雪華
2022-05-23 21:59:45
3630文字
Public オルサイ
 

【オルサイ】ファーストキスの味

今日はキスの日らしいので書きました。デキてなくて、自覚がない人とある人。付き合ってないオルサイがキッスするのが見たいな~という欲望そのままの話です。

その晩は珍しく酔っていた。飲み比べをしようというアーフェンの提案に乗り、水のようにエールを呷り続けていたせいだ。オルベリクの巨躯を支えて歩く男を見下ろし、態と寄りかかると彼は大きくよろめいた。

「うわっ……もう、しっかり立ってくれオルベリク」
「分かっている……
「どうだかね。じゃあテリオン君、アーフェン君は任せたよ」
「ああ」

廊下でアーフェンを引きずるテリオンと別れ、宿の部屋に入る。二つ並んだ寝台の内、入り口に近い方まで連れて行かれたため素直に腰を下ろした。今夜はサイラスは端から勝負には参加せず、度数の強い酒を飲みながら観戦していた。彼もそれなりに飲んでいると思われたが、普段と変わらないリズムで靴音を鳴らしながら部屋を出ていった。
鈍い思考の中、休めるように装備を外してゆく。剣を下ろし、篭手を外し、靴を脱ぐ。そうしていると再び扉が開き、サイラスがグラスを手に戻ってきた。

「水だよ、飲めるかい?」
「ああ……すまん……
「そう思うなら、酒量は弁えてもらいたいものだね。道中であなたに押し潰されるかと思ったよ」

小言は右から左に流れてゆき、グラスを受け取りながら相変わらず耳に優しい声だと見当違いなことを考えていた。酔いで火照った体を冷ますように、ぬるい水を少しずつ口に含んで飲み下す。

「そう言えば、傍のテーブルで興味深い話をしていたね。出勤前の踊り子たちのようだったが、実に楽しげだった」
……そうだったか?」
「うん。たとえば、ファーストキスはレモンの味だとか」
「っ、」
「オルベリク!?」

サイラスが指を立て、大真面目な顔で語るものだから口に含んだ水を思い切り吹き出してしまった。むせ返るオルベリクの正面に彼は慌てたように膝をつき、絹のハンカチを口元に押し当てた。

「だ、大丈夫かい? ゆっくり飲まないと……
「っいや、お前の話が……大真面目に語ることかと……くっ」

夜風に吹かれている間に収まっていた笑いが、またふつふつとぶり返してしまう。肩を震わせるオルベリクを前に、彼は僅かに拗ねたように唇を尖らせてみせた。

「失礼な。いいかい? 古くから伝わる民話が、研究を重ねる内にその土地特有の流行病を示しているものだったと判明した事案もある。こういう些細なこと一つとっても、決して軽んじてはならないのだよ」
「ああ、ああ、そうだな。キスの味がなんだって?」
「踊り子たちがファーストキスはレモンの味だとね話していたのだよ。アトラスダムにいた頃も似たような話を聞いたことがあるし、どうやら土地柄で流行っている話ではないらしい。実際はどうなのだろう、あなたはどうだった?」
「ふ、……いや、俺も聞いたことはあるが、どうだったかと聞かれるとな……。覚えていないとしか言えんな……

すっかり酔いが回っていて、古い記憶の引き出しを開けるのは無理だと笑いを噛み殺しながら語ると、サイラスは肩を竦めて濡れた床を拭く。年下の友人に始末をさせていることを悪いとは思いながらも、どうにも笑いが止まらない。

「そういう、お前自身はどうなんだ?」
「私は……経験したことがないから、分からないんだ」
「ふ、ふふ……
「オルベリク」

咎めるような口調に顔の前で手を振る。馬鹿にしているのではなく、酒を飲むとこうなってしまうだけなのだ。

「だが仮説はあるよ。そもそも唇を触れ合わせるだけで、味を感じるだろうか? 味覚とは舌で感じるものなのだから、香りならともかく味という表現は適切ではないと思われる。ただ五感というものは年月を経るごとに曖昧になり易く……

サイラスは床に座ったまま滾々と語っているが、正直あまり頭に入ってこない。心地の良い微睡みに包まれているのに、優しい声がオルベリクを現実の世界に縫い留める。サイラスの話を遮る良い方法はないものだろうかと、殆ど眠っている頭で考えたのがいけなかったのだろう。

「つまり仮説の一つ目として、思い出を美化しているという可能性が挙げられる。ファーストキスはレモンの味、という表現が出てくる詩や小説が流行ったことで……
「それなら話は早い、実証してみるか」

