torino_y
2024-12-25 06:20:38
11065文字
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『九宝のせかい』小編10

クリスマスにちなんだユリウスとエステルのお話。



 地面を覆いつくす一面の白い雪。それ以外は何もない広い雪原を越えて、辿り着いたいつもの町は、いつもと違う特別な装いをユリウスに向けて披露していた。
 街路樹や家屋の軒先は赤や緑といった色とりどりのリボンとオーナメントで彩られ、雪化粧された白い町を華やかにドレスアップしている。家々の玄関には植物で編まれたリースや小さなプレゼントの箱が設置されていて、訪れる客人を歓迎している。中央広場には藁で作られた大きな二頭のヤギが並んで置かれていて、町の人々を見守っているようだった。
 大きな布袋を片手にしたユリウスは記憶を探り、そういえばあと一日でクリスマス当日だったなと合点した。ユリウスが暮らしているこの氷雪の国では一年を通して雪が降り、はっきりした四季がある竜の国と違って季節の移ろいを感じられる機会が少ない。そのうえ人と異なる時の流れを生きているユリウスは普段、カレンダーとは無縁の生活を送っている。久しぶりに人里を訪れたユリウスが、今がまさにクリスマス本番の時期であることを知らなくても無理はない。
 いや待てよ、とユリウスは思い直す。かつてのクリスマスは、世界が「旧」から「新」へ生まれ変わり、文化が大きく変容したことで、中身とともに呼び名も変わったのではなかったか。記憶の引き出しを探りながら、ユリウスは装飾された町の光景を観察してみる。そして一軒の家に飾られた白い花のオーナメントを見つけて、答えを思い出した。そう、かつてクリスマスと呼ばれていた行事は現在、氷雪の国では「冬花祭(とうかさい)」と呼ばれているはずだ。
 冬花祭という名前は、氷雪の国にだけ咲く「スノーヴィアの花」に由来している。見た目は白いユリに似ているのだが、その白く美しい花が開いているところを実際に見られるのは、一年のうちのほんの数日に限られている。スノーヴィアの花が開くのは冬花祭がフィナーレを迎えるちょうど今、旧世界で言うところのクリスマス・イヴからクリスマスにかけてのたった二日間だ。だから冬花祭では、スノーヴィアの花がその祝祭を象徴するモチーフとして好んで使われる。先ほど目に留まった家のほかにも、その隣の家や向かいの店など、見渡す範囲すべての場所にスノーヴィアの花を模した白い花のオーナメントが飾られている。もちろん生花ではなく、スノーヴィアの花を象った作り物だ。本物でなくともここまで至る所にスノーヴィアの花が飾られていると壮観だなと、ユリウスは少し感動していた。まさに冬の花の祭典という呼び名にふさわしい光景だ。
 そして、スノーヴィアの花は冬花祭のモチーフとして使われる以外にも、氷雪の国の人々にとってはある重要な意味を持つ花となっている。人々は自分の大切な人にスノーヴィアの花を贈ることで、人々が古くからこの花に託してきた特別な想いを伝えようとするのだ。冬花祭の最終日に大切な人にスノーヴィアの花を贈るというシチュエーションは、そこに込められたメッセージ性からか、しばしば氷雪の国で流通する小説の中に登場する。ユリウスもスノーヴィアの花に秘められた特別なメッセージについては、巷で人気の小説から知識を得た。ユリウスが最初にそのシチュエーションを読んだのは恋愛小説だったが、実際には恋人に限らず家族や友人にスノーヴィアの花が贈られることも多いらしい。肝心の、スノーヴィアの花に込められた意味というのは——
「あ、師匠!」
 聞き慣れた声に呼びかけられて、ユリウスは思考を中断してゆっくり振り返った。大きく手を振りながら近づいてきたのは、白い帽子をかぶった少女——ユリウスの弟子であるエステルだった。
