オルベリクがコブルストンを旅立ち、早数ヶ月が経った。はじめはフィリップ誘拐事件に手を貸してくれた学者の青年と商人の少女との三人旅であったが、各地を巡る内に同行者は増え、いつしか八人と一匹という大所帯になっていた。旅の目的も生業も異なる仲間達だが、手を貸し合ってここまでやってきた。
同行者が増えることには利点もあり、欠点もあった。利点の一つは言うまでもなく、旅が格段に楽になるということである。オルベリク以外にも旅慣れている人物がいたため、野営が安全に行えるようになり、道中に立ち塞がる魔物などへの対抗手段も増えた。
欠点も幾つかあるが、今オルベリク達が直面している問題は路銀が不足していることであった。
「行ったぞ、ハンイット!」
「ああ。行くぞ、リンデ」
獣の唸り声と、弓の弦を引く音が重なる。雪豹のリンデがホウルを威嚇するように吠えた次の瞬間、ハンイットの放った矢が正確に魔物の頭を貫いた。周囲のラットキンたちに動揺が走り、群れの陣形が崩れたところを見逃さずに槍を振るい、彼らの持つ武器を弾き飛ばす。
「さあ、止めは任せたわよ?」
「チッ……面倒な……」
身に纏う装飾品をしゃらりと鳴らし、プリムロゼが軽やかに舞う。笑みを向けられたテリオンは大袈裟にため息をつきながらも短剣を構え、無防備なラットキンの懐に飛び込む。普段ならオルベリクも共に剣を振るうのだが、今日はそうもいかない。なるべく傷をつけずに、急所を狙った一撃を繰り出すのは長剣では難しいのだ。
渋面を作っていたテリオンだったが、彼の仕事は正確で鮮やかであった。たったの一突きでラットキンを仕留めながらも、降り注ぐハンイットの矢を目で追わずして見えているかのように避ける。――そうして、あっという間に魔物の討伐は終わった。
「……これで終わりか?」
「ああ。他の魔物のにおいはもうないようだ」
鼻を鳴らしたリンデの頭を軽く搔き、ハンイットが答える。大所帯での旅は何かと入用で、たまにこうして魔物の討伐依頼を受けて金を工面しているのだ。今日は仲間達を半々に分けて、街の外と中それぞれで金策に走ることになった。
といってもオルベリク達の仕事は討伐だけでは終わらない。ハンイットがナイフを取り出し、血を流して地面に転がるラットキンに近づく。
「後はわたしがするから、皆は休んでいてくれ」
「いや、俺も手伝おう」
「そうか? 助かる」
「私は見ていてもいいかしら」
「あまり気持ちのよいものではないだろうが……わたしは構わないぞ」
魔物の毛皮や鎧甲は武器や防具の素材になり、肉は食用にするものもある。以前ハンイットが、命を奪った後こそが狩人の最も大切な仕事であると語っていた。彼女の傍らに膝をつき、予備のナイフを借り受ける。
今回の陰の功労者と言えるテリオンは黙って手頃な木にもたれかかると、仮眠をとるつもりなのか瞼を閉じる。するとその足元でリンデが丸くなり、同じように休み始めた。どこか微笑ましい二人の姿を一瞥し、解体作業に取り掛かった。
***
そうして後処理をして街に戻り、一旦宿の部屋で汚れた身体を拭った。解体した骸の一部を持ち帰ったので、後はトレサに任せて売却してもらえばいい。とはいえ今日はもう日が暮れかけているので、それはまた明日以降のことだ。
身綺麗にして宿の廊下で再び集うと、残りの仲間達との集合場所である酒場に向かう。――サイラス達はもういる頃だろうか。今日はトレサを中心に、装備品等の買い足し及び不用品の売却、それが終われば魔物の討伐依頼などが他にないか探す予定だと聞いている。
「いらっしゃいませ~」
酒場の扉を開けるとカランとドアベルが鳴り、店員が手を止めてこちらを向いた。店内はそれなりに広いが、ワンフロアであるため店の奥までひと目で見通せる。オルベリク達が見付けると同時に、奥のテーブルに座っていたトレサが駆け寄ってきた。
「お疲れ様です! そっちは順調だった?」
「ああ。かなり状態が良い素材を集められたから、また明日にでも見てくれ」
「ええ、分かったわ。それよりも早く来て、サイラス先生が大変なの!」
「何っ?」
予期しなかった言葉に血の気が引く。街中で危険なことなどあるまいと思っていたが、まさか怪我でもしたのか。恋人の名前を聞き顔色を変えたオルベリクに、トレサが慌てはじめたが構っていられずに奥のテーブルに向かう。八人で座れるように椅子が並べられた円卓に近づくと、困り顔をしたオフィーリアが視線を上げた。それにつられたように、黒いローブ姿の男が振り返る。
「やあ、オルベリク」
「サイ……ラス?」
サイラスは持っているグラスを笑顔で呷り、軽く手を挙げてみせた。見たところ外傷はなさそうだが、頬が火照っていて濃い酒の匂いが漂っている。その隣でアーフェンは机に突っ伏し、寝息を立てていた。
