活気がある街は仕事がし易い。人が多く、また短期間で流動的に入れ替わるため足がつき辛い。りんごを一つくすねるくらいは訳もなく、路地裏を歩きながら艶やかなそれに齧り付いた。こういうものはさっさと胃に収めて、証拠隠滅してしまうに限る。
(さて……これからどうするか)
盗みが容易な状況ではあるとはいえ、今のところ食うに困ってはいない。八人と一匹という盗賊らしからぬ集団で動いているため、路銀は主に仲間が工面してくれている。魔物の討伐等ならまだしも、窃盗行為から生まれた金を商人の少女は受け取りはしないだろう。そうなると、自由行動の間は街を見て回るくらいしかやることがない。
りんごを食べ終え、再び表通りに出る。適当に街を見て、時間が余れば宿で仮眠を取ろうと決めた。今は寝食に事欠かないが、将来また独りでここを訪れる機会があるかもしれない。その時に仕事がし易いように、下調べしておくのは悪いことではないだろう。
「……」
歩きながら頭の中に街の地図を作ってゆく。目につく建造物や建物、屋敷の窓が面している方角、人通りの有無。テリオンが盗賊として経験を積む中で、それらの確認をすることは一種のルーティンになっていた。どれだけ技術があろうとも、下調べを怠り万が一の事態を避けられない者は二流だ。――その言葉は、とある執事の罠にかかった己に向けての自戒でもあるが。
その時ふと、視界の端に映ったものが気になり足を止めた。ぽつぽつと露店が立ち並ぶ通りで、見慣れた漆黒のローブを纏った学者が店主らしき人物となにやら話し込んでいる。それだけなら素通りしても良かったが、サイラスが手元の本に夢中になっているうちに、相手の男が徐々に距離を詰めているように見えた。早足で近づき、男の手がサイラスの腰に回る前に割って入った。
「よう。探したぜ学者君」
「あれっ、テリオン? どうしてここに……」
「……お兄さんの連れかい?」
「まあな。気に入った本はあったか? そろそろ宿に向かうぞ」
男を睨みつけながらサイラスには態とらしく優しい声を出し、その柳腰を掴んで引き寄せる。空色の瞳が不思議そうに瞬いて、手にしている深紅の表紙の本を抱え直した。
「分かった。ではこの本を貰うよ、幾らだい?」
「百五十リーフだよ。ちょうどだな……はい、毎度あり」
「どうも。……えっ、ちょっと待ってくれ、テリオン。そんなに急がなくてもいいだろう?」
代金の受け渡しが終わると、サイラスの手を握って歩き出した。サイラスは文句を言いながらも手を振り解くことはなく、大人しくテリオンの後ろを付いて歩く。
「テリオン、テリオンったら。まだ集合時間には早いだろう? 何かトラブルでもあったのかい?」
「嘘に決まってるだろ。……気付かなかったか? あの男、お前に触りたくて仕方がないようだったぞ」
嫌味っぽく言ってもサイラスにはあまりぴんときていないようで、僅かに首を傾げた。テリオンが年上として、そして恋人として、男の欲望とは何たるかを教え込んできたはずなのに、まだ理解しきれていないらしい。学業であれば一を知れば十を悟るくせに、色恋沙汰にはとんと疎いから困りものだ。
「そう……だったのかい? 本の話をしていて気が付かなかったよ。確かに、急に手を握ってきたりして、独特な距離感の人だとは思ったが……」
「お前な……ったく、無防備すぎる……」
違和感を抱いたのならその時点で対処すべきだろうに。大きなため息をつくテリオンを見て、サイラスは握られた方とは反対の手にある本を持ち上げて口元を隠した。普段は真っ直ぐにこちらを射抜いて全てを暴き出そうとする視線が、珍しく宙を彷徨う。
「……どうした」
「ええと、つまり……あなたはやきもちを焼いて怒っている、ということでいいのかい?」
「そうだが……何故喜ぶ?」
「えっ……」
図星だったのか、ぽっと頬を赤らめて顔を背けられた。顔の半分を隠した程度で表情を取り繕えると思われるとは、心外だ。サイラスは元々喜怒哀楽が分かりやすく、更に嫌なことははっきりと拒否できる男ではある。しかしそれでも、恋人として微妙なサインを見逃さないように日々気を配っているのだ。
歩調を緩めると、ようやくサイラスが隣に並んだ。握った手の平がじんわりと熱を持っていて、その胸中の動揺を伝えてくる。そうも意外な言葉を述べたつもりはなかったというのに、何故照れているのだろうか。無言で横顔を凝視していると、彼はぽつぽつと語り始めた。
「……嫉妬するということは、それだけ私のことを好いてくれているということだろう? そう思うと、その……嬉しくて」
「……はぁ」
「私は間違ったことを言っているだろうか……?」
再びため息をつくと、サイラスは浮かれた様から一転して顔を曇らせる。殊勝な様子は可愛らしいが、どこか釈然としない思いもあった。自分自身が呆れてしまうほどこの年若い恋人にのぼせているというのに、当人にはその自覚がないらしい。ここまで来ると鈍いとか疎いだとか、それ以前の問題に思えてきた。
