お題箱に頂いた『結露した窓にサイラスが落書きをして、オルベリクへの告白を書く。オルベリクも返事を窓に書く(要約)』というお題でした。ギリ梅雨明け前に書けてよかったです。
雨粒が窓や地面を叩く音が、激しく響く。サイラスは何度も読んだ本を閉じ、腕を持ち上げて体を伸ばした。普段なら時間はあっという間に過ぎるが、今日ばかりはそうもいかないらしい。
――サイラスがアトラスダムを旅立ち、早三ヶ月が経とうとしていた。世界を巡る内に旅の同行者は増え、いつしか八人と一匹で共に進むようになった。ここまで順調にそれぞれの目的地を巡ってきたが、この大雨で足止めを食う形になった。ただ、あらかじめ天候が崩れることは予見できていて、濡れる前に町に駆け込めたことは幸いだった。
(こんなにゆっくりできるのは、いつぶりだろうか……)
ベッドに背中から倒れ込み、天井を見上げる。休息と言えば聞こえは良いが、有り余る時間にサイラスは暇を持て余していた。二つ並んだ寝台と、大人一人分の歩幅の通路があるだけの狭い部屋では、できることも限られている。現に同じ部屋に宿泊する予定のオルベリクは、体を動かしてくると出て行ってしまった。
旅の中では持ち歩ける本の冊数も限られる。直に交易の街であるヴィクターホロウを訪れるためそこで手持ちの物を買い替える予定で、こんなにも早く読み切ってしまうのは計算外だった。
瞼を閉じても、眠気はやって来そうにない。仕方なく体を起こし、寝台に膝をついて窓辺に近付く。急激に低くなった外気との温度差と湿気で、外に面した窓は真っ白に曇っていた。きゅ、と指で線を引いて覗いてみるが、さすがにこんな日に屋外を歩いている人はいない。
(オルベリクはどこにいるのだろう。話し相手になってほしかったところだが……)
曇った窓に、何の気なしに彼の名前を指で綴る。オルベリク――美しい名だと思う。力強く、それでいて包み込むような優しい響きは、まさしく彼に相応しい。彼の名前の後にゆっくりと秘めた想いを付け足して、苦笑いを浮かべた。
「やれやれ。女学生ではないのだから……」
彼の名前と、好意を告げる文言に、情けない顔の自分が映り込む。いつからかサイラスはオルベリクに恋をしていた。これを口にしてしまったら、彼は面倒見のいい人だから困るだろう。この落書きのように、内緒の恋も時間とともに消えてしまえばいい。書いた文字から滴る雫は、まるで涙を流しているようにも見えた。
拭い取るためにハンカチを出そうと鞄に手をかけた時、部屋の扉がノックされて開いた。布を被って頭を拭きながら、オルベリクが室内に入ってきた。
「何をしているんだ?」
「え? あ、ああ、ちょっと外を眺めていたんだ」
慌ててそう言って、オルベリクの視界を遮るように窓を背にして立つ。さっと拭いてしまえばいいと思っていたが、まさかこのタイミングで戻ってくるとは思わなかった。なんと言い訳をしようかと思案している間に、オルベリクの髪の毛の先から水が滴って床に落ちる。
「あなたこそ、そんなに濡れてどうしたんだい?」
「ロビーで鍛錬をしていたら店の者が土嚢を積み始めたから、その手伝いをしてきた。アーフェン達も捕まえて、ついでに近隣の住宅まで運んだりな」
「それは大変だったね。呼びに来てくれたら私も手を貸したのだが」
「ふ、お前が土嚢運びか……」
するとオルベリクは小さく笑った。嘲笑している訳ではなく、どこか気の緩んだ笑い方だ。普段のぴんと背筋を伸ばして気を張っている姿とは違う穏やかな顔に、胸がときめいてしまう。
「あなたと比べたら数は持てないし時間もかかるだろうが、私も男だ。力仕事の一つや二つ、こなしてみせるとも」
「では、次の機会があれば頼りにしよう。……ところで、そもそも土嚢を持ったことはあるのか?」
「うむ、いい質問だね。経験はないよ」
「そうだろうな。それはいいとして……皆、暇を持て余してロビーに集っているんだ。よかったらお前も来ないか?」
どうしようか、と一瞬視線を彷徨わせる。この落書きを拭き去ってから向かうと言うには、でっち上げられそうな用事もない。待つと言われてしまったら逃げ場もなくなるから、ここは素直に向かうのがいいだろう。夜になって室温が下がれば自然に窓の曇りも収まり、落書きも隠れてしまうはずだ。
「そうだね、私も行こうかな。呼びに来てくれてありがとう」
「ああ」
扉前に立っているオルベリクを、そのまま追い立てるようにして二人で部屋を出る。階下からは既に盛り上がっている仲間達の声が聞こえる。雨音を掻き消すような賑やかな様子に、鬱屈としていた気分が少し晴れた。
***
結局その日は仲間達と談笑して夜まで過ごし、普段より早めに横になった。
翌朝、物音がして目を覚ます。外を見ずとも、まだ雨が降り続いていることは音で分かった。目元を擦りながら体を起こすと、隣の寝台が軋んだ。
「おはよう、オルベリク……」
「あ、ああ、おはよう。起こしたか?」
「いや、構わないよ。こんな日も朝から鍛錬かい?」
「まあ……」
枕元に立つオルベリクは既に身支度を整え、腰のベルトに剣を提げている。彼はやけにそわそわと落ち着かない様子で視線を泳がせ、二台の寝台の間を急ぎ足で駆け抜けた。その様子を訝しんでいる間に、サイラスに背を向ける。
「そろそろ朝食の準備もできている頃だろう。俺は先に下りているから、お前も食いはぐれんようにしろよ」
「ああ……分かった」
サイラスの返事を聞くと、オルベリクは振り返りもせずに部屋を出て行ってしまった。いつもの落ち着いた振る舞いとは異なる姿に、首をひねる。焦っているように見えたが、一体何が彼を急かしたのだろうか。
眠気が消えて少しずつ冴えてきた頭を働かせながら寝巻きを脱ぎ、普段着に着替える。髪を結って学者のローブを肩にかけた時に、ふと白く曇った窓が視界の端に映った。昨日と同じように結露した窓には、くっきりとサイラスの落書きが浮かび上がっていた。
(しまった……消し忘れていたな……)
昨夜戻ってきた時には予想通り結露が収まっていたため、失念していた。指先の油分のせいで落書きした部分だけ水を弾き、こうして再度曇った時にも読み取ることができてしまうのだ。オルベリクはこれを見たから慌てていたのだと合点がいった。
今度こそハンカチを取り、窓辺に近付く。拭き取って、悪い冗談だったと明るく謝ろう――そう思ったが、目の高さに別の落書きがあることに気付いて手を止めた。
「これ、は……」
そこにはサイラスの名と、その後に続いて『好きだ』と書かれていた。
どきどきと胸が高鳴り、窓の木枠を撫でながら文字を見つめる。緊張しながら綴ったのか、線が僅かに震えていた。今すぐ部屋を飛び出したくなる衝動をぐっと堪え、赤らんだ頬に手の甲を添える。仲間達の前に、こんな顔で現れるわけにはいかないだろう。
気分が落ち着くのを待ちながら、サイラスの目線に合わせて記された言葉を見つめる。――早く同じ言葉を、オルベリクの口から直接聞きたい。そして、次は二度と消えてしまわないように、紙に書いてもらおうと決意したのであった。
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