有栖川
2024-12-22 19:38:11
14047文字
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皇帝は恋を知らない①

自分の感情がよくわからないkisと、友達になろうと思ったらそれ以上の感情に気付いてしまった41が、
事故ったりすれ違ったりしながら恋心を自覚してつきあうまでの話。
🇫🇷戦後捏造if


 恋なんて馬鹿馬鹿しい。
 それがミヒャエル・カイザーの持論だ。
 そのはずだった。


「ああ——

 フランス戦終幕を告げるホイッスルが高らかに鳴り響く。結果はドイツの勝利。カイザーは浅く胸を喘がせながらぼんやりと天井を見上げた。この瞬間をもって、新英雄大戦ネオ・エゴイストリーグの全試合が終了したのだ。

「俺たちの勝ちだ!」

 遠くで、潔世一が仲間達と抱き合ってはしゃいでいる。ピッチ上では史上最悪のエゴイストであるあの男は、試合が終わった途端、どこにでもいる普通の子供みたいなツラになって、無邪気にはしゃぎまわっていた。ふいっと視線を逸らす。足取りを速めてフィールドを後にする。一刻も早く喧騒から離れたかった。ミヒャエル・カイザーはひとりになりたかったのだ。

 生まれ変わったような試合だった。
 サナギの殻を破り、蝶に羽化したような心地がした。
 みっともないプライドという名のクソ重たい鎧で知らず身動きがとれなくなっていた自分を棄て去った。勝利のためだ。カイザーに不自由を与えるあのエゴイストに勝つため。負けたくなかった。こんなにもハッキリとその感情を自覚したのは久方ぶりのことだった。ノアにだって、こんなに熱烈で強烈な悪意を抱いたことはない。そしてそれが何故かを考える必要は無い。分かりきっていることだからだ。

 潔世一はカイザーにとってはじめての〝対等〟な存在だった。
 はじめは下に見ていたけれど、ヤツはあっという間に駆け上がってきて、そこに立ち塞がった。もはやあの男は上でも下でもない。同じ場所に立っている、悪意エゴ原点に並び立つ、唯一無二だ。

「認めざるを得ないだろうな……

 誰もいない空き部屋で長考に耽り、その末に口から零れ出たのはそんな台詞。そうだ。認めざるを得ない。潔世一はミヒャエル・カイザーにとって特別な存在だ。好敵手ライバルだという冠をつけてやってもいい。つまらないプライドを放り投げ、剥き出しの自分になった今、その生意気な呼び名は不思議とくすぐったく、心地が良いような気がした。ライバル。いいじゃないか。おあつらえ向きだ。これから先きっと、あいつとは、何度も潰し合うことになる。これから出る入札結果次第で世一がどういった進路を選ぶかは大きく変わってくるだろうが——ヤツが何のユニフォームを着ることになったとしても、そのことに変わりは無い。
 サムライブルーのユニフォームで対面に立つとしても、どこかしらのプロチームのユニフォームに袖を通して向かい合ったとしても、或いはバスタード・ミュンヘンの赤を纏って隣に立っていたとしても、その決定には些かの狂いもないはずだ。

(ま、俺もこのままバスタードを選ぶとは限らねぇわけだが。どうしたもんかね……

 とはいえその答えを決めるまでに、まだ数日ある。カイザーはかぶりを振り、いい加減汗を流そうと考えてロッカールームへ足を向けた。シャワーを浴びるために必要な道具一式を取りにいこうと思ったのだ。その途中で、向こうからやってくる騒がしい一団が目に入る。ガヤガヤと話し込むそいつら——ドイツ棟監獄組の連中は、カイザーが考え込んでいるあいだにシャワーと身支度を終えたようで、備え付けの石鹸の匂いが幽かにあたりを漂っている。

「あ、カイザー」

 その真ん中から、不意に、カイザーを呼び止める声がした。 

「ナイスゲーム! 今回の試合はマジで熱かった! 次勝負したときも絶対負けねーから、顔洗って待ってろよ!!」

 間違えるはずもない、潔世一である。試合中の熱をまだ引き摺っているのか、ピッチの外だというのにやや興奮した面持ちのそいつから、ふわり、と、石鹸だけではない何かの匂いがした。カイザーは目を細めて鼻柱を擦った。匂いは消えない。その妙な仕草を見て、世一が童顔めいた顔をこてんと傾げる。

