気のせいかとも思った今朝からの違和感は、夕方には確信に変わり就寝前の今現在に至ってる。違和感は他でもない叶についてだ。勢いよく出るシャワーを一身に浴びながら、オレは改めて今日一日の恋人について思い返す。
まずは一日の始まり。起き抜けすぐの叶はいつもどおりで、寝室から物音が立ったのは朝とは言いにくい時間帯だった。廊下を覗けば本当に目が覚めてんのか怪しいまま、ヨタヨタと洗面所へ向かう後ろ姿が見える。ぴょんぴょんと跳ねてる髪の毛も朝の風物詩みたいなもんで、それを見届けてからいつもと同じように食事の仕上げに取り掛かった。そこまで多くない品数のワンプレートをテーブルにセッティングしたところで叶は姿を現す。
「ぉあよ……」
「おー。メシ食えるぞ?」
オレの言葉に叶はダイニングの定位置に腰掛けると手を合わせもごもごと、おそらくはいただきます、と言ってカトラリーを取り上げる。食事を口にしながら叶がだんだんと覚醒していくのが見て分かった。
朝食どころかブランチと呼ぶのも怪しい食事を平らげる頃には叶の瞼の開き具合も通常運転になる。ごちそうさまの言葉と一緒に下げられた皿とカップを受け取り、濡らしたスポンジに洗剤を垂らした。叶一人分の食器なんて食洗機を回すほどでもない。
用は済んだはずなのに叶は立ち去らず、洗い物をするオレのすぐ横でこっちをじっと眺めてくる。
「なんだよ?」
手は動かしながら隣に立つ男の顔にチラリと視線をやる。ある程度距離があるときはそこまでじゃないが、こうも近いと少しだけ顔を上に向ける必要がある。自分も比較的背は高いほうなのにこれなのだから、他の人間にとったら間近でコイツとコミュニケーションを取るのはなかなか不便だろうな、なんて今更なことを思ってしまう。
そんな余所事を考え始めたオレを咎めるためか叶の顔がゆっくり近付いてきた。無言の接近に少し身構えると、そのままキスをされる。額にだ。唇が押し当てられる感覚を黙って受け入れてると、次はこめかみ、頬、そして首筋へと落とされていく。叶のまだふわふわとした髪が肌を掠める。泡まみれの手がシンクから動かせなくてされるがままだし、そうじゃなくても多分されるがままだろう。くすぐったくなるような行為が数回繰り返された後で叶の顔が離れていく。焦点が合うくらいまで距離ができると、叶の口端が少しだけ上がって笑みが浮かんだ。
「それじゃ、着替えてくるな」
そう言い残し叶はさっさとキッチンをあとにした。
「は?」
去っていく叶を見届けた後に、思わず声が出てしまう。残されたオレの肩透かしをくらったような顔はマヌケ面そのものだっただろう。
これが違和感のはじまりだった。
いつもは啄むようなキスを何回か繰り返し、洗い物をしてるオレがそれを片手間で受けてると、集中しろ! とばかりに意識ごと舌を絡めとってくる。口の中を縦横無尽好き勝手にする舌の動きを受け、シンクからとは別の水音が立ってようやく解放される。こっちが少し息を乱したのを確認して、ようやく満足気に笑って身支度を整えに行くのがよくあるパターンだった。それなのに。
まあ、これだけなら、別に毎朝必須のルーティンというほどでもないし、たまたまそういう気分じゃなかっただけだと納得がいった。ただ、一日を振り返るとこんな感じのちょっとした違和感がいくつか続いていく。
叶は食事と朝の身支度を終えると、作業部屋にしている一室へと引きこもっていった。こっちもこっちで仕事があるし、普段そこまで干渉する訳でもないから、こういう時は各々のペースで過ごしてる。同じ家の中に居ても夕方や夜まで顔を見せないことも珍しくない。だから今日のこの状態も別にいつもどおりと言える。
