旅の最中に立ち寄った街の酒場は賑やかで、絶えず人々の朗らかな笑い声が響いている。食事も美味で、特に店の名物であるというビーフシチューは絶品だ。とろけるほど柔らかく煮込まれた牛肉と、スープに溶け込んだ野菜の旨みが優しく味蕾を撫でる。
「ん~、美味しい! 何杯でもいけちゃうわ」
「ああ。野菜の下処理も丁寧だ」
「看板メニューというだけあるね。私達のような旅人だけではなく、町民からも親しまれている店なのだろう」
入店して来る客と店員のやり取りを見ていると、常連が多いことはすぐに分かる。しかし、だからといってサイラス達のような一見客を冷遇することもなく、トレサがメニューについて質問すると明るく応えて勧めてくれた。価格も決して高すぎず、仲間達との楽しい時間を彩るには充分過ぎるほど良い店だ。
「あっ! そういえば、まだ部屋の鍵を渡してなかったわね」
思い出したようにトレサがスプーンを置き、テーブルの上に鍵を四つ並べた。先程までサイラス達はばらばらに街を散策していて、予め決めておいた時刻に合わせてこの酒場に集合したのだ。その間にトレサが今夜泊まる宿屋の予約を済ませておく手はずになっていた。金銭が絡むことは大抵トレサが担当し、彼女はいつも卒なくこなすだけではなく、時にはサイラスの予想を上回る結果を残してくれる。
鍵が四つということは、二人用の部屋が四部屋ということだろう。八人という大所帯で、全員に個室を宛てがえる機会はそう多くない。相部屋というのも最早慣れたことだった。
「二人部屋ですか?」
「ええ。だから、いつも通り男女二部屋ずつね」
「では……」
男性陣の中で最もトレサの近くに座っているのがサイラスだったため、彼女の前から鍵を二つ取る。その内一つは向かいに座るアーフェンに手渡した。手元に残った鍵を、隣に座るテリオンの眼の高さで揺らしてみせる。
「テリオン、鍵はキミが持つかい?」
「いや、あんたが持っていてくれ」
「分かった」
たまに部屋に戻るタイミングが異なることがあり、サイラスの方が先だと読書をしていてノックに気づかない可能性もあるため、一応こうして尋ねることにしている。もちろん盗賊であるテリオンがその気になれば、鍵など使わずに入室することは容易い。ただ、やはり宿というのは人目がそれなりにあるため、盗賊の技を使わずに済むならそれに越したことはないだろう。
懐に鍵を仕舞うサイラスの顔を見上げ、トレサは不思議そうに瞬きをする。
「ずっと気になってたんだけど、男性陣の部屋割りはいつも決まってるのね」
「ああ……まあね。トレサ君達はローテーションにしていると言っていたかな」
「ええ。誰と一緒でも、それぞれ違う楽しみがあるもの」
「ふふ、そう言ってもらえて嬉しいです」
女性陣の部屋割りは、同室者が固定されないように順繰りに回しているらしい。方やサイラス達と言えば、いつからか部屋割りは完全に固定になっていた。アーフェンとオルベリク、そしてテリオンとサイラス。――まあ、そうなるように仕向けた側である自分が、いつからかなどと宣うのは筋違いかもしれないが。
「なんだか想像できないのよねー。サイラス先生とテリオンさんって、二人きりの時どんな感じなの?」
実に率直で純粋な質問をぶつけられ、ぎこちなくならないように意識しながら笑みを浮かべてみせる。当然、サイラスはトレサの疑問を解消し得る答えを持っている。しかし、それを彼女に説く訳にはいかなかった。
「どんな感じ、というのは実に抽象的な疑問だね。感じ方というのは人によって異なるよ」
「あ、そっか。えーっと……たとえば、昨日も同じ部屋だったでしょ? どんな風に過ごしてたの?」
「……」
昨夜。サイラスの脳裏に過ぎったのは、テリオンと――恋人と共に過ごした濃密な時間の記憶であった。口付けをして、裸になって素肌を合わせた。恋仲となった二人は、もう何度もそんな風に心身の交流を重ねてきた。
サイラスとテリオンの関係性については、特段仲間達に周知していることではない。ただし部屋割りを固定化する以上、アーフェンやオルベリクに知られることは避けられなかった。それに加えて、勘の良いプリムロゼは気付いているだろう。現に、珍しく沈黙しているサイラスを彼女は面白そうに見つめている。
「昨日は、一緒に本を読んでいたよ」
「へえ~」
「素敵ですね。仲良しのお二人が、一緒に詩集をお読みになる……まるでロマンス小説のようです」
「はっ……夢見てるところ悪いが、こいつが詩集なんか持ってるように見えるか?」
テリオンはサイラスに無遠慮にフォークの先を向け、鼻で笑う。できるのならこの話題は深堀りしてほしくないので、彼が話に入ってきたことに内心ひやひやしていた。