「あ〜、なんだよその顔。せっかくいい試合したんだからこんな時まで嫌味はナシにしようぜ? まっ、負けたのを悔しがるのはわからないでもないけど……
「潔、流れで煽ってる。墓穴、墓穴」
……確かに。くっ、黒名に免じて今のは取り消し。だから、その、えぇっとだな〜……

 人に嫌味はやめろと言ったそばから嫌味を言いやがった男は、黒名にブーメランを突っ込まれるとピャッと双葉を立て、羞恥心を隠すように頬を赤らめてわざとらしい咳払いをした。それから意を決したように頭を上げ、カイザーの顔を覗き込むと、ニコッ、と屈託のない笑みを浮かべて右拳を突き上げてくる。

「新英雄大戦は終わりだけど……俺たちのサッカーまでこれで終わりなんて勿体ねー。またヤろうぜ、カイザー!」

 共闘契約は、1ゴール限りの限定だけどな。そう言って微笑み拳を突き出してきた世一の姿に、瞬間、カイザーは名状し難い衝動のようなものを覚えて僅かに息を呑んだ。

 それは波濤のように荒々しく、一方でさざ波のようにひっそりとした願いだった。
 或いは獅子のように猛々しく、それでいて猫のようにしなやかな、欲望だった。
 真夏の太陽の如く熱く、極北のオーロラのように涼しげな情動だった。
 名前はわからないけれど、胸が重くなって、無視出来なかった。

——、」

 無意識に、手が伸びる。拳を突き上げた体勢で立ち止まっている世一が、拳を打ち返してもらえるのかと思ってニコニコ頬を綻ばせるのがわかる。クソ意味わからん。さっきまであんな、全部喰らい尽くしてやるみたいなツラしてたくせに。カイザーの頭の中を理不尽な罵り言葉が走り回った。憎しみさえ感じて何度もバラバラにしてやろうと悪意をぶつけたはずの男が、それに一切屈せず絶望の代わりに未来を呈示してきたイカれ野郎が、今また、宿敵のはずのカイザーに甘っちょろい夢を投げ掛けてきている。
 今までのカイザーならそれに反吐が出ていただろう。そのはずだ。

 なのに。
 でも、その時なぜか、カイザーはその甘ったれた双眸を悪くないなと思ってしまった。

……知るか。今日はもう疲れた……クソ寝る」

 中途半端に持ち上げていた手をふっと降ろす。世一ががっかりしたように「え〜?」とか声を上げたが無視した。踵を返すと、背中に、「なんだよつれねーな」とかふくれたガキみたいな声が当たって落っこちる。その感覚をこそばゆいと思いながら、カイザーは世一に応えること無く引っ込んだ己の手のひらをじっと眺め見た。
 今さっき自分は、どうしてこの手を伸ばしてしまったのだろう。
 世一の拳骨に応えるつもりじゃなかったことだけは確かだが。


 ——ならばいったい、なんのために?



◇ ◇ ◇



 新英雄大戦は終わったが、しかし、かといってすぐに帰国するというわけでもない。既に百日を切っているUー20戦へ向け母国に戻って調整する必要はあるが、青い監獄での過酷な日々を労う目的とやらで、帰りの飛行機までにしばらくの休養期間が設けられていた。このまま青い監獄に滞在して余暇を過ごしてもいいし、外に出てもいい。その状況は海外組も日本組も変わらないらしく、大抵の連中は、さっさと外へ遊びに繰り出してしまった。

「お前は行かないでいいのか」

 休暇初日の昼間、少々遅く起きて(起こしに来るネスがいなかったためだ)自主練のためにトレーニングルームへ向かっていると、私服のノアとすれ違った。カイザーは挨拶もせず舌打ちをするが、ノアはさして気にしたふうもなく——いや、一瞬だけ眉が動いていたので、「カイザー自身のために注意ぐらいはしてやるかどうか」を天秤にかけてから知ったこっちゃないと思い直したようだ——相変わらずの仏頂面で鼻を鳴らすとポンと肩に手を置いてくる。

「多少は休息を取った方がいい、と言っても聞く性格ではなかったな。では代わりにこれだけ伝えておこう」
……もうクソ指導者マスターの時間は終わりだぜ、教師ぶるなよ指導者失格」
「クラブ経営陣は、どうも今回の遠征を経て俺の指導力を買ってくれたようでな。お前にとっては残念だろうが、今後そういった役回りが増えそうだ。俺自身、まだまだ強くなりたい——ともかくだな、向こうのトレーニングルームに潔世一がいる。どうせ残るのなら一緒にやったらどうだ」

 カイザーの嫌味をのらりくらりとかわして一瞥すると、ノアはそう言い放ち、スタスタとどこぞへ歩いて行ってしまう。
 まるで「せっかく協調を覚えたんだから多少は協力しあって親睦を深めろ」とでも言いたげな声だけを残して、あっさりと。

…………

 残されたカイザーはぽつねんと廊下に立って手持ちぶさたに手のひらを見つめた。世一。世一か。カイザーが言えた義理ではまったくないが……あのエゴイスト、なんで外に行ってないんだ?



