庭に深い緑の布がはためいている。木と木の間に張ったロープに吊るされて風を受けるそれは、先日ゼルダが帰ってきた際に身に纏っていたものだ。隣には同じような色合いの、けれど随分と古びているトーガがかかっていて、そこだけを切り取ればまるで古代にいるかのようだった。服の向こうに見えるサクラダ式住居だけが、ここが現代なのだと感じさせてくれる。
庭先に持ち込んだ椅子に腰かけ風に当たっていたゼルダが読んでいた本を閉じる。立ち上がり、椅子に本を置くと干してある古代の衣服に近寄って、まじまじと観察し始めた。トーガの端を手に取り、ソニアに譲ってもらった服に触れ、生地の状態や模様を確認していく。
やがて、一度深く頷いた。彼女のほかには誰もいないハテノの家の庭先で、深緑の布が頷き返すように揺れている。
*
ドアの開く音にペンを止め、ゼルダは紙面から顔を上げた。机の正面にある柵越しに玄関へと視線をやれば、日に焼けた麦色の頭が入って来るところだった。
「ああ、リンク。おかえりなさい」
声に反応した彼はゼルダを見上げると、ただいま、と眦をとかした。ペンを置き、階段を降りると入口横の壁に着ていたフードと装備一式をかけるリンクの横に立つ。数ヶ月ぶりに会ったと思えないのは恐らく定期的に手紙が届いていたからだろう。彼の様子は手紙から伺い知れる通り、変わりなさそうだった。
「頼まれていたものは裏の納戸に置いておきました。それと、インパから手紙を預かっています」
「ありがとうございます」
ゼルダが差し出された手紙を受け取ると彼は一礼して階段下に引っ込んでいった。ゼルダの生活指導と護衛を兼ねて同居していた頃彼が寝床にしていたそのスペースは半ば物置と化しているが、そこにあるのはいまだリンクの荷物が大半だ。荷解きをしている気配を感じながら、ゼルダは手紙を開いた。
「ああ……良かった」
文面に目を通したゼルダが安堵の息を吐く。それが聞こえたのだろうリンクが頭だけを階段下から覗かせた。手紙から顔をあげたゼルダと目を合わせると、まだなにか用事がありそうだと見当をつけたらしい。広げた荷物を手早く片付けてゼルダの前に戻ってきた。
「インパにというか、正確にはタウロさんにですが。ひとつお願いをしていたんです。ゾナウとハイラルの文化に関する研究について」
「文化……ですか?」
ゼルダがダイニングテーブルに寄るのを見て彼女の定位置になっている椅子を引く。彼女が腰かけると向かいに腰かけて耳を傾けた。話を聞く体制になったリンクに、手紙をテーブルに置いたゼルダは薄く微笑み唇を開く。
「私が古代で過ごした期間はそう長くはありませんでしたが……それでも実際にこの目で見てきたものがたくさんあります。その記憶が褪せないうちに、私が体験した人々の生活を記録に残そうと思ったんです」
懐かしむようにそう語るゼルダの表情の柔らかさに、リンクもつられて微笑む。
自分の居ない時代で彼女が体験したことは、彼女の中で大切な記憶として今も息づいている。そのことがよくわかるからこそ、彼は静かにゼルダの話に耳を傾けていた。
「最初は個人的な手記として纏めていたのですが、ふと気づいたんです。現代に残る古文書や石碑などの記述と照らし合わせることで、より精度の高い史料を残せるのではないか、と。そこでタウロさんやカカリコ村と共同で色々とやり取りをしていたのですが、その中で古代の文化は元々のハイラル人のものと、ゾナウから伝わったもの、そしてそれらが混ざり合ってできたものに大別されることがわかったのです。私が経験したものがどれに該当するのかまだすべてはわかっていませんが、そうした研究の為には少しでも多くの、多様な史料が必要になります。より多角的な情報を集めることができれば、判別できる可能性が上がりますから」
その話を聞きながら、リンクには思い当たることがいくつもあった。古代に関するものに直接触れたのは何も彼女だけではない。ゴーレムと言葉を交わし、ゾナウの右腕を借りて祠に挑んできた自分も何か力になれるのではないか。そう考えたリンクに、やや前のめりのゼルダが楽しそうに続ける。
「ですから、私がソニア様から頂いた服を調査に出すことにしたんです。タウロさんはあくまで歴史研究が専門なので服飾は専門外ですが、衣服の意匠や形状、材質などからわかることも多いからと、調査を引き受けてくださって。貴方さえ良ければ、あのトーガも是非一緒に……リンク?」
もとより反応の薄いリンクではあるが、あまりに響いていない。その違和感にゼルダはやっと言葉を止めた。首を傾げて見せると、百年前と変わらぬ無表情というにはどこか怒っているような、あるいは呆れているような、それでいて困惑しているような顔をしている。リンク自身にも判別のつかないらしい何か複雑そうなその視線は、かえってそれが彼の素直な感情なのだとゼルダに感じさせた。
こんな素直な彼を見るなんて百年前には思いもしなかった、と感慨深く思いながらゼルダは彼の表情の意味を探ろうと青い瞳を覗き込む。
「なにか不都合でも?」
その言葉にぴくりとリンクの眉が反応する。けれどすぐ気まずそうに視線が泳ぎ、やがて考え込むように黙り込んでしまった。
何がまずかったのだろう、とゼルダは思考を巡らせる。ゼルダが熱意を傾けるものについて話をする時、いつだってリンクはそれを嬉しそうに聞いていたとゼルダは記憶している。それが今回に限っては、どうしてか拗ねたような顔をして――
(拗ねた、ような?)
「あの服が、史料としてすごく貴重なことくらいは、俺にもわかります」
ゼルダがその表情に思い至ると同時に、リンクが口を開いた。考え込んで気持ちの整理が着いたのか、幾分無表情に戻っている。
けれどそれは、到底「従者の顔」などではなかった。
「……でも、やっと会えた俺の大事な人が、自分の服を他の男に喜んで渡そうとしてるって……やっぱり面白くはないよね」
すこし唇を尖らせてそう言う声はいつもと違って小さめだった。口数は多くないけれど彼の声自体はよく通る。それが口の中だけで話すように言うものだから、内容も相まってやけに幼い印象を与えていた。
「ふっ、ふふふ、ふふふふ」
「ちょっと」
思わず笑い声がこぼれたゼルダを窘めるリンク自身、そう感じているのだろう。恥ずかしそうに怒るその顔にゼルダは笑いを止められなくなる。
「ごめんなさい。でも貴方がそんな風に嫉妬するなんて、思わなくて」
「……するよ。俺だって」
いよいよ居心地の悪そうになったその顔に、ゼルダの胸の裡に暖かなものが湧き上がる。自分が大切に想われている事に、そしてそれを表現してくれるリンクに、どこかくすぐったさを感じた。
「そうですね。私の配慮が足りませんでした。ごめんなさい」
重ねて謝るとリンクはようやく安心したように息を吐いた。拗ねてはいたものの、ゼルダが理解してさえいればそれで良かったらしい。
茶でも入れるのか、彼は立ち上がるとテーブルを回ってゼルダの背後にある棚へと向かった。扉を開ける気配がする。食器の当たる音が響いて、そして。
「いいよ。別に反対してるわけじゃないんだ。配送だって引き受けるし。……でも、その代わり」
後ろから伸びた手が、ゼルダの前にポットを置いた。そのなんでもない仕草にどきりとして振り返ると、軽く見上げた先、やけに間近にある青い瞳に薄く熱が灯る。
「後でたくさん、構ってくださいね」
恋人の顔をした彼が囁いた。
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