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ちよど
2024-12-26 00:00:00
11586文字
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ビマヨダ
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ビマヨダが回帰する話
ビマヨダ+ぐだ子。
座に帰ろうとするヨダナさんをビマさんが引き止める話。pixivより再掲
ビマさん「ああ、温かいな」
「座に還らせてもらう!!」
ドゥリーヨダナの叫びに、深夜の食堂のカウンター席でビーマとふたりきりでおしゃべりしていたマスターは飛び上がった。
寝付けないからとビーマにいれてもらった温かいミルクココアを慌ててテーブルに置いて、マスターである彼女は入口を振り返る。
そこには暗い廊下を背に仁王立ちしているドゥリーヨダナがいた。
「あっ、」
令呪に痛みを感じて彼女はドゥリーヨダナの本気を知る。パスが切られていた。
「分かったな、マスター」
「わからないよ。ドゥリーヨダナ」
ドゥリーヨダナの念押しに彼女は椅子から立ち上がった。その背後でビーマが唸る。
「わがまま言ってんじゃねぇぞ。おまえを召喚するのにどれだけ聖晶石を注ぎ込んだと思ってやがる」
いつもと同じ口調にマスターは青ざめる。
ビーマからはドゥリーヨダナがパスを切ったことが分からないのだ。つまり、いつものわがままだと思っている。
そんなビーマをドゥリーヨダナは鼻で笑った。
「わし様はその分以上にこのカルデアに貢献した。そうだろう?マスター」
「それは否定出来ないけど、」
人理から拒絶されて行き詰まっていたこのカルデアを変えたのは間違いなくドゥリーヨダナだ。
「トンチキ。聖晶石を一気に900個溶かしたのは貢献って言わねぇ」
「そのおかげで戦力が充実したではないか!」
交わされる会話にマスターは体を縮こませた。
聖晶石に限らず素材を溜め込むだけ溜め込んでほとんど使っていなかった彼女の背中を蹴飛ばしたのはドゥリーヨダナだ。
万が一を考えて新たな召喚ですら尻込みしていた彼女をドゥリーヨダナは笑った。
──財は使ってこそだ。聖晶石はおまえを守って戦ってくれんぞ
その言葉通りにドゥリーヨダナが召喚した新しいサーヴァント達のおかげで戦いはすごく楽になった。彼女の生傷も減り、夜にこうやっておしゃべりする体力も残っている。
貢献した、というドゥリーヨダナの言葉に偽りは全くない。
まあ、その分わがままも言われたが。
その数々のわがままを思い出して彼女は息を吸った。ゆっくりと吐く。両手をあげた。
「ストップ」
彼女を挟んで言い争いかけていたふたりのサーヴァントは口を閉ざした。
「ビーマはまず落ち着いて。ここの片付けをお願いします。──ドゥリーヨダナは部屋で私とお話しよ?」
「いやだ! と言ってもおまえはついてくるのだろうなぁ」
ドゥリーヨダナのため息にマスターはにっこり笑った。
■
そしてドゥリーヨダナの部屋である。
ストームボーダーの決して広くはないワンルームはわがままいっぱいに買い揃えた豪華な調度品があふれている。ドアにストッパーを噛ませたドゥリーヨダナは戸口近くに彼女を立たせたまま、自分は一番奥の大きなベッドに座った。
「気を使わなくてもいいのに」
「こんな時間におまえに何かしたと思われたら、わし様が血祭りにあげられるんだが?」
「じゃあ私の部屋に行く?」
「それこそこんな時間に足を踏み入れたら、わし様の命が無いんだが?」
マスターの部屋にはいわゆる強火担当と言われるサーヴァントが何人も潜んでいる。こんな夜中に男性サーヴァントが侵入したとあっては無事にすまないだろう。
「それで、マスター。わし様を説得する方法は見つけたか?」
ドゥリーヨダナの問いかけに彼女は首を振った。
「ううん。だって、ドゥリーヨダナはアレを聞いちゃったんでしょう?」
「──なんのことか分からんなぁ」
知らない風を装うプライドの高い男に彼女は苦笑した。
ドゥリーヨダナが叫ぶ前、彼女とたわいないおしゃべりしていたビーマは言ったのだ。
──あいつを好敵手として見たことは一度もねぇよ
ビーマとドゥリーヨダナは好敵手だと周りも思っていたし、多分ドゥリーヨダナもそう思っていた。それなのに相手から否定されては、このプライドがエベレストな王子様が怒り狂うのも無理はない。
彼女は手を後ろに組んだ。
「あのね、ドゥリーヨダナ。
…
ドゥリーヨダナが生まれたのって真夜中だよね?」
「そうだが?」