 エステルが被る帽子の上部には、動物の耳のような二つの三角錐状の膨らみが付いていて、ピクピクと動いている。エステルは隠そうとしているが、この三角錐の膨らみの中には本物の動物の耳——狼の耳が収まっている。本物なのは耳だけではなく、彼女の背後でゆらりと揺れたふさふさの尻尾もまた、ファッションのためのダミーなどではない。エステルは「人」の中でも「狼族」と呼ばれる、狼の特性を備えた種族の一人だ。
 この「新世界」では一般的な人の種族である「人間」のほかに、動物の特性を併せ持った「獣人族」と呼ばれる人々が暮らしている。獣人族はさらにその特性の起源にあたる動物によって「狼族」、「狐族」といったように細かく種族が分かれている。氷雪の国は厳しい寒さに覆われた国だ。あまりに寒いため人間が暮らすには不向きだが、寒さに強い動物の特徴を持った獣人族であれば暮らしの不便は少なく、むしろ丁度いい気温と豪語するものさえいるほどだ。そのためこの国に住んでいるのはほとんどが獣人族で、ユリウスのように動物の身体的特徴を持たない者は珍しがられることも多い。
 エステルはユリウスの正面までやって来ると、ユリウスが持った中身が見えない袋を見つめながら「今回の獲物は猪と鹿?」と尋ねた。正解だ。エステルが中身を見ずに答えを言い当てたのは、狼族が持つ優れた嗅覚のおかげだ。ユリウスは毎度のことながら感心してしまう。
「そうだよ。さすがだね」
「まあね! 匂いの嗅げ分けなら任せて!」
「何かを嗅ぎ分けてほしくなる場面が思いつかないけれど……
「まあ匂いの嗅ぎ分けよりも、匂いを追って迷子を探し出したり、探し物のありかを特定したりするほうが実用的かも」
「ああ、それは確かに便利そうだね」
 ユリウスの返答を聞いたエステルは誇らしげな顔をして、腰から生えた自分の尻尾を無意識のうちに左右に揺らした。喜びをまったく隠せていないエステルの尻尾を見つめながら、ユリウスは自分の心が温かくなるのを自覚していた。
 ユリウスは人の子どもが昔から苦手だった。些細な不運にもこの世の終わりのような反応を示したり、永遠に続くかと思うような「なんで」攻撃を繰り出してきたりと、子どもの相手をするのはとにかく疲れる。以前町で遭遇した子どもに、ユリウスの頭に動物の耳がないのはどうしてかしつこく質問攻めにされたことも、ユリウスが子どもを苦手に思う背景の一つになっている。だが、そんな彼らと同じ人の子どもであるはずのエステルに対しては、不思議と苦手意識を感じずに接することができる。いや、本当のことを言うと、エステルと出会ったばかりのころは、彼女に対してもやはり他の子どもと同じように苦手意識を感じていた。それが自分でもわからないが、時が経つにつれてその苦手意識を感じることが少なくなっていった。その理由を、まだユリウス自身も掴むことはできていない。
 優しく微笑むユリウスの視線を追ったエステルは、自分の尻尾が勝手に揺れていることに気がついた。慌てて尻尾を後ろ手にむんずと掴むと、恥ずかしさを誤魔化すようにぷいと横を向いた。狼族にとって感情のままに尻尾を振るのは未熟者の証なのだ。
 今さら隠そうとしなくてもいいのに、とユリウスが口を開こうとしたとき、「ユリウスさん!」と自分を呼び止める声が耳に飛び込んできた。振り向くと、スノーヴィアの花のオーナメントで飾り付けられた店の前で、町の住人の一人が慌てたように手招きをしていた。彼は酒場でよく話をする、ユリウスの飲み友達だ。彼のほかにも、動物の耳や尻尾を持った町の人々が何人か集まっている。彼らの表情は皆一様に暗く、何か深刻な事態が起こっていることを伺わせた。
「どうしたの、みんな思いつめたような顔をしているけれど」