 わざわざ同じトレーニングルームを選ぶ必要なんてないと頭では分かっていたが、ふたたび歩きはじめたカイザーの足は、上手に思考を言語化するより前に教えられた部屋へ向かっていた。無遠慮にドアを開けると、ブルーロックマンを相手に球蹴りをしている子供の姿が目に入る。本人がチャームポイントだと信じているらしい(と以前ロッカールームで意図せず盗み聞きしてしまった)双葉がぴょこぴょこと揺れて滑稽だ。流石に間の抜けたキックやドリブルをするようなことはないが、ひとりで練習しているときのコイツは何故か試合本番のプレッシャーの十分の一も出ていないんじゃないかという気がする。

「おい」

 ドアを開けた時と同じように無遠慮に声を掛ける。だが、世一は気付く素振りがなかった。無視……ではないような気がする。ドアを開けても声を掛けても気付かないぐらい、練習に没頭しているのだろうか。
 だったら、気付かせるためには、割り込むしかあるまい。
 トッと軽く床を蹴ると、カイザーは軽やかに飛び上がってブルーロックマンと世一の間からボールを奪い取った。

「えっなんで、……あっ、カイザーおっまえ!」

 ボールを奪われてやっと乱入に気付いたらしい世一が、キャンと吠えて走ってくる。その様にふとほくそ笑んだ。奪り返そうとは健気なことだ。一生懸命ボールを追いかける様は、試合中より威圧がないせいか、ワンワン吠える子犬のように見えて愛嬌があると思えなくもなかった。カイザーは舌なめずりをするとボールを高く上げる。

「随分熱心じゃないか世一ぃ、外行かなくていーのかよ」

 迫ってくる世一をちょこまかとかわしながらボールをキープして走ると、世一は足は緩めることなくギャンと叫んだ。

「今日はそういう気分じゃなかったの! 実家もそんな急いで帰ることないしさ……っておいコラ止まれ!」
「そんな頼まれ方で止まるワケないだろ。お願い聞いてほしけりゃもうちょっとは頭使えクソ世一」
「うるせ〜〜〜! 勝手に入ってきたくせにお前ホントなんなの!?」

 世一がぎゃあぎゃあ喚く姿は見ていて非常に愉快で染み入る。勝負の行方を天運に任せた結果、昨日の勝負は世一の勝ちで終わったが……こういう細かいテクニック勝負ではまだまだカイザーの方に分があるのだ。
 年の功ってやつだな。ソレか単に経験の差。妙に胸がすくというか、うきうきした気分になってきて、カイザーは鼻歌まじりにボールを弄んだ。やはり世一からは奪うに限る。不自由を与えてくれるこの男に不自由をのしつけて返している瞬間は驚くほど胸が躍り気持ちがいい。

「こっ、のっ、〜〜〜〜〜やられっぱなしで終わるかよ!」
「は? 何世一の分際で俺からぶんどってんだよクソありえねぇ。跪け、すぐ、今ここで」
「絶対嫌だね、誰がお前なんかに…………あ〜クソ言ってるそばからもってきやがったな! お前キレると足癖悪くなるトコどうにかなんねーのかよ!?」
「直す必要ないだろ、俺がキレるのはフィールドの上でだけだ」

 それ絶対嘘だろ! 何度かのボールの奪い合いを経て、世一がひときわ大きな憤りの声を上げる。しかしそれは試合中にたまにヤツから感じるような生々しい怒りではなく、子猫がじゃれ合うような、ともすると親しみをすら感じるものだ。
 良かった。ふとそう思う。この突発的なミニゲームを、どうやら世一も楽しんでいるらしい。

……ん?)

