謎の遊技券を手に入れたテリサイが特別な遊技盤で遊び、様々なラッキースケベに見舞われる話です。※ぬるいけどすけべあります。一瞬だけ触手も出てきます(未挿入)。 お題箱に頂いた『遊戯盤のマスでひたすらラッキーすけべになるゆるふわなテリサイ』を元に書きました。超~~~楽しくて長くなってしまいました。お題ありがとうございました!
フラットランド地方の夜は穏やかで、室内にいることも相まって風の音一つ聞こえない。寝台に腰掛けて荷の整理をし、何気なく手首に嵌められた枷に触れた。冷たく硬質なそれは、盗賊にとって屈辱の証――罪人の腕輪と呼ばれるものだ。テリオンにこの旅を始めさせた原因でもある。
「気になるのかい?」
それを見咎めたのは、向かい側の寝台に座る男だった。予算や部屋数の関係で相部屋になることは多く、今夜はサイラスと同室を宛てがわれていた。てっきり読書に集中していると思っていたので、不意を衝かれた。
「……いや」
「擦れて痛むなら、早めにアーフェン君に診てもらうといい。何事にも言えることだが、早く対応することで悪化を防げるからね」
「大丈夫だと言っているだろ。……もう直フロストランド地方に入る、そう思ったら触れていただけだ」
「そうか……。確かに凍傷には気を付けるべきだ。今のままでは心もとないのなら、少し厚みのある布を探したほうがいいかもしれない。明日、市場にでも行ってみたらどうだい?」
そうだな、と呟くように返す。――ボルダーフォールでサイラスと出会い、ヒースコートの罠にかかってから始めた旅は、いつしか八人と一匹の大所帯になっていた。全員で足並みを揃えるというのはそう簡単なことではなく、時折休養日として自由に過ごす日を設けることにしている。皆で相談して、明日がその日だと決めてあった。
「……あんたはどうするんだ、明日。何か用事でもあるのか」
「私はこれを読もうと思っていてね。昼間の内に市場で買った本だ」
「また小難しそうな本だな……」
サイラスが掲げた本の背表紙には、『貧困と初等教育の関連について』というタイトルが記されている。誰かが読み込んだ後なのか傷んでいるその本をぱらぱらと捲ると、折り畳まれている紙のようなものが落ちた。
「おや? 何かが挟まっていたようだ」
「……おい、また何か落ちたぞ」
サイラスが片手でそれを拾うと、またその間から紙が一枚落ちた。床を滑ったそれを今度はテリオンが拾い上げる。一部文字が掠れているものの、『遊技券』と書かれていることが辛うじて読み取れた。
「遊技券、だとよ。そっちは何が書いてある?」
「こちらは地図のようだね。フラットランド地方の……ここからそう遠くない場所に、赤色で丸印が付けられている。この本の元の持ち主が、挟み込んだまま忘れてしまったのだろうか」
「二つに関連があるとするなら……その地図の場所で、この券が使えるってことか?」
「その可能性は高いね。遊技券と聞くと、賭博場のようなイメージを持つが……そんなものがこの辺りにあるとは聞いたことがない」
膝の上で地図を広げ、サイラスは顎に手を遣る。夜空のような瞳には好奇心という星が無数に煌めいていて、それを見つめるだけでテリオンの心拍数は僅かに速くなった。戦闘中などは冷静に周囲を観察して判断する彼だが、時に子供のような探究心のままに行動して周囲の者を振り回す。しかしいつしかテリオンは翻弄されることを厭わなくなり――その眼差しに恋をしていると、気付かされたのだ。
「……気になるなら、明日にでも行ってみるか?」
「ついて来てくれるのかい?」
「上品な学者先生は、賭博場なんて出入りしたことないだろ。カモにされるのが目に見えてるからな」
「賭博場とは限らないが、キミが一緒に来てくれるのなら心強いよ。面白い場所だったら、後でみんなにも教えてあげよう」
それはつまり、今は二人きりの秘密ということだ。甘美な言葉とともに屈託なく微笑まれると悪い気はしない。そのまま起床時間の打ち合わせをして、普段より早めにそれぞれの寝台に横になった。
***
次の日の早朝、二人は地図を頼りに出発した。示されていた地点に辿り着くまでは、意外に時間はかからなかった。そこは丘に作られた小さな町のようで、ぽつぽつと民家らしきものが建っている。良く言えばのどかで、悪く言えば寂れている印象だ。
「ここは……町か?」
「そのようだね。畑や牧場もあるが……やはり気になるのは、この塔だ。蔓に覆われてはいるが、扉周辺はそれが刈り取られた形跡がある。誰かが定期的に手を入れているのだろう」
そびえ立つ塔を見上げる。どれくらいの高さがあるのか、先端は霧のようなものに覆われて見えない。今日は確かに曇ってはいるが、視界が不明瞭になるほど霧が濃いわけではないというのに。
サイラスが扉を手で押すが、開く様子はなかった。軽く叩いてみても応答はない。
「鍵がかかっているのだろうか。いや、これは……」
「見せてみろ」
サイラスを押しのけるように扉に手を触れる。扉の中央あたりを目と、指先で調べてみるが鍵穴らしきものは見当たらない。先程彼がしていたより乱暴に叩いてみるが、やはり開きそうな気配はなかった。
「鍵穴はないな。内側から鍵がかけられているか……あるいは」
「ああ。キミの腕輪のように、物理的な鍵以外のもので施錠されている可能性もある。しかし、これ程の高さの建造物はそうお目にかかれない……もしかすると、神話時代の遺跡ということも考えられるな。細部を鑑定しないと分からないが……」
ぶつぶつと呟きながら塔の外壁を熱心に撫でるサイラスを一瞥し、改めて周囲を見渡す。このままサイラスの調査に付き合ってもいいが、そもそもの目的を果たすためにはもう少し情報収集をしたほうがいいだろう。まだ調べていない町の南側には、他より大きな建物がある。
「あんたはそこで見てろ。俺は人を探してくる」
「あ……それなら私も行くよ」
「いいのか?」
「一人で鑑定するには限度があるからね。正式に行おうとするなら別の学者を呼んでこなければならない。まずは、もう少しこの町自体のことを知りたい」
「あんたがそれでいいのなら、俺は構わんが」
案外素直に着いてきたサイラスと共に、今度は町の南側へと向かう。ひときわ大きな建物には酒場を示す看板がかかっており、自分の勘が当たったことに満足しながら扉に手をかけた時、サイラスが何かに気付いたように傍を離れた。
「おい」
「あの馬車の傍に人影が見えたんだ。話が聞けるかもしれない」
サイラスが指し示す先には、確かに馬車と思わしき荷車やテントがある。しかし繋がれているのは馬ではなくアルパカだ。そう言えば遠目に見えた牧場では羊とともにアルパカが飼育されていたが、この辺りでは一般的なのだろうか。
酒場を素通りして、馬車らしきものへ向かう。アルパカは餌箱の中の牧草をもさもさと食みながらテリオンたちを一瞥しただけで、鳴きもしなかった。
「誰か、そこにいるのだろう? 聞きたいことがあるのだが……」
「……荷車の中か」
中から僅かに物音がした。入り口にかけられた短い梯子を登り、荷車の扉を開く。室内は灯されたランプのお陰で明るく、きらびやかな装飾が随所に施されていることが見て取れる。本棚や机まであり、机の上には板のようなものが置かれていた。そして物音の主であるキャットリンは、その隅で蹲っていた。
「……キャットリンか。宛てが外れたな」
「そうだね。それにしても、かなり豪華な造りの荷台だ……。本棚まであるということは、長距離を移動することを想定されているのだろうか。おや、これは……」
「触らないでほしいニャン!」
「うわっ」
サイラスが机に手を伸ばした瞬間、蹲っていたキャットリンが突如立ち上がった。咄嗟にサイラスを背に庇うように立ち塞がり、短剣を抜く。するとキャットリンは慌てたように両手の肉球をかざしてみせた。
「ニャニャ?! ら、乱暴はやめてニャン! 話を聞いてほしいニャン!」
「キャットリンが喋った……?」
「知能が高い魔物と言われているが、まさか人間の言語を理解する種がいるとは……。テリオン、短剣を下ろしてくれ」
「だが……」
「彼は私達の脅威にはなり得ないよ。大丈夫、話をしてみよう」
そう言われ、渋々短剣を鞘に収める。確かにキャットリンと言えば逃げ足が速いだけで、大して腕力が強いわけでもない。サイラスが微笑みを浮かべると、キャットリンは安心したように頭に乗った帽子に触れた。
「話が分かりそうなお客さんでよかったニャン。それにしても、どうしてこの場所が分かったのニャン?」
