目抜き通りでクリスマスマーケットが開催されているようで、辺り一面イルミネーションの洪水だ。眩しい、と思いながらこっそり目を細める。
「ねえ定之くん。夜なのになんだか昼間みたいだね」
少し下にある顔を見下ろすと、一度だけ頷いていた。
クリスマスとだけあって、くっついている人間たちが多い。いや、人間だけではないだろうけれど。刀神も数名混じっていると見た。
「うー、寒。その辺の店であったかいもの飲もうか」
「うん」
コートを着込んではいるものの、寒いものは寒い。濃藍色のトレンチコートだが、年々古びてきている。今シーズンで引退だろうか、と裾を摘まんだ。
クリスマスマーケットといえばホットワインやホットチョコレートだろうか。周りから肉を焼くいいにおいもしてくる。
「どうする?」
カフェエンプロンをした店員は忙しそうに動き回っていた。定之はメニューを見ながら、「ホットワイン」と答えたので、それをふたつ頼んだ。
「菊司サン、お酒強い?」
運良くあいていた簡易テーブルの椅子に座り、大きめの紙コップに注がれた薄い赤色のワインを見下ろしながら、「どうだろ」と笑った。
「そんなたくさん飲んだことないな。でも自分の限界は分かってるよ。大学のときに……なんていうか、思い知ったっていうか」
「大学」
「ここよりちょっと北のほうの大学だけどね。変わり者が勢揃いだった」
定之は手に持った紙コップをかたむけながら、右目を菊司に向けた。周りの喧噪で聞き逃してしまいそうなので、それとなく背中を曲げて机に肘をつく。
「俺よりもっと変なやつがいっぱいいたよ」
「菊司サンより、変な人」
「うん。てか、このワインちょっと薄くない?」
「……そう?」
よく見るとオレンジが沈んでいる。わずかに口の中に残る果実の香りは、これだったのだろうか。それなら薄く感じても仕方が無い。
赤いワインに沈む橙色は、どんよりと曇った色をしている気がした。きっとワインの色が移ったのだろう。
「こういうとこでお酒飲んだことないからかな……。定之くんはお酒飲むの?」
「あんまり」
ぽつりと呟いて、紙コップにくちびるをつけた。
初々しいその飲み方に、こっそり笑う。
「お酒ってハマったら危ないもんね。肝臓もめちゃくちゃになるし、アルコール依存症。あんなんになりたくないなぁ」
なんだか自分だけまくし立てるように話してるな、と思い当たってしまった。まあ、今更だろうけれど。できるだけ落ち着いた息をもらして、コップに沈んでいるオレンジのスライスを見下ろす。
肘をテーブルにつけたまま、手のひらで顔を支えた。どこかで歓声が聞こえて来る。そして、ヴァイオリンの音色も。有名な曲だ。なんといったっけ、と記憶をさらう。
「あ、G線上のアリア」
「?」
「どっかから聞こえない?」
クリスマスにはあまり似合わない曲だと思う。少なくとも自分は。あまりにも優しすぎる音色だったから。
「……うん」
けれどこれくらいの優しさなら手渡せるかもしれないと、らしくもないことを思う。鞄の中から丁寧にラッピングされた本を取り出した。
「はい。これ、クリスマスプレゼント」
「菊司サンから?」
「うん」
手渡すと、彼はそっとラッピング越しに手のひらで撫でる。あまり表情は変わらないが、きっと喜んでくれているはずだと根拠のない自信だけはあった。
「開けてもいいよ」
「……うん。ありがとう」
白いリボンをほどき、不織布の袋から取り出す。
星の王子さま。過去、年末に彼に貸した同名の本。訳も同じ翻訳家だ。もちろんこれは新品だが。すでに読んだ本をもう一度贈るのもどうかと思ったが、彼に持っていて欲しかったのだ。菊司なりの本心や本質、そして思いそのものを。――ただの、自己満足だろうか。否、それでも。
「星の王子さま」
白いつるりとした表紙を見下ろして、彼が呟く。菊司はここから月を探そうと顔を空へ見上げた。
それに、きみは、いまにかなしくなったら――かなしいことなんかいつまでもつづきゃしないけどね――。
ぼくと知り合いになってよかったとおもうよ。
きみは、どんなときにも、ぼくの友だちなんだから、ぼくといっしょに笑いたくなるよ。
そして、たまには、そう、こんなふうに、へやの窓をあけて、ああ、うれしい、と思うこともあるよ。
「……月がなければ、地球上の生物は存続できなくなるんだってさ」
本から顔を上げた定之の視線をみとめて、菊司も彼を眺める。そして、笑ってみせた。
「月がなくなったら人間も動物も植物も……もちろん、刀神もなくなる。だから地球にとって月は特別なんだ。月にとって地球が特別じゃなくてもね」
「月と、地球」
「約38万キロ。ね、覚えてる?」
「うん」
定之が誕生日プレゼントをくれた日のこと。コンビニの肉まんを食べながら、月を眺めた。
「俺にとっての特別はきみだよ」
月と喩えるには悲しいから、いわない。ただ特別だと言いたかった。伝えておきたかった。いつ、何があってもいいように。
「それに月がなかったら一日たったの8時間になるし、人生なんてあっという間。つまんないもんだから、月があってよかったよ。俺」
「……?」
「月がもともとなかったら、俺たちは存在してなかったかもしれない。もし生命体がいたとしても、多分今の俺と定之くんはいなかった」
「哲学?」
「フフ。そうかもね」
すっかり冷めてしまったホットワインを飲んで、机に再度置いた。底にオレンジが一枚、ぺったりとくっついている。
定之もコップをかたむけて飲んだあと、こん、と机に載せた。よくみるとこの紙コップは雪が降る風景と空の絵が印刷されていた。まるでそそのかされたようで、苦笑する。
「ごはんどっかで食べよっか。お腹空いたし。すんごい長いソーセージとかあったよ。ヴァイスヴルストも。たしか。あと、……肉?」
ソーセージもヴァイスヴルストも広義的には肉だけれど。それにしてもどこに行っても高い。そして店側もどうにか工夫していることをひしひしと感じる。
「あー、でもどこも混んでるか。クリスマスイブだもんね」
時計を見ると19時を過ぎている。ちょうど夕飯時だから、レストランはもとよりファミレスも混雑しているだろう。こういうときの混雑を楽しむのも〝時事ネタ〟だろうか。のちのち、良い思い出になるかもしれない。
つい、と定之の顔が後ろを見る。それに倣うと視線の先に赤い扉が印象的なバルがあった。
「あ、バル。いいね。お酒も食べものも美味しそうなのありそう。行ってみる?」
「うん」
素直に頷いたので、ふと笑って人混みに紛れる。月はとっくに見つけられていたし、地球は変わらずここにある。クリスマスという特別な日ではなくても、変わらずそれらはここにある。けれどそれを当たり前と捉えてしまったら、途端に地球が止まってしまう気がするし、月も消えてしまう気がする。刀遣いという因果な仕事をしているからそんなことを考えてしまうのだと思う。
バルの扉を引くと、大勢のひとの楽しそうな笑い声や食器がこすれる音、軽快な音楽が波のように溢れてきた。
奇跡的に隅の方の席が空いていたのでそこに座る。
「じゃ、おいしいのいっぱい食べよ。せっかくのクリスマスイブだし。すみませーん! とりあえず生中!」
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.