水木が便りをよこすのは少し珍しい。季節の変わり目に新しいものを用意して渡してくれることはあるけれど、そういった定型から外れると途端に機会が減る。
しかし絶対にないわけでもない。何があったんだろう、鬼太郎が最初に思ったのはそれだった。烏から受け取った封筒をあければ、ふわりと立ち上ったのは彼の好む煙草の香りだ。それだけで水木の存在を感じ、嬉しくなる。口元もほころんでいたかもしれない。
だが、封筒から落ちてきたのは鳥の羽だけで、手紙も何も入っていない。水木に限って手紙を入れ忘れる…なんてことはないだろうから、考えられることはふたつ。
ひとつ、この羽が何かの謎掛けである可能性。
ひとつ、何らかの事情から文書を送れない事態に陥っている。
後者だったら問題だ。水木に何らかの危険が迫っているということになる。
「…………」
鬼太郎は羽を天にかざす。どうやら羽には何の変哲もなく、本当にただの鳥の羽らしい。何の鳥だろうと考えを巡らせていた鬼太郎に、山鳥じゃなあ、という実父の声がかけられた。
「ヤマドリ」
瞬きして繰り返した息子の手許まで近づいて、目玉をニコニコした表情に変えて父は言う。
「なんじゃ、水木か」
「……そうなんですけど、…何かあったんじゃないかと。手紙も何も入ってないんです」
「………、ああ」
目玉の父は小さな手をぽんと叩き、楽しげに笑った。
「心配いらんじゃろ」
「でも」
「それが便りじゃよ」
「……羽が?」
心配と怪訝の入り混じった顔で首をかしげる息子に、目玉は優しい表情を浮かべ、そして今度はよしよしと近くにあった手の甲を撫でてくれる。
「わしの口からは恥ずかしゅうてこれ以上は言えんよ」
「えっ……、…恥ずかしいようなことなんですか…?」
体をくねらせる父を目を丸くして鬼太郎は見る。この羽が…?
百面相をする息子に、父は「やれやれ」と肩で息を吐く。
「あしびきの…、良いか、これ以上は教えんよ」
あしびきの……、と鬼太郎は口の中で転がした。知っている…、と記憶をたどり、あ、と声をこぼす。
「…山鳥の尾の……しだり尾の…………」
小さな声で諳んじて、そこで鬼太郎は口をつぐんだ。
その歌は「長々し夜をひとりかも寝る」と結ぶ。秋の夜長のひとり寝の長さを歌っていて…。
水木の膝の上、教えられた時はよくわからなかった。夜が長いなら墓場でたくさん遊べると思っていた。あの頃は子どもだったのだ。
「え…………」
顔を赤くしていく息子に、うんうん、と父は頷く。…たぶん何か言っていたとも思うのだけれども、鬼太郎が自分で恥ずかしくてその顔を見られなかった。
「ぼ…、僕、あの人の所に行ってきます!」
頭に血がのぼったまま言えば、まあ待ちなさい、となぜか止められる。どうして、とそちらを見ればやはり父はニコニコ笑っている。
「その羽を判じて、せがれや、おまえは何をあやつに返す?」
「…………」
まあ、そんなことを考えもせず駆け込んでくる純粋さこそ何より嬉しいかもしれないが、つい面白がって、どちらも可愛くて口を挟んでしまう。
鬼太郎の顔が困ったものになる。
「え…、」
地団駄を踏みそうな様子にも微笑ましさを覚えながら、父は「さあ、どうする」という顔を崩さない。
はやく飛んで行きたいのにという気持ちと、確かに呼ばれてすぐ行くだけではつまらない男のようではないか(水木はけしてそんなことを思わないだろうけれど)という気持ちがせめぎあい…、その場で腕組みして、鬼太郎は一度腰を落ち着けねばならなかった。
分かっても分からなくてもかまうまい、そんな気持ちで、水木は烏に羽を託した。
まだ、本当の意味で幼かった頃の鬼太郎を膝にのせ、亡母を含めた家族で楽しんだいくつかの遊戯。
女学校出の母は百人一首にも強く、また、楽しんでもいた。それはささやかな冬の思い出だ。
幽霊族というのは人間よりうんと記憶力か良いらしく、だから賭けたというのもある。直接口にするのは、水木にはいささか難しいことだったから。
目玉が気づいて教えるか、本人が気づくか、あるいはどちらも気づかないか。
どれでも良かった。もしも気づいてくれたなら重畳、その程度の気持ちでいた。
──山鳥の羽を贈ってから、それほどには経っていなかっただろう、と思うのだが。