珍しかったのは冷蔵庫の中身だった。仕事が少し落ち着きコーヒーを取りにキッチンへと戻ったタイミングでオレはなんとなく冷蔵庫を開いた。中は今朝から何一つ変わらない。そのことに思わず目を疑ってしまう。たかだか数時間で冷蔵庫の中身が変わらないなんて普通だろと思うかもしれないが、注目すべき点は叶が愛飲しているドリンク缶の減りだった。このくらい時間が経っていると、いつもなら少なくとも三缶は無くなっている。にも関わらず今日に限ってはゼロ。普段からオレが少し控えたらどうだと言っても笑って流す癖にゼロ。今朝の様子を見るに体調が悪いようでもない。賭場でならいざ知らず、普段の生活で体調不良を隠したりするタイプじゃないので、具合が悪ければ全力でアピールしてきてもおかしくない。ここでまたモヤりとする。
そこから更に時間は経ち時刻は三時過ぎ。オレが書斎で仕事をしていると、スマホが控えめに震えた。視線を画面に落とすと叶からのメッセージを知らせている。すぐに確認すると用件は外出してくるというものだった。別に部屋まで来て一言直接声をかければ良いだけの話じゃねーの? オレの仕事の手を止めないようにという気遣いかもしれないが、なんか顔合わせたくなかったんじゃないのか? っていう勘繰りをしてしまう。
返信に夜はこっちに戻るのか、それとも自宅に帰るのかと尋ねれば戻ってはくるらしい。顔を合わせたくないというのはオレの思い過ごしなのだろうかとまた分からなくなる。
夕食は家で食べるらしく、なんにすっかなーと考え始めると、ふと、二人でぶらりと中華街を歩いたときのことを思い出した。あのとき食べたあん入り焼きそばと最後の最後まで迷ってやめた麻婆豆腐。花椒のしっかりきいたやつだった。さっき見た冷蔵庫には豆腐もひき肉もあるので作ろうと思えば作れる。足りないものは雑用係に買い出しに行かせよう。そう決めるとさっさと仕事を済ませたオレはキッチンに引きこもる。ワンタンスープや蒸し鶏なんかも作って、皿に並べてみると悪くないんじゃないか? なんて気分が上がった。花椒の香りが食欲を唆る四川麻婆。飯にかけても美味いはずだ。出来上がった頃に帰ってきた叶をさっさとダイニングに通し、テーブルを挟んで向かい合わせに座る。大皿に入れた料理たちは好きなものを好きな分だけ取れるようにした。
そうしてテーブルに並べた料理の中で、我ながら渾身の出来だと思った麻婆豆腐に叶は手をつけなかった。他のものはそこそこ手をつけてはいたから、完全にオレの空回りだったのかもしれない。
好みや気分もあるから別に作ったもの全部を食べろとは言わない。けど、比較的、アイツはテーブルに並べたもの、特にオレが作ったものは満遍なく手をつけるから、なんか地味に凹んだというかなんというか。叶がリクエストしたわけじゃないから、あーだこーだ思うのは全くのお門違いなんだけど。それでもデザートに用意した既製品のマンゴープリンをいつも以上に食べてたのは自分勝手だと分かりつつもちょっとだけイラついてしまった。完全に言いがかりだと分かっている。でも、いつもはちげーじゃんと思ってしまう。
そんなわけで、決定的になにかがあったとは言えないが、なんとなく、なんとなーくだが今日の叶はいつもと違うように思えてた。気のせいかもしれないが隠し事をされてるように思えて面白くない。
ちなみに、今朝に引き続き叶から口へのキスは今のところ無し。夕食の片付けで叶がキッチンに来た時に、珍しくオレからしようとしたら身体と顔の向きを変えた瞬間にハグをされた。ハグも悪くはないが、これは完全にオレの動きを察して封じるためのものだろう。これで騙されるほどチョロくはねぇよ。一緒にいるのにこんなにキスしないとか、恋人になって初めてじゃないだろうか。
「だあ――っっ!」
頭も身体もキレイさっぱり洗い流し終え、モヤモヤだけが依然として残ってる。こんなものを抱えておくのは性にあわない。気になるものはハッキリさせるべきだと決め、シャワーを止めた。
さっきまでいっしょにテレビを見ていた部屋に戻ると、叶はソファに座りながらスマホを弄っている。よくも飽きもせずそんなに見るものがあるもんだと少し呆れつつ、部屋に足を踏み入れるとオレはそのまま速度を落とさずに叶までの距離を詰める。
あと数歩のところで叶はようやくスマホから顔を上げオレに声をかけた。
「あ、敬一君おかえりー。もう寝る? って、敬一く」