話の途中で強引に口を挟み、サイラスの肩に手を置く。長い睫毛が瞬いて、唖然としたような表情で見上げられるとまた面白くなってくる。最早笑っているのが酒のせいなのか、この状況のせいなのかも判断がつかなくなっていた。

「お前はファーストキスなんだろう、ちょうどいいじゃないか」
「オルベリク……酔い過ぎだよ。明日は二日酔いだろうね」
「かもしれんな。ふふ……どうだ、実証するなら手伝ってやってもいいぞ」
……酒の勢いでするファーストキスほど、碌でもないものはないと思わないかい?」

ロイヤルブルーの瞳は呆れたようにオルベリクを見上げているが、奇妙なことに逃げる素振りはなかった。覗き込むようにその整ったかんばせに影を落としても、肩に置いた手が振り払われることはなかった。

「それは違うな。酒の勢いがなければ、出来ないキスもあるだろう」
……流石、経験者は言うことが違うね。あなたにとっては何度目だい?」
「さあ、忘れたな」
「あなたにとって、それだけの意味しかないものの一つになれということか。……いいよ、酔っ払いの戯言に付き合ってあげよう」

サイラスが顔を持ち上げ、柔らかな吐息が頬にかかる。酩酊しながら赤らんだ頬に手を添え、角度をつけさせてやる。平然としていたが、彼もそれなりに酔っていたのだと今更ながら気がついた。そうでなければこんな事態にはならなかっただろう。

……オルベリク」

薄く開いた唇に自分のそれを重ね合わせる寸前、ふとその光景に目を奪われた。日頃は知的好奇心に煌めく瞳が、不思議な熱を持って自分を見つめている。珍しくどこか緊張した面持ちのサイラスに、この瞬間を長く待ち望んでいたような錯覚を抱いた。
その違和感の正体を探ろうと思考の海に潜り、動きを止めたオルベリクに代わり――指一本分ほど開いた距離を詰めたのは、サイラスの方だった。柔らかな唇が触れた時、すみれの花のような仄かな香りが鼻腔を擽った。すぐに顔を離すと、彼はまるで痛みを堪えるように目を伏せた。

……
……酔いが覚める前に、休むといい。私はグラスを返してくるから」
……ああ……

脱力しているオルベリクの手からグラスを取ると、サイラスは立ち上がってローブを翻す。ようやく静かになった部屋の中で、おもむろに寝台に横たわる。とんでもないことをしてしまったような、気がする。しかし相変わらず頭は回らず、天井の木目を眺めている内にいつの間にか寝入っていた。

***

――ズキ、と頭に走る鈍痛に目を覚ます。目に飛び込んできた朝陽の眩しさに思わず、顔を手で覆った。酒場でアーフェンたちと競うように酒を飲んだことは覚えているが、記憶が曖昧だ。体を起こす気にもなれないオルベリクに対し、同じ部屋で休んだであろう男は普段通り涼しげな声を掛けた。

「おはよう。気分はどうだい?」
「サイラス……? 俺は……
「アーフェン君から薬をもらってきたよ。まあ、彼自身も青い顔をしていたけどね。水と一緒にここに置いておくから、起き上がれるようになったら飲むといい」
「すまんな……。昨日、一体どうやってここまで帰ってきた? 酒代を払ったかどうかも覚えていない……

ようやく日差しに目が慣れてきて、室内を一瞥する。サイラスは窓際の机に手を置いているが、俯き加減の横顔からは表情があまりよく読み取れない。彼はオルベリクを見もしないまま淡々と語った。

……勘定はきちんとしていたよ。それはテリオン君も見ていたから、保証してくれるだろう。あなたはふらついていたけれど自分の足でここまで戻ってきて、すぐに眠ってしまっていた。着替えくらいはした方がいいと思って起こそうとしたのだが……
「いや、お前が気に病むことではない。面倒をかけて悪かったな」
「次に活かしてくれればいいさ。……私はトレサ君たちと街を回る約束をしているから、もう行くよ。支度は自分でできるだろう?」
「ああ、大丈夫だ。気をつけてな」

サイラスは一度もオルベリクに視線を遣ることなく、鞄を持つと部屋を後にした。その態度に内心首を傾げながら体を起こす。もしや、覚えていないだけで相当な面倒をかけてしまって、怒っているのだろうか。流石に嘔吐の世話などはさせていない、と思いたいが自信もない。
思い返そうにも頭が酷く痛むため、とても考えられない。こめかみを擦りながら深くため息を付き、立ち上がった。水の入ったグラスは日差しを受けきらきらと憎らしいくらいに輝いている。それを見ているとふと、花のような香りが記憶に蘇った。――それがどこで嗅いだものかは、思い出せなかったが。




***

感想等をいただけますと喜びます Wavebox