突然の話題の展開に目を丸くするドゥリーヨダナに彼女は続けた。
「好きな食べ物は甘くてこってりしたもの。好きな花はシンプルで香りが強いもの。音楽は賑やかなものが好き。
…
当たってる?」
「──なんで知っている?」
食べ物はともかく花や音楽の好みなどカルデアの生活でわかるはずがない。不審そうに目を細めたドゥリーヨダナに彼女は微笑んだ。
「ドゥリーヨダナを召喚するために毎回いろんなものをビーマが用意していたの。触媒にするって言ってた」
狙ったサーヴァントを召喚するにはその英霊に縁のあるものを用意する。例えば生前身につけていた物、もしくは血筋の者、
…
それがなければその英霊が好むものを。
「わし様を召喚したかったのか? ビーマが??」
信じられないと首を振るドゥリーヨダナに彼女は目を伏せた。
「召喚された時、ドゥリーヨダナは『こんな辛気臭いところはわし様に相応しくないー!』って叫んでいたけど。前はもっとひどくて」
自嘲気味に唇を歪めた彼女をドゥリーヨダナは無言で促した。
「南極のカルデアから逃げ出した時。私思ったの。もっと準備しておけばよかった、ダ・ヴィンチちゃんみたいに備えておけばこんなにも失わずに済んだのにって」
「それであの素材の山か」
ため息をついたドゥリーヨダナに彼女は小さく笑った。
「新しいサーヴァントを召喚するために聖晶石を使うのも怖くて。恐る恐る1日1回だけ回してた。そんな時にビーマさんが来て」
「それで?」
「そんなに寒いならドゥリーヨダナを召喚しろって。ひとり分だけなら怖くねぇだろ、って」
「寒い?」
ストームボーダーの中はいつも適温に保たれている。彼女が寒さを感じるはずがない。
だと言うのに、彼女は唇を震わせた。
「寒かったよ。いつも寒かった。不安で怖くて、真冬のようだった」
彼女の瞳がドゥリーヨダナを映す。
「──でもドゥリーヨダナが来て、いきなり怒られて、とつぜん聖晶石をいっぱい持ち逃げされて、たくさん新しいサーヴァントが来て、覚えることややらなきゃいけない事が増えて、わがままばっかり言われて、
…
気がついたら、寒いことを忘れてた」
晴れやかに笑う彼女にドゥリーヨダナは首を傾げる。
彼には分からないのだろう。豊かな宮廷育ちだと彼女は聞いていた。
「
…
ドゥリーヨダナがいなくなったら、また寒くなるのかな?」
呟きにドゥリーヨダナは肩を竦めた。
「そんなはずはなかろう。今のカルデアには山のようにサーヴァントがおる。わし様のことなどすぐにどうでもよくなる。
…
あいつのようにな」
顔をそむけたドゥリーヨダナに彼女はかける言葉を見つけられなかった。
■
バーサーカーは燃費が悪い。
それ故にマスターとのパスを切ったドゥリーヨダナは急速に魔力が尽きていくのを感じていた。
マスターが部屋から去った後ドゥリーヨダナはごろりとベッドに横になった。マスターから拒絶されているわけでは無いので、ドゥリーヨダナがその気になればすぐにパスは復活する。だが、ドゥリーヨダナはそうする気にはなれなかった。
「
…
ふん、あいつがわし様を召喚したかったなどあり得ない。生前からわし様の事など眼中になかったではないか」
ひとり呟いて、仰向けに転がったドゥリーヨダナは手をかざした。魔力が尽きていくにつれ、この体は透けていき、最後は粒子となって消えるだろう。
「生前より手軽だな」
パーンダヴァから与えられた屈辱に断食をした時はなかなか死ねなかったが、今回は早い。夜明けを待たずにこの霊基は消え失せるだろう。
そうドゥリーヨダナが息を吐いた時。乱暴にドアが開けられた。
「鍵がかかって無くて助かったな」
断りもなくのしのしと部屋に入って来たビーマにドゥリーヨダナは口を開け、マスターのためにドアにストッパーをかけたままだったのを思い出して、文句を言おうとしたその口を閉ざした。
ドアが開けられているなら、入って来ても無礼ではない。
ちゃんとストッパーをはずしておけばよかったと今更後悔してもベッドから起き上がれないドゥリーヨダナにビーマは無遠慮に近寄る。
ドゥリーヨダナの視界いっぱいにビーマの顔が広がった。
「パスを切っている、っていうのは本当のようだな」
検分するような眼差しにドゥリーヨダナは唇を尖らせた。
「それがどうした。おまえには関係なかろう。帰れ帰れ」
しっし、と手を振るドゥリーヨダナにビーマは眉を寄せた。
「本気で座に帰るのか?」
「帰るとも。わし様に二言は無い!」
「二言ねぇ。
…
おまえの舌は二枚どころか三枚あるだろうが」
「わし様の舌は一枚でーす。ぎゃっ!!」
べーっと舌を出して見せたドゥリーヨダナは悲鳴をあげた。
舌に噛みつかれたのだ。
目の前の男に。
ビーマに!!
