オルベリクがコブルストンを発ってから、早半年が過ぎようとしていた。旅の同行者には、旅立ちのきっかけとなった事件の手助けをしてくれたサイラスとトレサ、それから更に五人と一匹が加わった。それぞれの目的が近づく一方で旅は苛烈さを増してゆくが、仲間達の手を借り、そしてオルベリクも手を貸しながらここまで来た。
今日の夕方頃に中継地となるクリフランド地方の町に着き、食事を摂ると早々に宿へと向かった。常に八人分の個室を用意することは、宿の部屋数や予算を考慮すると現実的ではない。相部屋も慣れたもので、廊下で他の仲間と別れるとサイラスと共に部屋の扉をくぐった。
「今日は順調だったね。もう一日はかかるかと思っていたが、予定より早く町に辿り着けた」
「そうだな」
サイラスは話しながら、机上のランタンに手を翳す。いとも容易く灯された橙色の灯りが狭い室内を照らし出した。室内の調度品は両側の壁に置かれた寝台と、小さな机と椅子、そしてランタンのみと簡素なものだった。それでも屋根があるだけでも有り難いものだ。
「相変わらずお前の魔法は便利だな。火打石要らずだ」
「あなたも練習すればできるようになるよ。学者の心得があれば、コツを掴むのも早いだろう」
「魔法はどうもな……苦手だ。加減が分からん」
各地を巡る旅の中で見つけた、他の職業の能力を授かれる証。いつしか仲間達の間で心得と呼ばれるようになったそれは、得意なことを伸ばすことも、不足を補うこともできる。便利だが、オルベリクが以前学者の心得を持って魔法を使った時は――。
ばつが悪くてそれから先の言葉を飲み込んだのに、サイラスは簡単に口にしてみせた。
「ああ、まだ気にしているのかい? 二発の魔法で魔力を使い切って、あなたともあろう人が暫く立てなくなったのだったね」
「態々言わんでもいいだろう……」
「一度の失敗を気に病んで、挑戦する気持ちを失ってしまう方が問題だと思うがね。私だって、また時間があれば剣士の心得を使ってみたいと思っているよ」
「俺の目の黒い内は、二度とお前に長剣は持たせん。……見ているこっちがひやひやするからな」
サイラスが剣士の心得を使ったこともあるが、思い返すだけでため息が出てしまう。新兵以上に覚束ない身のこなしで、剣を振っているというよりは剣に振り回されているような状態だった。あれでは敵を倒す以前に、自分や仲間を傷つけかねない。
サイラスは悪びれずに肩を竦めて、片側の寝台に腰掛けた。オルベリクももう一台の寝台に座り、荷物を下ろした。
「そこまで悪くはなかったと思うのだが……。それなら槍はどうだい?」
「……誰しも得手不得手はある。止めておく方が賢明だな」
「やれやれ……。かの剛剣の騎士にそこまで言われてしまうとは。やはりもう少し日頃から体を動かしておけばよかったよ」
この歳になると、自分の生き様を変えることがいかに難しいかはよく分かる。オルベリクが学者たり得ないように、サイラスもまた剣士には向かないだろう。
「剣士にこだわることはなかろう。魔法の扱いに長けたお前なら、神官や踊子がいいのではないか」
「もちろん、最大のパフォーマンスを得るための効果的な行動は理解しているよ。それとは別に、自分のやりたいことをしてみたい時もあるのさ」
「剣士がお前にとってのやりたいことなのか?」
意外な発言に少し大きな声が出た。サイラスは学者である自分を誇りに持っていて、他の生き様は望んでいないと思いこんでいた。もしそうだとしたら、からかってしまったのは悪かったかもしれない。内心焦り始めるオルベリクを前にしても、彼は落ち着いた様子で首を横に振った。
「間違ってはいないが、正解でもないね。剣士になりたいわけではないんだ」
「では、お前のやりたいこととは何だ?」
「……」
すると珍しくサイラスが口を閉ざした。逡巡するように青い瞳が天井を見上げて、またオルベリクに視線を戻す。
