よつもり
2024-12-22 23:43:24
3473文字
Public 映画・本のはなし
 

映画『忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』感想

土井先生がえっちでした。ネタバレ注意です。

んもう本当に、スゥーッ、ハーッ(深呼吸)という感じなんですが。
さっきスペースで散々話をしたので、ちょっと落ち着きました。

興奮と勢いだけで喋っているスペースはこちら。


☆ ☆ ☆

というわけで、映画感想です。

映画の冒頭、彼岸花と人の服を着せられた藁人形が打ち捨てられる様子が描写されて、赤ん坊の泣き声と人々の怒号が遠くに聞こえていましたが、
この冒頭の描写だけで「あっこの映画はちょっと怖めの映画だ」って分かる様になっていますね。
彼岸花が暗示しているのは人の命であるでしょうし、藁人形は死体を表しているのでしょう。
子供が観た時に、ギリギリ怖くないラインを狙いながらも、この物語の結論に必要なシリアスさはしっかりと伝わるように描かれているのが、すごく上手だなと思いました。

あらすじは、土井先生が用事で学園から出かけて、その後戻らない。
タソガレドキの雑渡昆奈門と、その部下の諸泉尊奈門が学園にやって来て、諸泉尊奈門との決闘のあと崖から落ちて姿を消したという。
学園は上級生を手配して捜索にあたり、やがて、ドクタケ忍者隊が土井先生の行方の鍵を握っているのではないかということを突き止める。
ドクタケの関所(だったと思う)に潜入したところ、上級生の行く手を阻んだのは、天鬼と呼ばれる男で、彼は記憶を失っているものの、土井先生その人だった。
天鬼のその容赦のなさと強さに圧倒され、上級生はからがら撤退する。
忍術学園は、土井先生奪還のため、策を練る。

一方、担任の土井先生の行方を心配する一年は組は、先に事情を知ったきり丸から土井先生の行方を聞き、
みんなで連れ戻しに行こうと学園を出る。
ドクタケの拠点に侵入することに成功するものの、は組は捉えられてしまう。
上級生らは、は組が捉えられたことを知り救出に向かう。

乱太郎、きり丸、しんべヱは、自分たちの力で牢を脱し、
土井先生の居場所に近付いていく。
ところが稗田八方斎に捉えられ、記憶が戻らない天鬼/土井先生のもとに連れて行かれる。
稗田八方斎は、天鬼に子どもたちを殺させることで、忍術学園という土井半助の帰る場所を失わせようとする。
しかし、乱太郎、きり丸、しんべヱの呼びかけにより、土井先生は記憶を取り戻す。

上級生たち、そして上級生たちに救出されたは組も合流する。
土井先生は記憶を失っていた間に就いていた立場を精算し、
みんなで忍術学園に帰る。

☆ ☆ ☆

アニメ『忍たま乱太郎』は子供向けの作品ですし、
その原作の『落第忍者乱太郎』も子供向けの作品ですが、
作者の尼子騒兵衛先生が想定しているリアリティは、もしかするともっとハードなものかもしれません。
子供向けにデフォルメされた世界、その実際は、多くの人が戦によって死に、飢え、路上で暮らしている。

きり丸、という男の子は、戦によって天涯孤独の身になり、
自分でお金を稼いで学費を工面し、忍術学園に入学してきます。
忍術学園に入ることはできても、身寄りがいない。
学園が閉鎖される長期休暇中は行く場所がない。
そんなきり丸を土井先生は、自分の長屋に招き入れます。
土井先生もきり丸と同じような境遇だったために、きり丸を放っておけないのだと。
そうして二人には、家族の絆が生まれる。

という背景がある中で、この映画では土井先生が行方不明となり、
捜索の甲斐なく行方は知れないままで、やがて土井先生はもう死んでいるのではないか。
というような雰囲気も漂ってくる。

生きていてほしい。けれどももう死んでいるかもしれない。
という曖昧な状況を耐えるきり丸の、あまり物言わぬ演技とその画面の演出が秀逸で、
きり丸という男の子の不安が痛いほどに伝わってきます。
長屋の部屋に、本来いるはずの人がいない。
当たり前にいるはずの人の姿が見えない。
もう失われているのかもしれない。
という不安。おそろしさ。