「!!!!」
状況が理解出来ないドゥリーヨダナにビーマの顔がさらに近づく。アイリスの花の色に似た髪がドゥリーヨダナの頬を撫でた。
舌が温かいものに包まれ、唇に柔らかい感触が重なる。
その意味を理解した瞬間、ドゥリーヨダナは目の前の男を突き飛ばした。
大柄な体がよろめく。
その体の下から飛び出そうとしたドゥリーヨダナは腕を引っ張られて、仰向けにベッドに転がった。
間髪入れずにビーマはその上にのしかかる。
押さえつけたドゥリーヨダナにビーマは口を開いた。
「パス、繋いだじゃねぇか」
「──っ! おまえが理由の分からんことをするからだろうっ!!」
ただでさえ相性不利のバーサーカーがランサーに抵抗するには魔力というスタミナが不可欠だ。ビーマを押しのけるために、魔力不足だったドゥリーヨダナはとっさにマスターとのパスを繋ぎ直してしまった。
流れ込んでくる魔力が空っぽだった体の隅々までいきわたる。
生き返るような気分だったが、ドゥリーヨダナは唇を引き結んでそのパスをまた断とうとした。
途端。
ぎしり、と頭蓋骨が悲鳴を上げる。
素早くドゥリーヨダナの頭部を鷲掴みにしたビーマが薄く笑った。
「
…
この状態で魔力の供給が無くなったら、どうなると思う?」
「わし様を殺してマスターにどう言い訳する気だ?」
「退去したって言うさ。違いなんて分からねぇだろ」
サーヴァントに死体は残らない。パスが切れていればマスターにはサーヴァントの状態は伝わらないのだ。
「おまえのことだ。座には帰りたくても痛い思いはしたくねぇんだろ。──部屋に連れ込んだマスターにちょっかいひとつ出さなかったしな」
ドゥリーヨダナが手段を選ばず消滅したかったのならば、マスターに危害を加えるのが最速だった。そうすれば即座に彼女を慕うサーヴァントたちに消し炭にされていただろう。
図星を指されてドゥリーヨダナは唇を尖らせた。
「わし様はわし様がいないとさみしいと訴える乙女に無体を働く程下劣ではない」
「──さみしい? マスターがそう言ったのか?」
てっきりビーマの妻をひん剥いた話が返ってくるかと思っていたドゥリーヨダナは視線をあげた。
「寒いと言っておったが」
「──寒いとさみしいのか、」
色素の薄いビーマの瞳が一層薄くなったような気がして、ドゥリーヨダナは眉を寄せた。
「そもそもわし様を妨害する目的はなんだ。ビーマ。
…
マスターに頼まれでもしたのか」
問われてビーマは少しだけ視線を彷徨わせた。
「
…
いや。マスターには頼まれていねぇ」
「だったらっ、」
おまえには関係ないだろう、とドゥリーヨダナが言おうとした言葉をビーマは遮った。
「──寒いのが、嫌なんだよ」
マスターが寒がるのが嫌なのだろうか。訝しむドゥリーヨダナにビーマは視線を落とした。
「
……
おまえが死んだ翌年の冬。餓死者が出た」
「はぁ!?」
いきなり変わった話題にドゥリーヨダナは思わず声をあげた。
「なんでそんな事になる!? わし様は財は使い尽くしたが食料には手をつけなかったぞ!! ユディシュティラの奴がどこぞの国に巻き上げられたのか??」
「兄貴は何もしてねぇ」
ビーマは静かに首を振った。
「おまえがやったように祭事を行って、おまえがやったような結果を出せなかっただけだ」
「祭事など誰がしても同じだろう? ちょっと着飾ってバラモン連中に付き合ってやればいいだけ
