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有栖川
2024-12-24 20:48:28
9653文字
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皇帝は恋を知らない③
自分の感情がよくわからないkisと、友達になろうと思ったらそれ以上の感情に気付いてしまった41が、
事故ったりすれ違ったりしながら恋心を自覚してつきあうまでの話。
🇫🇷戦後捏造if/わかり合いたいけど、わかり合えないふたり
——
予期せぬ崩落で監獄へ戻る道が閉ざされた。怪我人はいなかったが交通の便に影響が出る。一日すこしで復旧する見込みだが、本日は監獄へ戻る手段がなくなってしまうので、各自で休息を取るように。自宅が遠くあてのない者は、こちら側で安全性の保証された宿を確保手配するので必ず連絡をすること。
アンリから送られてきた一斉送信メールの内容はおおむねそんな感じで、慌ててメッセで聞いたところ、外に出ていた連中の大半は自宅に戻るとのことだった。山奥になんか作るからだろと思わないこともないが、起きた事に対してただグチグチ言っていても仕方が無い。それに幸いまだ日が明るい時間帯の連絡だったので、電車なんかにも余裕があって、関東に家がある連中なら差し支えはなかったようだ。世一も、埼玉の実家に戻るのであればまったく不都合はない。すこし在来線を乗り継げば夜までには帰れるだろう。
問題は、ドイツから遠征で来ているため当然あてなどあるはずもないカイザーだ。
カイザーはチッと馬鹿でかい舌打ちをすると、ホテルを手配させるためか、かなりイラついた調子でスマホをいじり始めた。なんとなくだけど、別にホテル泊が嫌なんじゃなくて、予定通りに物事が運ばないのがめちゃくちゃムカつくんだろうなと思った。もともと試合を支配したがる傾向にあったし。それでもカイザーは幾つかの試合を通して「不自由こそが自分を成長させる最たる要因だ」と気付いていたはずだが、残念ながらその「不自由も必要だ」という考えはサッカーのみに適用されるものであって、日常生活の不要なアクシデントに対しても寛容になることはできなかったらしい。
「
——
おい、待てよ」
だったら。
だったら今更ひとつ不確定要素が増えたって、変わりはないだろう。
そう、頭の中で思うよりも早く、世一はカイザーに向かって手を伸ばしていた。拗れたまま戻るのはスッキリしなくて嫌だというモヤモヤした気持ちが胸の中をいっぱいに満たしていて、「絶対嫌な顔される」とか、「どう考えても罵られる」というような考えが、その瞬間、どうでもいいもののように思えたのだ。
「俺んち泊まってけよ、
……
その、今日のこと謝ったりさ、色々話したいから」
「
……
俺に付き合う義理はないが?」
案の定、嫌そうに振り返ったカイザーの顔は不機嫌一色に染まりきって、下手を打てば一触即発になりかねないんじゃないかという状態だ。でもそれでも世一は引かない。ここで引いたら、なんとなくだけど、〝負ける〟と思ったからである。
「けど俺、やっぱここで終わりにするのはスッキリしない。
……
お前のこともっと知りたいんだ」
いったい何に負けるのかは分からない。
でもコイツに絡んだことで負けるのだけはとにかく無茶苦茶嫌だから、世一は意を決してカイザーの腕をとっ掴むと、信じられないものを見るような目をして押し黙ってしまったカイザーを埼京線のホームがあるほうへ向けて引っ張り始めた。
一時間弱を電車に揺られているあいだ、ふたりとも無言で、そっぽを向き合っていた。世一も、カイザーも、窓の外ばかりぼんやりと眺めている。ただ、時折、どうも気になってしまってこっそり目を遣ると、何故かちらりと世一を見てきているカイザーと目があったりして、その度慌てて目を逸らし合った。カイザーが何を考えているのかは、ちっともわかりそうにはなかった。どうして振り返るたび世一の方に目を向けていたのかも。
