ミィくんとアズライトと自分ちの初期旅パトラベラー達の話。ネタバレはないけど全授5章後くらいのイメージ。ラジオでアズライトの好きなものが分かってそれが良い意味であんまりにも普通で、ワア~……となってしまいました。
名もなき町を一望できる小高い丘に、丸椅子が置かれたのはいつからだったか。パーティーをした時にネフティが片付け忘れたのか、はたまた画家が仕事のために置いたのか。最早きっかけは分からなくなってしまっていたが、住民たちはほんの少しずつ気にかけていて、風が強い日は誰かが家に取り込んだり、雨が降った翌日は通りがかった者が拭いた。――その椅子が、ある人物の特等席だと知っているからだ。
「……」
絹のような銀髪を風になびかせ、アズライトは当然のようにその椅子に座った。仮面で隠された素顔は窺い知れないが、町を見下ろす姿はいつもと変わらないように見えた。そうして暫く景色を眺めると、おもむろに持っていた本を開く。彼女がここで読書をする姿を見るのは初めてだった。ページを捲ると、右手の人差し指に嵌った指輪がキラリと太陽光を反射する。
今日は天気が良く、気候も穏やかでとても過ごしやすい日だ。時折手を止めて空を見上げたり、また読書に戻ったりを繰り返す彼女の姿を見ていると、ついうとうとと微睡んでしまった。
「アズライト、少しいいか」
低い男の声に目を覚ます。いつの間にか、彼女の傍に二人の男が立っていた。一人は弓を持ち、金髪を一つに束ねたスケアクロウと呼ばれる男。もう一人は常に植物の香りを纏う茶髪の男で、確かテオと呼ばれていた。そう声をかけられた時には、アズライトは既に手元の本を閉じていた。
「なんだ?」
「魔物の討伐依頼が入った。俺とアシラン、ベルトラン、テオの四人で向かう。明後日の朝までには戻るが、待てずに移動する場合はネフティに次の目的地を言付けておいてくれ」
「分かった。だが、薬師まで連れて行くとは……厄介な仕事なのか?」
「ううん、僕が連れて行ってくれって頼んだだけなんだ。ちょうどその辺りで採れる薬の素材を切らしていたからさ」
旅団には様々な目的や目標を持つ者がいて、時には別行動を取ることも珍しくないらしい。テオが事の経緯を語ると、アズライトは合点がいったように頷いた。
「構わないが、態々報告する必要はない。旅団長なんて便宜上のもので、私は各々好きにすればいいと思っている」
ともすれば冷たく突き放したととられてもおかしくない言葉に、テオはたじろぐことなくすぐに口を開いた。にこやかに話す内容はアズライトを責めるでもなく、自分が咎められたとも思っていないようなさっぱりとしたものだった。
「まあ、それはそうかもしれないけどさ。せめてお互い所在ぐらいははっきりさせておいた方がいいと思わない? 何があるか分からないんだから」
「……テオの言う通りだ。有事の際には必ず駆け付け、力になるつもりだ」
「うんうん。僕らも置いていかれたら困るからね」
「……そうだな。暫く町に滞在する予定だから、こちらのことは気にせず行ってきてくれ」
二人は頷き、更に一言二言交わすと丘を降りていった。アズライトは再び読書に戻り、ページが幾らか進んだ頃に丘を登る足音が聞こえた。ざ、ざ、と丘を駆け上がる音が近づくと、アズライトは立ち上がって椅子の上に本を置く。
「よっ!」
「なんの用だ? ターヒル」
軽く手を挙げた男は、深紅のターバンを頭に巻いた剣士だった。そういえば、以前フェインツが町で剣士たちと手合わせをしたと言っていたが、それは彼のことだろうか。走ってやって来たはずのターヒルだが、息を切らすこともなく答える。
「酒場でトリッシュ達が菓子作りをしてるから、一時間したら味見に来いって伝えてくれってさ。何でも、商人たちが食材を安く仕入れたらしいぜ」
「ああ……。そういえば昨日ギルデロイたちが話していたな。先日の大雨で流通が滞った食材を、安く大量に買ったんだったか」
「そうそう! 作った菓子の一部は売ったり孤児院に配ったりするらしい」
それはキャットリンたちの分もあるのだろうか。小麦が焼けるいい匂いがすれば、流石のアイラだって書庫から出てくるだろう。自分にもいくらかお裾分けがあるといいのだけど。取止めもないことを考えていると、アズライトは腕を組んだ。剣士の青年と並ぶと小柄な彼女はますます小さく見えてしまう。
「で? それだけか?」
「いや。ついでに暇なら手合わせでもしてもらおうかなと思ってな」
「断る」
「そう言うなって! な! ちょっとだけ!」
「私と手合わせしてどうする気だ? お前となんかまともに打ち合えないぞ」
心底呆れたような声色のアズライトに、ターヒルは両手を合わせて懇願する。アズライトを決してか弱いと言うつもりはないが、その細腕で剣士の一撃を受け止めることはできなさそうだ。するとターヒルは顔の前で手を振り、否定する。
