかし怯んではいないものの、初手からここまで完全に斑のペースに呑まれたまま、こはくは黙秘を続けている。まるでその人らしくない。鍵穴へ差し込んだヘアピンを右手に持ったまま、その指に緊張が走った。
「……」
「ははっ! まだ黙りなのか? 君らしくないなあこはくさん。そろそろ観念したらどうなんだ?」
畳み掛ける斑の声はまた楽しそうに弾み、とうとう最後には笑い声が混じって声が掠れる。
「その言い方、わかっとるやろ、もう……」
ようやく観念したこはくの声が玄関に響いた。また響く豪快な笑い声。
「随分かわいらしいサンタさんだなあ!」
「――ったく!」
こはくは舌打ちとともに強く言い放ち、顔を上げて斑を睨んだ。それと同時にズンと一歩距離を縮める。靴は土間に行儀悪くほっぽり出した。
「なんやおどれは!? 一日中ちょこまか逃げよってからに! しまいにはそのまま気配消しよって! このまま日本出てまうかと思ったわ! 朝から晩まで鬼ごっこさせたのはどこのどいつじゃ!」
捲し立てながらまた一歩距離を縮めたこはくの前でにっこりと。それはそれは楽しそうに満面の笑みが咲く。
「ふふん♪俺だなあ!」
斑はこういう皮肉を言わせたら止まらない男だ。こはくが怒気を孕んだため息を一つ。
「だからって不法侵入していい理由にはならないぞお? ほら、吐いて楽になってごらん? ふふ、そんなに渡したいプレゼントなのかあ?」
それはそれは楽しそうに。
にこにこ笑いながら。
猫のようなおおきなつり目と眉を更に釣り上げているこはくの顔を、じっと覗き込む斑。こはくは袋の鼠同然だ。
「……あーーーもう……」
落胆と呆れの混じった諦めのため息。こはくは降参だとばかり頭を軽く左右へ振った。にこにこ顔の斑を前に。
「見つかってしもたもんは仕方ないわ。……せやで。ほら、〝そんなに渡したいプレゼント〟や」
釣り上げた目で笑みをたたえる瞳を射る。
「ほっほう?」
尋問していた斑は、胸を反らし腕を組み、自信を伺わせる声でこはくを見下ろした。その距離は近くて遠い十二センチだ。
近くて遠い、せめてあと一センチでもとこはくが願い続けた十二センチは縮まることはなかった。斑がその苦くて苦しくて切ない葛藤を知る日は来るのだろうかと、いつか伝わればいいと、否伝わってくれるなと。
「あ゛ーーー!」
願う、こはくの左手が小さな包みを斑の胸に投げつけた。
煌びやかな包装紙に包まれた四角い箱。斑の両の手のひらにすっぽり収まってしまうだけの大きさの無機物。振ると少しだけカラリと音がしたから、丁寧にセットされた台座から抜けてしまっているのかもしれないそれ。
「……これは……?」
予想外だったのだろうか、問い返す斑の声が僅かに掠れた。
「プレゼントや」
応えるこはくの真っ直ぐな声に、斑の左足が動いた。半歩にも満たない距離を、踏み締めながら下がる。そして訪れるしばしの沈黙。
「……ずいぶん重いなあ」
軽い軽い無機物を両手に収めたままの斑が呟いた。その表情はこはくからは伺えない。再びの沈黙。空気がひりひり緊張した。握られるこはくの拳。持ったままのヘアピンが手のひらを鬱血させる。
「……わかっとるよ」
沈黙を破るのはこはくの番だ。
「斑はんは大人でわしはまだ子供や。斑はんには重荷やろってわかっとる。……ほんでなんとかマシにしようっち思っても、こうしてムキになって無茶苦茶やし見つかってもうて格好つかへんし……」
真っ直ぐな中に拗ねた気持ちや恥ずかしい気持ち、そして覚悟。たくさんの感情を混ぜてこはくは語る。
「…………」
斑は微動だにせずなにも発さないまま、手の中の小箱から目を逸らした。こはくが、すっと大きく息を吸う。そして、
「ちゃんとした給料三か月分はハタチになるまで待っとき」
放たれた言葉に、斑は今度こそ息を飲んだ。
真っ直ぐ見つめるこはくの瞳。
揺れながら足元を睨む斑の瞳。
「……俺がその頃まで隣にいる確信があるって?」
硬い、斑の声。
「ある」
強い、こはくの声。
「……言うなあ?」