 ユリウスが皆に近づきながら心配に思ってそう尋ねると、ユリウスを呼び止めた飲み友達の彼が神妙な面持ちで口を開いた。
「実は、この近くでさっき雪崩があったんだよ」
「雪崩? まさか誰かが巻き込まれたのかい」
「いや、幸い被害者は出てないんだが、崩れてきた雪で外に繋がる道が埋まって、通れなくなってな……
「それじゃあ、外から商隊が入ってこられなくなってしまうね。でもそれが……
「そうなんだよ!」
 ここで友人が、ユリウスの言葉に被せるように大きな声を出した。エステルが隣でビクッとしたのが視界の端に映る。ユリウスも少し驚いて、開いていた口を閉じた。それから、ここまで話したところで感じ始めていた疑問について考えを巡らせる。雪崩で外から商隊が来られなくなること自体は、この雪国では大して珍しいことでもない。町の人々はそういう事態をきちんと想定していて、数週間分の食料や生活必需品を常に備蓄しているのだと、酒の席で町の人から教えてもらったことがある。雪崩に巻き込まれた人がいるわけでもないようだし、今回の雪崩の被害がそれほど深刻だとは思えないのだ。しかしユリウスのその予想とは裏腹に、友人とほかの人々の表情は、明らかに問題が起こっていることを物語っている。
 そのちぐはぐさに思わず首を傾げたユリウスに気づくことなく、友人はどんどん話を続けていく。
「道が塞がってちゃ商隊が来られない。そうするとアレの到着も間に合わなくなる……
「アレ? 何か特別なものをお願いしていたのかい?」
「ああ、そうなんだ! なあユリウスさん」
「えっと、どうしたの……?」
「俺たちの頼みを聞いてくれないか。こんなこと、ユリウスさんにしか頼めないんだ」
「な、なに?」
「ここから北に行ったところに森がある。そこに行ってアレを……

 *

……冬花祭が終わる前に、咲いてるスノーヴィアの花を取ってきてほしいなんて、簡単そうな頼みでよかったね、師匠」
 ユリウスはエステルを伴って、町から出て北に進んだところにある森を歩いていた。森といっても木にはどれも葉がついておらず、見晴らしはとても良い。空を遮るものがない森には日の光が直接入ってくるので、積もった雪の白さも相まって明るさはひとしおだ。
 先ほどの友人の話では、この森の奥に、スノーヴィアの花が群生しているエリアがあるのだという。灰色がかった裸の木が点在するだけの森は物寂しく、障害物がほとんどないので先まで容易に見通すことができる。これだけならたしかにエステルの言う通り、大して苦労することなく花の群生地を見つけ出し、咲いた状態のスノーヴィアの生花を町へ持ち帰ることができるだろう。
 ただ、ユリウスには一点、気がかりなことがあった。花を取ってきてくれと依頼してきた友人が、出発間際に言っていたことだ。この森は道に迷いやすいから気をつけろ、と。それから彼は「ユリウスさんには必要ないかもしれないが、お守りだ」と言ってユリウスの手に飴玉を一粒握らせた。遭難対策で飴を持ち歩くのは一般的なので拒否する理由もなく、それを受け取ったユリウスは飴玉をコートのポケットに仕舞った。そのような経緯があったためユリウスはもっと鬱蒼とした森をイメージしていたのだが、実際にはそれと真逆の光景が目の前に広がっている。ユリウスは探るようにして、点在する灰色の木の幹に順番に視線を移していく。
……こんなに見晴らしがいいのに、どうして道に迷いやすいんだろう」
「あ、それ、師匠のお友達が言ってたこと? 殺風景で目印になるものがないからじゃない?」
「殺風景な場所だけれど、ここは空がよく見えるからね。太陽や月、星が見えれば方角が分かるから、そう簡単に道に迷ったりはしないよ」
「あーそっか。それなら葉っぱがいっぱい生えてる森の方がよっぽど道に迷いそうだね」
