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めやぬら
2024-12-21 23:29:45
5470文字
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夢と背
不定期週刊燐一
事後に夢を見て起きる一彩の話。幼少期一彩の描写あり。
一彩くんはこんなに暗い子ではないはずなのにどうして……
水中ならではの浮力を感じてふと目を開ける。
本当に目を開けたのか怪しんでしまうくらい真っ暗で思わず手で瞼に触れて確かめてしまった。きちんと開いている、まつ毛の感触もある。そのままぼんやりと揺蕩っていると、爪先が何かに触れた。
目を閉じている間に暗闇の底まで落ちてきてしまったらしい。少し足先を探れば、透明というか目には見えない床に足をつけられるようになっていた。降り立つように体を起こして足の裏を地面につけると、軽い重力にすぐ浮きそうになって、頼りなく腕をもがいた。息苦しさはないが、それがもう僕の呼吸が止まってしまったからなのか、なにか分からない物理法則が働いているのかは分からない。一度手放した思考はどっかに行ってしまってなかなか戻ってこず、頭がしゃっきりしない。
やることもない、暗闇に一人。そのままぼやぼや辺りを彷徨うことにした。
そしてしばらく、延々歩いた先、どこかからしくしくと泣く声が聞こえてきた。
どこだろう。
目を凝らして声のする方へ向かう。すると前も見えない闇の中、足元が何かにぶつかった。
「あ、ごめんよ」
衝突して初めて意識埒内に入った人のような影に謝ると、もぞもぞと緩慢に振り向く。それは、兄の姿だった。
「兄さん
……
?」
問うと、兄は静かにとでも言うように人差し指をたてた。その腕の中に、誰かがいる。前まで好んできていた黒いTシャツのままだったからよく見えなかったが、小さな子供のような影が兄の胸元にしがみついていて、兄は守るように抱きかかえていた。
「ごめんね、子どもがいたの?気づかなかった」
一体どうしたというのだろう、こんなところに子どもがいるなんて。巡り合わせたのだろうか。兄が保護しているのは偶々だろうか。
「僕が代わろうか?」
どちらにせよ子守を代わろうと、その腕の中を覗き込んだ。
そこには、確かに幼い子がいた。見覚えのある、故郷の服を着た子供。少し癖のある赤い髪の、橙色の耳飾りをつけた、子供。かつての一彩がはらはらと声も無く泣いて兄のシャツを濡らし、その腕の中で静かに目を閉じていた。
それを見て、刹那に羽織の襟首を掴んで力任せに引き剥がす。
「何をしている」
「やめろ!」
簡単に奪えた軽い体を、燐音が奪い返そうと手を伸ばしてくる。幼子はただ無抵抗に体を強張らせるだけで、おとなしくされるがままだ。強引に引っ張られて半分宙吊りになっても、曖昧に燐音へ手を伸ばすだけ。その行動に滲む甘えが許せない。
「やめろ、離せ、お前でも許さねぇぞ」
「許されないのはこの子だよ。ねぇ、君、名前は?」
「
……
」
怯えた子供は俯いて、ぎゅっと拳を握る。しゃがんで目を合わせ、肩を強く掴んで問いただす。
「言って」
「
……
ひいろ」
「そう。この人は君のお兄さん?」
こくんと頷く。
その目にはただ怯えがあった。その奥には、ただの虚があった。濁った瞳が鈍くまばたく。恐怖はなさそうだった。小さな自分と目線を合わせ、教え諭すように心の中を覗く。
「この人に甘えてはならないと、教わらなかった?」
「おそわった
……
」
「じゃあ、自分が許されないことをしたと、分かるね?」
「うん
……
」
「やめろ」
子供の体を庇うように引き寄せて、兄さんが前へ出る。その子の頭をそっと撫でて、守るようにして矢面に立つ。その腰に巻かれている白いワイシャツにしがみつき、子供はその優しさに甘えた。
「こいつは何も悪くない。俺が勝手にやったんだ」
「兄さんのせいじゃない。その子が悪い」
この暗い場所で巡り合った幼い頃の弟を、かわいそうに思ったのだろう。兄さんは優しいから安心させるために抱き上げて守るようにして寄り添っていたに違いない。だが、僕はそれを拒まなければならなかった。
「兄さんが優しくしてくれても、僕はそれを享受してはならない。それを忘れて甘えて、あまつさえ身を委ねるなんて、許されない」
「俺が許した」
「そんな問題じゃない」
兄さんが許す許さないではない。それは許されなかったし、許されてはならなかった。