「ただいまぁ〜
……
」
最寄り駅で降りて通い慣れた道を慣れないデカ男を連れてこそこそ歩き、なんとか辿り着いた自宅のドアに鍵を差し込む。しんと静まり返った玄関に習慣で声を掛け、「絶対靴脱いで上がれよ」と声を掛けると、無理矢理帰りの電車に乗せたときぶりにカイザーが口を開いて、「誰もいないのか」と訊ねた。
「そうだよ、うちの父さんと母さん、いま丁度旅行に行ってて。熱海
……
。俺、いつ帰って来られるかわからなかったしさ、気にしないで出掛けてもらうようにしてたんだ。あ、でもいちおう、人を泊めるとはさっき連絡してオッケーもらったよ、
……
監獄で出来た友達をさ」
「
——
友達じゃない」
「
……
でも俺は友達でいたい。仲直りできたらいいなって、やっぱ、思ってる」
靴を揃えてあがると、カイザーは、やっぱり何考えてんだかよくわからない顔のまま舌打ちして、世一の見よう見まねで脱いだ靴を揃える。洗面所に案内して手を洗った後、夕飯を用意するから先に風呂に入ってくれと頼むと、渡されたタオルと、世一の家着を持って、大人しく風呂場に消えて行った。
それから迎えた夕飯はとても静かだった。
世一が冷凍食品とパックご飯で用意したメニューに、カイザーは何の文句も付けなかった。いつもの嫌味っぽい性格を考えれば「料理が下手」とか「こんなものは料理ですらない」ぐらい言いそうなものだったけど、
……
流石にそういう雰囲気じゃなさすぎて、言いそびれてしまったのかもしれない。
準備している最中、世一はどう謝ったらいいかをぐるぐると考え続けていたのだけれど、もしかしたらカイザーも待っているあいだじゅう、何かを考えていたのでは無いか。食事の間じゅう、カイザーは、そこはかとなくそう感じさせるような面差しをしていた。端的に言うと何かに思い悩み苦しんでいるかのような。
殆ど会話もないまま、片付けをして、遅れて世一もシャワーを浴びる。その最中も、頭の中はずっとモヤモヤし通しだ。実家にいてこんなに心安まらないこともない、と世一は思わず風呂場の鏡を見て苦笑いした。でもそれも仕方ないことなのかもしれない。友達を家に呼んだことは数限りなくあったけど、この前までピッチで殺し合って、お前だけは100%殺すと啖呵まで切って、そのうえ「もう友達はやめる」などと言われたばかりの相手を家に連れてきたことは流石に一度もないし。
でも
……
せっかく、チャンスを作ったのだ。寝るまでには、このまんじりともしない雰囲気をどうにかしたい。
流れていく水音に背中を押されるようにしてそう決意すると、世一はゆっくりと風呂場を後にした。
「なあ、カイザー
……
」
雑に髪を乾かしてそそくさとリビングに戻ると、向こうも適当に乾かしたからか、髪がやや乱雑に跳ねているカイザーが、ソファに座って勝手にテレビを見ているのが目に入る。しかも何を見ているのかと思えば、レコーダーに入っていた、『U−20日本代表戦』の試合だ。
「ちょっ、おまっ、何勝手に見てんだよ!?」
流石に面食らってしまい、その瞬間だけ気まずい空気をほったらかしてズカズカ寄って行くと、カイザーは顔を動かさないまま「何って、世一だが」と当たり前のような声で言った。
「お前の出ている番組が大量に録画されていたから暇つぶしに流していた。自分で録ったのか?」
「ちげーし、父さんと母さんがどんどん勝手に録っちゃってさぁ
……
インタビューのやつとか四重ぐらいに入ってる」
呆然と突っ立ったまま答えるとカイザーはそこでようやく顔を上げて、それから、自分が座っているソファの隣をポンポンと叩いた。想像よりだいぶ軽い調子に面食らってぽかんと口をあけ突っ立っていると、数時間ぶりに、カイザーがフンと嫌味な角度に口角を上げる。
「ハッ、クソ間抜け面。
……
そのアホ丸出しのツラ見てたら多少は溜飲が下がった、座れ」
「なんでんなクッソ上から目線なんだよ!