 そう、この森のような空がよく見える場所で迷子になることはあまり考えられない。現にエステルはユリウスの話を受けて、時間と太陽の位置を照らし合わせることで北の方向を特定し、迷わず歩みを進めている。この先も裸の木がぽつぽつと立っているだけで、遮蔽物と呼べそうなものは見えない。迷いやすいという友人の忠告は的外れだったのだろうか。
(いや、あの忠告は本気のものだった。この森にはきっと何かがある。気をつけた方がよさそうだ)
 それに、ユリウスは森に入ってからずっと、漠然とした違和感を覚えていた。裸の木の他には降り積もった雪しかないこの森には、ユリウスとエステル以外の生き物の痕跡が何もなかった。生き物の気配は微塵も感じられず、足元の雪には足跡ひとつ残されていない。当然、周囲を見回しても生き物の姿は影も形もない。そのはずなのに、どこからか視線を感じる、そんな奇妙な気配があった。
 それにもう一つ奇妙なことがある。町のこんなにすぐ近くにスノーヴィアの花の群生地があるなら、外から商隊を招いてまでスノーヴィアの花を仕入れる必要はないはずだ。わざわざ商隊に報酬を払ってまで依頼しなくても、自分たちで森へ行って、必要な数の花を持ち帰ればいい。この森からは魔物の気配もしないし、それほど危険が伴うとは思えない。だが、それができないということは、それなりの理由が恐らくこの森にある。その理由は、ユリウスが森に入ってからずっと感じている違和感と関係があるのだろう。
 警戒心から無意識のうちにユリウスの目つきが険しくなる。一緒に歩いているエステルにも警戒を促そうと声をかけた。
「エステル、この森には何かがいるのかもしれないから、僕から離れないように……
 そこで気が付いた。先ほどまで隣を歩いて、話をしていたはずのエステルが忽然と姿を消している。慌ててあたりを見渡したが、エステルの姿どころか足跡すら見つけられなかった。後ろに連なっている足跡は一人分、ユリウスのブーツのものだけだ。焦りそうになる心を抑え、視覚で見つけられないならとユリウスは目をつぶって周囲の魔力を探ったが、エステルのものではない魔力の気配があたり一帯に漂っていてうまく探知することができない。ユリウスは魔力探知を諦めて目を開いた。そして、魔力探知のおかげでこの森から感じていた違和感の正体を理解し、思わず眉間のしわを深くした。
(あたり一帯に充満している濃い魔力の気配……なるほど、この森は「精霊」が多い土地なんだ。だから森に入ると彼らによって「迷わされる」……
 精霊とは木や川といった自然に宿る、生物とは性質を異にする存在だ。精霊は肉体を持たないため、ごく少数の例外を除き人の目には映らない。だから多くの場合、人々は精霊の存在を眉唾と思っている。見えないものは存在しないのと同じというわけだ。
 だが、氷雪の国では少し事情が異なる。精霊を知覚できる人がほとんどいないのは他の国と同じだが、精霊に対する感じ方は随分違っている。氷雪の国の人々は精霊を見ることができなくても、自分たちが精霊と同じ世界に生きていることを信じている。冬花祭がまさにその思想を表したいい例だ。冬花祭とは、氷雪の国の厳しい冬を無事に乗り越えられるよう精霊たちに祈りをささげるための祝祭なのだ。町を色とりどりに飾り付けるのも、精霊たちを喜ばせるためだ。その精霊が、この森にはどうやらたくさん生息しているらしい。
 ユリウスはごく少数の例外で、精霊の姿をその目に移すことができる。だが今の今まで精霊の姿を捉えられなかったのは、精霊たちが巧妙に姿を隠していたからだろう。その証拠に、自分たちの存在を認識されたと理解した精霊たちが隠れるのをやめ、空気の隙間から滲みだすようにして姿を現し始めた。朝日に照らされてキラキラと輝く舞い降りた雪のように、精霊たちが通った跡に白い光の粉が散って軌跡を描く。
