師走。世間の慌ただしさと比例するように、ここハイツアライアンスでもインターン遠征やら週末の帰省やらでクラス全員が揃う日は以前に比べめっきりと減ってしまった。冬休みともなれば尚更それは顕著に表れる。
やけに静かな朝だ。普段ならば、部屋のドアを開けた途端に何故かこの四階にいる上鳴と切島が話しているところに巻き込まれたり、エレベーターで一直線に降りることもままならないほど絶え間なく人の往来がある。普段ならばだ。朝っぱらからよくもまあそんなにと呆れるほど騒がしい連中に囲まれることが常であった。だのに今日。朝の冷気を纏った廊下はまったく人の気配を感じないし、エレベーターは一度も止まることなくスムーズに一階に到着した。扉が開いても課題が終わらない、どうしよう、と騒ぐ声も聞こえない。本当に誰もいないのか。毛の短いカーペットに一歩踏み出すと微かなカカオの香りが嗅覚をくすぐって、爆豪は少し早足で匂いのする方向へと向かった。
「爆豪。おはよう」
「おー」
寝癖のついた紅白頭を揺らしながらキッチンに立っていた轟はこちらに気付くとすぐに目元を緩ませた。カウンター越しに「俺も飲みてぇ」と少しだけ甘えるように首を傾げれば「無糖のやつだな」と頷いてスリッパの音を鳴らす。頬杖をつきながらじっと見つめる視線に轟は気付いていない。黒いマグカップを棚から取り出しながら轟が問う。
「爆豪は実家に帰らねえのか?」
「昨日も病院の付き添いとか言ってババア共には会ったばかりだかんな。いいっつっとんのに来るんだわ」
「ははっ、本当爆豪ん家楽しそうだよな」
「今日は居ねぇ奴らが多いみてぇだけど、あと誰が残っとんだ」
「知らねえのか? 今日明日A組は誰も寮に居ねぇんだってよ」
湯気の立つマグカップを二つ手にした轟がオッドアイをぱちぱちと瞬かせてキッチンから離れる。「マジ」と顔を覗き込んでくる赤い瞳に「マジだ」と返しながら、より色の濃いココアを爆豪に手渡して二人並んでソファに腰を沈めた。
黒い水面に息を吹きかけ白い湯気が霧散する。再びふわりと戻ってくるそれを何度か散らしてからゆっくりと唇をつけると、ほろ苦い味わいと豊かなコクが口内に広がり体中に優しい温かさがじんわりと沁み渡った。温めた牛乳でしっかりと粉を練りながら作っていたから、当然美味しく飲める程度のものにはなっているわけだ。
一番最初に轟が作ったココア(と言い張るもの)を飲んだ時には、お湯に粉が浮いただけの謎の液体と底には大量の黒い塊が沈殿していたのを思い返すとかなりの成長具合である。なんだかしみじみとしてしまい左に座る男に目を向けるとちょうど轟も爆豪の方を見つめていて、ぱちりと目が合った。コクリと喉仏が動いて温かな息を吐き出す轟が「久々に飲んだけどうめえな」と笑う。
「てめェみたいな料理音痴がホットミルク淹れただけでもそれなりに美味くなるようにできてんだ、企業努力の賜物だろ」
「爆豪はなんかすげえ、鍋とか使うもんな」
「ちゃんと手間かけたほうが美味えんだよ」
マグカップをテーブルに置いて、体を少し轟の方へ向ける。ちびちびとココアを舐めるように飲む姿を眺めてからソファの背もたれに肘を置き、ぴょんと跳ねている白い毛先を指先で遊ぶ。何度押さえてもぴょこぴょこと戻ってきてしまう髪の毛が愉快で可愛らしい。くつくつと喉で笑いながらやんちゃな毛束を髪の中に紛れさせるとようやく大人しく他の毛と一体となる。満足し、そのまま髪の間に指を差し入れ手櫛で梳かしてやれば水のようにサラサラと指の隙間から流れていった。手持ち無沙汰に指に巻きつけたりしてまた落ちていく髪の毛でしばらく遊んでいると「爆豪」心地よい低音が空気に乗る。目を合わせれば二色の瞳が嬉しそうに少しだけ細まって、それからふに、と唇が触れ合った。
「二人きりだな」
「どういう意味だよ」
柔らかい唇をもう一度触れ合わせ、ペロリと舌先で舐めてやると甘ったるいミルクココアの味がした。丸い頭をあやすように撫でるとぐりぐりと掌に擦り寄ってきて、長い睫毛を上下に揺らす。
「みんなが居ねえと寂しいけどさ、でも今がチャンスだなって思って……キスしちまった」
こんなとこで、と少し眉を下げ照れくさそうに轟が笑う。
共同スペースで触れ合う背徳感というのがコイツの中にもあるという。眉目秀麗、クールで真面目な轟クンが、普段出来ないことに後ろめたさを感じながらも行動に移してしまう様というのは、まあクるものがある。「ふうん」と言ったつもりが上手く声に乗らず、咳払いをしてから指先で紅白の襟足あたりを触る。思わず肩をすくめた轟がふるふると頭を振った。
「あは、擽ってえ」
「それだけかよ」
そのまま白い首を掴んで、もう一度キスを仕掛けようと顔を近づけた次の瞬間。キィと音が響いて、カエルが跳ねるみたいに同時にぴゃっと距離をとる。玄関が開いた音だった。だらしなくソファに乗り上げ向き合っていた足をすぐに下ろして行儀よく座り直す。それと同時に扉から横顔を覗かせたのは相変わらず全身を黒に包んだ担任、相澤だった。ひらひらと紙を片手に、お、と二人の姿を見つけて近寄ってくる。
「爆豪、居たか。昨日の検査で渡した書類に不備があったみたいでな。大した事でもないようだが念の為目を通しておきなさい」
「あっす」
「ついでに轟も。ご実家から荷物が届いていたのが置いてあった。早めに受け取りなさいよ」
「あ、今、行きます。ありがとうございます」
立ち上がった轟を見て、それから爆豪を見た相澤が「それだけだ、邪魔したな」と言って背中を見せる。どういう意図の言葉なのかと考えたのはきっと爆豪だけだろう。担任の後を追いかけ横を通り過ぎようとする轟のジャージの裾を掴む。「なんだ」振り向いた轟の顔を見て、爆豪が目を丸くした。それから「てめェのせいかよ」と舌打ちをして上目で睨みつける。
「その甘ったるいツラどうにかしてから俺の部屋来い」
「あまっ……」
言おうとした口を噤んで、それから、部屋? と轟が視線を彷徨わせる。
「せっかくなのに、ここでやんねえのか?」
突然の爆破音。扉に手を掛けた相澤がなんだどうしたと振り向くと、床で犬猫のようにぎゃあぎゃあと取っ組み合っている生徒の姿。どうやら感じていた甘い空気は、マグカップに入ったココアのせいだったようだ。俺も一杯貰ってから戻るかなあとひとつ溜息をついて、相澤は久方ぶりに捕縛布を解くことになったのだった。
「部屋戻ってしたらいつもと変わんねえよ」
「てめェたった今! ここで! 何が起きたのか言ってみろ!!」
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