 そこまで思考して、カイザーはふと固まる。
 世一「も?」
 なら、こうしている瞬間を、カイザーは今……

「バーカ、隙だらけだっての!」

 カイザーがフリーズしたのは、ほんのコンマ数秒ほどのこと。だがその隙を見逃す世一では無く、まばたきをした直後には、すかさず足を伸ばしてきてボールを奪い、そのまま空中で体を捻ってゴールを狙う体勢になる。足癖悪いのはお前もだろうが、と言いたくなる口をぐっと押さえて悪口の分のエネルギーを脚へ回し、ドンと力強く地面を蹴った。世一が振りかぶった足がボールに当たる。ジャストミート、いやその一歩手前か、なら間に合う、走れ、走れ、飛べ、伸ばせ、それから、

「へっ、クソ無様」

 ——シュートボールを奪って地面に叩き付けて、思いっきり煽るつもりで右腕を上げれば、勝負あり、だ。

「だ〜、もうっ、ムカつく〜!」

 シュートするつもりで撃った球が止められて気を削がれたらしく、世一が動きを止め、胸を喘がせながら床に座り込む。「でも丁度いいや、喉渇いたし、キリねぇし」部屋の片隅までズリズリと這っていくと、世一は置き去りにされていたペットボトルを手に取り、ガブガブと飲み干し始めた。そして半分ほどを飲みきると、そこであっ、と何か気がついたように瞬きをして、ちょいちょいとカイザーに手招きをする。

「水。お前も飲む?」

 さっきまで自分が口をつけていたボトルを当たり前のように差し出してくる世一の目は恐ろしいぐらい綺麗で、ケージの中を駆け回るハムスターみたいに澄み渡っていた。

「クソ要らん、直飲みじゃねーかアホ世一」

 カイザーはその時何故かものすごくその事実が気に掛かって、露骨に拒否るように顔を顰めると、とてとて寄っていって、伸ばされたままだった世一の手をやんわりと押しのけるとその横に腰を降ろした。



 世一が監獄に残って自主練している理由は、「昨日の感覚を忘れないうちに振り返って磨いておきたい」とかそんな感じらしかった。昨日。フランス戦。ゴールの数で競おうと言って始まったその試合で、世一は進化を続け、カイザーは生まれ変わり、最後には糸師凜という怪獣を止めるために悪魔の契約まで結んだ。神に万物を与えられた天才を前にしたふたりは、互いが不平等な神を憎む秀才同士であることを否応が無く思い知らされ、それゆえ、秀才が天才とどう渡り合っていくべきなのか、そのひとつの答えに辿り着いた。
 あの瞬間の熱狂を、そして冷徹さを、喪われないうちに反復してその身に焼き付けておきたい。ハッキリ告げられた言葉——決意には、分かる部分がある。ミヒャエル・カイザーと潔世一は生まれも育ちも境遇も何もかも違う。だというのにどうしようもなく同類だから、なんでだか(サッカーに限れば)考えてることが大体わかるし、理解出来るし、共感出来る。

「お前は?」

 それをなんとなくわかっているからだろう、世一が、そんなに不思議でもなさそうな感じでそう訊ねてくる。「お前はなんでどこも行かないの?」カイザーは少しだけ考えてからふんと鼻を鳴らした。「……クソ不本意なことにお前と一緒だ」理由は他にもあるような気もしたが、寝坊したからとか言うのもムカつくので適当にそれだけ告げると、世一は「だよなー」と目を細めて笑った。タヌキみたいなツラだと思った。

「でもさ、カイザーはせっかく外国から来てるんだし、観光行っても良かったんじゃねーの? 日本はあんま興味ない?」

 まぁお前現地の女の子漁りたいとかそういうんでもなさそうだしな、ゲスナーは即行ったけど。適当こきながら世一がああでもないこうでもないと雑談を続けていく。でも、日本も、結構面白いトコはあると思うぜ。渋谷のスクランブル交差点とか外国人観光客に大人気らしー、ヒトいっぱいいてなんか面白いもんな。逆に東京タワーとかは肩透かしかも、もっと近ければ京都なんか絶対楽しいと思うんだけど、でも今は観光ままならないぐらいヒト来てるんだっけ?