…
。何かヘマでもしたのか?」
もしそうなら笑ってやる、と言わんばかりのドゥリーヨダナの、その足にビーマは視線を落とした。
ドゥリーヨダナもその視線を追う。
「──おまえの下半身、」
ぴり、っとドゥリーヨダナのまぶたが痙攣する。それに気づかずビーマは続けた。
「おまえが死んだ後に爺様に怒られた。豊穣の象徴を潰すのは何事かってな」
ビーマの告白にドゥリーヨダナは口を大きく開けた。
「ほうじょうのしょうちょうぅ?? わし様がか? あ、そういえばわし様の下半身は女神が作った花の化身と言っておったんだったな。なるほど、なるほど。聖仙さまも面白いことを言う」
「おまえたちの祖父だろうが」
クル国の王宮に出入りしている聖仙がドゥリーヨダナ達の父方の祖父であることは公然の秘密だった。
その指摘に人誑しはにたりと笑う。
「そういうのはふたりっきりの時にこっそり囁くものだ。──確かにわし様が祭事をした時は豊作ばかりだったがああいうのは運と日頃の行いだろう?」
「おまえの日頃の行いが兄貴よりマシだとは思えねぇが?」
ビーマの言葉にドゥリーヨダナは鼻で笑った。
「おまえたちは農村に金を落とさんだろうが。労働者に食べ物を差し入れし、宴を開いて不満を聞き、細かな水路を整備し、家を直してやり、子供の話を聞いてやる。それだけでやつらは充分以上に働いてくれるものだ」
ドゥリーヨダナの言葉にビーマは黙りこくった。この男は小心者のろくでなしだが決して暗君ではなかったのだ。彼らパーンダヴァに関わる事以外では。
だからこそ、新たな支配者にクル国の一部の人々は服従しなかった。命令は聞く。ただそれだけで、それ以上のものは無かった。
だからあれほどに収穫量の差が出たのだ。
その後カリ・ユガが来たせいもあり、ドゥリーヨダナがいた頃のように溢れんばかりの食料がクル国の国庫に蓄えられた事は二度となかった。
それは豊穣の象徴であるドゥリーヨダナの下半身をビーマが潰したからと、人々は囁いたのだ。
そんな事は言わずにビーマは自分が殺した男を見下ろした。
「カルナの時も、おまえの時も、取り返しがつかなくなってから皆ネタばらしをする」
呟かれた言葉にドゥリーヨダナは何かを言いかけて、一度口を閉ざした。
人は人の都合のいいように言葉を左右するものだ。自分の思惑にへと誘導もせず、事後とはいえ真実を語っただけまだ誠意があるだろう。
そんなことも知らなかったらしい従兄弟をドゥリーヨダナは見上げた。
「
…
話はそれだけか?」
冷えた眼差しはドゥリーヨダナが座に還る事を諦めていないと告げていた。
ビーマの体が震える。
「
…
おい、ビーマ。言いたくはないが、おまえ顔色が悪いぞ。何が妙なものでも食ったか?」
ドゥリーヨダナの問いかけにビーマは唇を震わせた。
「
……
寒い」
「マスターといい風邪でも流行っているのか?」
「ばかやろう、
…
そんなん、じゃ、ねぇ、」
掠れる声で答えたビーマの体がまた震える。
今はこうやって脅していればいいだろうが。それも永遠に続けることは出来ない。ビーマが目を離した隙にこの男はさっさと座に還ってしまうだろう。
寒かった。ビーマの目の前のこの霊基が消えるということが、この上もなく恐ろしく、ビーマの体を凍りつかせていた。
──またこいつがいなくなると、寒くなる。