「俺はお前の、そんでこいつの兄だ。何で悪いんだよ」
「それを当然のものとして受け入れたら、失うから」
「は
……
」
「ねぇ、僕」
兄の足元をきゅっと握っていた子供に問う。怯えていてもきちんと人の顔を見る視線が、妙に冷静で気味が悪い。
「君はこれから、この人に捨てられるんだよ」
庇う兄を指差してそう告げた瞬間、子供は目を丸くして、初めて感情を露わにした。
「っ、そんなことない!兄さんはそんなことしないもん!」
「したんだ。君は今いくつ?7つか8つくらいかな。あと数年後には別れが来るよ」
「来ない!だって、約束したもん。いなくならないって約束した
……
」
幼く言い募るのを、冷ややかな気持ちで見つめる。
この頃はまだ信じていたのだ。約束というやつを。
行かないでとぐずる僕をやり過ごすために兄がした口約束を。
「そんな約束、兄さんは覚えてないよ。覚えてたのは僕だけだ」
「うそ、嘘だ、そんなこと
……
にいさん、行かないっていってくれた
……
ごめんって言ったもん
……
」
「だからなに?そんなの、意味はなかった。君は置いていかれるんだ」
「違う
……
ちがう、にいさんは、兄さんは
……
僕のこと、だいじって
……
」
「違うよ。君は大事じゃない。兄さんには、もっと大切なものができるんだ。なんにでも序列はある。君はその中に入れなかったんだよ」
「
……
ぅ、う、ぐす」
「
……
おいで」
返す言葉を失いほたほたと泣き始めた幼い子を見て、兄が何か言うよりも早く、僕は手を差し伸べた。するとあんなにも兄さんと離れたくなさそうだったのに、すぐにこちらへと手を伸ばす。
その手を取って引き寄せ、驚いたような顔をする兄に目をやった。ほら、この子は誰でも良いんだ。縋れるのなら誰だって。
「よしよし、つらいね、悲しいね」
ぐすぐすと泣く子を抱き上げて、頭を撫でて背をぽんぽんと優しく叩く。
「兄さんは君のそばからいなくなる。だから、甘えてちゃだめなんだよ。約束は破られる。君は一人になる」
「
……
」
「だけど恐れなくていい。君はちゃんと一人で立てる。寂しくても哀しくても死ぬことはできないから、恐れることはないんだよ」
心臓が破れ呼吸が止まりそうなその悲しみのまま死ねたのなら良かったが、残念ながらこの息の根は止まらなかった。自分一人でも生きていけると分かった時の言いようもない寂しさは、途方も無いほど暗く、なにもかもが凍てつくようだった。
「今兄さんに甘えてしまったら、その時がもっと辛くなるよ?いいの?」
「
……
」
子供は泣きながら黙って首を横に振った。
「そう。じゃあもうやることはわかる?」
「うん
……
、うん」
「良い子だね」
頭を撫でると、未だ泣き止めないでいる顔が少しだけ強張って、それでもどこか安心したように目元を緩ませた。
頭を撫でられるのは好きだけど苦手だった。よく撫でてくれたのは兄だったが、そうされると嬉しくて安心してしまって、その後に甘えてはならないと大人たちに酷く叱られたから。この子もそうに違いない。だってこの子は僕なのだ。
健気な怖がり様を少し懐かしく思いながら、小さな背を押すようにそっと問う。
「さぁ、帰る方向は?」
「自分で見つける」
「うん、そうだね。いい子」
「待てって、お前そいつ一人で行かせる気か」
ずっと黙っていた兄が口を挟む。困惑と怒りが滲む表情に幼い僕がびくりと肩を揺らしたのが視界の端に入った。庇う様に間に割り込んで、無遠慮な心配から子供を守る。
「駄目だよ、兄さん。口出ししたら」
「バカ、周り見てみろ。どこに帰り道なんかあんだよ」
「無くても探すんだ。ここで兄さんにずっと甘えていたって何にも解決しない」
「良いだろ別に。それの何が悪い。探すなら俺達も一緒でいいだろ」
「そうすることで、僕は傷ついていた」
淡々と言えば、兄は息を呑んだ。
「兄さんが褒めて優しくしてくれた後、僕は甘えるなと叱られていたんだよ。厳しい鍛錬で怪我をした僕を慰めてくれた後、こんなことでは強くなれないと思って僕は泣いてたんだ」
「
……
」
「兄さん、中途半端な優しさは非道いだけだよ。この子は一人で立てる。その力を奪うつもり?」
「
……
あっそ、じゃあもういいよ」
興味なさげに声音から温度がなくなり、見捨てるように吐き捨てた。そして僕の後ろに隠れる子供の腕を強引に引っ張り、幼い足はたたらを踏む。重心のコントロールを失って傾く体をいとも容易く抱き上げ、兄はどこかへと去ろうとする。
「えっ」
「じゃーな」