その晩は季節を先どって、冬の始めのように冷え込んだ。布団の中で少し肩を震わせた水木だったが、さわさわという夜風に何かの気配を感じ、顔を上げた。
まだ真夜中と呼ぶには早く、水木は気づけば雨戸を開けていた。そして、息を飲む。
それは…、それは何という光景だったのだろう。
庭の小ぶりな楓の木の間に、ちらちら漁火のような光が揺れている。猫の額のような庭だ。池も、曲水の宴を催すような川も当然ない。それなのに、ああ、なぜだろうか、水木は今まさに川べりにでも立っているかのような、そんな風を感じた。
見とれてしまっていた水木の耳に、やがてハリのある、詠う声が聞こえてくる。詩吟だ。近所の誰かだろうか。師範がいるといつか聞いたことがあるが。
しかしこの声の主を、水木は知っていた。
だが、あまりに目の前の光景と合わせて現実離れてしていて、夢ではないかと思った。
やがて、声の主、水木のたったひとりのいとしい子が歩み出てくる。その顔は小さく揺れる光に照らされ、特別な贈り物のように輝いていた。
吟じられていたのは聞き慣れないものだったが、聞き取りやすい声のおかげで内容はわかった。
亡き母は、古文の他に漢文も好んでいた…。
水木は縁側に膝をつき、歩み寄る子の顔をじっと見つめた。山鳥の尾羽根の答えがこれなのだろうか。この子は、いったいどれだけ水木のことを考えてくれたのだろう。
「……楓橋夜泊。母さんが好きだったな」
鬼太郎の顔がぱっと明るくなる。
水木はしゃがみこんで、そして喉を鳴らすように笑った。
「…あの、僕考えて」
「うん」
焦ったように話し出す鬼太郎を、水木は目を細めて見つめる。
「…最初は、飛んでくるつもりだったんです」
「うん」
「だけど、…あなたに、つまらない男と思われたくなくて」
この答えは水木の予想外のところをついたようで、彼は目を丸くした。夜のせいで暗く沈んだ瞳の青が、瞬間、チカリと鬼火の光を反射する。楓の間に放った鬼火の光を。
ふは、と水木は笑うと、一度首を曲げ、とんとん、とそこをたたいた。
…夜目が利く鬼太郎にはわかった。水木のうなじが赤くなっていることが。
「…、それで、思ったんです。夜がさみしいなら、楽しくすればいいって」
「……ん?」
「おばあちゃんと、水木さんがいない昼の間に過ごしていて…、詩吟も覚えました」
花も会津の、とそこで有名な一節を吟じ、鬼太郎は悪戯っぽい顔で笑った。
それから、覚悟を決めた顔で水木の手を片手で取り、もう片方の手で何かを握らせた。
──着物の半衿だ。
そこには、何かの鳥の刺繍が見えた。
「かささぎです」
これは、という水木の気持ちを読んだように、鬼太郎ははにかみながら答えた。
かささぎ、かささぎ…、と頭の中で繰り返し、あ、と水木はこぼしていた。目が丸くなる。鬼太郎はやはり恥ずかしげであったけれども、瞳の奥に幾らかの誇らしさが揺れていた。
百人一首にもある、が。
鬼太郎が遠慮がちに水木の手を握った。その手は珍しく熱かった。
──かささぎの橋は、織姫と彦星の間にかかる橋。
天の川を指さし、そう教えたことがあった。水木もまた、幼い頃に誰かに教えられたこと。
鬼太郎は一途なまなざしで水木を見つめながら、真摯に訴える。彼の背後でチラチラと明るい光が揺れている。
その光に、水木はイカ釣り船を思い出していた。まだ小さな頃に見た漁火を。
「気づかない僕を許してとは言わない」
鬼太郎の声は、静かで、そして熱かった。
「でも。寂しい時は、どうか名前を呼んで」
小さな唇が己の手の甲に触れるのを、夢でも見ているような気持ちで水木は見ていた。
「僕はきっと、あなたの声なら、どんな遠くからでも聞き分けるから」
お願い、と瞳で懇願されて。
水木だって木や石でできているわけではない。
頬が赤らむのを止められなかった。
「水木さん?」
怪訝そうに首を傾げる鬼太郎に目を合わせ、俺の負けだ、水木はそう囁いた。
惚れたが負けと、昔から世間では言う。
「…これをつけたら、おまえを呼んでくれるって寸法か?」
カササギの刺繍をなぞりながら言った水木に、照れくさそうにしつつも、鬼太郎はしっかり頷いた。
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