「世一くんは自分の国が好きねぇ」

 ぺらぺらと話し続ける世一の声がこそばゆくて、手のひらを弄びながら軽口を渡す。いつだか投げ掛けたコトのあるフレーズにわざとなぞらえれば、それに気がついたらしい世一がちょっとだけムッとした顔をして、「アシストよりはそりゃ断然好きだよ」と唇を尖らせた。なんだよ。100%ひゃく殺すじゃないのか。そう考えた後、いや、いくら何でもこの流れでいきなり殺意剥き出してくるのは試合中でもないしないか……と思い直し、首を振る。

「つーかそんな詳しいならお前が案内してくれよ世一、それならちょっとは日本観光してやってもいいかも」

 そうして、半ば話を逸らそうとして開いた口から出てきたのは、そんな言葉だった。
 口にしたあとになって、あれ? と、思う。いや、半分ぐらいは、本心だ。まったく興味がないわけではないが、土地勘もない知らない土地をひとりでうろつけるほど元気はない。ガイドがいるならついていってやってもいいぐらいの好奇心。それがカイザーの日本観光へのモチベーションだ。
 けど同時に、なんでコイツにこんなことを? という疑問も浮かび上がってくる。ガイドを頼むにしても、潔世一という選択肢だけはない。カイザーと世一はこれまでいがみ合ってきた。ピッチの上では潰し合うことばかり考えて、その外ではたまに煽り合う以外ろくなコミュニケーションをしてこなかった。こうして今話しているのだって、もしネスがここにいたら「異常事態」と叫ぶような光景に違いない。いないが。
 ともかく、この部屋に来たのは、ギリギリ、潰すためだと言えなくもないけれど——一緒に東京観光になど出掛けてしまったら、それはもう、

「ん? いいよ、明日は元々東京行こうと思ってたし。お前が暇なら行こーぜ、カイザー」

 ……宿敵ライバルというより、ただの仲良しトモダチじゃないか?

(いやいや、いやいやいやいや……

 あっけらかんと笑って差し出された手を前に、カイザーはふたたびフリーズしてしまった。
 ない、ミヒャエル・カイザーと潔世一が友達とか絶対ない。ていうかたぶん世一の方から願い下げに決まっている。なのにそう自分に言い聞かせた次の瞬間、昨日突き出されて応えられなかった拳のことを思い出してしまう。その瞬間カイザーの内に湧き上がった得体の知れない情動のことも。
 あの熱いのか寒いのかよくわからない感覚。荒れ狂っているようで静かに凪いでいる妙ちきりんな衝動。サッカー以外の全てが理解不能な狂人を前に、カイザーはまばたきをして左胸を手で押さえる。無意識での行動だった。練習着の下で左胸がトクトクと脈打っている。

「なんだよ、予定あんの?」

 躊躇う素振りを見せるカイザーに、世一は、押すでも引くでもなく、ただそれだけ訊ねてきた。
 予定なんかない。この国には世一を潰して遊んで余所のクラブからのオファーをもぎ取ることだけを考えて来たから。行きたい場所もないし一緒に過ごしたいやつもいない、だから休暇の一日目から世一なんかと並んでお喋りをしているのだ、それだけのはずなのに、なんで今自分は、こんな甘ちゃんの擬人化みたいな男の前で心臓を押さえているんだ。

……予定は、ない、が」

 しどろもどろに口を動かす。舌がもつれてうまく動かない。罵倒の言葉なら詰まることなんてないのに、もしくはサッカーの戦術に関する討議ならいくらでもスラスラと述べることが出来る、なのにコイツのこの、殺意の篭もっていないまるい目を見ていると、途端にどうしていいのかわからなくなって、自分がうまく制御出来なくなる。

「ないけど、なに?」
……そーゆー馴れ合いは、よくわからん。友達みたいで、虫唾が走る」

 思わず本音を転がすと世一が目を細めてアハハと笑った。

「カイザー友達いないだろ」
「いねぇけどなんだよ」
「そんな口ばっかきいてるからだよ、友達できないの」
「別にクソ要らねえし」
「そうかなぁ? 友達、いた方がさ、きっと楽しいよ。袖振り合うも多生の縁って言うし、なんなら俺となる? 友達」
「は?」

 そしてついさっきカイザーが脳内で否定したばかりのはずの概念を、平然と、押しつけてきた。世一の方から。
 嘘だろ潔世一、カイザーと友達なんて願い下げじゃなかったのかよ。カイザーは動揺し、空想上の潔世一に話し掛ける。空想上の世一は嗤う。「そりゃ絶対ないって、クソ薔薇皇帝だけは有り得ないもん性格極悪で」。だけど現実の世一に目を向けると、やっぱり、手を差し出したままこっちを見て「なんない? な?」なんて追い討ちを掛けてきてやがる……

「おい待て……そもそもソデナントカってどういう意味だよ……

 混乱したまま比較的どうでもいいことを訊くと、「全然ゆかりの無い他人でもすれ違うだけの縁はあるみたいな? 俺とお前みたいな」と雑な返事が戻ってきた。たぶん微妙に意味が違うんだろうなと勝手に決めつける。あとで調べ直そう。そう決めて、それから、首を捻る。