そして暗闇にかき消えていく黒い背。何故こうなるのか分からず、混乱したまま引き留めようとして、言葉が詰まってしまう。
「、っ」
待って。
その簡単な言葉がどうしても出てこなかった。
--
ふと、目を開けた。幸福の余韻に浸った微睡みは冷たくぬかるみ、目の前の背中は穏やかに眠りをたゆたっている。襟ぐりから覗く素肌には自分がつけた薄く赤い指の跡が、まるで足掻くように触れ合いの名残を示す。
甘い夜の気配がそこかしこに残るベッドの上。薄絹のような真夜中では身じろぎの音すら過敏に響き、静かなしずかな呼吸と、自分の鼓動だけが聞こえてくるようだ。
隣で眠る温かさを求めて手を伸ばし、思い直してそっと起こさないように額を預けた。少し低い体温が悪夢に悴んだ思考をぬるくほどいていくが、それでも温かくはならない。布団の外に出ていたのか冷えてしまった自分の指は両手で絡めあって、手のひらで蟠るような孤独感を握りしめた。
何度目だろうか、数えると自分の思いの丈を自覚してしまいそうで数えていないが、多分両の手の指の数は優に超えている。一彩は燐音に気づかれないよう、か細く溜息を吐いた。
たまの逢瀬の微睡みは浅く、包み込むような優しい愛に眠ったはずがその数時間後に一人目覚める。抱かれて分かりやすく愛されても埋まらない寂しさは、数を重ねて情が深くなればなるほどどんどん鋭く、冷たくなって、心の奥を穿つ。
不満はないし、愛されてないとかそんな女々しい不安を持っているわけでもない。ただ、この温度が本当のところは一体誰に向けられたものなのか、よくわからなくなっているだけなのだ。誰に対してもふらりくらりとやり過ごして、過激な風を笠にきて、それでも僕を愛してくれる。それはきっと今だけ。
向き合って頷き合って睦言を交わす瞬間は濃密な心の交わりを確かに感じるのに、それが終わってこうして眠りの狭間に起きると、その交点がどうしようもなく虚めたしくなって、求めに応じない冷えた温かさへ寄る辺なく縋っては深く安堵してしまう。
好き、愛してるなんて単純明快な言葉を弄しても、あんなもの、行為の熱に浮かされて口走った世迷言。肌を重ねている最中でさえ、心の奥底では、自分の求めに兄が答えてくれるはずがなく、これは夢で嘘で幻なのだから調子に乗るなと、必死に理性が叫んでいる。愛を囁かれて歓喜に焼き切れる思考の中、脳の芯は冷え切って、心酔することをよしとしない。
満たされる充足感と虚しく凍える寂しさで両極端な心は、一方的な快感で容赦無く踏み躙られてかき混ぜられて、ずたずたに撹拌されて、そして何も分からないまま極地へ至った。甘いだけの蜜に溺れるような絶頂感の最中でも、与えられるものに全てを委ねてはならないと軋む音が心のどこかからずっと聞こえていた。
ゆったりと呼吸し、身体の稜線がなだらかに上下している。肌と額越しに感じる鼓動はまさしく唯一、兄だけしか持たないもの。僕にも誰にも与えられないその拍動は、だからこそ生きる音を平等に聴かせてくれる。僕にだって、耳を預けさせてくれさえすれば聞けるのだ。
あぁ、生きている。
この人は生きているのだ。何からも奪われず、何者へも奪わせず、一人の生を、ありのまま。
僕への気持ちを直接僕に向けることは、貴方にとってありのままではないのだろうね。
僕が望んだばかりに、この人は僕への愛とやらを自分のやりたいように表すことができなくなってしまった。本当は、本当は、もっとひた隠しておきたい人だろうに。
表されない大きな想いよりも、僕は分かりやすいものが欲しかった。もっと単純なものが欲しかった。気やすさという形でも、言葉という語らいでも、なんだっていいから分かりやすく燐音に想われているという実感が欲しかっただけだった。
だが結局それを与えられても安心なんてできなかった。ずっと僕に不安を抱かせていた無関心に、ほっと胸を撫で下ろしたのだ。愚か以外の何者でもない。
(気づかないで、ね)
口だけを動かして、声には出さない祈り。
貴方に愛を乞うたことを僕が後悔していると、貴方だけは気づかないで。そのくせ哀れみの末に与えられるそれが無ければ生きていけない僕のことなんて気づかなくていい。
朝になれば、いつも通りになる。互いを愛するのに理由なんていらないと貫いてみせるから、貴方を救った希望になってみせるから、夜毎惨めな自分に酔って貴方に縋っていること、気づかないでいてね。
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