「私達はこの本に挟まれていた地図を頼りにここまで来たんだ。この遊技券とやらの使い道をキミは知っているかい?」
サイラスが地図と、掠れた遊技券を見せるとキャットリンはぴょんと飛び上がった。帽子についた羽が揺れる様が、仲間である商人の少女の姿を彷彿とさせる。
「ニャニャ! それは特別な遊技券ニャン! 選ばれし者に渡していたはずなのに、どうして旅団の外の人の手に渡っているのニャン……? まさか学者達が栞代わりに使っていたのニャン……?」
腕を組んで唸るさまがあまりにも人間らしくて、却って奇妙だ。訝しむテリオンとは反対に、サイラスは笑顔を崩さない。
「つまり、キミはこの遊技券について知っているのだね? 良かったら、用途について教えてもらえないだろうか」
「もちろんですニャン! この遊技券は天運の遊技盤で遊ぶためのものニャン。お客さんが持っているそれは、中でも特別な遊技盤が遊べるものニャン」
「遊技盤とはこれのことかい? 東方では双六という遊戯があるそうだが、それとよく似ているね」
「お客さんよく知っているニャン。まさしくこれは、双六のようにダイスを振ってゴールを目指す遊びニャン! 道中にもゴールにもとびっきりのお宝が用意されていますニャン」
キャットリンの口から何気なく出た言葉に、つい反応してしまうのは盗賊の性だろう。キャットリンは続けていくつかのルールを説明した。はじめに配られるダイスの個数は決まっていて、それを使い切るまでにゴールに到達すればいいらしい。途中には宝箱や、反対に罠もあるそうだ。
「お二人で遊んでいくニャン?」
「どうする? テリオン。お宝があるそうだが……」
「……そう言われたら引けないことぐらい、分かってるだろ」
「ふふ、まあね。付き合ってくれると思っていたよ。……では、二人で参加させてもらおうか」
「承知しましたニャン! では券を預かりますニャン」
サイラスがキャットリンの肉球の上に遊技券を乗せる。キャットリンは満足げに頷くと、本棚に折り畳んで収納されていた遊技盤を取り出して机に広げた。
「そう言えばお客さんたちの名前を聞いてなかったニャン。なんてお呼びすればいいのニャン?」
「私はサイラス、彼はテリオンだよ。キミの名前は?」
「ボクは商人猫リーク、リークと呼んでほしいニャン! さあ、ゲームの準備が整ったニャン。サイラスさん、テリオンさん、遊技盤の上に手をかざすニャン」
「ああ。ところで、駒はどんな物を使うんだい?」
言われるがまま、サイラスと共に盤面の上に手をかざす。するとリークは猫目を細めた。
「この遊技盤の駒は、お二人自身ニャン!」
「それは、どういう意味――」
「ダイスの目、それは神の選択なのですニャン。全てを忘れて、ダイスに身を委ねるニャン!」
その言葉を聞いたか聞いていないかも分からぬ内に、辺りの景色が歪んで変化してゆく。耐え切れずに一度目を閉じ、次に周囲を見た時には景色が様変わりしていた。
「なんだ、ここは……」
「まさか、遊技盤の中とでも言うのか……?」
テリオンと同じように、サイラスも唖然として周囲を見渡している。先程まで狭い荷車の中にいたはずなのに、いつの間にか広い室内に移動していた。
天井は見上げるほど高く、部屋自体もまるでダンスホールのようにだだっ広い。そして自分達の足元には、リークが広げていた遊技盤とよく似たマス目のような道があった。マスの外には見えない壁のようなものがあり、移動することはできそうにない。すると、天井の方からリークの声が響いた。
『スタート時点のダイスは十五個で、サイラスさんの荷物に入っているニャン!』
「……おい、一体どういうことだ? ここから出せ」
『それはできませんニャン。ゴールするか、ダイスを使い切ったりしてゲームオーバーになれば自動的に外に出られるニャン。それから一度ダイスを振ってスタートすると、必要な時以外はこちらにはお客さんたちの声は聞こえないし、姿も見えなるなるニャン。ボクからお喋りすることもできなくなるのでご注意ニャン』
「なるほど。ダイスとはこれのことか……」
サイラスが懐から見覚えのない袋を取り出す。二人で中を覗き込むと、リークの言葉通りの個数のダイスが収められていた。改めて盤面を見下ろすと、現在はスタートと描かれたマスにいるが、先のマスには様々なマークが描かれている。
「想像していた遊びとは違ったが、このまま立ち尽くしても仕方がない。ダイスを振ってみようか」
「……あいつの言うことが信用できるのか?」
「先程話した時は、嘘を言っているようには見えなかった。彼が私達に危害を加えるメリットもないだろうし、今は信じてみよう」
「……あんたがそう言うのなら」
リークのことを信頼した訳ではないが、サイラスの判断は信じてもいいと思う。その結果事態が良い方に転ぼうが悪い方に転ぼうが、彼の判断についていったのなら己は悔やまない。それは別に恋情で盲目になっているわけではなく、純粋にサイラスのことを評価しているからだ。少々好奇心は強すぎるが、いざという時にはその場で最適の答えを見つけられる男だ。
「では、ダイスを振ってみよう。まずは私が振るから、次はキミと交互に振っていこうか」
「俺はいい」
「そう言わずに。せっかくの遊戯なのだから、少しでも楽しんだほうがいいだろう?」
喋りながらサイラスがダイスを一つ、床に放る。カツンと硬質な音を立てて転がったそれは、五の目を上にして止まった。
「五マス進むということでいいのだろうか。進んでみよう」
「ああ」
先程はマスの外には出られなかったが今は進めるようになっているらしく、五マスほど進む。それより先はまた見えない壁があるようで進めず、そして一度通ったマスには戻れないらしく、後方にもまた透明な壁のようなものが現れていた。
辿り着いたマスには、積まれた金貨のような絵が描かれている。何かと思っていると、突如空中からじゃらじゃらと金色のメダルが床に落ちてきた。サイラスは細い指でそのうちの一枚をつまみ上げ、目元にかざす。
「ふむ……リーフではないね。見たことのない意匠が刻まれているが、一部地域で流通している通貨のようなものだろうか」
「特別に価値があるようにも見えん。これがお宝だって言うなら、期待外れだな」
「まあまあ。通貨代わりになっているのだとしたら、これも充分お宝と言えるだろう? とりあえず私が持っておくよ」
サイラスがメダルを集め、ローブのポケットに収める。代わりに次のダイスを一つ取り出し、テリオンに渡した。
「さあ、次はキミの番だよ」
「……はぁ。仕方ないか……」
こんな遊戯に付き合うつもりはないのだが、頑なに拒否する程のものではない。ため息とともにダイスを床に転がす。出た目は二だった。
先ほどと同じように二マスほど進む。今度のマスには赤い宝箱が描かれていて、どこからともなく絵と同じ外見の宝箱が出現した。
「さっきのメダルといい、どういう仕組みだ? ……まあ、言っても無駄か」
「そもそも私達が遊技盤の中にいる、ということ事態が信じられないからね。開けてみようか」
「待て。罠かもしれん、俺が開ける」
前に出ようとしたサイラスを制し、宝箱の前に膝をつく。宝箱自体を軽く揺すってみるに、中身はあまり入っていない。鍵はかかっていないらしく、慎重に蓋を開く。開く際も特に異音はなく、罠が発動する気配はなかったため中を覗き込む。そこには手の平に乗るほどの革袋が一つ収まっていて、開けてみるとぎっしりとリーフが詰まっていた。
「今度こそ本物の金だな。……十万はあるぞ」
「大金だね。それが罠もなしにただ宝箱に入っているとは……とびきりのお宝とはこれ以上のものということだろうか」
「かもしれんな。このまま楽しませてくれるといいが」
謎のメダルの面白みのなさに一度は気持ちが萎えていたが、僅かながらもやる気が出てきた。平静を装っているつもりだったが、サイラスはそんなテリオンの横顔を見てくすりと笑みをこぼした。
「はは、私も楽しくなってきたよ。さあ次に行こうか」
再びサイラスがダイスを転がし、三の目で止まる。またマスを移動すると、そこには『+2』と描かれていた。更に先へ進むといういわゆるボーナスかと思っていると、突然背後から強い追い風が吹いた。
「……!」
「わっ……!」
これは進むというより、飛ばすの方が正しいのでは。頭の片端でそう思いながら吹き飛ばされ、そしてまたいきなり風が止んだことにより体勢を崩す。それはサイラスも同じで、先に転げた彼の上に折り重なるように倒れ込んだ。