 ——世一と友達になるとか、言われるまで、考えてみたことすらなかった。

 だって出会いから今に至るまで、ふたりの間には友好な関係を築けそうなタイミングというものが一切存在しなかった。口を開けばいがみ合い、顔を合わせれば罵り合っていた。でも。
 でもそれは、新英雄大戦という、特別に蹴落とし合う空間がそこにあったから、なのかもしれない。もしかしたら。少なくともカイザーはともかく世一はそうだったのではないだろうか。だってその証拠と言わんばかりに、世一は今まで見た中で一番清々しくて悪くない顔をしている……
 であればそれを取り払ってみれば、まあ友達というのも、なくはないのだろうか?

……。まぁ、ものは試しというしな…………

 コッソリと視線を投げかけ、ニコニコ笑う世一の顔を覗き見る。そこにはさりげない優しさだけがあった。もしも「カイザーと友達になれるかもという期待」が一ミリでも映り込んでいれば速攻で裏切って絶望顔に変えてやるぞと思えたのに、特にそういうこともなく、思いやりだけぶら下がっているのが実にタチが悪い。こうなるともう、カイザーとしても、素直に自分の感情でものごとを決めるしかない。
 ——考えてみろ。今までなかったもの、知らなかったものを、世一に与えられるというのは、そこまで悪くない。敗北も、憎悪も、なりふり構わず自分を更新するために全てを捧げる0の境地も、すべて世一から与えられた。コイツから与えられ、そして奪い取ったもので、カイザーは確実に成長した。そういった糧の中に、『友達』がひとつ増える。それだけ。大したことじゃない。
 顎を押さえて唸る。ないでもないロジックだ。でも、まだだ。まだ決定打が足りていない、だから、踏ん切りが付かない。……そうだと思う、たぶん。

……だとして、どこに行くんだよ」

 そのために、慎重に問い直す。すると世一は当たり前のように「カイザーの行きたいトコ!」とひとさし指を伸ばした。

「うまく思いつかないなら、俺が友達とよく行くトコ。友達なるんなら、丁度よくね?」
「まだなるとは言ってない。……つまり?」
「都心のゲーセン……ゲームセンターとか、カラオケとか、ボウリングとか?」

 こてんと小首を傾げる仕草に、押さえた胸がまたざわつく。まだいいとも悪いとも言っていないのに、世一はどんどんと勝手に話を進めていってしまう。
 なるほど、ひとつだけ、今のでわかった。コイツはピッチの外でも不自由を押しつけてくるのだ。
 今更のようにそう理解する。サッカーをする上での不自由は心地よいが、それ以外での不自由は、なんだかよくわからない。ただ、やられっぱなしは性に合わないから、どうにかしてやり返したいなと思う。

——だったら、)

 そう考えたとき、ふと、魔が差した。
 つまり明日世一に観光案内をさせることにすれば、世一の時間を奪う・・ことができるのではないかと、そう思ったのだ。

…………ボウリングは、別にいい」

 胸元から手を離し、ゆっくりと顔を上げる。世一はまだアホ面晒して手を差し出してきていた。「うん?」取れよ、と言わんばかりにひらひらと手のひらが振られる。ウッカリ手を伸ばしかけて、けれど躊躇いがちに宙空で留める。すると世一がにゅっと手を伸ばして勝手に掴み取ってしまう。
 手と手が重なり合う。ストライカーたちの指先が絡み合い、ほのかな熱を灯し合っている。

 世一の手は包み込むように柔らかく、でも、想像していたよりは、ちゃんと骨張っていて大きかった。
 その感触に触れてしまうと、なんだかもう抵抗する気も失せてしまう。カイザーは首を横へ振って手を握り返した。すると世一の顔が、見間違えでなければ、ぱっと明るくなる……

「いいんだ。ボウリングってもしかしてドイツにもある?」

 世一は妙に嬉しそうな調子でそう訊ねた。

「ルールが違うが、似たようなのがある。ケーゲルンと言って、俺はさほど好きじゃない。それよりからおけってなんだ」
「個室で歌とか歌うの、語源は……えっと確か、『空のオーケストラ』?」
「クソ意味わからん、ゲーセン中心であとシブヤも入れろ」
「おっじゃあスクランブル交差点は見に行こー、あそこ行く度マジで人まみれですげぇビビるぜ」