横目で周囲を一瞥し、人通りがないことを確かめて彼の手を振り解く。代わりに細い二の腕を掴んで引き寄せ、丸くなった瞳を覗き込みながら唇を重ねた。
「っ……! こ、こんな往来で……」
「誰も見てない。……俺がどれだけお前に惚れてるか、まだ分かってないらしいな。今夜はたっぷり補習してやる」
「それって……」
かっとりんごのように顔を赤くして、それきり言葉を失うさまに胸の内が満たされてゆく。テリオンの意図を正しく理解しながらも拒むつもりはないようで、彼はそのまま小さく頷いた。呆れるほど素直で、いたいけなひとだ。そんなところがテリオンを夢中にしてやまなかった。
***
その後は集合時間まで二人で街を見て回り、酒場で仲間達と合流した。全員で食事を取り、宿へと向かう。トレサが予め押さえていた宿は二人一部屋で、各室に風呂場が備え付けられていた。
テリオンは当たり前のようにサイラスと同じ部屋に入り、先に彼を風呂場に向かわせた。そして入れ替わりに自分も身体を洗い、たった今浴室から出てきたのだが――。
「……これだからガキは」
待っている間に睡魔に襲われたのか、サイラスは寝台に横たわり、布団も掛けずに眠っていた。態と音を立てて寝台に腰を下ろしても、規則的な寝息が乱れることはない。少し水分を含んだ髪を、形の良い後頭部に撫で付けるように梳いてやる。
「言ったろ、無防備すぎるって……」
それは何も第三者の前だけではない。サイラスの言動や振る舞いからは、自分への厚い信頼を感じる。裏切られる痛みなど知らない純粋な眼差しが時折たまらなく眩しく見えて、同時に己が暗い影の中で生きる者だと実感させられる。
「……だから、こんな悪い男に捕まるんだ」
サイラスの純粋な思慕に付け込み、絡め取って手中に収めた。後悔などはしていないが、彼が選べたはずのもっと良い選択肢を摘み取ったことに対して、僅かな痛みを抱えていることも事実であった。自分の傍にいるのが一番の幸福だと、胸を張って言えるような人生であればどれだけ良かったか。
取り留めのないことを考えたが、緩く頭を振って消し去った。静かな夜はつい、意味のないことにまで思いを巡らせてしまう。そろそろサイラスに布団をかけてやろうと腰を上げかけた時、閉ざされていたはずの唇から柔らかな声が発された。
「……それは違うよ、テリオン」
「……起きていたのか」
「少し前からね。あなたはいつも、私のことを何も知らない子供のように扱うが……私はとっくに成人した大人だ。捕らわれたのではなく、自分であなたの腕に飛び込んだのさ」
「だがそれは、」
寝起きとは思えぬほど素早く身を起こしたサイラスが、テリオンの唇に人差し指を押し付けた。思えば、言葉を奪うのはいつも自分の方で、彼から沈黙を求められたのはこの時が初めてだった。
「この点については異論は認めない。……寧ろ、こうは考えられないかい? 私が子供の振りをしてあなたの罪悪感に付け込み、責任を取らせようとしているのかもしれないと」
「ハ、……言うようになったじゃないか」
「誰かさんに鍛えられたからかな。私は狡猾な大人だから、あなたを縫い留めるためなら何でもしてみせる。……真に危機感を覚えるべきは、あなたの方だよ」
そう言いながら肩にしなだれかかってきたかと思うと、傷一つない指先にそっと胸元を撫でられた。長い睫毛に縁取られたサイラスの瞳は、挑戦的にテリオンを見つめている。その挑発に応えるべく、細い手首を握って引き寄せた。
「わっ」
「そこまで言うなら……大人同士でしかできないこと、するか?」
「……うん。どんな補習をしてくれるのか、楽しみにしていたんだ」
「どこまでその減らず口が聞けるか、見ものだな」
額を突き合わせてそう囁くと、彼は嬉しそうに目を細めた。――突き詰めると、似た者同士なのかもしれない。自分と相手があまりにも違いすぎるから、相応しくないのではと迷いつつ、それでも愛しているという身勝手な理由だけで隣にいる。
何も持たずに生まれてきて、何にも執着できなかったテリオン。あらゆる物を持って生まれてきたからこそ、特定のひとつを選ぶ必要性を感じてこなかったサイラス。そんな二人が今こうして交わり、目の前の相手だけを求めている。それは所謂、奇跡のようなものかもしれない。
「テリオン……」
この名をそうも甘く蕩けた声で、大切に呼んでくれる者はサイラス以外にはいない。――もしかしたら本当に、囚われているのはテリオンの方なのだろうか。不思議と悪い気はせずに、どこか夢心地で温かな素肌を弄った。
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