……
いやまぁ今日のは俺も悪かったけど!」
「そうだな、デリカシー皆無の世一が悪い。
……
だがあの程度でへそを曲げる俺の方も、大人げないと言われれば、まったく異論を唱えることはできないだろう。そろそろ謝罪の言葉ぐらいは受け取ってやる」
俺もお前と確かめておきたいことがないでもない
——
と、どこか含みを持たせた調子でカイザーが言った。
世一はそうか、と頷いてカイザーの隣に座った。彼の腕がするりとまた自分の腰に伸びていくその意味からは、ひとまず目を逸らして。
それからふたりは、録画を見ながら、おっかなびっくり、〝会話〟をはじめた。今日の外出のこと。辟易するほどの人混み。家電量販店で見た便利家電に、ドイツで一人暮らしをしているカイザーとしては、内心ちょっと心惹かれるものがあったこと。初めて訪れたゲーセンはそこそこ刺激的だったこと。なかでも一番興味深かったのは、実は格ゲーで対戦相手に負けて青筋おっ立てていた世一の顔だったということ。そう言われて世一が負けじとダンスゲームをしていたカイザーの話を持ち出すと、「俺は格好良かっただろうが」と何故か凄まれて、なんだか子供っぽかった。
ぽつぽつとした振り返りをするうちに分かったのは、凪たちと勝手に合流しようとして機嫌を損ねた一件を除けば、総合してカイザーは今日という日をそれなりに楽しんでいたみたいだ、ということだった。「世一の休日を奪ってやるのがメインだったんだがな」と冗談なんだか本気なんだかよく分からない調子で言うカイザーの顔は、妙に悪戯っぽくてかわいい。そう思ってしまったことにハッとして、気を紛らわせようときんつばドリンクを飲んだ理由を問うと、今度は「
……
世一が飲んでいたら美味そうに見えたから」と素気なく唇を尖らせ、フンとそっぽを向かれてしまう。
「あはは、なんで拗ねてんだよ、カイザー。別にいいじゃん、誰かが食べてると美味しそうに見えるのはちょっとわかるよ」
その様子が面白おかしくってけらけらと笑うと、カイザーは風呂上がりの匂いを仄かに漂わせながらむすりと鼻を鳴らした。
飾りっ気もなければ芝居がかってもない、内緒のミヒャエル・カイザーの素顔を、見ているような気分がした。
「別に拗ねてはいない。世一にしたり顔をされると腹立たしいだけで」
「してないって
……
。でも、なんかさ、今更だけどこうして隣り合って話してるの、不思議な感じするな。初対面の時お前の印象最悪だったもん、ほんと」
慣れ親しんだ実家のソファに背を預け、んん、と大きく伸びをする。隣から「無防備な
……
」という苦言が聞こえてきた気もするが、自宅で無防備にならなかったらいつなるんだという話だ。世一はふっと振り返ると、なんとはなしに、同じぐらい無防備に晒されているカイザーの顔に指を伸ばす。
「こうやってさ、顎をぐいって持ち上げて、喧嘩売ってきたよな。あれマジで今後はやらない方がいいぜ、角しか立たないし」
そうしてニコニコ笑って世一が軽口を叩くと、カイザーは何故かハァ〜
……
と深いため息を吐いた。
「あれは角を立てたいからやったんだ。
……
今更ながら説明してやると、ノアが指摘していた通りマウント行為そのものだぞ。ドイツではああして悪意を持って女扱いの仕草をするのは最大級の侮辱にあたるからな」
「えっ、そうなの!? そのあと両腕掴んだのは流石に嫌がらせっぽかったよなとは思ってたけどそっからって
…………
お前性格悪すぎない!?」
「それこそ今更だろうが
……
」
「いや知ってたけど改めて解説されると驚きもひとしおで
……
えっ俺監獄へ来る前のお前になんもしてないよな?」
「
……
インタビュー動画を見てな、思い上がりも甚だしいうえに平和ボケしてそうなクソガキだなと思った、それだけだ。だというのにクソ世一くんときたら思い上がったままこの俺の頭踏んづけていきやがって」
まぁ、おかげで殻を破れたことには感謝してるが。
そう囁いたカイザーの横顔は、「生まれ変わった」と口にしていたときの清々しさと同時に、なんともはっきりしないような、もやついた表情が映し出されている。
なんでだろう。一体この傲岸不遜な男が、何にこんなわだかまりみたいなのを抱くことがあるっていうんだろう?