 俺も数回しか行ったこと無いけど、と、世一が笑う。バカみてぇなツラ。罵倒してやろうと思った次の瞬間にはもう口から出ていた。「バカみてぇなアホ面、幼稚園キンダーガーデンのガキ」しかも脳内で思い描いていたより勢いのある罵倒だった。「んだとこのアホ薔薇皇帝! 人の好意は素直に受けろ〜!?」流石の世一もこの罵倒は聞き捨てならなかったらしく、瞬間湯沸かし器のようにカッと顔を赤くして湯気を出し、握り合ったままの手をぶんぶん振り回しはじめる。腕がめちゃくちゃに振り回されて、ままならなくて不快なはずなのに、でも、振りほどく気持ちに何故かなれない。

(クソ、〝何故か〟ばっかりだ、クソ、)

 ままならない。カイザーは舌打ちをしようとして、けれど、僅かに開いた唇を、その直後にすぐ、反射で閉じた。世一が子供の癇癪のように腕を振るせいで身体が引っ張られ、上体のバランスが崩れたのだ。

「ッ、おい、クソ世一!」
「おわっ、なにやってんだバカイザー!」

 はずみで体勢を取りこぼし、引き摺られるようにして地面へとなだれ込んだ。
 手を握ったままだった世一もつられて体勢を崩した、というか、カイザーに体重を掛けられて雪崩の下敷きになる。そのままドサリと音を立ててふたり共が地面に叩き付けられた。世一の背中が音を立てて床に直撃し、その上へ覆い被さるようにして、カイザーの身体が乗っかっていく。

「いってて……つかバカお前重たい、何キロあるんだよ」
「世一の二倍」
「そんなにはないだろ……ったく……

 転倒の衝撃で瞑ったまぶたの向こうから、世一の間抜け声が飛んでくる。痛いと言ってはいるが間髪入れず文句を言ってくるあたり、どうやらそこまで深刻な怪我なんかを負ったりはしていないらしい。咄嗟に腕でも差し込んで支えてやればよかったな、と思ってから、なんで自分がそんなことをと思い返す。まだ友達ですらないのにコイツに優しくしてやる義理があるかよ。……いやコイツなら、たとえ敵でも、この状況なら手を差し伸べるのだろうが。

「おい、世一……

 思考を整理するようにふるりとかぶりを振り、ゆっくりと目を開く。視界に、床にへたり込んで真っ直ぐこちらを見上げてきている青い瞳が大写しになる。

「なんだよ」

 晴れた日の星屑を煮詰めたみたいな目だと思った。
 大きくて、まるまるして、子供みたいで、屈託がなくて、清々しい。その目に吸い寄せられるようにして不意に手が伸びる。青薔薇が象られた左腕で顔を撫で、右ひとさし指で目尻をなぞると、カイザーの下に組み敷かれた格好のまま、世一がもぞりと身を捩る。


 ——愛されたい。


 その姿に、ふと、そんな言葉がカイザーの脳裏を過った。
 昨日の試合中にカイザーが辿り着いた言葉だった。愛されたい。愛されてみたい。クソの掃きだめで蹲り、クソブツを抱きしめて眠りについていたはじまりの頃の記憶。父親はろくでなしで、母親は顔も知らない、そんな世界で唯一自分に寄り添ってくれたあのボロボロの球に重ねたものと同じ憧憬が、今、ミヒャエル・カイザーの胸を撫でるように押しつぶして、

——えっ?」

 だから。
 名前のない衝動に突き動かされるまま、カイザーは馬乗りになっていた身を屈めて世一のそれに自分の顔を近づけた。

————、」

 ほんの瞬きの間のことだった。
 短いリップ音ともにカイザーの唇が離れ、宙に戻っていく。離れた——どこから? 誰かに問おうとして直下を見遣り、すぐにやめる。答えなんて聞くまでもなかった。こんな、顔を真っ赤にしてうずくまるコイツの姿を見てしまえば。

「なっ、おま、カイザー、何考え…………

 あたふたと慌てふためいているからか、罵声にもキレがない。それでも健気に言葉を手繰ろうとして、だけどうまくいかなかったらしく、世一は赤らんだ頬をゴシゴシと擦り上げて「お前さぁ」と所在なさげに唇を尖らせている。