「うっ……」
「クソッ、いきなり何なんだ……」
「重いよ、テリオン……」
そう言われて、布越しに触れ合う生々しい体温にぎょっとした。仰向けに転び、結果としてテリオンを受け止める格好になったサイラスは成人男性の重みに眉を寄せている。秀麗な顔が目の前にあることに気付いた瞬間、飛び退いていた。
「っ……悪い」
「いや、構わないが……驚いたね」
「ああ……」
進んだ先のマスではまたメダルが数枚落ちてきて、サイラスが先と同様に拾い集めた。
速くなった心臓の鼓動を宥めるように深く息を吐き、次のダイスを受け取って放る。一を上にして止まったダイスに従い、進む。そのマスには大きく『-HP』と書かれていた。嫌な予感を覚えるとともに、風を切る音が耳を衝く。咄嗟に、隣に立つサイラスを突き飛ばしていた。
「テリオンッ……!」
「……ッ」
後方から飛んできた矢が、右肩を切り裂いた。サイラスが見えない壁にぶつかり体勢を崩したのに対し、矢は止まることなく飛び去ってゆき見えなくなった。罠まで奇妙なものだと思っていると、サイラスが慌てたように駆け寄ってきた。
「大丈夫かい?! すまない、私のせいでキミに怪我を……!」
「あんたのせいじゃない。ダイスを振ったのは俺だ」
「だが、私を庇ってくれただろう。すぐに止血しよう」
外套やその下のシャツが裂け、熱い血が流れる。サイラスは懐から紺色のハンカチを取り出すと、躊躇うことなくテリオンの傷口に押し当てた。刺繍の入っているそれは一目見るだけでも高価なものだと分かる。
「おい、汚れるぞ」
「いいから。痛かっただろうに……」
「これくらいは何でもない。……あんたに怪我がなくて良かった」
「テリオン……」
テリオンの血液がサイラスのハンカチに染みてゆく。彼はまるで自分のほうが痛みを堪えるように眉を顰め、目を伏せた。そうしていると血が止まり、サイラスはそのまま腕にハンカチを巻き付けてくれた。
「楽しいだけの遊びではなさそうだな」
「……ああ、危険な罠もあるようだ。いいかい、次同じことがあったら私を庇わないでくれ。私だって、多少の怪我なら慣れているのだから」
「さてな。ほら、次はあんたが振れ」
そう言われても、目の前でサイラスが危険な目に遭おうとしていたら、飛び出さずにいられる自信はない。彼は望む返事が得られなかったことに渋面を作りながら、ダイスを取り出して振る。三マス進んだ先の絵柄は、大きな感嘆符だった。
サイラスがマスに足を踏み入れた時、ぽんと彼の目の前に小瓶が現れた。ふわふわと宙に浮くそれを、サイラスは物怖じせずに手に取る。ラベルの文字を確認すると栓を抜き、鼻先を寄せた。
「ふむ……ラベルに書いてある通り、ブドウジュースのようだね」
「おい、不用意に嗅ぐな。罠かもしれないだろ」
「その可能性はあるが、キミの体力を回復させられるかもしれない。安全かもしれない以上、安易に破棄するのも惜しい」
「だが本物かどうかなんて、アーフェンもいないのに確かめようが……」
次の瞬間、サイラスは小瓶の中身を口に含んでいた。ぎょっとするテリオンの前でゆっくりとそれを舌で転がし、飲み下す。
「おい、何を……!」
「ふむ。酸味もないし、妙な匂いもしない。大丈夫じゃないかい?」
「馬鹿野郎、毒だったらどうする気だ?」
「その時は吐き出すつもりだったさ。怪我人のキミに毒見をさせるわけにはいかないだろう? キミも確かめて、問題なさそうなら飲んでみてはどうだろうか。これからどのような罠が待ち構えているかも分からないのだから、癒せる傷は癒やしておくべきだ」
サイラスは悪びれなく宣いながら、小瓶を渡してくる。矢を放たれた記憶も新しいのに飲む気にならないとは思うが、彼の言うことも一理ある。サイラス自身が体を張って有毒性を確認したのだから、ここは素直に従っておくべきかもしれない。別に、間接キスに惹かれたわけではないと心中で言い訳した。
彼を真似るように、まずは一口だけ飲む。口内に広がる爽やかな葡萄の香りは、普段飲むものと変わらない気がした。アーフェンが作るそれより僅かに甘く感じるが、傷んでいる飲食物特有の突き刺すような酸味はない。先程まで瓶に触れていたサイラスの唇はもっと甘いだろうかと夢想しながら、一気に呷って飲み干した。体がすっと楽になり、短く息を吐く。
「どうだい?」
「ああ。……悪くない心地だ」
「それなら良かった! この先も何が起こるか分からない、気を引き締めていこう」
「あんたの方こそ、不用意な真似はするなよ」
「キミに言われたくはないな」
庇われたことをまだ根に持っているのか、釘を刺すようにそう言われた。ため息だけついて、次のダイスを寄越せと手を差し出す。これで六回目のダイスロールだが、まだゴールのマスは見えない。六の目を上にしてダイスが止まる。
六マス進んだ先には旗が立っていた。そのマスに足を踏み入れると、突然景色が歪んだ。
「っこれは……また……!」
瞬きの間に景色が変化していた。足元にあったはずの盤面はなく、かといってリークの姿もない。テリオンたちの周囲に広がっているのは赤い崖――流れる川にも見覚えがある。ボルダーフォール付近を切り取ったような景色に、異質なものが一つだけある。鎧や兜のようなものを身に纏い、金属の重さを物ともせず大きな翼で宙に浮かぶバーディアンは、既にこちらに向けて弓を構えていた。戦闘は避けられそうにない。
「チッ、魔物まで出てくるのか……」
「どういう仕組みでこのような空間転移が行われているのか興味深いね。私達が知っている場所が選ばれたのは二人の記憶に基づいているからか、それともこれすら遊技盤が用意した舞台装置にすぎないのか……知りたいことは山のようにあるが、まずは目の前の危険を排除しよう」
「サポートは任せた」
「ああ。プリムロゼ君のお陰で、踊子も少しは板についたとは思わないかい?」
サイラスが踊子の証を取り出すと、纏っていた衣服が変質する。禁欲的なほどに肌を隠していた姿から一転、身に付ける黒衣は必要最低限のものとなり、細い腕や薄い腹を惜しげもなく晒す。彼が体を動かす度に、金の装飾品がシャラシャラと音を立てた。相変わらず踊りの技術があるとは言えないが、なめらかな素肌を露わにした格好は少々刺激が強い。
「……どうだかな」
「そう言わずに。踊りを見てくれればキミも納得して……」
そう言うとサイラスは言葉を切った。僅かに目を瞠り、何かに気が付いたように自分の腰に触れる。
「どうした?」
「いや……何でもないよ。まずは敵の体勢を崩そう」
見た限り怪我をしている様子もないため、それ以上は言及せずに短剣を抜いて身構えた。バーディアンが放った矢を避け、地面を蹴って懐に飛び込む。背後に飛び退こうとする敵の退路を断つようにサイラスの放った氷魔法が壁を作った。
二度、兜に覆われていない顔を短剣で斬りつける。その間に背後でサイラスが舞う足音が聞こえた。多少リズムが狂っていても舞の効果は発動するらしく、腹の底から活力が湧き上がる。次で仕留められる――その時、バーディアンが甲高い鳴き声を上げた。思わず片手で耳を押さえた。
「くっ、」
「テリオン!」
「っ平気だ、これくらい」
テリオンが怯んだ隙にバーディアンが羽ばたき、後方に飛んでゆく。先にテリオンが振り返り、少し遅れてサイラスが振り向く。サイラスより更に後方でバーディアンが矢を取り出した。
「伏せろ!」
遮蔽物のない場所で背後を取られたのは痛かった。テリオンの叫びにサイラスが地面に伏せると同時に、バーディアンが矢を連射した。一本目はサイラスの傍の地面に刺さり、二本目は僅かに彼の腰を掠めた。三本目はテリオンの元まで飛んできたが、長剣を抜いて切り捨てる。連射が止んだと思ったサイラスが立ち上がり、踏み出した瞬間――派手に転んだ。
「痛っ……!」
「……」
地面に膝をつき、伏せるその姿におおよそ何が起きたのかを察した。二本目の矢でスラックスのベルトが切れ、それに気付かぬまま踏み出したことで落ちてきた裾を踏んだのだろう。黒衣は膝まで落ちていて、しなやかな太腿が――そして、柔らかそうな双丘まで惜しげもなくテリオンの眼前に曝け出されていた。辛うじて彼の大切なところを隠している下着は布面積が小さく、尻の谷間に沿うように食い込んでいる。その絶景を見つめながら、つい口を衝いていた。
「……そういう趣味があるのか?」
「ち、違う……! 踊子の衣装を纏った時に変わったんだ!」
「へえ……」