 精霊が振りまいた光の粉は、霧散するのと同時に白い濃霧に変わった。霧は次々に発生し、あたりはあっという間に一寸先も見通せない状態になってしまう。空を見上げても霧に覆われていて、太陽の姿を確認することができなくなってしまった。
 一刻も早くはぐれたエステルと合流したいユリウスは、精霊たちの悪戯心に対して困ったように眉を下げた。周囲を覆いつくすこの白い霧を吹き飛ばしてしまうのは簡単だ。そうすればエステルともすぐに合流できるだろう。だが、精霊に対して手荒な手段を取るのは好ましくない。精霊の機嫌を損ねることは、すなわち自然を敵に回すことに等しい。そもそも町で皆が力を合わせて準備をしている冬花祭というのは、精霊を喜ばせることで自然の脅威を遠ざけようとする考えが起源になっている。その冬花祭ももうすぐ本番という今のタイミングで精霊を怒らせでもしたら、この周辺一帯をすべて飲み込むような巨大な雪崩が起こっても不思議ではない。幸い、この森には魔物がいないようだから、エステルとの合流は急務ではない。緊急性がない以上、ユリウスはどうにかして平和的解決を実現しなければならなかった。たとえばそう、話し合いとか。
「えーっと、精霊の皆さん。僕たちを迷わせるのはやめてもらえないかな、なんて……
 できるだけにこやかな表情を作り、霧に包まれた森全体に呼びかけたユリウスの眼前で、光を発する精霊たちがふわふわと漂っている。その様子は呼びかける前と何も変わらない。話し合いはあっさりと失敗に終わった。
(というか、精霊と言葉でコミュニケーションを取ろうとしていること自体が間違っているような気もする……
 そもそも精霊は人と違う理の中に存在するものだ。人の言葉を聞いて理解できるのかどうか定かではないし、言葉の意味を理解できたとしてもそれを聞き入れてくれるとは限らない。理を異にするとはそういうことだ。人の想像を越えた行動をし、その行動パターンは研究されていない。精霊を知覚できる人が少ない以上、精霊について分かっていないことの方が多いのも必然と言えるだろう。
 だが精霊について分かっていることもわずかにある。その一つは、精霊の中には独自のルールに従って行動するものがいることだ。そしてそういう種類の精霊には特別な呼び名がつけられていることが多い。例を挙げるなら、町の中央にある広場に並べられていた、藁で作られた大きな二頭のヤギがそうだ。あれは冬花祭の時期になると町の近隣に現れて、贈り物と引き換えに人々にささやかな幸福をもたらしてくれると言われている精霊「ユールゴート」を象った藁人形だ。ユールゴートは贈り物をもらえれば良いことを起こし、贈り物をもらえなかったときは反対に悪いことを起こすというルールに必ず従う。氷雪の国の人々は精霊が見えなくてもユールゴートのことを信じていて、冬花祭の時期になると玄関の前にユールゴートのための小さなプレゼント箱を用意しておくのだ。
 ユリウスが町で見た大きな藁のユールゴートを思い出していたとき、視界を遮る白い霧の向こう側に何かがいるのが見えた。咄嗟に息をひそめたユリウスはすぐ近くで立ち止まっている何かに目を凝らす。ユリウスの周囲を漂っていた精霊たちが、霧の向こうにいる何かから離れようとするように空気に溶けて消えていく。それによってわずかに薄くなった霧の隙間から、大きく渦を巻いた太く長い二本の角が姿を現した。蹄を持った四足歩行のシルエットは動物のヤギにそっくりだ。そこにいたのは先ほどまで思い浮かべていたユールゴートそのものだった。