「そりゃ、オレも分かってるって。何も真正面から打ち合えなんて言わないさ」
「じゃあどういう意味だ? 私がお前に勝とうと思ったら、剣士たちが嫌う外道な手段しかないが」
「外道って言い方が良いかどうかは分からないが……オレは、そういう戦い方をもっと知りたいと思ってんだ」
先程までの陽気な姿から一転して、彼は酷く真面目な顔で語った。彼もアズライトも、常人には想像の及ばないような熾烈な戦いに身を投じ続けてきた。その中で、何か思うところがあったらしい。
「戦う相手は亜人や魔物だし、人相手だって正々堂々とした戦いを仕掛けてくるやつの方が少ないだろ。そういうやつらとまともに渡り合うには、オレの知らない戦い方を覚える必要があるんじゃないか……って思ってな」
「……それは一理あるかもしれないが、私はパスだ」
「ちぇ、残念だ。他を当たってみるかー……」
「そうしてくれ。カルツなら、昼間は団員と訓練をすると言っていたぞ」
さらりと仲間の名前を出すところを見るに、旅団長など便宜上だと言いながらも彼女なりに意識はしていることを感じた。まあ、これは単に同業者を売っただけとも言えるかもしれないが。
アズライトが椅子に座る姿を見届け、ターヒルが踵を返す。一歩、二歩と進み始めたところで、突然アズライトが立ち上がった。音もなく地を蹴り、背後から素早く彼の剣の持ち手を押さえながら反対の手で首筋に触れる動きは、同族と見紛うほどしなやかであった。
「っ……!」
「これが盗賊のやり方だ。……私たちはいちいち、試合をしてくれなどとは言わない」
「なるほどな……勉強になったぜ」
降参と言わんばかりに両手を挙げたターヒルに、アズライトは満足気に身を引いた。ターヒルが腰に提げた剣の柄には氷が張っていて、腕力だけが戦いではないと言外に告げている。結果としては敗北と言える状況であったが、彼はどことなく嬉しそうに去って行った。
それと入れ替わるように、拍手の音とともに踊子が現れた。リネットは少し癖のある長い金髪を揺らし、装飾品をしゃらしゃらと心地良く鳴らしながら歩み寄る。
「すごい、鮮やかね! 見惚れちゃいそうな動きだったわ」
「別に、これくらいは盗賊なら出来て当たり前だ」
「そうかしら? あんな風に音を立てずに近づいて、素早く魔法を発動するのはすごいと思うわよ」
「あんなものは魔法の内に入らない薄氷だ。……あいつがその気だったら、力尽くで剣を引き抜いていた」
踊子の真っ直ぐな賛辞を、アズライトはさらりと躱してしまう。曰く、ターヒルは不意を衝かれてはいたが、瞬時に相手が武器を持っていないことを察知して剣を取らなかったと。あの一瞬でそのような攻防があり、それを言葉にせずとも察するのはすごいのではないだろうか。きっと二人が武人として優れているというだけではなく、長く共に旅をしているからこそ出来るやり取りなのだろう。
それで、とアズライトはリネットに用件を言うように促した。リネットは向日葵のようにぱっと明るい笑みを浮かべ、本題に入る。
「踊子たちで話し合ったのだけど、明日の夜にここで舞の舞台をしようかと思って。いいかしら?」
「ああ、構わない。……別に、私の許可を取る必要もない」
「ありがとう! 良いと言ってくれるとは思っていたけど、一応ね。それに、あなたにも観に来てほしいから」
「……暇だったらな」
つれない返事にも、リネットは結果を確信しているのか笑みを浮かべたままだ。旅団に長く在籍している彼女はアズライトと年齢が近いらしく、友のようでいて、時折姉のような振る舞いを見せることがある。
「待っているわ。即興だけど、とても良いものが出来上がりそうなの!」
「……ああ」
「……私たちは前線で体を張れる訳ではないし、傷付いた身体を癒やすことはできない。こういう形で一時の安らぎを与えることしかできないのが、歯痒いけれど……」
「そんなことはない」
はっきりとした否定に、だんだんと視線を落としていたリネットが顔を上げる。相変わらずアズライトの表情は読めないが、彼女がその場凌ぎの慰めを言う人間ではないことを、リネットも分かっているはずだ。
「苦しい戦いの中、心が折れてしまいそうな時……あと一歩、進む力をくれるのがお前たちの踊りだ」
「アズライト……」
「それに、お前たちの笑顔を見ていると……不思議と体の底から力が湧くんだ。私に限らず、みんなリネット達を頼りにしている」
「……そうね、ありがとう。あなたの言葉で迷いが吹っ切れたわ。いい舞台にするから、必ず観に来てちょうだいね! ついでに、他の人にも声をかけておいてくれると嬉しいわ」