……ど、ドイツだとさ、こういうのも友達とすんの?」

 世一が言った。
 世界一間抜けなツラしてるなと思った。

「クソ知るか。そもそも俺はまだお前と友達になってねぇ」
「えっ、まだソレ引っ張るのかよ!? 友達でもねぇのにしてくる方がもっと……いや、その、なんていうか……

 ほんとに、わかんないの。世一が上目遣いにカイザーを見上げてくる。嫌がらせとかお得意の悪意じゃなくって? 訊ねかける言葉はどんどんと言葉尻の勢いを失って辿々しくなっていく。カイザーの顔を見つめていた世一が、問いの途中でほんのすこし目を逸らそうとした。その頬をふっと押さえてこちらへ向かせる。無意識だった。本当、なんで、自分がこんなことをしてしまっているのかまったくもって理解が出来ない。

——だが」

 だがそれでもわかることがある。

……したかったんだ、何故か、……理由はわからないが」

 全部、望んだものだ、その意味などわからずとも。

「はは、なにそれトモダチ一年生以下じゃん……

 カイザーの独白にも等しい答えを聞いた世一は、しばらくびっくりしたように固まっていたが、けれどそのうち、カイザーの表情がちっとも変わらないことに気づき、けらけらと笑い始めた。カイザーの言葉に一切の嘘がなく、揶揄ってるつもりもなさそうだ、ということが、その表情からなんとなく伝わってきたからだ。
 世一の双眸に映り込むカイザーはとても素直な表情をしていた。「勝ちたい」「負けたくない」そういったフットボーラーの原初の願いと等しい、ストレートで裏表のない表情。

「なんだ、やっぱお前、トモダチなりたいんじゃん。じゃあもう俺たち友達! 明日は東京観光で決まり。そんで友達なったから、最初にこれだけ教えとくな?」

 お前、友達の作法全然知らないみたいだしさ。世一がのそりと起き上がり、したり顔でカイザーの頬を突く。しょーがないからいろいろ教えてやるよなんて年下のくせに先輩ぶっって、まだ床に手を突いたままぼーっとしているカイザーの肩を叩くと、しーっとひとさし指を自分の唇に当てて内緒話をするようにはにかんで見せる。

「友達はキスしないの、少なくとも日本では。……そういうのは特別な相手とするもんだよ」

 だから大事にとっとけよ、さっきのは犬にでも噛まれたと思ってお互い忘れてさ。
 そう微笑む世一の笑顔が、やっぱり何故か・・・カイザーの目にはクソムカついて映ったので。

……ってお前バカなの!? いやアホすぎ! とっとけって言ったばっかだろーが訳も分かってねぇくせに……バカ!」

 カイザーは体勢を変えて咄嗟に世一の肩を引っ掴むと、顔を近づけ、もう一度キスしようとして……そしてその寸前で世一に拳骨を落とされて失敗した。

「え!? なんでそんなキスしたいの? 実はキス魔だった!?」
「いやべつに。俺も全然わからんが世一がキャンキャン言うので多少愉快」
「マジでその程度なら金輪際キスしようとすんな、俺とお前のためだからほんと!」
………………
「だーかーら無言で顔近づけんな、あ〜、もう!」

 そうこうしているうちに、今度は顔を赤くしてわーっとなるその反応が面白くなってきてぐいぐい顔を近づける。だが世一が本気で困ったような顔をするので、なんだかそのうち、その顔だけで満足してきてしまって……丸っこい頭を押さえていた手を離す。

「も〜、聞き分けのない幼稚園児か! ……とにかく、明日朝八時、ここ出発! 約束だからな、いいな!」
「ああ」
「わかればよろしい。じゃー、俺もう戻ってシャワー浴びてくるから、また明日な」

 そうこうしているうちに、カイザーの腕をするりと抜け、世一が立ち上がった。そうして世一は、あっという間になんでもない顔……或いは子犬にちょっと甘噛みされた程度の顔に戻ると、けろりとした調子で背中を向け、部屋を出て行ってしまう。その背中を漠然と追いながら、カイザーはそっとまた、己の左胸を押さえる。

…………?」

 心臓は深く力強く脈打っていた。
 生きていることを証明するように。
 存在証明を刻むかのように。

「トモダチ、か……

 それから少し遅れて、カイザーも静かに立ち上がると、慣れない言葉を舌の根の上で転がした。身体は変わらず少し早い鼓動を刻み続けている。持ち主の意志を置いてけぼりにしたまま、謳うように。


 ——皇帝は恋を知らない。
 だから、この胸を衝いてあふれ出す衝動がなんなのかも、……彼にはわからない。
 今はまだ。