「これは……どういうことだ?」
「うむ。街に残った我々はまず、トレサ君の商談の手伝いをしていたんだ。中でも高値がついたのはバーディアンの羽根でね、特に状態が良いものは羽根ペンとして重宝されるんだ。羽根ペン言えば、善し悪しを決める基準としてインクの乗りや耐久性が挙げられるが、私達学者の間では書き味についてもよく話題に登ったよ。私がまだ学生の頃、教授の羽根ペンが紛失する事件があり……」
口を挟む間もなくつらつらと述べられる話は、どんどん本筋から遠ざかってゆく。学者であり教師でもあるサイラスは普段から長話をしがちだが、こちらの理解が及んでいないと気付けば話を止めてくれる。しかし今は、困惑するオルベリク達を置いてけぼりに陽気に話し続けた。プリムロゼは呆れたように自身の頬に手をやり、ため息をつく。
「一体どうしたの? ……随分酔っ払っているみたいだけど」
「地酒を幾つか飲んでいたのよ。そしたらアーフェンは寝ちゃうし、先生はこの調子でずーっと話し続けるから参っちゃって……」
「それは面倒をかけたな……。とりあえずこいつは俺が引き取ろう」
「そうしてくれると助かるわ。みんなも座って? お腹すいてるだろうし、ご飯食べながら話しましょ」
空席になっているサイラスの左隣に座ると、他の仲間達も空いた席を埋める。リンデはハンイットの足元に座り、ぺたりと両耳を伏せた。
食事を取りながら、トレサが語った顛末とはこうだ。――彼女達はまず、当初の目的通りに装備品の買い替え等を行った。幾つか店を渡り歩いて満足行く買い物をした頃、大通りで急病人が出たと騒ぎになったらしい。すぐに駆け付けてアーフェンが診たところ、幸いにも手持ちの薬で治せる病状だったそうだ。
「たまたまなんだけど、助けた人はこの辺り一帯の大地主でね、お礼をさせてくれって言われたの」
「へえ。……受け取ったのか?」
「ええ。アーフェンさんは固辞されようとしたのですが……」
「あたしが、薬代ぐらいはって食い下がったのよ。まあ、その地主さんの、『次の患者のために』って言葉がアーフェンには効いたみたいだけどね」
トレサはパンを頬張って咀嚼し、また口を開く。オルベリクの隣では相変わらずサイラスが取止めもなく喋り続けているが、それには適度に相槌を打ちながらまたトレサの声に耳を傾ける。
曰く、地主は礼を固辞するアーフェンの態度にもいたく感銘を受けたらしい。そして金銭を受け取らないのなら、自身が運営するこの酒場で好きなだけ飲み食いして欲しいと勧めたそうだ。話をする中でアーフェンが酒好きだと分かると、地酒が複数振る舞われ――結果としてこうなった、ということだった。
「特別に度数が高いとは仰っしゃらなかったのですが……」
「お酒には度数以外に、飲み合わせもあるのよ。製法の違うお酒は口当たりが変わるから飲み易いけれど、その分気が付かない内に酒量が増えてしまいがちね」
「それに、空きっ腹だと酔いが回りやすい。二人共、食事はまだだったろ」
「あ、そういえばそうね。食事はみんなが来てからにしようって、二人でナッツを一皿食べただけよ」
そう言ってトレサが指し示した皿は、あまり大きさのない平皿だ。サイラスもアーフェンも酒に強いたちだが、出されたものが珍しくてつい飲みすぎてしまったのだろう。サイラスの手元のグラスを水が入ったものとすり替え、少しぬるくなった酒を喉に流し込む。鼻を抜ける風味は良く口当たりもまろやかだが、アルコールの香りが強い。
「どう? オルベリク」
「……確かに、度数が高そうだな。飲み過ぎると悪酔いしそうだ」
「やっぱりね。でもせっかく出してもらったのだから、私も一杯もらおうかしら。テリオンもいかが?」
「貰おう」
「そう、それでね……」
当のサイラスは相変わらずにこにこと笑みを浮かべたまま、すり替えられたことに文句もつけずに水を飲む。羽根ペン紛失事件は今や製本作業の話になり、次はハイランド地方の羊の話になるらしい。話し始めから結末まで語られることは稀で、殆どの話題は途中で枝分かれして別のものになってしまう。
「ハイランド地方で牧羊が盛んに行われていることは、あなたもよく知っているだろう?」
「ああ。城下町に牧場を有する街もあるからな」
「賢王と呼ばれるソロン王が治める、アルティニア王国のことだね。一般的に、牧場は町から少し離れた場所に設けることが多い。広大な面積が必要になる上に、においの問題もあるからね。しかしかの国では……」
今や相槌を打つのはオルベリクだけになってしまったものだから、サイラスは真っ直ぐにオルベリクを見つめて話し続ける。熱視線に応えつつ食事を取り、時折彼の口にも料理を運んでやった。開きかけた口に食べ物を押し付けると大人しく含み、咀嚼中はしんと静かになる。酔っていても行儀の良さは変わらないようだが、沈黙している間もサイラスの頭の中では話が進んでいるらしく、次に口を開いた時にはまた別の話題になるものだから面白い。