そう言い残して、踊子もまたその場を去ってゆく。アズライトは自分の髪を指で搔き上げ、短く息を吐いた。その耳の先がほんのりと赤くなっていたので、照れているのかもしれない。
彼女が再び椅子に戻って幾らか時間が経つと、どこからともなく香ばしい匂いがしてきた。ターヒルが言っていた菓子が焼けたのだろう。アズライトは気にせず真剣に本を捲っていたが、新たな来訪者の気配にまた立ち上がった。
「こんにちは、アズライトさん」
「やあ。どうだね、私の勧めた本は?」
「……つまらない。おまけに、次から次に人が来ては邪魔をしていく」
訪ねてきたのは物腰の柔らかな神官であるミロードと、からりと笑って白髪を揺らす老齢の学者であるペレディールであった。アズライトがペレディールに椅子を勧めるが、彼は首を横に振った。
「結構、私はまだそのような歳ではない。それにしても、君が読みたいといったのだろう? 私とアイラで書庫を探したんだぞ」
「アズライトさんが読書とは珍しいですね。何を読まれていたんですか?」
「十二神にまつわる話をまとめた本だ。読み手を問わん易しいものにしたが、流石にちと退屈であったか……」
ペレディールは顎髭を撫でながら、次はあの本か、いやこの本にすべきかとブツブツと呟く。すっかり自分の頭の書庫に夢中になりだした学者に、ミロードは苦笑いを浮かべた。
「アズライトさんは大抵ここにいらっしゃいますから、つい訪ねてしまいたくなるのでしょう。斯くいう僕たちもそうですから」
「……全く。居場所が割れているとは、盗賊失格だな」
「僕たちの前では良いではありませんか。好きな場所で、好きなことをして、心穏やかに過ごす時間は誰にでも必要です。……それにしても、何故その本を選ばれたのですか?」
「……今後の参考になるかと思ってな」
彼女たちが今、どのような状況に置かれているのか。それは自分には詳細には伝わってこないが、苦しい局面にいることだけはその声色から理解できた。みんな口には出さないが思うことがあり、それぞれが出来ることをしようと必死に藻掻いているような雰囲気だった。
「そう、ですね……。神話にはあまりご興味がなかったと、以前仰っていましたね」
「神官の前で言うのは悪いと思うが……祈ることに意味を見出だせなかった。そんなことをしたって、空からパンが降ってくる訳ではない。信仰心というものも未だに理解できん」
「アズライト君、理解と共感は分けて考えるものだぞ!」
突然、自分の世界に浸っていたペレディールが戻ってきて会話に割り込んだ。どうやら、一応は二人の話を聞いていたらしい。
「全ての事象において、君が自己を投影して共感に浸る必要は無い。敢えて自分から切り離し、客観的に見ることで理解が深まることもある。まあ勿論、共感から理解に結びつくこともあるので一概には言えんがな……」
「……つまり、平たく言うと?」
「君が共感し難いと思うなら、無理にそうする必要はない! だからといって理解が出来ん訳ではないので、諦めずに向き合う姿勢が大切だということだ」
「なるほど……。とても参考になります」
アズライトではなく、ミロードのほうがやけに真剣に頷く。この三人の中でミロードは最も共感性が高い人間だ。神官という職の者は、相手に寄り添う姿勢を見せることが多い。そんな彼にとって、ペレディールの講釈は今まで考えもしなかったことかもしれない。
「その本が退屈なら別の本を紹介しよう。ちょうど菓子が焼けたから呼んでこいと言われたのだ。一度、丘を降りんか?」
「ああ、そうでした。焼きたての内に、是非頂きに行きましょう」
「……分かった。少し休憩するか」
そう言うと、アズライトは僕の潜む木陰に真っ直ぐに近付いてきた。一言も発さずに潜んでいた僕の体を軽々と抱き上げ、二人と共にゆっくりと歩き始める。
「おお、ミィか。良かったな、お前たちのおやつもあるらしいぞ」
「いつからいたんですか? 気が付きませんでした」
「最初からずっといたぞ。……さ、帰ろうか」
ごろごろと喉を鳴らすと、アズライトは目を細めて口元を柔らかく綻ばせた。――その優しげな表情に、胸が締め付けられる。君は本当に、この苛烈な争いの渦中に身を置くことを望んでいるのだろうか。その指輪は祝福ではなく、呪いではないのだろうか。君を『選ばれし者』と呼ぶ人間の内、果たしてどれだけの者が、君の痛みを真に理解しているだろうか。
仮にそう問いかけたとしても、きっとアズライトは自分で選んだと言うのだろう。その心身の強さが眩いが故に、足元に落ちた影の濃さに恐ろしくなる。せめてこんな時くらいは心安らかに過ごせることを願いながら、小さく鳴き声を上げた。
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