あの年を思い出す。ドゥリーヨダナたちがいなくなった次の年だ。今までと同じぐらいの気温だったというのに寒くて寒くてたまらなかった。
戦死者は多く、食料は余っていたはずなのに誰もが飢えと寒さに震えていた。
思わずにはいられなかった。まだ平和だったあの頃を。
■
──母親に連れられて初めて訪れたクル国の宮殿は幼いビーマを魅了した。
見たこともない美味しい食事をお腹いっぱい食べても怒られない。うるさかった母は他の事ばかりしていてビーマが何をしても気づかない。色鮮やかに飾られた建物は探検しても探検しても果てることがない。至る所に飾られた花々はいい匂いがしてビーマは蜂のように巡ってまわった。そして出会ったのだ──花よりも美しい従兄弟たちに。
「遊ぼう!」
兄弟達にしたように強く腕を掴むと悲鳴が上がった。
瞬く間に彼らは自分から引き離され、それ以来近づくと蜘蛛の子を散らしたように逃げ出してしまうようになった。
ビーマがやっきになって追いかけて誰かを捕まえると泣き出される。それが何度も何度も繰り返されて途方に暮れていると、従兄弟のひとりが歩み出た。
「ビーマセーナ。俺と遊ぼう」
一番美しい顔に微笑みかけられてビーマは初めて友達が出来たと喜んだのだ。
幼いドゥリーヨダナは他の兄弟達と違ってビーマが何をしても泣かなかった。うるさく文句は言うけどまた遊んでくれた。
だからビーマは嬉しくて、楽しくて。兄から注意するようにと言われていたのに、その手に差し出された菓子を食べてしまったのだ。
──川の水の冷たさを知ったのはあの時だった。
でも、川の水よりも地上の方が冷たいのだと。ビーマはドゥリーヨダナを失って初めて知ったのだ。
ドゥリーヨダナをはじめ、百王子たちはろくでなしだったが、まだマシだったと。
クルクシェートラの戦いは多くの者に語られていた。だから。どこにいてもビーマがドゥリーヨダナを卑怯な手で殺したと囁かれているようだった。
それならばまだ耐えられたが、彼を非難する人の中にドゥリーヨダナを支持していたのではなく、ビーマがドゥリーヨダナを殺した事にかこつけて憂さ晴らしをしたいだけ者たちがいる事を知った。
食料不足を経験して国王である兄は空腹を感じなくなる宝珠の王冠を外さなくなり、自分の分の食べ物をビーマに渡してくれるようになった。
下賜されたドゥリーヨダナの宮殿は、百人の兄弟達が行き来していた頃と比べて風の通りが良すぎてどれだけ花を飾ってもすぐに散ってしまう。
──ドゥリーヨダナを失ってビーマはいつも寒かった。寒かったのだ。
■
「隙あり!!」
顔をひっぱたかれてビーマは瞬きをした。
その虚をつかれた瞬間に頭を抑えていた手を払われる。
逃げようとした体をビーマは思わず抱き寄せた。
「ドゥリーヨダナ」
「わし様を前にして考え事とは余裕だな」
腕の中で深い花の色の瞳が怒りに揺らめく。
「──今度はわし様を二つ折りにする気か!? まあ、わし様はお前の好敵手ではないからな」
吐き捨てるように言うドゥリーヨダナにビーマは目を見張った。
恨み言のような言葉にビーマは目を見張った。
ドゥリーヨダナがいきなり座に帰ると言い出した理由を理解する。
ビーマは確かに言った。
──あいつを好敵手として見たことは一度もねぇよ、と。
「それは
…
」
その言葉の前にマスターは言ったのだ。
──対等な好敵手がいるのっていいよね。