どうやら一目見てオレの様子がおかしいことに気付きはしたらしい。だがそれと同時くらいでオレは叶の胸ぐらを掴むと叶が身構えるより速く、そのままソファの上へと押し倒した。
「ちょっ?!」
いくら察しが良く先回りで人の行動が分かるとしても、反応できるだけの身体能力が伴わなければ防ぎきれない。勢いに任せ体重をかけて組み敷くと、何か言いかけて動く叶の唇を有無を言わさず塞いだ。
正直欲求不満だった。なんで理由もなくやんわりと避けられなきゃいけないんだと。いつもは気付かないくらいの先回りでオレが喜びそうなことをしてくる奴なのに。改めて甘やかされてる事実を認識しつつも、普段通りに構われないことにイラついていた。ワガママかもしれないが、オレをそういう風にした叶だって悪い。
キスをしてるというのに珍しく閉ざされた叶の唇を舌を押し付けて抉じ開ける。捩じ込んで叶の舌を絡めて、歯列をなぞり、内頬を舐った瞬間。
「っっ!?」
叶は自由になっていた手を使い、オレの脇腹の弱い所を指先で刺激した。不意の感覚に思わず怯んだオレは乗り上げていた身体を離す。
「敬一君、酷い……」
叶は右頬を押さえながら恨めしそうにオレを睨みあげていた。
「オメー理由はそれかよっっ!!」
さっき内頬を舌先で擦った時に、いつもとは違う感覚があった。あれは多分、口内炎だ。しかも結構悪化してるやつ。
「敬一君が朝から物欲しそうな目で見てたのは分かってたんだけどさー」
「言い方」
「舌入れても入れられてもぶつかって痛いし」
「なら普通に言やぁいいだろうが。口内炎で口の中痛いからキスできねぇって」
「だって敬一君ここぞとばかりに野菜食えとか生活習慣がとか言ってきそうじゃん」
子供か。どうせ言ったところで改善する気もないくせに。減らないエナドリも麻婆豆腐も刺激物で避けてたと。こんなしょうもない事に今日一日ヤキモキしていたのかと思うと無性に腹立たしくなってくる。オレにもコイツにも。
「っつーか別に舌入れなくてもできんだろキスくらい」
「口にキスして舌入れるなっておあずけ過ぎない? 敬一君だって逆効果だってそれ」
「自分と同じように人がいつでも発情してると思うなよ」
「いつでもは発情してなくても、スイッチは入るだろ」
全てを見透かしたように笑って言われた言葉をたしかに否定はできない。口の痛みはどうやら少しおさまったらしい。叶の上から身体をどかしてソファに座り直す。中途半端に寝そべった状態の叶は座面の三分の二ほどを占めていた。
「で、さ」
「あ?」
「敬一君が入れちゃったオレのスイッチ。もちろん当事者として責任とってくれるんだよな?」
依然として笑みを浮かべたままの叶に手を取られると、流れるような動作で股間へと導かれた。服越しに手を宛てがわされたそこには、明らかに質量を持ち始めた叶のモノが確認できた。なんなら、手の中で徐々に大きさと傾きを持ち始めているような気もする。
「押し倒して無理やり唇奪ってこのままなんてまさか言わないよな?」
楽しくて楽しくて仕方ないのを隠すことなく満面に浮かべる男に顔がひきつる。言い分としては完全に叶が正しい。
「……準備してくっからベッドで待っとけよ」
そんな返答に気を良くしたようで、叶はパッとオレの手を解放するとソファから立ち上がる。見上げるとやっぱりデケェな、なんて思ってる内に叶の口がオレの耳元に寄せられる。
「煽ったんだから、それなりのことしてくれんだろうなぁーって期待して待ってるから」そう囁くと、オマケとばかりにベロリと耳を舐め上げられた。
ビクッ体が跳ね、反射的に耳を押さえたオレを残して、叶はさっさと部屋から居なくなってる。たしかにこっちに責任はあるし、別にオレだって満更じゃないから嫌なわけじゃない。嫌なわけじゃないけども、ふと一つ疑念が過ぎる。
オマエ、まさかこうなること見越して朝からやってたんじゃねーの? と。
完全な言いがかりと言われればそれまでだが、どうにも気のせいとは言いきれないのは相手が叶だからだろう。
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