サイラスは狼狽えながら体を起こし、スラックスを持ち上げて肌を隠す。少々残念に思いながらも、彼を庇うようにバーディアンの前に立った。それでもなお、サイラスはテリオンの背に言葉をかける。
「本当だからね、本当に私はこのような趣味はないんだ……!」
「分かった分かった。……次で決めるから、あいつの動きを止めてくれ。それくらいなら寝ててもできるだろ」
「っ……分かったよ、止めはキミに譲ろう。氷よ……!」
口論している場合ではないとは理解しているようで、再びひやりとした冷気がテリオンの項を撫でる。次の瞬間、地面から出現した氷の刃がバーディアンの翼を貫いた。短剣を構え直してその首を斬り裂くと吐血しながら断末魔を上げ、魔物の姿は掻き消えた。
そしてまた景色が変化し、いつの間にか再び盤面の上に立っていた。旗の模様がチェックマークに変わり、どこからともなくリークの声が聞こえる。
『リワードスポットですニャン! ここまで手に入れたメダルが確定するので、一旦こちらでお預かりするニャン』
「なるほど、中間地点ということか。……本当だ。持っていたはずのメダルが消えている」
サイラスの衣装が見慣れた学者のそれに戻り、確かめるように懐に手を入れる。ベストに覆われた柳腰を見ながら、改めて先程の光景を思い出す。すると彼がテリオンの視線に気付き、仄かに頬を染めた。
「その……情けないところを見せてしまってすまなかった。先程の失態は忘れてくれ」
「それはいいが……下着も戻ったのか?」
「……! っい、……」
ぽんと腰に手を当ててやるとサイラスは横に飛び退き、マスの周囲に張り巡らされた見えない壁に音を立ててぶつかった。軽く両手を挙げて、大したことはしていないとアピールしてみせる。サイラスは肩を押さえながら耳まで赤くして、恨めしそうにテリオンを睨め付けて呟いた。
「……エッチ」
「……悪かった」
学者の口から出たとは思えないほど簡潔で可愛らしい文句に、早々に負けを認めて降伏した。彼がそういう俗っぽい言い方をすることは意外で、非難がましい表情まで含めて変に嗜虐心を煽られる。
ため息をつき、サイラスが次のダイスを振る。出た目はまた六で、三マス進んだところで別れ道に差し掛かった。
「……どちらに向かおうか。右側のルートには宝箱の絵が描かれたマスがあり、左側には踏んだことのない絵柄のマスがある。見たことのない絵柄のマスにどのような効果があるかは気にはなるが、また罠かもしれないな」
つらつらと語るサイラスは、まだ耳の先が赤い。常に堂々としていて自分の意見を曲げない男だが、恥じらいという感情を持ち合わせていたことはテリオンを驚かせた。青空のような瞳が一度テリオンを見て、再び前を向く。
「……俺としてはもちろん、宝箱を通るルートが魅力的に見える。だがダイスを振ったのはあんただ、あんたが決めろ」
「私もキミと同意見だ。見えている罠が回避できるのなら、それに越したことはないだろう」
右側のルートを進むサイラスの後ろをついて歩く。止まったマスには『-SP』と描かれていて、頭上から一通の封筒が落ちてきた。サイラスがそれを取り、躊躇いなく封を切る。
「あんたな……少しは警戒しろ」
「パーティーの招待状だそうだよ。差出人の名は滲んでいて読めないが……ん?」
中の便箋を取り出して開くと、ぱっと金色の粉が舞った。咄嗟に自分の鼻と口をストールで覆ったが、サイラスはその粉を吸ってしまったらしい。白魚のような指から、招待状が滑り落ちる。
「サイラス?」
「……」
「おい、しっかりしろ」
返答がなく、慌てて顔を覗き込む。虚ろな瞳はテリオンの動きを追っているものの覇気がない。顔の前で軽く手を振って反応を確かめていると、サイラスは脱力していた手を持ち上げた。その手はテリオンの肩にかかったかと思うと背中に回り、薄い胸板と自分のそれが重なり合った。
「……は?」
「……」
サイラスは何も答えぬまま、両腕をしっかりとテリオンの背に回して抱き着いた。突然のことに、どくどくと心臓が早鐘を打つ。そのまま彼はテリオンの肩に頬を付け、すり寄るような仕草をしてみせた。濡羽色の髪が耳に触れて擽ったい。
「おい、サイラス……?」
「……テリオン……」
いつもよりも随分とゆったりした物言いは、甘い響きを伴い鼓膜を揺らした。中途半端に両手を宙に浮かせて硬直したまま、必死に頭を回転させる。口から生まれたような学者が喋らなくなるということは、何らかの状態異常にかかっている可能性が高い。しかしテリオンの動きは目で追えている上、過度に怯える様子もなく、錯乱している訳でもなさそうだ。
(待てよ。粉、か……)
数年前に、ウッドランド地方の一部でとある『粉』が流行っているという話を聞いたことがある。吸うと浮遊感を感じ、全てを忘れて極上の心地になれるという触れ込みだった。実際に目にかかったことはないが、ほんの僅かな量でも宝石と釣り合うほど価値があると聞いて驚いた記憶がある。
もしサイラスがその粉を吸ったのだとすると、どうすれば元に戻してやれるか。アーフェンもおらず治療のハーブもない以上、取れる手段は限られている。思案していると、サイラスがもぞもぞと頭を動かした。
「……てりおん」
「ッ……」
吐息と共に蕩けた声を耳に吹き込まれ、ぞくりと腰が震える。そしてあろうことか彼は、そのまま更に強くテリオンを抱き締めて身を寄せてきた。布越しとはいえ下半身が擦れ合う感触はあまりにも甘美で、体の芯に熱が灯りそうになる。引き剥がそうとサイラスの二の腕を掴んだ時、その身に満ちているはずの魔力が感じられないことに気がついた。
「っ……なるほどな、思考力が落ちるということか」
思考を放棄し、一時の享楽に浸るためだけのなんとも悪趣味な毒だ。サイラスには頻繁に魔力を渡してやっているため気がつけたが、他の仲間だったらこうはいかなかっただろう。――恋しい人と密着するというのは手放してしまうには惜しい状況だが、これ以上は体が反応してしまう。そっとサイラスの背中に手の平を付け、己の魔力を流し込んだ。
「ん……? あれ……私……」
「……どうだ、少しはマシな気分になったか?」
「ああ、そうだね……。……ん? あれっ、私、どうしてキミに……?!」
ようやく意識が覚醒したのか、サイラスが体を離す。ぱちぱちと瞬きをしている間に己の行動を理解して、片手で顔を覆った。
「ああ……すまなかった……。なんだか酷く頭がぼんやりしていて……」
「だから言ったろ、警戒しろと」
「面目次第もないよ。自分には多少何が降り掛かってもいいと思っていたが、キミを巻き込んでしまったことは反省すべきだね……。本当にすまなかった」
「はぁ……あんたな……」
身の危険も顧みずに、探究心だけで自ら罠に飛び込むような危なっかしい姿にため息しか出ない。この場にいたのが自分だったから良かったものの、他の者だったらどうするつもりだったのか。複数人であの粉を吸っていればもっとおかしな状況になっていた可能性もある。そういう男だと理解してはいるが、こればかりは割り切れそうにない。
「説教しても聞く耳を持たんだろうが……もう少し自分を大事にしろ」
「そうだね……いや、流石に反省しているんだ。そもそも、この遊技盤の中に入ったのも私のせいだ。キミを巻き込んで、痛い思いまでさせてしまったことは申し訳なく思っているよ」
「……それは間違ってる。俺は自分で選んでここに来た。あんたを庇ったのも俺の意思だから、必要以上に背負う必要はない」
それに、痛い思いをした対価分ほどは良い思いもさせてもらっている、と内心で付け加えておく。遊技盤の何の力が働いたかは知らないが、普段は一切の隙がないほど衣服を着込んだサイラスのあんなにも刺激的な下着姿を見られたのは僥倖だろう。
サイラスは落ち込んでいる素振りだったが、テリオンの言葉に僅かに口角を上げて微笑んだ。
「……ありがとう。キミはいつも優しいね」
「あんたの行いを返しているだけだ。次のダイスをくれ」
「ああ、頼むよ」
ダイスを受け取り、床に放る。出た目に従い二マス進んだ先には、紫色の宝箱の絵が描かれていた。序盤に踏んだマスと同じように、紫色の宝箱がどこからともなく現れる。手をかけてみるが、これには鍵がかかっていた。
「こちらは鍵つきか……開けられそうかい?」
「ふん。俺を誰だと思ってる? そこで見てろ」
鍵がかかっていない宝箱にあれだけの大金が入っていたのだから、これにはそれ以上のものが入っていると見ていいだろう。懐から開錠具を取り出し、鍵穴を調べて作業を始める。サイラスは何か口を挟んでくるかと思いきや、テリオンの少し後ろに腰を下ろすと黙ったまま大人しくしていた。