困ったような斑の声。
「どこまで行っても捕まえるからな」
決意を顕にしたこはくの声。
「ああ怖い怖い!」
ひょうきんな斑の声。
「……で……それで……」
しかし突然、自信の無い細い声がこはくの声帯に作られる。喉の奥に蟠ってひっかかって、なかなか出てこないその言葉。
「ん?」
思わず目を丸くした斑が聞き返す。
「返事は……その、どうなん……」
俯いてしまったこはくの髪の毛を眼前に、斑の吐息が白く光った。
「えっ……えぇ? あれだけ凄んでおいて君……!」
そして弾ける笑い声に、間髪入れずに叫ぶこはく。
「未来の話やなくてええから! いま! 〝今〟の、斑はんの答えはどうなん……っ!」
年相応より大人びて、年相応より純で幼くて。そんな感情が同居するとHiMERUに言われた。それを今こそ痛感しながら、こはくは再び斑を睨む。
そしてそのこはくの顔が少しだけ俯く頃。
「……ほら」
斑がこはくの胸になにかを押し付けた。小さくて硬いなにか。無機質な銀色のなにか。
「え!?」
それを確かめた瞬間に上がるこはくの驚嘆。ただの無機物だ。冷たい……いや、それが温かい。斑がずっと、ずっと最初から、その手のひらに握っていたからだ。こはくの手から滑り落ちたヘアピンが、微かに高い音を立てる。
「俺の答えはこうだが、君の答えは?」
にやりと笑って訊ねながらも少しだけ不安の混じるその声色に、
「はぁぁ!? あっ、あ……えっ……」
こはくは上手く言葉を紡げずにいる。目をまんまるにして、手の中の銀色に光るそれを見つめて息を走らせ、ようやく顔を上げて斑を見る。その物体を鍵だと認識するまで時間がかかった。気づいて、それでも信じられなくて嬉しくて気が動転して――そうして作られたその顔は、年相応に幼い顔だ。
「まあ、そういうことだ! 君も夜遅くに星奏館を出てもいい歳になるし、ここの拠点ぐらい許されるだろう。もうピッキング犯にならなくてもいいんだぞお? よかったなあ☆」
そう早口で捲し立てた斑は豪快に笑った。
こはくは知っている。これは斑の癖だ。照れているときのそれ。それがわかるほど近くにいた実感がある。
「さてして、こうしているうちに今夜はプレゼント交換会になってしまった! ほおら、音楽を流そうじゃないか! ジングルベールジングルベール♪」
「やめろ茶化すなこんド阿呆が!」
とうとう歌い出した斑の胸ぐらにドンと拳をぶつけ、そのまま厚い胸板に額を預けたこはくの外に跳ねた元気な髪。それを、斑はぼんやりと滲む視界を通して見つめていた。
どくどく波打つ心臓の音がこはくの額をあたためる。
ぎゅっと目をつむったこはくの両腕が斑の背中に回される。今までの幼さはどこへやら、強く強く自分の胸に引き寄せて離さなない。斑の瞳に薄い水の幕ができて、零れ落ちる寸前で揺れている。
「……その、……末永くよろしゅう、頼んます……」
行動と力強さに似つかわしくない震える声で、こはくは告げた。
「っ、こちらこそ……よろしく頼むぞお……?」
斑も素直な、幾分幼い声で告げる。
耳の中に響いた互いの声が、甘く胸を占有する時間。抱き合ったまま深呼吸すれば香りが鼻腔をいっぱいにして、一層腕に力が籠る。いつの間にか斑の腕も強くこはくを抱き寄せて話さない。
――こうして終わる、相棒とのプレゼント交換会。
その距離十二センチを、こはくの背伸びした足が詰めた。頬を擦り寄せて唇を重ねる。斑も加担しなければなし得ない。十二センチ。
なにもかもの距離を埋めるように、夜の街に雪が積もっていた。しんしんと、しんしんと、あたたかく。
「へっ!? 嘘やろ! なして!?」
「ほら、関節にひっかかって……なあ?」
「わーーーあかん!! 待ってや! 作り直す! 交換してくる!」
「これがいいなあ。君が初めてくれたのが」
「…………っ」
「照れなくていいぞお?」
「やかましい!」
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