mineml
2020-11-14 09:47:35
3622文字
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【SS】庭師現未× 花村さんと伊藤さん

SS

スピカを待ちながら

 同僚であるとか先輩後輩であるとか、そんな肩書をひとつひとつ脱ぎ落としていくような旅路だった。
 乗換を何度か繰り返し、目的地までの最後の路線、終点までの長い道のりに至る頃には、ぽつぽつと交わしていた会話に映されたぎこちない気遣わしさも剥がれ落ちる。隣り合って座ったふたりと、花村の膝に抱えられたひとりは、しばらく前からすっかり黙ったまま電車に揺られていた。
 車窓の山々はまだ立ち枯れたような様相だが、木立を抜けるごとにきらめく木漏れ日には春の兆しの明るさがあるような、よく晴れた日である。
……晴れてよかったな」
 伊藤がぽつりと口に出すと、花村は少しまぶしそうな目をして伊藤へ顔を向けた。
「明日までよく晴れるらしい。……きっと星も綺麗に見えるぞ」
 膝に抱えた大きなリュックを抱く花村の腕に、いっそう切実さが通ったように見えて、はい、と小さく肯定する声がした。
 この道行きを提案したのは花村だった。謹慎となって一ヶ月、参考人として時たま職場に呼び出される他は手持ちぶさたに過ごしていたある日、既に詳細が詰められた一泊二日の旅程表がPDFで送られてきたのだ。
 姉の散骨に、一緒に来てほしいと彼女は言った。
 指先から冷たく痺れていくような感覚を、今でも覚えている。
 花村のリュックに収められた骨壷の中、そのひとの身体に、銃弾を何発も撃ちこんだときから骨にまとわりつく罪悪感。頭は忘れても身体は忘れなかった寒気は、乗換駅で花村が細い身体にリュックを背負い直したときに、あるいは停車駅で開いたドアから湿った土のにおいが流れこんできたときに、つ、とすり寄って囁く。どうしてころした、と。
 電車の暖房は足元ばかりが熱い。かじかんででもいるかのように、伊藤は両手をそっとこすり合わせる。
……しかし、本当によかったのか? その……男性と一泊というのは。親御さんは心配とかしないのか?」
 大きな目がきょとんと丸くなり、やわらかな苦笑いに変わる。そんな表情を見るたびに、どう話せばいいのかわからなくなる。4年を一緒に過ごしてさえ、年下の女性という存在は未知である。
「どうでしょう……最近家には帰っていなくて」
「親御さんにとっては、いくつになっても大事な娘さんだと思うぞ。それにその……彼氏さんとかは? いないのか?」
 無難な話題を続けようとした途端、ガードの固い笑みをにっこりと返されて頭を抱えたくなる。どうすればいいんだ宇佐、ともうひとりの後輩を呼んでみたところで、伊藤さんはそのままでいいと思いますよ、と爽やかに笑う様ばかり目に浮かぶ。
「姉のことばかり想っていましたから、そういうことはあまり。そういう伊藤さんこそどうなんですか?」
「私か?」
 花村の軽やかな調子にそれを思い返してみれば、懐かしい、と呼べるようになっていたことに伊藤はふと気がついた。
 ぽつぽつと間を空けて座っていた乗客はいつの間にか全員が降りてしまい、日の光だけが満ちている中に、自分と花村、そして彼女の姉、花村光がいる。花村がいつも着けているピアスの石が、日差しを一瞬、真正面から捉えたようにも見えた。
……はっきりした女性だったな、私を引っ張り回すのが好きで、華やかで」
 少し固くなった表情に気づかないふりをして、過去形を重ねていく。
「そろそろプロポーズを、と思っていた。……佐上さんの件の後、ちょっと上手くいかなくなってな、それっきりだ。元気にやっているといいんだがな」
 笑って振り返り、ぎょっとする。
「ど……どうした? 何か気分でも……?」
「そういうことじゃなくて……
 リュックの上にすっかりうなだれていた花村はもどかしそうに唸り、そして顔を上げた。その目の強さに思わず気圧される。
「もっと聞かせてください」
「もっと? こんな話をか?」
「どこで出会ったとか、どんなところを好きになったとか、そういう……私、伊藤さんのこともっと知りたいんです、だから」
 緊張を滲ませて真剣な顔をする花村に向かい合った伊藤は、やがて苦さを含ませながらも破顔した。冷たい痺れを血肉に溶けこませるように、両の手を握りこむ。
 どうして、と糾弾されるなら、動かせない答えがある。
 花村はあの場で生きていたから。これからも生きていくから。
……あなたの分まで護ろう、と言っても、許されるだろうか)
 死者からの応えはなく、伊藤は一本道の路線図へ目を移す。
「終点までまだあるからな。話そう、花村」
「ありがとうございます、伊藤さん」
 花村の声がそっと緩む。歩み寄る緊張と、近づけた安堵。この先もきっとその繰り返しなのだろう。4年前の記憶を辿りながら、伊藤は同時に、未来への道行きも感じ取っていた。