暫く作業を進めていると、汗が一筋こめかみを伝う。それを手の甲で拭い、その時初めて自分の呼吸が僅かに速くなっていることを自覚した。体温も上がっているようで、手で触れた頬が熱を持っている。
「なあ。……ここ、暑くなってないか?」
「……ああ、ちょうど私も考えていたよ。ただ、室内の温度が上がっているというよりは、自分の体温が高くなっているような気がするね」
「……なるほど。あんたもということは、さっき飲んだ薬で一服盛られたかもな」
体の芯がじりじりと炙られているように、情欲という名の熱が込み上げてくる。先程サイラスに抱き着かれた時に危機感を抱いたが、どうやら盛られた毒のせいということもありそうだ。飲まされたものが催淫作用のあるものだとすると、果たしてサイラスの前で失態を晒さずにいられるか。
「そうだとしたら……あまり状況は良くないね」
「ああ」
――考えながらも、培った技術が染み込んだ体は淀みなく動く。カチリと小さな音を立て、宝箱の鍵が開いた。
蓋を持ち上げて開くと、布袋が一つ収められていた。ずしりと重いそれの中には、色とりどりの貴金属が収められていた。宝石が使われているものもあり、燭台の明かりを取り込んで眩く光る。
「アクセサリーかい?」
「ああ。全部売れば二十万……いや、三十万リーフにはなりそうだな。腕がいい商人なら、もっと高値で売れるだろう」
「それは素晴らしい。きっとトレサ君も喜ぶよ。彼女には路銀の工面で苦労させているからね」
「そうだな。……これは俺が預かっておくぞ」
八人と一匹の旅はそれなりに費用を要し、その工面を一手に担っているのが仲間内で最年少の少女だ。押し付けているわけではなく彼女が自ら立候補した役目ではあるが、時には苦心する姿も見てきた。これだけあれば暫く生活に余裕が出るだろう。
袋の口を閉め、腰のベルトに提げる。するとサイラスはやけに嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「……? 何がおかしい」
「いいや、おかしくはないよ。せっかく見つけた宝を仲間達の路銀にすると言っても、キミが否定しなかったのが嬉しかったんだ」
「……別に。そもそもあんたが見つけてきた遊技券があってのことなんだから、使い方をあんたが決めるのは当然だ」
「ふふ……では、そういうことにしておこうか」
トレサが工面している金で生活しているのだから、機会があれば返すのは当たり前だ。自分以外の皆もそう思っているだろう。分かりきっているようなことを敢えて言葉にされると気恥ずかしかった。彼は生暖かい視線をテリオンに向けながら、もう九個目になるダイスを転がした。
「一マスか。なかなか進まないね」
「厄介なことが起きないといいがな」
「ああ。……ん?」
次のマスには見覚えのある『-HP』と描かれており、サイラスの足元で何かがコツンと音を立てる。それが精霊石だと気付いた瞬間、彼の手首を掴んで強く引き寄せていた。腕を引かれるままサイラスがつんのめり、外部からの衝撃により精霊石が爆発するさまがやけにゆっくりと見えた。
爆風によりもつれ合うように倒れ込む。いつぞやとは反対に、テリオンの上にサイラスが乗る形で――丸くなった青い瞳が近付き、自分の呆けた顔が映っているのが見えた次の瞬間、柔らかなものが唇に触れていた。
「――……」
どちらも何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。唇を塞ぎ合っていたのだから。
一瞬にも永遠にも思えた時間は、サイラスが緩慢な動作で体を起こしたことで終わった。テリオンの上から退き、座り込んだままふっくらとした自分の唇をなぞる手付きが妙に蠱惑的に見え、胸が高鳴る。
「……今、私達……」
「……ああ」
事故とはいえ、してしまったことは事実だ。サイラスは意外にも顔を赤くして、どこか困っているように眉を下げた。元より嫌われてはいないと思っていたが、そんな反応をされると期待してしまいそうだ。
「……すまなかった。事故とはいえ……キミに不快な思いをさせてしまったね」
密かに懸想する相手と唇を重ねて、不愉快な思いなどするはずがない。しかしいくらサイラスが鈍いとはいえ、そのまま伝えれば胸に育った恋心に気付かれてしまうだろう。かといって自分のプライドを守るためだけにその言葉を肯定すれば、サイラスからすれば嫌われていると取りかねない。思案の末に、平坦な声色を作って返した。
「……俺は別に、そうは思わなかった。あんたは嫌だったか?」
「私も……嫌ではなかったよ。相手が他ならぬキミだったからかな……」
はにかみ笑いを浮かべ、うっとりとした声色に脳が沸き立った。もう一歩踏み込んでみようかと思った時、不意にサイラスの視線が横にずれた。
「あ……。見てくれ、あと少しでゴールだよ。いつの間にこんなに近くまで来たのだろうか、気が付かなかったね」
「……ようやく解放されるのか」
「そうだね。屋内だからどれくらい時間が経ったが分からないが、あまり遅くなるとみんなも心配するだろう。早く脱出して、帰らなければね」
そう言って彼は立ち上がり、ローブを軽く叩いて皺を伸ばした。それに倣いテリオンも立ち上がる。固めかけた決意が呆気なく崩れてしまい拍子抜けしたが、何もこんなところでする話でもないと思い直す。それに薬が回り始めている体のことも気がかりであった。
ダイスを受け取り、放る。四の目が出て進み、踏んだマスには赤いダイスとマイナスのマークが記されていた。また碌なことのなさそうな目を出してしまったと思ったのも束の間、景色がぐにゃりと歪んだ。
(何度目でも、慣れそうにないな……)
次の瞬間にはまた別の場所に放り出されるかと思うと、気が気ではない。ひやりと冷たい空気に頬を撫でられて瞼を持ち上げると――そこは牢獄の中だった。石壁で作られた牢屋で、唯一の扉は鉄格子になっている。見張りの姿はなく、テリオンは両の手首を背後に回され、柱を背に抱くように拘束されていた。どうやら左手に手錠がかけられ、それから伸びる鎖と罪人の腕輪を南京錠で繋いでいるらしい。腰のベルトには糸が結わえられ、その先に見覚えのない小さな鍵がぶら下がっていた。
「今度はなんだい? 何も見えない……テリオン、そこにいるのかい?」
「ああ。ここにいる」
サイラスは向かい側の壁にいて、落ち着きなく首を動かしている。その目元は黒い布で覆われていて、テリオンと同じく後ろ手に拘束されているようだった。
鉄格子の向こう側には机と砂時計、そして看板が置かれている。看板には『砂が落ちきる度にダイスを失う』と記されていた。
「見えないのも当然だ。あんたは目隠しをされている。……とりあえず、分かった範囲のことを伝えるぞ」
視界で得られた情報をサイラスに伝える。つまり制限時間内にここから脱出しろ、ということだろう。足を持ち上げようとして、両足首まで壁に固定されていることに気付き舌打ちした。
「俺の方は全く動けそうにない。あんたはどうだ?」
「私は……どうだろう。繋がれてはいるが、この鎖には少しゆとりがあるようだ。キミの方に歩いてみるから、声で誘導してくれないかい?」
「分かった。そのまま真っすぐ歩いてくれ」
サイラスはゆっくりと歩き出す。彼が移動したことで分かったが、細い手首に嵌められた手錠からは鎖が伸びていて、その先端は床に埋め込まれていた。
「いいぞ、そのまま……。少し右にずれてる」
「こっちかい? っと……」
「そこが限界か」
鎖が伸び切り、サイラスが歩みを止めた。二人の間の距離はおよそ一歩分という僅かなものだが、正面向きでこの距離だ。鍵を取ってもらおうにも、背を向けばその分ほど鎖が巻かれて遠ざかる。サイラスは首を傾げると、おもむろに地面に膝をついた。
「どうした?」
「鎖は地面から伸びているのだったね。だったらこうして座ればもう少し近づけるだろう。そして鍵はキミのベルトから、糸のようなもので吊り下げられていると言ったね」
「ああ……っな、にを、」
突然上半身を倒したかと思うと、サイラスはテリオンの腹の辺りに顔を埋めた。すっと通った鼻筋がへそに触れて擽ったい。彼はテリオンの動揺に気付く素振りもなく、顔を埋めたまま語り続ける。
「うん、やはりこの距離なら届きそうだ。さてテリオン、ここで問題だ。人体で一番固い部位はどこだと思う?」
「……骨か?」