 ユリウスの前に現れた一頭のユールゴートは何かを期待するように、じっとユリウスの目を見つめた。ユールゴートは贈り物を待っているのだ。ハッとして何か渡せるものがないかとコートをまさぐり、町で友人から貰った飴玉がポケットの中に入りっぱなしであることを思い出した。ユールゴートへ贈るものにルールはない。贈り物でさえあれば何でもよかったはずだ。ユリウスはポケットから飴玉を取り出すと、ゆっくり前進してユールゴートの口元に差し出した。ユールゴートは飴玉の匂いを確かめると、満足そうに鼻を鳴らして目を伏せた。その途端、ユリウスの手のひらに乗っていた飴玉が光に包まれた。その光は手のひらからふわりと浮かび上がると、光の跡を描きながらユールゴートの右側の角に吸い寄せられていく。光が収まったとき、角には一粒の美しい宝石が飾り付けられていた。
 伏せた瞼を開いたユールゴートは、何かを探るような眼差しをユリウスに向けた。贈り物を受け取ったユールゴートはルールに従い、必ず送り主に良いことをもたらさなければならない。目の前の精霊はユリウスが求める願いを知りたがっているのだ。そう思い当たったユリウスは迷うことなく願いを口にした。
「贈り物の対価として、僕をエステルのところへ連れていって」
 ユリウスの言葉を聞いたユールゴートは首肯するように首を縦に一振りした。それとほとんど同時に、蹄の付いた四本の足元から一斉に炎が吹き出した。
「え……!? なんで!?」
 唐突な発火に戸惑って思わず声を上げたユリウスに構うことなく、ユールゴートは全身を炎で覆われていく。その状態で感情を削ぎ落したような横長の瞳孔がじっと見つめてくる。不気味だからこっちを見ないでほしい。
 訳が分からず思考が停止している間に炎は一気に激しさを増し、大きく燃え上がった。その熱気がユールゴートを中心に放射線状に広がり、爆風のようになって森を覆っていた霧をすべて吹き飛ばした。
 霧が晴れた森を見渡してようやくユールゴートの意図を理解したユリウスが振り返ったとき、そこには焼け落ちて煤になった藁が雪の上に残されているだけだった。そしてその奥にしゃがみ込むエステルの姿を見つけて、ユリウスは雪の上を走り出した。
「エステル!」
 大きく声を上げたユリウスに気づいて、エステルが顔を上げた。その斜め後ろに先ほど燃えたのとは別のユールゴートが佇んでいるのを見て、ユリウスは焦りを強くした。エステルは精霊を見ることができないのだ。先刻ユリウスがやったようにユールゴートに意図的に贈り物を渡すことができないとなると、ユールゴートは贈り物を受け取れずエステルに災厄をもたらすかもしれない。
 後ろに立っていたユールゴートが、立ち上がったエステルの横に並んで手元に鼻先を近づけた。これでエステルが贈り物になりうるものを持っていないことに気づかれたら......!
 しかしそこでユリウスは、エステルが手に一輪の真っ白な花のつぼみを握っていることに気が付いた。ユールゴートも当然それに気づいて、己の姿が見えていないエステルの手元からそっとつぼみを咥えて抜き取った。そしてそのままむしゃむしゃと食べてしまった。見えないヤギにつぼみを食べられたことなどまったく気づかず、エステルは走ってくるユリウスに向かって元気よく手を振った。
「師匠、やっと会えた! まさか本当に師匠が迷子になるなんて思わなかったよ!」
「ご、ごめんね……! 一人で大丈夫だった……?」
「大丈夫だよ。途中で霧が出てきたけど、スノーヴィアの花の香りがする方に進めばいいから道は分かってたし」
「そっか、エステルは鼻が効くから。じゃあ、スノーヴィアの花を見つけたんだね」
「うん。でも見て、まだ咲いてないみたい……あれ、なくなってる!」
 エステルはたしかに持っていたはずのつぼみがなくなって、不思議そうにキョロキョロとあたりを探した。その横で犯人のヤギが素知らぬ顔をして、ユリウスの方を見つめながら何かを指し示すように首を背後に向けた。エステルの背後、ユールゴートが示した場所には一面の真っ白なスノーヴィアの群生地が広がっていた。しかしまだ花を咲かせていないようで、どれを見てもつぼみの状態だ。