「……それを説明するには、とある事実を詳らかにしなければならない。以前から伝えようかと悩んでいたことではあるが、そろそろ頃合いかもしれないね。ただこの話を聞くなら、あなたに一つ頼みたいことがある」
「急に改まって何だ? 俺にできることならしてみせるが……」
「簡単だよ。話が終わったら、思い付く限りの言葉で構わないので私を罵倒してほしい」
「は……?」
突飛な発言にあんぐりと口を開けるオルベリクとは対照的に、彼は至って真剣な表情だ。何故自分は旅の仲間、もっと言うなら友、それから――いや呼称はともかくとして、目の前の男に罵声を浴びせろと迫られているのか。
「すまん……俺には理解できん。何故、そのようなことをする必要がある……?」
「端的に述べると、私はあなたに恋愛的な好意を抱いているのだよ。だから隣に並び立ちたいと希った。その手段の一つが剣士として剣を持つことだっただけで、他に適したものがあればそれでいいと思っている」
「……待て、待て、何の話だ? 俺はそんなことを聞いたか?」
「まあ焦らないで聞いてくれ。明かさなければならなかった事実とは、私があなたを好いていることだ。そして、この感情はそろそろ摘み取らなければならないと考えていたところだった。一度想いを告げ、あなたに激しく拒絶されて望みはないと理解できれば諦めも付くと……」
滾々と話される内容があまりにも衝撃的すぎて、咀嚼するのに時間がかかる。つまりサイラスは、失恋するためにオルベリクに罵れと頼んでいるらしい。真っ直ぐに後ろ向きな姿勢に、ずきずきと頭痛がし始めた。それを誤魔化そうと指先でこめかみ揉んでいると、彼は僅かに眉を下げて微笑む。
「……無理にとは言わないよ。聞かなかったことにしてくれてもいい」
普段は涼やかで、自信に満ち溢れた表情をしているサイラスにしては、珍しい表情だった。しかしオルベリクは既にその姿に見覚えがあった。――あれはストーンガードで敵の卑劣な罠にかかり、教え子やサイラス自身を危険に晒した時。疲労やショックで気を失ってしまった少女に寄り添いながら、彼は仲間達に弱音の一つも吐かずにいた。あの時と同じ、痛みを堪えた笑みだった。
「……その感情は、お前にとって重荷なのか」
「ああ。……人を好きになるということが、これほどの苦悩を伴うとは知らなかった。いい勉強になったよ」
「分かった。お前の気の済むまで、付き合ってやる」
「ありがとう。……では」
サイラスは小さく咳払いをして、息を吸う。晴天の空を思わせる瞳は全てを受け止める覚悟を抱き、オルベリクを見据えた。その頬に朱が差しているように見えたのは、きっと灯りのせいだけではない。
「オルベリク……あなたが好きです。いつからかははっきりと分からないが、あなたは私の特別だった」
耳に優しい低い声は、柔らかい響きを伴ってオルベリクの鼓膜を揺らした。その眼差しに促されて口を開く。
「……サイラス、お前は協調性がなさ過ぎる。街なかで勝手にはぐれて、トラブルを起こしたことも一度や二度では済まない。特に、ストーンガードでの一件はその最たる例だ。あくまでも結果論ではあるが、お前の単独行動が危険を招いたことは間違いないだろう」
「ああ、そうだ。その件では、あなた達を巻き込んで悪かったと思っている」
「それから、人を詮索しすぎるのも悪い癖だ。出会った頃は、未だ割り切れていない故郷のことを根掘り葉掘り聞かれて辟易したものだ」
「……配慮が足りず、すまなかった」
彼は激高することも泣くこともなく、薄い笑みを浮かべてオルベリクの言葉に耳を傾けていた。感情を押し殺す姿を見ると、自分の胸もまた絞られるように痛んだ。
「お前は腕力もなく、剣を振るう才もあるとは思えん。歌は壊滅的に下手で、踊りもろくなものではない」