「いいや、答えは歯だよ。実際にどの程度のものかは分からないが、糸くらいなら噛み切れはずだ」
「待て、それはつまり……あんたが口で鍵を取るってことか?」
「その通りだ」
今でさえかなり心臓に悪い体勢だが、鍵が下がっているのはもっと下の方だ。つまり衣服越しとはいえ、足の間に好きな人が顔を埋めるという訳で――妙な薬の効能のせいで体が熱を持っている状態でそんなことをされたら、間違いなく下半身が反応してしまう。
「鍵を取って、それをキミの手に渡せば解錠できるだろう?」
「確かにできるが……。同性の股ぐらでそんなことをすることに、抵抗はないのか……?」
「私は気にしないよ。唾液でキミの衣服を少々汚してしまうかもしれないが、そこは大目に見てほしい」
ずきずきとこめかみが痛む。テリオンの危惧する部分と、彼が気に病む部分が明らかに噛み合っていない。なんとか止めなければと思いながらも、他にいい解決方法も浮かばない状態では打つ手がない。危機感を持ちながらも、その姿を見たいという下心も確かにあり、強く拒絶できなかった。
「あいにく視界は遮られているし、唇や舌に指先ほどの鋭敏な感覚はない。指示を出してくれると助かるよ」
「…………分かった。噛むなよ」
「気をつけよう」
そう応え、サイラスはテリオンの腹に鼻先を付けたまま、ゆっくりと顔の位置を下げてゆく。ベルトを過ぎ、下腹、そして僅かに兆しだしている足の間で鍵を探そうともぞもぞと唇を動かす。
「っ……」
「あまり太い糸ではないのだろうか……。今、触れている辺りに鍵はあるかい?」
「いや……もう少し下だ。……それは遠い。もう少し……」
「ん、これか」
サイラスは触れた鍵の存在を確かめるように、唇を押し付ける。そこが思い切りテリオンの性器の上だとも知らずに。衣服越しでもその温度と柔らかさを感じる。――なんと悪趣味な罠なのか、嘆きながらも目が離せなかった。
「意外に小さいね」
「うるさい」
「そんなに大きな声で喋っていないだろう? もっと大仰な鍵かと思っていたんだよ。糸は……これだね」
薄く開いた唇から赤い舌が覗き、どくどくと血液が下肢に集まるのが分かる。テリオンの体に歯を立てないようにと思っているのか、サイラスは舌先で鍵に触れる。平たいそれをちろちろと舐め、口の中に含む。その仕草がまた目眩がするほど色っぽくて、つい吐息が荒くなった。
「……切れそうか?」
「ん……そうだね、細い糸のようだから」
糸を切ろうと、鍵を咥えたまま顔を背けたせいで、柔らかな頬が兆しだしてしまったそこに触れる。テリオンに出来ることと言えば、どうか気付かないでくれと念じながら、頭の中の不埒な妄想を懸命に消すことくらいだった。慎ましやかな口に自分の剛直を捩じ込み、濡れた舌で愛撫されたらきっと腰が蕩けるほど気持ちが良いだろうに――。追い出しても追い出しても、夢のような想像は広がり続けた。その時ふと、サイラスが小さく声を漏らす。
「……あれ」
「っ……どうした」
「いや……なんでもない、よ……」
サイラスの頬にさっと朱が差し、悟られてしまったと直感した。情けない状況であることは百も承知だが、自分のそれが萎える気配はない。唇や頬をその膨らみに押し付けながら懸命に糸を噛み切ろうとする姿に、興奮は増してゆくばかりだった。半ば祈るような気持ちでサイラスの挙動を見守っていると、とうとう鍵とベルトを繋いでいた糸が切れた。
「ん!」
「俺の手に乗せてくれ、顔をもっと左奥に……」
角度を指示しながら、自分も動かせる範囲で指を伸ばす。サイラスが咥えた鍵を、その唇の柔らかさを確かめながら受け取った。素早く自分の手足の拘束を解き、サイラスの目隠しを取る。彼の拘束具も同じ鍵で解錠できたのが幸いだった。
「ありがとう。やれやれ、こんなところに閉じ込められていたとはね……」
「さっさとここから出るぞ」
「扉に鍵は?」
「……かかっていないらしいな」
鉄格子の扉は、軽く押すだけですんなりと開いた。その時ちょうど、看板前に置かれていた砂時計から砂が落ちきった。砂時計は勝手にくるりと逆さになり、再び砂が落ち始める。それを後目に扉を潜ると――また景色が揺らめいた。
気が付くとまた盤面の上に戻されていて、ため息をつく。
「砂が落ちていたということは……ふむ、やはりペナルティとしてダイスが一つ減っているね」
「ゴールももう見えてる。残り四つあれば十分だろ」
「そうだね。無事に辿り着けると……良いのだが」
既に無事とは言い難い状態だが、これ以上何かが起きないことを願う気持ちは同じだ。彼の目が一度テリオンの下半身を見て、慌てたように逸らされた。直接指摘されないだけましだと自分に言い聞かせながら、その視線に気付かないふりをした。
最早慣れた手付きでサイラスがダイスを振り、出た目は二だった。二マス先の絵柄は、黒地に大きく乗算の印と数字のゼロが描かれている。横目でサイラスを見やると、彼は苦笑いを浮かべた。
「……また、悪い効果のマスを引いてしまったような気がするよ」
「勘弁してくれ……」
すると、突然目の前にキャットリンが現れた。リークとはまた違う毛色をしたキャットリンは、二人を見上げて踊り始めた。
「メダルはいただきますニャ~ン」
「っ……な、に……」
「サイラス……?!」
先に倒れ込んだのはサイラスの方で、その身を案じた時には己も術にかかっていた。
視界が端から暗く塗り潰されてゆく。平衡感覚が失われ、今自分が立っているのか、それとも膝をついたのかすら分からない。崩れ落ちる体を支えようと見えない壁に手をついたつもりだったが、もしかしたら既に倒れ込んでいたのかもしれない。最後にキャットリンの尻尾が視界を過り、テリオンは意識を失った。
「……ん」
ふと、瞼を開く。また何らかの転移術が発動したのか、いつの間にか洞窟のような場所にいた。岩壁に覆われていて陽の光は入ってこないものの、随所に篝火が灯されていて案外明るい。未だに思考は混濁していて、瞬きをしながらぼんやりと周囲を見渡す。手足を動かそうとしたが、つい先程牢獄に転移されたときと同様に拘束されており、身動きが取れない。
(サイラスはどこに……?)
その時、向かいの壁際で岩のようなものが動いた。大量の篝火が作る影で見えづらかったが、のそりと巨体がこちら側を向いたことで気がつく。生白い体皮は粘液で濡れていて、紅い瞳孔がじっとテリオンを見ていた。それは岩などではなく――メイルストロムと呼ばれる種類の魔物であった。そして探し人は、びっしりと吸盤が生えた触手に捕らえられ、力なく項垂れていた。
「ッ……! サイラス、目を覚ませ!」
「……ん……? あれ……っな、何だ?」
テリオンの呼びかけで目を覚ましたサイラスは、眼前にいるメイルストロムに顔を強張らせた。いつの間にか彼は踊子衣装を身に纏っていて、二の腕には薄っすらと吸盤の痕が付いていた。
魔物はサイラスの両手首をまとめて頭上に高く上げさせ、左右の足首にもそれぞれ触手を絡みつかせる。まるで獲物を吊るしているような格好に危機感を抱く。それはサイラスも同じようで、触手がぬるりと彼の腹を這った瞬間、形の良い唇が動いた。
「っ炎よ……燃えろ!」
火炎魔法が発動する――はずだった。しかし何も起こらず、当然魔物も傷を負ったような様子はない。テリオンも鬼火を使うべく魔力を集約させようとしたが、寸前で霧散してしまい上手く発動に至らなかった。
「魔法が、使えない……?」
「揃って何らかの状態異常にかかっているのか、それともこの空間が特殊なのか……っは、くすぐった……」
サイラスを捕らえた触手とは別のそれが、薄い腹を撫で回す。へその窪みを確かめるように吸盤でなぞったかと思うと、胸当てに触手を潜り込ませ、それを捲り上げた。
「っな……! なに、やっ……やめ、て……」
露わになった赤い飾りを細い触腕の先で捏ねられると、サイラスはさっと頬を紅潮させた。弄られる内に飾りはぷくりと膨らみ、篝火に妖しく照らし出される。傷薬に混入していたと思わしき薬の効能もあってか、サイラスは次第に悩ましげな吐息を漏らし始めた。
「は、っはあ、ぁ……ん、……」
甘やかな声色が、テリオンの鼓膜を刺激する。彼のそういう姿を想像したことがないと言えば嘘になるが、迫り上がってくる快感に耐えようと眉を寄せる姿は、自分のつまらない空想より遥かに艶めいていた。
赤く腫れた乳首に、魔物は吸盤の付いた触手を近づける。涙を浮かべたサイラスが首を横に振っても、それは構わずに細かい吸盤で胸元を擦り上げた。