これらのきり丸の不安は、この時代のハードさをある程度描写していないと確かなものとして伝わらない。
子供向けファンタジーとして、ハードさを覆い隠してしまうと、
きり丸がどれだけ怖く寂しい思いをしてきた子どもだったのか、とか。
そんなきり丸に共感を寄せた土井先生の人生と苦労はどのようなものだったのか、とか。
この二人がどれだけお互いを大切に思っているか。
きり丸がどれだけ土井先生を取り戻したいと思っているか。
土井先生が記憶を取り戻した時にどれだけ安心があったか。
ということが演出できない。

けれども、あまりに生々しくこの時代のハードさを描いてしまうと、
それはそれで、このアニメーションが本来想定している年齢の子供の鑑賞に支障が出る。

という辺りで、ギリギリのバランスを狙ったところを、
上手にバランスを取りきったというような印象がありました。本当にお上手。

☆ ☆ ☆

土井半助という人は、底抜けに優しくて、共感力がある人なんだろうなということを思います。
そしてこの人は根っから先生というわけではなくて、あくまで、山田先生から紹介されてこの職に就いたという、
なにかそういう流れに身を任せただけというところが、あるのだろうなと。
だから、記憶を失った時に、ドクタケの下っ端に質問をされて、
「私はお前の先生ではない」というような言葉で、質問を切り捨てた。
根っから教えることが好きな気質であれば、ここで親切に教えてあげることもあっただろうと思われます。

土井先生は子供への共感がある人で、情もある。
苦労して生き延びてきたという自分の人生経験と照らし合わせて、
自分が受け持つ子供たちは、なんとか生き延びて欲しいと思っているのではないかと。
忍術学園で行われている教育は、多分、人を殺すとか情報を得たり工作したりという以前に、
一人ひとりの子供たちが生き延びる術というものであるのではないかと。

根っから先生のように見える、土井先生の教育は、
彼が情を抱いた子供たちのその後の人生の祈りのようなもので、
だから、子供たちの覚えが悪いと、胃が痛む。
生き延びるすべを身に着けてほしいのに、なかなかうまくいかない。
子供たちの将来が心配。胃がキリキリ。
ということなんじゃないかなあ。

通称「つどい設定」と呼ばれる設定によれば、
土井先生はその後、忍術学園の教師をやめて、孤児院を開く。
ということらしいですが、
それもさもありなんという納得があります。

忍術学園に入学できるような子供たちはこの時代、まだ幸運な方で、上澄みで、
世の中にはそういった網目に引っかかることができないまま飢えて死んでいく子供がいる。
土井先生はそんな子供たちのことを見捨てることができないんだろうなあと。
だって自分がそういう子供だったから。ギリギリ生き延びることができただけで、実は紙一重だった。
というわけで、忍術学園というシステムに辿り着くことができた子供は学園に任せるとして、
土井半助という男は、そういうシステムから零れ落ちていく命に手を差し伸べるということをし始めるのだろうなと思うと。

この男の情の深さと優しさを深く感じるとともに、どこかままならない感じもしますね。

☆ ☆ ☆

一国の軍師を任されるほど頭が良く、武芸にも忍術にも長けていて、
顔立ちも良く、物腰は穏やか。
そんな男が、長年抱えてきた孤独に折り合いがつかずに、
人生がどんどん、その折り合いのために消化されていくような、そんな雰囲気を感じます。

不幸な子供にかつての自分の姿を見出して、自分がその子供たちの救いになろうというような様子は、
どこか浮世離れしているようにも思う。

というような、あまりにも優しすぎ、情が深すぎるがゆえの、
浮世を見ては悲しみを感じるようなところが土井半助にはあるような気配がしており。

もうね、なんといいますか。可愛そう。

☆ ☆ ☆

頭が良くても、武芸に秀でていても、
彼の憂いは晴れることはないのだろうなと。

優しく情に厚いがゆえに、胃の痛みを抱え続けるのだろうなと。

なにかそういう、深い情と生きる悲しみを抱えた土井半助という男はですね。
ほんとうに色気のある男だなあと。思ったわけです。

これが、この映画を観て私が思ったことです。
土井先生がえっちでした。