サイラスがアトラスダムを発ち始めた旅は、次々に同行者を増やし、今や八人と一匹の大所帯となった。それぞれの目的のために各地を忙しなく移動し続ける一行は、次にサンランド地方の街を訪れた。街に着いてすぐに宿を確保し、日用品の買い足しを行い、酒場へ足を運んだ。
「久々に個室が取れましたね」
「ああ。この街はサンランド地方を横断する最短ルートの上にあるからね。私達のような旅人や、商隊が多く訪れるのだろう。宿も幾つもあるようだった」
「そうね、店もかなり品揃えが良かったわ。商店の人から聞いたんだけど、朝市には魚やこの辺りでは珍しい野菜が並ぶそうよ」
「ふむ。精霊石を使った輸送をしているのだろうね。輸送コストが上乗せされて多少割高になっても、賑わっているこの街なら売れるという確信があるのだろう」
話しながら酒場へ入ると、カウンター付近の長テーブルに通された。座る順は特に決まりがあるわけではないが、近頃のサイラスには定位置がある。必ず店の入口側の端の席に座る男の、一つ内側。今日も当たり前のようにそこに座り、机の上に伏せられたメニューを広げた。
注文を取りまとめるのは、一行の中で最も年若い少女であるトレサだ。旅の資金管理を担う商人の少女は、さり気なく店員を呼び、はきはきとした声で注文を通した。程なくして料理が運ばれ、長テーブルを埋め尽くす。
「聖火神を司る神、エルフリックよ。日々の糧を与えてくださり感謝いたします。聖火の加護が皆をお守りくださいますように」
神官であるオフィーリアの祈りに合わせて、言葉を復唱する。サイラスの隣に座る八つ年上の盗賊は、その間は目を瞑っていた。誰も彼が祈らないことを咎めないし、彼も祈りをやめろとは言わない。それぞれの考えや矜持を尊重するこの関係性が、サイラスは好きだった。
そうして賑やかな食事が始まる。仲間の内、サイラスを含めた殆どが食べ盛りの二十代で、最年長であるオルベリクも体が資本の剣士だからよく食べる。大皿料理が次々に空になるのを見て、壮観だといつも思うものだ。
「サイラス、見てばかりいないであなたも食べるんだぞ」
「ありがとう、ハンイット。心配しなくとも食べているよ」
「こっちのお魚のソテーもスパイスが効いていて美味しいわよ、学者さん」
「では、頂こうかな。テリオンもどうだい?」
「俺はもういい」
そう言ってテリオンは席を立ち、カウンターに向かう。どちらかというと無口な彼は、食事中は特にその傾向が顕著に表れる。以前どうしてそうも早食いなのかと聞いたことがあるが、曰くゆっくり食事を摂ることは性に合わないらしい。
カウンターに座り、グラスを傾ける背中を視線で眺める。ウィスタリアのゆったりとした外套で覆われた体が意外に筋肉質であることを、サイラスは既に知っていた。二人は思いを通わせた恋仲であり、まだ裸で抱き合ったことこそないものの、薄いシャツ越しにその感触を確かめたことはある。思い出すと耳の先が熱くなってきたため、誤魔化すように水を呷った。
「デザートも色々あるみたいね。オフィーリアさん! お酒飲まない分、あたしたちはこっちにしない?」
「ですが、いいのでしょうか……?」
「いいんじゃないか。俺たちばかり楽しんでいても悪いだろう」
「そうそう! お姉さん、エールもう一杯追加で!」
早速ジョッキを一つ空にしたアーフェンを横目に、サイラスは席を立った。どうせ飲むのなら、テリオンと一緒にと何気なく考えたのだ。カウンター席はまだ空席が目立ち、彼の隣も空いている。
「テリオン、隣……」
「ん?」
いいかな、そう言いかけた声はその姿を見て途切れた。テリオンの口元には火が点いた葉巻があり、珍しい姿に目を瞬かせる。彼は顔を背けて煙を吐き出し、足を組み直した。
「珍しいね。あなたが葉巻を吸っているところを見るのは初めてだ」
「まあな。自分で求めてまで吸うもんじゃない」
「匂いがつくから嫌なのだろう? どういう風の吹き回しだい?」
「今日の仕事は終わったからな」
「このお兄さん、さっきうちの踊子を助けてくれたんだよ。しつこい客を追い払ってくれてねえ、その御礼に差し上げたんだ」