「ぅあッ……!」
悲鳴ではなく、明らかな嬌声が狭い洞窟に反響した。乳首を擦られ、サイラスの腹がひくひくと引き攣る様が見て取れる。色恋沙汰に疎く性的な香りなど微塵もないサイラスが、女のように胸を愛撫されて感じている姿にテリオンの欲望は募る一方だ。
「ん、っくぅ……んぁッ、ぁあ……!」
吸盤は時にサイラスの柔肌に吸い付き、時に硬い突起でぞりぞりと飾りを擦り上げる。逃れようとしているのか、それとも体の反応を隠そうとしているのかは定かではないが、サイラスは身悶えながら膝を擦り合わせた。すると魔物は胸への刺激を止め、今度は彼の下半身に触手を伸ばす。
「っだ、だめだ、やめてくれ……っ!」
サイラスの悲痛な叫びも虚しくスラックスが引き裂かれ、ただの布となり地面に落ちる。辛うじて下半身を覆っている黒い下着は先に見た通り布面積が小さく、屹立した彼自身が今にもこぼれてしまいそうだ。サイラスが拘束から逃れようと懸命に手足に力を入れているのが見て取れるが、太い触手はびくともしない。
「どうして、こんな……ぁ、っいやだ、あっ……!」
張った布地の輪郭を、触手がゆっくりと撫で上げる。しなやかな背を揺らし、サイラスは激しくかぶりを振った。――その薄布の下が見られるのなら是非見たいとは思う。しかし、好いた相手の身体を玩具にされることはこれ以上見過ごせない。魔物の目的は不明だが、なんとか止める手段を考えなければ。
南京錠の形を指先で確かめていると、魔物がサイラスの太腿に絡みついた。柔らかな肉に触手を食い込ませ、おもむろに彼の足を持ち上げると――まるでこちらに見せ付けるように、空中でサイラスの膝を曲げ両足をがばりと開かせた。
「……!」
「うぁ……っみ、見ないでくれ……」
そう言われても、凝視せざるを得ない。内腿に滲んだ汗まではっきり見えるほど明るい場であることがテリオンには幸いした。すると細い触手が、サイラスの秘所をなんとか覆っている股布に伸ばされる。つい前のめりになり、拘束具がガチリと音を立てた。
「頼むから、テリオン……!」
輝石のような瞳は力なく潤み、瞬きの拍子に涙が頬を伝う。しかし魔物は無情にも布をずらし、その窄まりを露わにした。閉ざされた秘所を暴きたいと何度思い描いたことか。それがまさに今テリオンの眼前に晒されていて、熱視線になぞられひくりと震える様にカッと体温が上がった。
「ああ……っテリオン、見ないでくれ、こんなみっともないところ……キミに見られたくない……」
「……悪いが、それは無理だ。目が、離せない……」
「うう……ッひ、なに……?」
触手の先から粘液が垂れ、彼の無防備な会陰部を伝い後孔を濡らす。女のように秘所を濡らす姿はまた堪らなくいやらしいが、魔物の意図を察して腕に力がこもった。それは、それだけは許し難い――サイラスの初めては自分が盗むという秘めたる欲がある。
拘束を解こうともがくと、手首が金属と擦れて切れたような感触があった。不安げに涙をこぼすサイラスに、触手が近づく。焦燥感と共に、烈しい怒りが腹の底から湧き上がった。
「やめろ……!」
そう叫んだ瞬間、テリオンは上体を起こした。
そこは洞窟ではなく、見慣れた遊技盤の上。どっと汗をかいてはいるが、手首にできたはずの傷はなかった。白昼夢でも見ていたというのだろうか。それにしてはやけに生々しかったと思いながら、傍に寝転がっているサイラスを見下ろす。
「っ……ん、ぅあ……」
サイラスは秀眉を歪め、薄く開いた唇から言葉にならない声を漏らしている。頬を赤らめ、投げ出した肢体を妖しく捩る様はありもしないはずの光景を思い起こさせた。淫夢でも見ているような姿に込み上げてくるものはあるが、とりあえず起こしてやることにした。
「おい、しっかりしろ」
「ん……」
「サイラス」
肩を揺すっても目を覚まさず、仕方ないのでひたひたと軽く頬を叩く。するとようやくサイラスはゆっくりと瞼を持ち上げた。気怠げに視線を動かし、数度瞬きをする。
「あれ……? 遊技盤に戻されたのか……?」
訝しみながら上体を起こし、膝を立てて膨らんだ足の間を隠す。未だに浅く息を吐く姿は、落涙こそしていないものの、夢の中からそのまま出てきたようなそれだった。ふと猫の鳴き声がしたかと思うと視界の端でキャットリンが跳ね、またすぐに見えなくなった。
「……負ったはずの傷がない。キャットリンの仕業で、夢でも見てたのか?」
「ああ、なるほどね……。キャットリン種の中には幻覚を見せる技を使うものもいる、という論文を読んだことがある。彼らは逃げ足が速いと言われているが、単純に移動速度が速いだけではなく、幻覚で人を惑わせて逃げるのだと……」
「……悪趣味だな」
「そうだね……」
サイラスはため息をつき、汗ばんだ髪を耳にかける。些細な仕草がやけに色っぽく映り、酷く喉が渇いた。つまりテリオンの目の前で乱れていた彼も幻覚だったのだろうか。それとも二人して同じ幻覚の中に囚われていて、あのサイラスは本物だったのだろうか。取り止めなく考えていると、サイラスは自分の立てた膝に額を付けた。
「……すまない、先に進みたいのは山々だが……このまま少し、休んでいてもいいだろうか」
「構わないが……休憩しているだけで治まるのか?」
「っ……! そ、それは……」
耳まで赤くしてますます身を縮こめる姿に、嗜虐心が頭をもたげた。ゴールまではあと三マスで、運が良ければあと一度ダイスを振るだけでこのおかしな場所からは脱出できる。あまり帰りが遅いと仲間達に心配をかけるが、下半身が兆している状態では外には出られない。手っ取り早く治めてしまったほうがいいに決まっている。都合の良い言い訳を一つ、二つと頭に浮かべながら、サイラスの正面に座り直し、閉じた膝の外側を撫でる。
「……抜いてやるから、足開け」
「なっ……い、いきなり何を言うんだ……! それくらいなら……自分で、するよ……」
「じゃあ、一緒にするか」
「一緒にって……」
おずおずと視線を上げたサイラスに見せ付けるように、自分の外套を指先で少し持ち上げてやる。同じものがついている癖に、彼ははっと息を呑んだ。
「……こういうのは、一人でするより二人でした方がイイからな」
「そうなのだろうか……?」
「ああ。……早くここから出たいだろ。大人しくしていれば、すぐ終わる」
強く拒絶する空気がないのをいいことに、勝手にサイラスのローブの留具を外す。厚手のローブを肩から落としてやり、同様にベストも脱がせる。彼は困ったように眉を下げてはいるものの、どこか熱の籠もった眼差しでテリオンを見つめた。――そんな顔をされると自惚れそうになる。
汚さないように自分も外套と腰布を取り払い、畳みもせずに置く。おもむろに下半身の衣服を寛げ、昂ぶっているそれを外気に触れさせた。
「あ……」
「……次はあんたの番だな」
力の入っていない膝を割り開き、スラックスのベルトを外す。その中の濃いグレーの下着を指先で軽くなぞると、彼は大袈裟に肩を跳ねさせた。
「うあっ」
「……普通の下着だな」
「……言っただろう? 自分の意思で、あのような下着を身に着けていた訳ではないと……」
少し残念だが、安堵したような気持ちもある。もしも普段からあのような露出度の高い下着を着けているのだとしたら、傍にいるだけで落ち着かなくなるというか、その体の輪郭を視線でなぞり続けてしまいそうだ。下着をずり下げて屹立を露出させると、サイラスは手の甲で唇を覆った。
「っ……」
「触るぞ」
「ん、……ぁ、っは……」
同性のそれだというのに、触れることに躊躇いはなかった。軽く握り、幹を撫でるとあえやかな吐息をこぼす。指の腹で輪郭を確かめるように撫で上げ、裏筋を少し強めに擦ると柳腰が震えた。
「あっ、んん、ンッ……」
喘ぎ声を噛み殺しながらも善い反応を隠しきれない姿を、食い入るように見つめる。サイラスは綺麗な人だと思う。碩学王の陽射しの下で涼やかな笑みを浮かべる姿も、その相貌を欲に染めて感じ入る姿も、どちらもテリオンの眼差しを惹き付けてやまない。雁首を指先で擽るように撫でてやると、地面についた手がびくりと跳ねた。
「っふあ、ぁ……ッテリ、オン……」
「気持ちいいか?」
「ん、ん……っ」
控え目に一度頷く姿に、また下半身に熱がこもる。たまらなくなって、意味もなく盤面を撫でる手を取った。長い睫毛で縁取られた瞳が、愕然としたようにテリオンを見る。
「……こっちも、触ってくれ」
「っ……」
「嫌なら、無理にとは言わんが」