無邪気な言葉に最後の一騎打ちを思い出したのだ。
棍棒が打ち合った瞬間を、
「
…
あの時、俺は初めておまえに『負ける』と思ったんだ」
ドゥリーヨダナの気配が剣呑に尖る。
あの時がいつのことなのか、説明するまでもない。
最後の一騎打ちになって初めて負けると思ったという事は、それまで負けると思っていなかったと言う事だ。
──それはなんて傲慢だろうか。
無意識にしろ、相手に勝てると確信しているのは少なくとも対等ではない。
対等な、好敵手ではない。
人の心に敏いドゥリーヨダナがビーマを嫌うのも無理はなかった。
そう思い、ビーマは腕の中に収まったままのドゥリーヨダナを見て絶句した。
彼は笑っていた。
「くくくっ、うふふふ、あっはははははっ!!! おまえが俺に負けると思った? それに怖気づいてあんなことをしたのか、だから好敵手ではない、と」
体を仰け反らせて笑うドゥリーヨダナにビーマは抱きしめていた腕に力を込めようとして、出来なかった。
かける言葉がなかったのだ。
──そうだ、最初から最後までビーマは傲慢にもドゥリーヨダナを好敵手とは思っていなかったのだ。
ただ、そう。ただ。あの時言ってくれたように。ただの友達のように『遊んで』くれたなら。笑い合ったり喧嘩をしてくれたなら。──ドゥリーヨダナがビーマたちにした事は許せなくても。それでよかったのだ。
ビーマは口をつぐむ。
足が触れ合っているドゥリーヨダナの下半身には傷一つ無い。半神のビーマと幼い頃から打ち合いながら大きな怪我ひとつしたことのない男だった。そしてドゥリーヨダナの卑怯な反撃でもビーマは傷一つ負わなかった。
だから。
ドゥリーヨダナの弟達を尽く鏖殺したというのにビーマは。その下半身に棍棒を振り下ろしながらも。
──ドゥリーヨダナに置いて行かれるなど思わなかったのだ。
■
ドゥリーヨダナは笑っていた。
──生前数え切れないほど打ち合ってきたというのに、負けると思われたのはただ一度だったとは!
おかしくておかしくて笑いながらドゥリーヨダナは冷静に考える。
最後の一騎打ちのわし様の腕は冴えていた。それは間違いない。最盛期で現界したこの霊基の姿を見れば一目瞭然だ。
そして、サーヴァントとして在ればあれよりも上を目指せるのではないだろうか。──今度こそ、ビーマを負かせるのではないだろうか。
好敵手とか。元よりビーマがこちらを重視していない事は知っていたから今はどうでもいい。
マスターの前で明言されて、あまりの屈辱に座に帰ることを考えたが利点があるなら話は別だ。別の聖杯戦争に再召喚されてもそこにビーマがいるとは限らない。
しかし、
「ビーマ、寒いとか言っていたのは治ったのか?」
突然の話題変換にドゥリーヨダナを抱いているビーマの腕が震えた。
薄情にも見える薄い色の瞳が揺らぐ。
「今は寒くねぇ」
寒い、寒い、
…
さみしいとマスターやビーマが訴えるその感覚をドゥリーヨダナは知らないわけではない。
目の前のこの男に致命傷を負わされた後、強がって啖呵を切ったものの、その後ひとりで森に放置されたのだ。
──出血と恐怖で凍えるほどに寒かった。
ドゥリーヨダナ達兄妹は蓮が花弁を重ねるように隣り合って生きてきたのだ。だからドゥリーヨダナは生涯あれほどまでにさみしさに凍えたことはない。
だが、それがどうだというのだ?
