mineml
2020-12-07 11:38:02
2082文字
Public
 

お題でSS企画

オリジナル縛り

〈無色〉喪失
「そう、それで……
 そのひとは黙りこむ。
 ミルクティーに角砂糖を溶かしたスプーンは引き上げられて、ティーカップの上に留まったまま、甘味を帯びただろう雫をひとつ滴らす。
 窓の外へ向いたまま戻ってこない視線をたどる。霧雨が音もなく庭木を濡らしている。捉えどころの見つからない風景をしばらくさまよった目は、向かいのそのひとへ戻らざるを得ない。自分の目が飽いてからも、そのひとは長いこと、輪郭をぼかしたような目付きをして、自分にはわからない何かを眺めていた。
 かたり、とスプーンを置く音をひとつの区切りとして、そのひとはこちらへ戻ってくる。
「枯らしてしまって」
 唇を綻ばせる様子に、罪悪感がべったりと込み上げる。その、言葉もなく見つめていたところから戻ってこなくともよかったのだとこのひとは知らない。手元のブラックコーヒーが静かに冷めていく。
 彩色してしまいたいわけでは、けして、なかったのだというのに。


〈淡墨色〉訪れ
 風の煽りにつれて、窓ガラスが粗暴な音を立てていた。
 夕方から雨風が強くなる、と、晴れた空の下でアナウンサーが言っていたのよりもずっと不穏な様子で上がりこんできた嵐を、窓越しに呑気に眺めてみる。いつもよりも数段早く暗くなった空に、分厚い雲が流れていく。
 昼間のうちにコロッケを買っておいたから、今夜を過ごす準備はできている。カーテンを締め切ってしまえば、室内にまで滲んでくる気配なんて、しおれた野菜を刻んでスープに仕立てあげる頭上で換気扇越しにかすかに唸る風音くらいのものだ。
 ピンポン、とドアベルが出し抜けに鳴った。ぎくりとして火を止める。固まって澄ました耳に二度、三度。恐る恐る魚眼レンズを覗いて、そして慌ててドアを開けた。
 暴風雨を背負って、倒れこむように入ってきた彼は、しばらく何も言わなかった。彼の足元にできていく水溜まりに侵食されてしまう前に、自分も何か言わなければならないはずだった。


〈薄荷色〉冬の海
「こんなクソ寒い時期に来る場所じゃねーわ」
 分厚いコートの下で身を縮め、苦言を呈してもそのひとは止まらない。真っ白な息を立ち上らせながら、石に覆われ尽くした地面にしゃがんでいる様子に、自分の口からも真っ白な溜息が漏れた。
 行き先を知りながら、ほいほいと助手席に乗って一緒に来たのも自分だが。首を伸ばさないように見遥かす海は彩度を失っていて、ちらほらと雪まで舞っている。
「てかそんなに興味あんの」
「どうかね、たださあ、もう人口もあれじゃん、今ならあんじゃないかと思って」
 堂々と車を停めた道路に交通の気配はなく、釣りびとのひとりもなく。
「だからってそういう?」
 徐々に遠ざかっていく背中に投げかけると、そのひとは億劫そうに立ち上がって振り向いた。
 そのひとの口元で上下の歯を立てられて、それは唯一の色彩だった。
「ほら」
 言葉とともに取り落とした小さな石を手のひらに受けて、そのひとは笑う。
「ヒスイ」


〈東雲色〉彼らの季節
 その道を選んだのは気まぐれだった。だいたいあちらの方面へ歩けば普段のルートに戻るはず、と、冒険心とするには臆病な指針を心の片隅に置きながら、曲がる道を数本深いものにしたのである。
 いつもの自分から何十メートルも離れていないのに、脳味噌を洗う新鮮な不安を噛み締めながら、庭木の鬱蒼としげる家々の間を抜けていく。ふと、生々しく甘い香りが一筋触れた気がして、さりげなく歩調をゆるめながら視線をめぐらす。菓子の香りではなく、洗剤の香りでもない。
 それがバラの香りであることを、花の姿を見るまで知らなかった。周囲に比べれば慎ましやかな広さの庭に、香りに劣らず甘やかに潤んだような花々が、無心に花弁を綻ばせているのだった。
 ぶん、と蜂の羽音が唸る。通行人の範疇に収まる無関心な表情を保ったまま、歩調を変えずに通り過ぎる。
 甘い蜜の香りの中に、青い水の香りがめぐっていて、生々しさはそれなのだとふと、気づく。


〈群青色〉便りを待つ
 ダイレクトメールやチラシをポストから無造作に引っ張り出した中に、その封筒は混じっていた。
 宛名を確かめるまでもない、手紙を送ってくる相手なんてそのひとくらいのものだ。足早にアパートの階段を上り、帰宅するや否やいそいそと開封する。
 オフィス街での労働に最適化されていた意識が、同封されたその風景を目にして、安堵するようにゆるんだ。
 雪をかぶった岩山。その背後に広がる、平地で見るよりもずっと色濃い、目に痛いほどの青空。
 消印も切手も外国のものだ。海の向こうから時折届く手紙は、息をするのを手伝ってくれる。
 今年は、年末に日本へ戻ってくるらしい。気が変わらなければの話ではあるだろうが。苦笑とともにクッキー缶を開けて、届けられる旅の記録にまた一通を重ねる。
 ーーどうか、彼岸への旅の知らせで締められることのないように。
 ふと上がる怯えの声に、耳を貸さないふりをして、クッキー缶の蓋を閉めた。