その答えは、世一が問うよりも早く、カイザー自身の口からもたらされる。
「
……
そんな世一の実家に、行く日が来るとはな。殆ど偶発的な事故とはいえ
……
世の中、わからないもんだ」
クソムズムズする、そもそも他人の家に行ったことがまずなかったのに、と、カイザーが言った。
世一の腰を優しく抱きかかえたままの姿勢で。どこか他人事みたいに、ぼんやりと。
「お前
……
」
ドイツでチームメイトの家とか行かないのかよ。そう言いかけて、なんとなくやめる。だって自認友達ゼロ人の男に、遊びに行くような家なんてあるはずもないし。なんていうか外面だけは綺麗な奴なので、友達はいないが女性関係は世一に想像もつかないほど派手という可能性もちょっと考えなかったわけじゃないけど、真に迫ったような言い方からして、嘘だとは思えない。
「
——
なあ、ここが、お前が生まれた家なのか?」
そんな世一の微妙な思いやりになど露ほども気付いていなさそうな調子で、試合が流れっぱなしのテレビから目を逸らし、カイザーがおもむろに問う。キョロキョロとあたりを見回すカイザーに向かって世一はちいさく頷いた。そうだよ。ここが、潔世一の生まれ育った家だ。物心つくまえから、そして青い監獄に放り込まれるまでの、すべての想い出がこの家にある。
優しい両親、平凡だけど穏やかな暮らし。世一はこの家が大好きだった。父や母が色んな年頃の自分の写真をあちこちに飾っているのだけちょっと恥ずかしかったけど、それもまぁ、あの心優しい人たちが自分を想ってくれているゆえなのだから、こそばゆいけどいいかと思っている。
……
なんてことまで事細かに説明するようなことはしなかったけど、けれど世一の視線の動きから何らか感じるものはあったのだろう、カイザーがテレビ横の棚に置かれた写真立てを目ざとく見つけて、「あれは」と世一に次の問いを掛ける。
「ならあの鼻水垂らして泣いてるガキが小さい頃の世一ということだな?」
それは言うに事欠いて最悪の修飾文をつけるぞと意気込まなければそうはならないだろというぐらいの、ストレートな罵倒だった。
「うるせーな鼻水は垂らしてないから! 泣いてはいるけど!
……
てかカイザーやっと調子戻ってきた?」
「調子?」
「なんか
……
昼間ヘンだったじゃん、いや俺の気のせいかもしれないけど」
「
……
別に。変かどうかで言えば、世一如きの誘いに乗っている時点で恐らく俺は変だし、ネスが今の状況を見たら絶叫するだろう。だが昨日は、何故だか〝そうしたい〟と思った。
……
翻って俺はあの試合からずっと変なのかもしれない。一昨日のフランス戦
……
或いは、お前に初めて敗北した、イングランド戦から」
腰に回していた手をするりと抜きとり、おもむろに、カイザーがソファから立ち上がる。「その理由をずっと探していた。
……
知りたかった」ゆっくりと棚に歩み寄り、カイザーが写真立てを手に取った。泣きべそかいてる三歳の潔世一と、慰めている母。撮影者はたぶん父。それを何故か、カイザーが突っ立ったままじーっと舐めるように見回している。
「おい、なにしてんだよ、流石にちょっと恥ずいんだけど
……
」
「
——
ひとり息子か。愛されているんだな」
世一が写真立てを取り返そうと立ち上がると、カイザーは写真をじっと見たまま、ぽつりと、そんなことを呟いた。
「え? 確かに兄弟はいないけど
……
写真が飾られてるぐらいでどうしたんだよ? なに、お前んちは兄弟いすぎて、あんまし構ってもらえなかったとかそういうやつ?」
その唐突な物言いにきょとんとしてしまい、思わず、そんなことを適当に口走る。世一からしてみれば、軽い出来心みたいな言葉だった。そういえばカイザーの家族構成なんて全然知らなかったなと思って、この性格だとコイツが兄だろうと弟だろうと苦労しそうだなーとか、無責任な空想を弄んでの、本当に何気ない一言だったのだ。