ドゥリーヨダナはにっこりと微笑みかけた。
「治ったならよい。おまえには万全の調子であってもらわねばらないからなぁ」
その笑顔にあからさまに顔を顰めるのはさすが幼馴染といったところか。ドゥリーヨダナは構わず話を続ける。
「マスターのためにわし様が座に帰るのを阻止しようとはさすがの忠義! わし様感動! 全わし様が泣いた!」
「うそつけ!!」
ビーマのツッコミにドゥリーヨダナは可愛らしく首を傾げる。
「そんな事を言っていいのかなぁ? わし様、条件次第で座に還るのを諦めると言っているんだが?」
「──条件を言ってみろ」
しかめっ面のままのビーマの促しに、ドゥリーヨダナは人差し指を立てた。
「ひとつはシミュレーターの優先使用権」
「マスターに言えばまあ通るだろうな」
頷くビーマにドゥリーヨダナは二本目の指を立てた。
「週イチの、ビーマセーナとの一騎打ち」
薄い色の瞳が見開かれる。
ドゥリーヨダナは拍子を取るかのように指を揺らした。
「わし様好敵手じゃないと言われてひどく傷ついた。損害と賠償を要求しまーす!」
軽い口調にビーマは視線を彷徨わせた。
シミュレーターで一騎打ちと言っても、サーヴァントの全力を出せるはずがない。つまり、それは。
「喧嘩じゃねぇか」
「ちがうが」
即座に否定されてもビーマにはそうとしか思えない。
そう言えば、こうやってドゥリーヨダナを抱きしめるのは子供の時以来だった。
温かい、まるで生きているような温かい体温を感じながらビーマセーナは考える。ドゥリーヨダナは子供の頃から本心を見せない奴だった。今も、何かろくでもない事を考えているのだろう。
でも、それでも。
ビーマが体を起こすと、向かい合うようにドゥリーヨダナもベッドに座った。
視線が合う。
「俺がそれに同意すれば、おまえは座には還らないのか?」
「そうだと言っている」
ドゥリーヨダナの肯定にビーマは視線を落とした。花の下半身は傷一つない。
シミュレーターならば、シミュレーターならば。例え、相手を倒したとしても置いて行かれる事はない。同じ事はもう二度と起こらない。
「
…
分かった」
ビーマの言葉にドゥリーヨダナは子どものように笑った。
その顔が懐かしくて、ビーマはあの時言うべきだった言葉を口にする。
「ドゥリーヨダナ。触れていいか?」
「ん? いいぞ」
なんでもない事のように許可されて、ビーマはそっとその腕を掴んだ。
悲鳴はあがらなかった。
■
夜の食堂には大きな影がふたつとちいさな影がひとつ並んでいた。
「あたたまるねー!」
マスターの言葉に両側の男たちは箸を止めた。
「ふむ、わし様今日は機嫌がいい。このチャーシューを一枚くれてやろう」
カウンター席の隣に座ったドゥリーヨダナが自分のラーメンどんぶりから大きなチャーシューを彼女の器へと移動させる。
「なら俺は卵だな! 精をつけろよ」
反対側に座ったビーマが器用にゆで卵を彼女のラーメンの中に置いた。
「そんなに食べられないよー!!」
笑って彼女はチャーシューをビーマの器に、ゆで卵をドゥリーヨダナの器に移動させる。
文句は出なかった。
彼女の胃袋の大きさを知っているはずのふたりに笑いかけて、彼女は話を再開する。
「今日の一騎打ちはすごかったね。解説の以蔵さんがめちゃくちゃ早口になってたよ!」
ビーマとドゥリーヨダナ。古代インドの英雄ふたりの一騎打ちはカルデア恒例のイベントとなっていた。
最初は物好きな戦闘系サーヴァントが数人見物していたのだが、そのハイレベルさに話題になり、マスターが見に来るようになってからは小規模の祭りのようになっている。
ふたりが長丁場で打ち合うため出店が現れ、戦闘に詳しくないマスターのために解説が引っ張り出され、そして。
「今日はわし様の方が配当金が少なかった」
ドゥリーヨダナの言葉通りに、ふたりの一騎打ちは賭け事の対象になっていた。
ちなみに多くの人が賭ける方の配当金は少なくなる。つまり今回の一騎打ちはドゥリーヨダナが優勢だと思われていた、が。
「今回も、俺が勝った」
勝ち誇るビーマがチャーシューを噛み切り、ドゥリーヨダナは無言でラーメンを啜った。
何度も繰り返されている一騎打ちだが、まだドゥリーヨダナはビーマに勝てていない。しかし、
「戦闘の事が分かるサーヴァントがたくさんいるのに、配当金が毎回変動するのすごいよね」
彼らは今までのふたりの戦いから勝率を分析しているはずだ。だというのにドゥリーヨダナの配当金が高いばかりではないことがマスターには嬉しかった。
「わし様の秘められた強さは分かる者には分かるという事だ」
「一発逆転を狙ってんだろ」
胸を張ったドゥリーヨダナにビーマが顔を向ける。そして動きを止めた。
「タッセルが濡れてんぞ。
…
触っていいか?」
「いいぞ」
最近見かけるようになったやり取りを交わして、ビーマの指がどんぶりの中に触れていたドゥリーヨダナのタッセルをすくい取り襟の中に押し込む。
「つめたいんだが!?」
「それ以上濡れるよりマシだろうが」
言い置いて、ビーマは自分のラーメンどんぶりを傾けた。熱いスープが喉を流れていく。
「ああ、温かいな」
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