サイラスを介抱、もとい専属の話し相手になるオルベリクを見て、仲間達は口々に「優しい」や「辛抱強い」などと少々的外れな評価を下した。しかし態々訂正することもないので甘んじてそれを受け容れ、食事を続けた。
そうして夕食を終え、宿に向かう頃にはすっかり日が落ちていた。夜道を歩く間もサイラスは上機嫌で語り続け、オルベリクの傍から離れようとしない。そんな様子の彼に、ハンイットは呆れた様子で肩を竦める。もしかしたら、泥酔した師の姿が重なって見えたのかもしれない。
「サイラスはそんな調子で大丈夫なのか?」
「まあ、後は寝かしつけるだけだ。どうとでもなる」
「すみません、わたし達が止めていれば良かったんですが……」
申し訳無さそうに頭を下げるオフィーリアに、首を横に振って見せる。宿の扉を開け、宛てがわれた部屋へと歩を進めながら淡々と告げた。
「気にすることはない。飲み過ぎはこいつらの責任だ」
「そうよ。それに……この状況を楽しんでいる人もいるみたいだから、あなたが責任を感じることじゃないわ」
「? そう、でしょうか……」
「……」
誰のこととは言わなかったが、プリムロゼの視線は明らかにオルベリクを指していた。咄嗟に口元を手で覆っても、今更誤魔化しは利かないだろう。まさか顔に出ているとは思わなかったのだ。
今日は二人部屋なので、仲間達とはこのまま廊下で別れることになる。就寝の挨拶をして全員が部屋に入ったところを見届け、オルベリクもサイラスの手を引いて扉を潜った。室内は寝台が二台に小さな机と椅子があるだけの、どこにでもあるような簡素なつくりだった。
「男性が倒れたと聞いて駆けつけ、すぐにアーフェン君が診察を始めた。オフィーリア君がアーフェン君を手伝うと言うので、私とトレサ君で倒れる直前の状態について周囲の人々に聞き込みをすることにしたんだ」
「なるほど、それなら応急措置と状況把握が同時に行えるな。……そら、座れ、着替えは手伝ってやるから」
「うん。話を聞くうちに、原因は直前の食事である可能性が高いことが判明した。恐らく男性は食物アレルギーで……」
一周して奇跡的に元の話に帰結したことに密かに感動を覚えながら、サイラスを寝台に座らせる。そしてその足元に跪き、靴を脱がせた。次いで襟元に手を伸ばし、ローブの留具を外す。彼の服を脱がせることは最早、慣れたものであった。
プリムロゼには見透かされていたが、オルベリクは案外この状態を楽しんでいた。見目麗しい恋人が、要領を得ない話を楽しげに続けるのはなんとも可愛らしく、見ていて全く飽きない。実のところ約得だと思っていたので、仲間達の純粋な賛辞はいたたまれなかった。――刺繍の入ったベストに手をかけた時、ふと頭上から浴びせられていた声が止んだ。
「サイラス?」
返事の代わりに頬を撫でられたので、眠ったわけではないらしい。サイラスの手はいつもより温度が高い気がした。顔を上げると、待ち構えていたように額に柔らかなものが触れた。一瞬掠めて離れていった唇は満足げに弧を描き、甘い響きでオルベリクの名を呼ぶ。
満更でもない気持ちで彼の顎を指先で擽ると、うっとりとしながら瞼を閉じてみせた。誘われるまま、軽く唇を重ね合わせる。先程まであれほど陽気に喋っていた恋人は、今はどこかぼんやりとした様子でゆっくりと瞬きをした。
「……話はもういいのか?」
「少し休みたいんだ。また後で、続きを聞いてくれるかい……?」
「ああ」
「ありがとう……。あなたが熱心に聞いていてくれるから、つい喋りすぎてしまうよ……」
一呼吸置いたことで急激に睡魔に襲われたのか、声に力がなくなってゆく。倒れる前にと、背中に手を添えて寝かせてやると彼は素直に身体を横たえた。自重を支える必要がなくなると、いよいよサイラスの瞼は重たくなってきたらしい。美しい瞳を見つめていられる時間が徐々に短くなる。
「わたし、あなたが……目を見て、頷いてくれるのが……好きで……」
「俺も同じだ。お前の視線を独り占めできて嬉しい」
「……うん……」
「……おやすみ、サイラス」
前髪を整えてやりそのまま手の平で目元を覆うと、程なくして静かな寝息が聞こえ始めた。無防備で、どこか幼くすら映る寝顔を暫し堪能し、その後物音を立てないようゆっくりと自分の寝支度をする。
――明日は一体、どんな話を語ってくれるのか。柔和な笑みを脳裏に描きながら眠ると、夢の中でまでサイラスの声が聞こえたような気がした。
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