 夜半、示し合わせた時間に客室から出て一階へ降りると、静まり返った小さな宿に唯一灯された照明の下、玄関に腰かけていた花村が伊藤を仰ぎ見た。
 ダウンジャケットにトレッキングシューズ、傍らにリュックと懐中電灯。伊藤もそっくりな装備をしている。
「行きましょう」
「そうだな」
 言葉少なに玄関の引き戸を開けると、まだ真冬のような寒さがふたりを取り巻いた。
 白い息を吐きながら車道に沿ってしばらく歩いた先、小さな看板でかろうじてそれとわかる遊歩道が、暗い山の中へ伸びていた。懐中電灯で足元を照らし、その整備の悪い様子に花村は少し怯んだ様子を見せた。
「花村、ゆっくり行こう」
 声をかけると、はい、と芯を通した声が返ってくる。
 重い荷物を背負った彼女に時折手を貸しながら、互いの足下を照らし合い、遊歩道を歩いていく。寒さと暗さと悪路に視線は下がり、一歩一歩を確かめながら歩くうちには言葉もなく、ただ足音とふたつの息遣いだけが夜闇をわずかに震わせるようだった。
 いつしか無心に足を運んでいたふたりは、その足下が開けたことに気がついて顔を上げた。どちらからともなく大きな息が漏れ、花村が懐中電灯を消したのにならって伊藤も灯りを落とした。
 小さな湖が広がっている。密接に空を覆っていた梢が途切れて、その湖の上だけに星空を見せていた。目が慣れるにしたがって星の数は増えていき、目を引く一等から気配に等しい六等まで、冴え冴えとした無数の光をふたりへ投げかけた。
 長いこと星空を眺めていた花村は、やがて湖に突き出た桟橋へと歩を進めた。リュックの口をほどき、一目でそれとわかる陶器の容れ物を優しい手つきで取り出す。ごとり、と蓋を開ける音が耳に残る。
 壺の中をさらった花村の手のひらから湖面へと、彼女の姉の最後の身体がこぼれ落ちていく。粉へと丁寧に還されたのだろうそれはあるかなきかの風に流れ、夜目にも白く、暗い湖面に一筋を描く。
 何度も繰り返すその静謐な儀式を、一歩後ろから見守っていた伊藤に、花村はふと、壺の口を差し出した。少なからず狼狽えて目顔で問おうとする伊藤の前で、ただ静かに佇んで彼を待っている。
 短くない逡巡の末、伊藤は壺の中へ手を差し入れた。手のひらへ少しだけすくった手触りは、子どもの細い髪を指で梳くようだった。
 一度の分を伊藤へ譲り、それから最後のひとすくいまでをすっかり湖に注ぎ終えた花村は、おもむろに頭上を見上げた。降るような星空を瞳に映し、ぽつりと言う。
……星座が」
 静寂を破ったことを悔いるかのように一度途切れて、しかしか細い声は木立に吸われまいとして伊藤の耳に確かに届いている。
「星座が、冬から春へ変わるところなんです」
 その言葉そのものに、春への兆しがあるようだった。湖を囲む木々も、悄然と葉を落としたままでいるわけではない。芽吹きはもう間もないのだ。
 厳しい寒さにさらされながらも木々や花々が春を待ち望むように、3年続いた混迷の冬の間も、自分たちは確かに生きてきたのだった。
「光お姉ちゃん、」
 星の光を吸いこんで、湖面がさざめいたようだった。そうであってほしいと、祈りのように思った。
「もうすぐ、春が来るね」
 花村の語尾がぼろりと崩れる。陶器の壺を抱き締める花村の細い背に、伊藤は躊躇いながら、おずおずと手のひらを添えた。華奢な肩が震えはじめて、やがて少女のような泣き声が耳を濡らした。

 投げ上げた石が水面に落ちるような時間を経てシャッターを切ったカメラの液晶に、星空が切り取られる。
 泣き濡れて眠たげなまぶたをした花村が、隣で不思議そうにそれを覗いている。三脚に据えたカメラの設定を変えながら、伊藤は花村へ目配せをする。
「次はシャッターが切れるまでもっとかかる。……それまで、お姉さんの話を聞かせてくれないか」
 伊藤のことをまじまじと見つめた大きな目が、いくつもの感情を溶かしこんだような複雑な色を浮かべたようで、けれど彼女は確かに微笑んだのだった。