「では、どんな本をお読みになるんですか?」
「昨日は魔導書だった。その前はフラットランド地方の王家の歴史についてだったか……」
「うわあ、退屈そう……。あたしなら読んでる内に寝ちゃうかも」
「そうか? 案外悪くないもんだぞ」
調子を合わせてくれたことに安堵したが、それ以上にサイラスは驚いていた。テリオンが例に挙げた本の内容は出任せではなく、実際にサイラスが持ち歩いているものだったからだ。もちろん本当のところは一緒に読書などしていない。だというのに、きちんと内容を理解しているとは思わなかった。サイラスが断片的に語る内容や、読書の最中に横から覗き込んで見たものを覚えていたのか。
「ふーん。なんだか意外ね、テリオンさんの方がそうやって合わせてるんだ」
「まあな。もちろん、今夜もそのつもりでいるが……あんたも望むところだろう?」
「っ……ああ。キミが読書を楽しんでくれているのなら、私も嬉しいよ」
まさか、仲間達の前で夜伽に誘われるとは思わなかった。平静を装い、敢えて読書という言葉を強調して応えた。しかしそんなサイラスの胸中を知ってか知らずか、テリオンは手元の皿に視線を落としたまま、更に畳み掛けてくる。
「せっかくだから、今日はあんたが読み聞かせてくれないか」
「そ、それは……」
「長文は目で読むより、聞いた方が理解が早いんだ。頼まれてくれるだろ? 先生」
「……はあ、分かったよ。そういえばトレサ君は、今日は誰と相部屋なのだい?」
「今日はオフィーリアさんとよ! 言われてみたら、どんな風に過ごしてるかって普段意識したことなかったなー……」
これ以上この話題を続ける方が危ういと判断し、テリオンが言外に含めた要望にとりあえず是と返事をして、素早くトレサに話を振った。すると彼女は頭を捻り、帳簿を見せている、神官の行事について教えてもらっている、などと断片的に語り始めた。それに相槌を打っていると瞬く間に話題は移り変わる。その内にトレサが帳簿を見せながら今月の収支について熱く語り始めたため、サイラスはほっと胸を撫で下ろした。
***
「話を合わせてくれて助かったが、少し調子に乗り過ぎだ」
ぱたりと部屋の扉を閉めたサイラスの第一声に、テリオンは目を細めてみせる。反省するどころか面白がるような様子に、態とらしくため息をついた。
「はあ……。あんなことを言って、他の皆に勘付かれたらどうするつもりだい?」
「別にいいだろ。悪いことをしてる訳じゃない、気づきたいやつには気づかせてやれば良い」
「あまり明け透けにするのはどうかと思うよ。年少の仲間達に示しがつかない」
「堅いこと言うなよ、先生」
テリオンがサイラスを教師呼ばわりするのは、からかう時だと相場が決まっている。体の横に垂らしていた手を取られたかと思うと、テリオンの手がするすると手首から肘、二の腕に這い上がってくる。軽く腕を引いて見せても彼は気にする素振りもなく、サイラスの目元を覗き込むように顔を寄せてきた。
「……あんまりからかうなら、不貞寝してしまうよ?」
「分かった分かった、悪かったな」
「本当にそう思っているのかね……」
「思ってる」
唇同士をちょんと触れ合わせるだけのキスを物足りないと思っているので、実のところ不貞寝などする気などない。たちの悪いことに、サイラスがテリオンに甘いという事実を彼はよく理解していた。特に、目元を僅かに柔らかくして、年相応な笑みを浮かべる姿には弱い。
「あんたと付き合えて嬉しいから、つい調子に乗っちまう。許してくれ」
「……全く、ずるい人だねキミは。そんな風に言われたら、私はもう何も言えないよ」
「それは困る。今夜は読み聞かせてくれるんだろ?」
「ああ……そうだったね。……私の声が聞きたい、というお願いで合っているだろうか?」
確信をもって問いかけると、テリオンは満足げに頷いてサイラスの肩を抱いた。二人にしか分からない合図が通じ合ったことが嬉しいような、恥ずかしいような、複雑な気持ちだ。
「正解だ。……ご褒美をやらないとな」
「っ……」
赤らんだ耳に吐息ごと囁き声を吹き込まれ、背筋が甘く震える。褒美と言いながら、本当に良い思いをするのは一体どちらなのか。ただ、テリオンが楽しそうであればあるほどサイラスは嬉しいし、彼もまた、サイラスが夢中になっていれば喜ぶだろう。――結局のところ、お互い様である。
翌日、声を枯らしたサイラスは、『張り切って講義をしてしまった』と仲間達に説明した。もちろん、真実を知るのはテリオンその人だけであった。
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