「そうだね、あなたの言う通りだ。いつも足を引っ張ってしまって、すまな……」
「だが、俺はそういうお前のことが好きだ」
「……えっ?」
はっと目を瞠る姿に溜飲を下げた。これで少しは意趣返しにもなっただろう。立ち上がってサイラスの眼前に立つと、彼は呆気にとられた表情のまま視線を上向かせた。
「勝手にふらふらとはぐれてしまうのは困るが、それもお前の強い好奇心のためだと理解している。俺にとっては何でもないことでも、目を輝かせて興味を示すお前の横顔が好きだ」
「お、オルベリク……?」
「ストーンガードでの一件は、結果だけ見れば失敗だったかもしれない。しかしお前の単独行動があったからこそ敵も動き、その狙いが判明したことも事実だ。痛みを伴う経験ではあったが、あの時にお前は……俺や、仲間を頼って良いのだと理解してくれたはずだ」
剣で語り合う生業であるオルベリクは、サイラスほど器用に言葉は紡げない。だからといって逃げるつもりはなく、拙いながらも彼の頭上に言葉の雨を降らせ続けた。
「ホルンブルグのことを聞かれ続けた時、俺は話し下手だから正直困惑していた。しかしどんなに要領の得ない話でもお前は熱心に耳を傾けてくれた。そうしてお前と語らう内に、胸に閉じ込めていた故郷の情景を思い出し……故郷が滅んだ真相を知りたいと、前向きな気持ちになれた」
「……」
「俺達は隣に並び立つことはできなくとも、背中を預け合うことはできる。歌は下手だがそれも愛嬌だ。踊りなら俺が教えてやってもいい」
「ええと……これは、何が起きているんだい……?」
いつの間にかサイラスは顔を真っ赤にして、頼りなく瞳を揺らしている。同性だというのにオルベリクと比べると随分華奢な肩に手を置くと、長い睫毛が震えた。
「もう一度言うぞ。……俺もお前のことが好きだ。付き合ってくれ」
「信じられない……。夢でも見ているようだ」
「それなら、確かめてみるか」
後頭部を支えてやりながら、サイラスの体をシーツに押し倒す。宝石のような瞳にオルベリクの影がかかり、晴れ間の青から宵闇の色へと変えた。オルベリクの行動と言葉がどういう意味を持っているのか、恋愛事に鈍い男でも流石に理解が及んだらしく、彼はますます頬を赤らめた。
「……嫌か?」
「ううん。……私はどうしていたらいい? 初めてだから、よく分からなくて……」
「そのまま楽にして、目を瞑っていればいい」
するとサイラスは素直に瞼を閉ざしてみせる。その長い睫毛を見つめながらゆっくりと顔を近付け、桃色の唇に自分のそれを重ねた。数秒だけ柔らかな唇の感触を確かめて、後ろ髪を引かれながらもすぐに体を離した。自分の胸の下で横たわる彼があまりにも美しくて、長く触れていると目眩を起こしてしまいそうだったからだ。
「……どうだ? これで信じてもらえただろうか」
「うん……。まだ、寝て起きたら夢かと思ってしまいそうな気もするが」
「それなら、明日の朝もしてやる」
「ふふ、オルベリクがそんなに情熱的な人だとは知らなかったよ」
サイラスは小さく笑い、寝台に座り直す。自分も隣に腰を下ろし、形の良い頭を優しく撫でた。
「……私の至らないところも、あなたは全部包み込んで好きだと言ってくれるんだね」
「そうだ。ありのままのお前が好きなんだ」
「オルベリク……私のことを好きになってくれて、ありがとう」
「……俺の方こそ」
指通りの良い髪を梳き、額に音を立ててキスをする。彼はぱちぱちと瞬きをして、はにかみ笑いを浮かべた。サイラスの言葉や仕草の一つ一つがオルベリクを惹き付けて止まず、今も見逃すことが惜しくて穴が空くほど見つめてしまう。
そうしていると彼がおもむろに瞼を下ろしたため、何も言わずにもう一度その唇の温度を確かめた。
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