「家族はいない」
だから返ってきたその声音に、世一は誇張ぬきで心臓が縮み上がるような心地がして、え、と、間抜けな声を漏らすしかできなかった。
「
……
母も、父も、何もいない。母親は俺を産んですぐに出て行った。父親はクソの煮凝りみてぇな最低ヤローで俺のことを奴隷程度にしか扱わず、PIFAのエージェントだかにスカウトされたときに絶縁した。俺にあるのは
クソ物
ボール
だけだ」
カイザーの声はあまりに冷え切って、無機質で、感情がないみたいだった。
ピッチ上での憎悪と焦燥、そして渇望に満ちたあの生々しい叫びを知っているからこそ、憎しみも嫉妬も羨望も全部削ぎ落とされて色が抜け落ちたみたいなその声を聴くのは、余計に空恐ろしかった。
「っ、あ
……
ご、ごめん。嫌なこと聞いたよな、
……
本当にごめん」
「別に、ハナから世一にそんなデリカシーは期待してない。言っておくが同情なんぞ真っ平御免だ。俺は俺の人生に不満はない、人生なんてモンは配られた手札で常に勝負し続けるしかなく、俺はその中で最善を尽くしてきたと自負している」
「
…………
」
「だから俺は別に己の出自に何の感情も持っていない。が、それは決して何も感じないという意味ではない
……
」
「
……
カイザー?」
「
……
お前の生まれ育ちは俺とこんなにも違うのかと、
……
ただ、それだけは思った」
カイザーが呟く。ピッチの上では何一つ変わりないように見えたのに、お前は俺とは何もかも違うのか、と。
羨むでも無く。妬むでも無く。ただ、どう足掻こうと変えようのない冷徹な事実を読み上げ、失望するかのように、淡々と。
そしてその背中はとても広く、つめたく、わびしいものであるようにその時世一には思えて。
——
だから。
潔世一は、自分の身体が、ひとりでにソファから起き上がってカイザーに駆け寄っていくのを、
……
止められなかった。
「世一?」
足音に気付いて、写真に注がれていたカイザーの視線がふっと背後に向けられる。世一は無言で両腕を伸ばし、背中からカイザーを抱きしめた。カイザーの方が世一より背が高く体格もいい関係で、ともすると追い縋っているようにも見えかねない構図だったが、背に顔を埋めて胸元を抱きすくめる世一の穏やかな吐息は、見紛う余地もなく、
……
思いやりと愛情に満ちたものに他ならない。
「
……
これはなんのつもりだ? 世一」
同情はご免だと言ったはずだが。状況を理解したカイザーが、吐き捨てるように言って眉間へ皺を寄せる。世一は顔を埋めたまま違うと首を振る。違う。違うんだ。同情なんかでこんなことはしない。そんなことしたって何の慰めにもならないことぐらい、世一だって理解している。
だけどそれでもこうしたかった。両腕いっぱいに抱きしめて、ここにいるよと、訳も分からないまま、大きな声で叫んで、そう伝えてあげたくて、我慢が出来なかった。
「ただしたかったんだ、
……
カイザーだってそう言ってたじゃん、さっきも、昨日も」
「
——
な、」
「理由はわからないけどそうしたかったからしたって、
……
同じ動機でお前はキスしてきたくせに、俺がハグするのはダメなのかよ」
だってカイザー、さみしそうだったから。顔を埋めたままそうダメ押しをすると、「何を馬鹿なことを、」と、戸惑うような声が降ってくる。「やめろ、そんな、
……
愛情のようなものを俺に向けるな」カイザーがいやいやと首を振った。「優しい顔なんてするんじゃない、俺はお前を弄び、傲慢に振る舞い、潰そうとしたヤツなんだぞ」言葉はまるで言い含めるような調子だ。いったい誰にそうしようっていうのだろう。世一か?
……
それとも、カイザー自身にか?