「……嫌ではないよ。その、痛かったら言ってくれ……」
そう言って、サイラスは焦れったいほどゆっくりとテリオンのそれに指を伸ばした。ひたりと触れた白魚のような指は、その見た目に反して驚くほどの熱を持っている。テリオンの表情を窺いながら緩慢な動作で握り込まれ、つい深く息を吐いていた。
「……っはぁ……」
「ど、どうかな……」
「悪くない。そのまま扱いてくれるか? こうやって……」
「っあ……ん、分かった……」
手の中のそれを軽く扱いて促すと、サイラスは拙い手付きでテリオンの昂りに絡めた手を動かし始める。穢れを知らない指が不浄のそれに絡みつき、健気に快楽を与えようとしている姿にますます欲望が張り詰めた。
「っ……キミの、すごく……熱くて硬いね……」
「あんたもそうだろ……」
「そうかもしれないが……キミのほうが、なんだか、とても……いやらしい」
瞳の奥に見たことのない色の炎を燃やし、熱心に見つめられると気分が高揚する。与えられる官能に浸りながら、一度サイラス自身から手を離し、指先をブラウスの裾に潜り込ませた。肌触りの良いそれを捲り上げ、薄い胸元を弄る。赤い飾りは既に硬くなっていて、テリオンの指に引っかかった。
「やっ……そんな、ところ……っ」
「もう硬くなっている……あんたの方が、よっぽどいやらしいんじゃないか」
「っそんなこと、ンッ……ん、あっ、ぁ……っ」
指の腹でくにくにと飾りを捏ね回すと、すぐに威勢を失い甘やかな声を上げる。幻覚の中の光景が脳裏を過ぎったが、こうして自分で触れて掻き乱すほうがよほど愉快だ。
「……あんたはさっき、どんな幻覚を見ていた?」
「言いたく、ない……」
「俺は……あんたがメイルストロムに捕まって、ここを弄り回されて喘いでるところを見た」
「っえ……では、あれは……っ」
言いかけて、慌てて口を噤む姿に確信を抱いた。確かにあれはキャットリンの作った幻覚であったが、囚われたサイラス自身は本物であったのだと。テリオンの前で乱れ、あられもない姿を曝け出した彼は幻覚などではなかった。きゅ、と指先で飾りを摘むと、サイラスはまた善さそうに背筋を引き攣らせた。
「っはあ、あ……ぁッ……」
次第にサイラスの手に力が入らなくなってゆく。それに焦れ、彼の腰を抱き寄せて空いていた距離を詰める。怒張した昂り同士が触れ合い、甘い痺れが背筋を走った。
「あッ……これ……っん、んぅ……」
「は……」
自分自身の方が大きいことに雄としての優越感を抱きながら、ゆるゆると腰を揺する。たったのそれだけでも気持ちよく、心の奥底にある昏い欲望が満たされた。二本まとめて握り込み擦り上げると、サイラスが堪えきれずに高い嬌声を上げた。
「っあぁ……! ンッ、ぁ、テリオン、やッ……」
「ん……」
「だめ、っ声が、出てしま、っ……」
「ハ、好きなだけ啼けよ……。どうせ、ここには二人しかいないんだからな」
どちらのものかも分からぬ先走りを塗り拡げるように幹を摩擦する。サイラスは与えられる快感に膝を跳ねさせ、縋るところを求めるようにテリオンのシャツの肩辺りを指先で握った。
「ッ……あ、っいやだ……おねがい、もっと、ゆっくり……!」
「それは……っできない相談だな……」
欲望を募らせ続けてはち切れんばかりに勃起した自分のそれは、今か今かと解放を待っている。だが、それはサイラスも同じだろう。互いの熱を間近で感じながら、掌で先端を撫で回す。サイラスはふるふると首を横に振り、懸命に唇を引き結んで押し寄せる官能に抗おうとしているように見えた。
「ふあ、っあ……! っくぅ、ン……」
「……そんなに声を聞かれたくないなら、塞いでやろうか?」
「ん、どうやって……?」
「こうして」
うつ伏せ気味の顔を覗き込むように唇を重ね合わせると、涙に濡れた瞳が丸く見開かれた。下半身は確かにテリオンの手中にあるが、逃れようと思えば逃れられるはずだ。しかしサイラスは顔を背ける余裕もないのか、それとも――靄のかかった思考で勝手に都合よく解釈して、柔らかな唇の感触を堪能するように自分のそれを押し付けながら、二人分の昂りを少々乱雑に擦り上げる。
「っふ、ぁ……ん、ンッん……」
テリオン自身もそろそろ限界が近い。享楽に蕩けた表情を至近距離で見つめ、先端を強く擦り上げた。ビク、とサイラスの体が一際大きく引き攣る。
「んッ、んぅ――……!」
「……ッは、ぁ……」
どくどくと手の平に迸るそれを感じ、自分も短く息を詰めた。射精の最中も絞るように擦ってやると、サイラスは背筋を丸めて身悶えていた。
――熱が引くと一気に頭の中が冷え、勢いに任せてとんでもないことをしてしまったのではないかと思い至る。顔を離すと、彼は恍惚とした表情でテリオンを見つめていた。
「……片付けるか」
「……うん……」
荷物から盗品のハンカチを取り出し、自分の手や互いの下半身をさっと拭く。次第にサイラスも落ち着きを取り戻したのか、汗顔しながら服を整えた。テリオンも外套などを羽織り直し、ついでに彼の懐から掠め取ったダイスを指で弾き、空中でキャッチする。
「いつの間に……」
「次で最後だな」
未だ漂う色っぽい雰囲気を振り切るように、さっさとダイスを放った。出た目は五で、ゴールのマスへと進んでゆく。しかしその一つ手前のマスに踏み込んだ瞬間、またも景色が歪んだ。――次に目を開いた時二人は見覚えのある洞窟に立っており、生白いメイルストロムがこちらを見下ろしていた。
「そう簡単にゴールに辿り着かせてはくれないということか。……しかし、今度は先程のようにはいかないよ」
サイラスはそう呟くと手の平に炎を灯し、魔法が使えることを確かめる。つまりこれはキャットリンの幻覚ではなく、現実だ。夢ならまだしも、現実にサイラスを襲わせてなどなるものか。彼の視線に促されて懐から学者の証を取り出す。瞬く間に揃いのローブを纏ったテリオンを見て、彼は口角を上げた。
「今回は、止めは私に譲ってくれるね?」
「ああ。さっきの腹いせに、好きなだけやれ」
「では、援護は任せるよ」
地面に手を付き、火炎魔法の詠唱を始める。風もないのに黒いローブがはためき、次の瞬間には焦げた臭いが洞窟内に充満した。
***
「お疲れ様ですニャン! こちらが報酬のメダルですニャン」
――その後、無事に魔物を仕留めてゴールした二人は、いつの間にかリークのいる荷台に戻っていた。リワードスポットで回収されたメダルを受け取り、サイラスがどんなものと交換できるのか尋ねているのに耳を傾けながら、外を窺う。既に日が傾き始めているから、早いところ街に戻ったほうがいいだろう。
結局サイラスはメダルとナッツを交換して、リークに別れを告げた。相変わらず集落は閑散としていて、人の姿は見受けられない。
「ふむ……もう少し塔を調べたかったのだが、時間切れだね」
「ああ。調べ足りないなら、また近くに来たときにでも寄ればいい。その時はまた付き合ってやるよ」
「ありがとう。……今日は大変なことに巻き込んでしまってすまなかったね。まさか、あんな醜態を晒すことになるとは……」
サイラスは自分の髪を指先で梳き、苦笑いを浮かべる。テリオンとしてはかなり良い思いをさせてもらったが、彼からすると散々な一日になっただろう。拒否されないのをいいことに、最後はかなり強引に迫ったことを少しだけ後悔していた。
「俺は構わんが……嫌だったのなら、野良犬に噛まれたとでも思って早く忘れるんだな」
「……」
そう言って早足で歩くと、小走りで後をついて来る。隣に並び立った彼を見上げると、頬が赤く染まっていた。思わず足を止めると、サイラスも同じように立ち止まる。
「では、嫌ではなかったら……どうしたらいいんだい?」
「……それは」
「迷惑をかけてしまったが、相手がキミで良かったと思っているんだ。……キミでなければ、あんなことは許さないよ」
「俺も、あんたじゃなければ……あんな風に触れたりはしない」
手首を握り引き寄せると彼は素直に従った。その頬に手を添え、僅かに踵を浮かせる。サイラスも少し身を屈め、テリオンの唇を迎え入れる。そっと顔を離すと、彼は噛みしめるように呟いた。
「……嬉しい」
飾り気のない簡潔な言葉が可愛らしくて、すぐにもう一度キスをした。俺も、と小さく囁くと、サイラスは青空のような瞳を柔らかく細めた。――そうして夢のような不思議な出来事は幕を下ろしたが、握り締めた手の温かさは紛れもない現実であった。
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