「まだ咲いていないみたいだね」
 ユリウスが自分の背後を見ていることに気づいて、エステルはキョロキョロするのを諦めた。まだ不思議そうに首を捻っていたが、つぼみのままのスノーヴィアの方が気がかりで、不安そうにユリウスを見上げた。
「そうなの。つぼみのまま持って帰っても、そのうち咲くかな?」
「どうだろう、冬花祭が終わるまでに咲いてくれればいいんだろうけれど……
「今ここで咲いてくれたらいいのにね……
 エステルが眉を下げてそう口にしたとき、横にいるユールゴートが承知したと言わんばかりに大きく首を縦に振ったのが、ユリウスの視界に映った。まさか、あのつぼみを食べさせてもらった対価は——
 ユールゴートは一度大きく鳴いて、両の前足を高々と上げた。その勢いのまま下ろした前足を地面に強く叩きつける。すると、地面に打ち付けられた蹄から温かい黄色の光の波動が四方に広がっていった。その光はスノーヴィアのつぼみを撫でていき——光が通り過ぎた後、そこは一面、真っ白に咲き誇ったスノーヴィアの花畑に変わっていた。雪と見間違うような純白の花びらで大地が埋め尽くされた光景は、筆舌に尽くしがたい美しさだった。
「ほ、ほんとに咲いちゃった……!?」
 精霊であるユールゴートの姿が見えていないエステルは、何が起こったかわからずに目を白黒させていた。贈り物の礼として、エステルの何気ない一言を見事に叶えてみせたあの精霊は、気づいたときには姿を消していた。息をのむような真っ白な花の大地の前には今、ユリウスとエステルの二人しかいない。ユリウスがそっと口を開いた。
……綺麗だね」
「あたし、スノーヴィアの花がこうしてほんとに咲いてるところは初めて見たけど、こんなに綺麗なんて知らなかった……
「スノーヴィアの花は冬花祭の間の、ほんの数日しか花を咲かせないんだ。だから今日この美しい光景を見られたのはとても幸運なことなんだよ」
……あたし、師匠と一緒にここに来られて良かった」
 ユリウスは同意の相槌を打とうとして、それを思いとどまった。それよりももっと素敵なアイデアを思いついたのだ。ユリウスは相槌の代わりに花畑に近づいて、足元に咲くスノーヴィアの花を一輪、優しい手つきで摘み取った。それを不思議そうに見守っていたエステルに向き合って、スノーヴィアの花を差し出した。一瞬の疑問の後にその意味を理解したエステルは、顔を真っ赤にして、受け取ることを躊躇するように、指をもじもじと動かしている。そんな可愛い弟子の様子に無意識に笑みをこぼして、ユリウスは口を開いた。
「スノーヴィアの花はこの国の人たちにとっては特別な花だ。だから僕たちは町の人に頼まれてここまで花を取りにきたわけだし」
「う、うん」
「エステルも当然、スノーヴィアの花を人に贈ることの意味を知っているよね」
 エステルは黙ったままこくりと頷いた。ユリウスはすっかり照れているエステルと目線を合わせるようにしゃがみ込んで、改めてスノーヴィアの花を差し出した。
「僕からの気持ち、受け取ってもらえないかな」
 スノーヴィアの花は冬花祭期間中のほんの数日だけ、そのつぼみを開いて花を咲かせる。一年に一回だけ訪れるその貴重な日を共に迎えられたことを祝福して、大切な人へ贈るスノーヴィアの花には特別な意味が宿る。ユリウスはたった一人の大切な弟子に向けて、スノーヴィアの花を贈りたいと思った。
「僕も『君と一緒にいられて嬉しい』よ、エステル」
……ありがとう、師匠。冬花祭でスノーヴィアの花をもらえるなんて、本当に嬉しい」
 ユリウスが言葉にしたスノーヴィアの花が持つメッセージを、エステルは花と一緒にはにかみながら受け取った。二人の間に優しい風が吹いて、舞い上がった雪が光を反射してキラキラと輝いている。