カウンターの中でグラスを拭きながら、バーテンダーはにこやかに語った。テリオンは一見すると人を寄せ付け難い雰囲気だが、実のところ優しい人だというのはサイラスや仲間達もよく知っている。しかしその戦利品を咥える唇や、支える指先はやけに色っぽく映る。速まりだした動悸を誤魔化そうと、深く息を吐いた。
「お前が吸っているところも想像がつかないな。嫌いか?」
「そ、そういう訳ではないが……あまり楽しみ方が分からないというのが本音かな」
サイラスとて歴とした成年だ。勧められて吸ったことはあるが、そこに楽しみは見出だせなかった。テリオンの隣りに座り、バーテンダーにカクテルを頼んだ。差し出されたショットグラスに唇を付け、冷えた酒を飲む。
「酒は適量ならばリラックスできるが、それはどうもね……」
「……へえ」
薄く笑うと、テリオンは葉巻の灰を落としてまた口元に運ぶ。そして煙を吸い――サイラスの顔に吐きかけた。突然のことに驚くより早く、煙を吸ってしまった体が先に反応した。気道に煙が入りこほこほと噎せると、彼は楽しげに目を細める。
「っうわ、もう……!」
「やっぱり、まだガキだな」
「今のはっ……あなたのせいじゃないか……」
「はいはい。まあ、貴族の坊っちゃんは知らんだろうが……」
涙目になりながら抗議してもどこ吹く風といった調子で、カウンターにサイラスの酒代まで置いて彼は席を立った。去り際に、ぽんと肩を叩いて囁かれる。
「……この意味が分かったら、一人前だな」
「それは、どういう意味だい……?」
「さてな」
そう言って、煙をくゆらせながら酒場を出ていってしまった。その背中を見送り、飲みかけの酒を持って仲間達が食事を続けるテーブルに戻る。といってもいつの間にか机の上の食器は綺麗に空になっていて、酒や会話を楽しんでいるだけのようだった。
「あれ? テリオンはどうしたんだ?」
「葉巻を持って出ていったよ。外で吸うのか……そのまま宿に戻るのかもしれないね」
「ふーん、そうなんだ。葉巻なんて珍しいわね」
「ああ。楽しかったのか、私に煙を吹きかけて笑っていたよ……やれやれ」
氷が溶けて薄まった酒は、するすると喉を通ってゆく。やはり葉巻は得意ではないと改めて思う。そんなサイラスを、プリムロゼは猫のような瞳で見上げた。
「あら、それなのに彼を一人で帰してよかったの?」
「おや……あなたは意味が分かるのかい? テリオンは、これが分かれば一人前だと言っていたが……」
「ふうん……。テリオンがそう言うのなら、私が教えるのも野暮ね」
プリムロゼは意味深長に呟き、自分の手元のグラスの縁を指先でゆっくりなぞる。
知識を得る過程には複数の道筋がある。一見最短の手順を経ることがいいように思えるが、案外遠回りするほうが正しく、そして広い知識を得られるというのは学者であるサイラスの身に沁みている。プリムロゼはそれを理解してか、少なくとも自分から得るものではないと言ったのだ。
「なるほど。他人から教わるようなものではない、ということかい?」
「ふふ、そうね。とはいえ、あなたが他の客を捕まえて聞いて回るのは良しとしないでしょうし……」
「ふむ……では、素直に彼に教えを請うてみるよ。あなたの不思議な反応も含めて、私なりの解釈を述べて答え合わせをしてもらおう」
「ええ、きっとそれがいいわ」
残った酒を一気に飲み干し、席を立つ。分かれば一人前ということは、理解していない内は半人前ということだ。葉巻の吸い方も知らないと言いたかったのか、はたまた何か別の意味があるのか。地方によっては手袋を投げつけることが決闘を申し込むという意味合いになるが、同じように何かの暗喩なのだろうか。
頭の中で思考を巡らせながら酒場を出る。夜の砂漠は涼しくて、宿へ向かう足は自然と早足になった。――その夜の答え合わせの様相はとても仲間に話せるようなものではなく、サイラスが一人前になれたかどうかは孤高の盗賊のみが知ることとなった。
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