「俺にはクソ物しかないのに、
……
いい加減にしろ」
所詮俺たちは違う世界の住人なのだ、と、カイザーが何かを恐れるようにまた首を振る。
「そんなことない」
その言葉をどうしても受け容れたくなくて、世一は一生懸命に首を振り返した。
「そんなことない、だって今俺たちは同じ場所にいて、同じチームでサッカーしてさ、対等な選手として立ってるじゃんか、
……
何も違うことなんてないだろ」
本心からの言葉だった。今、ここに立って並んで話していること、そして同じフィールドに立ってサッカーをすることに、生まれや育ちなんて関係ない。それは恵まれた出自を持つ世一の無自覚な傲慢でもあったのだけれど、少なくとも世一にとっては嘘偽りのない本心に違いなかった。
「
……
世一」
だからだろうか。その純粋さを感じ取ったのか、カイザーの目が大きく見開かれる。僅かな期待と、そして緊張。世一に抱きすくめられたまま、カイザーがもそりと身をよじる。何かに怯えているように、しかしそれでも期待を捨てきれず、カイザーの指先がゆっくりと伸ばされていく。世一の顔へ、頬へ向かって、
……
宝物に優しく触れるように、
「だから幸せになってほしい。今からでも、楽しい時間をいっぱい過ごして欲しい。そう思っちゃいけないのかよ、
……
友達なのに
・・・・・
」
でも。その指先が、世一の頬を撫でることは、決してなかった。
「
——
ハ、そうか、そうかよ、
……
〝トモダチ〟だからか、お前のその憐憫は」
それまであたりに漂っていた柔らかな空気が、その瞬間、一変する。間近で発された凍り付くような声に世一はびくりと肩を震わせ、慌てて顔を上げた。見上げたカイザーの顔はピッチ上ですら見たことがないような生々しい怒りに染まっている。一体何故。世一は後ずさる。けれどそれを、青薔薇のタトゥーが彫り込まれたカイザーの腕が回り込んで、強引に押し留める。
「結局、お前の本心はソレだ。友達。トモダチだから優しくする。トモダチなら、直飲みしたって気にしないし、バックハグだってできるし、愛情だって注げる
…………
俺だけじゃない、あまねくすべてへ、平等に」
「え、カイ、ザー?」
「もういい。いいから黙ってろ。黙って
…………
クソ憎めよ、俺のことを」
腰を押さえるカイザーの力は馬鹿みたいに強く、片手で抱き留めているとは思えないほどだった。
痛い。けれどあまりの気迫にそれを問うことすら出来ない。一体何を間違えてしまったんだ。世一は掠れ声に喉をひくつかせる。昼間の失敗は世一だってすぐに分かった、人付き合いの距離感はそれぞれで、カイザーはどちらかといえばつるみたくないタイプだろうからさもありなんだ。でも今は。今は何故? 何故、友達に、友達だから心配だと告げたぐらいで、こんなにも激しい炎のような怒りを燃やされなくちゃならない?
ましてやそんな、裏切られたような目をして、
——
まるで恋に破れた道化男みたいに泣きそうな顔で?
「お前のその目を見ていると、気が狂いそうになる
…………
」
恐怖からすっかりと足が竦み、動かなくなってしまった世一を認め、カイザーの左腕がするりと世一の腰から外れた。そして右腕と共に持ち上がり、厳かに、世一の首筋へと寄せられる。指先が皮膚に食い込んだ。健康に日焼けしたありふれて平穏な子供のそこへ、
……
綺麗に切りそろえられた爪が、まるで肉食動物の牙みたいな鋭さで、
……
命を食い千切らんとして押し込まれていく。
「誰にでも振りまけるような情けや憐憫なぞ真っ平ご免だ、
……
愛してるみたいなツラするんじゃねぇよ」
世界が、たわんでぼやける。
息が苦しい。呼吸がままならず、心音が乱れ、意識が薄れていく。それでも突き刺さってくる指の感触と悪意だけは鮮明だ、そう思ったのも束の間で、それすらも、
……
痛みが麻痺してわからなくなっていく。
「本当に愛してなんかくれないくせに
……
!」
そうして遠のいていく世界の隅で、最後に世一は、それっきりの
——
泣き叫ぶような悲鳴を聴いた。
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