ふと、意識が浮上する。カーテンの隙間からは既に朝陽が差し込んでいて、夢すら見ないほど深い眠りについていたことを悟った。繰り返し悪夢となって現れ、オルベリクを苛み続けた記憶は薄れた訳ではない。しかし旅の中でエアハルトの思いや、秘められていた陰謀を知ることで、前に進む覚悟を持てた。赦せる訳ではない、悔やまないと言えば嘘になる――それでも、あの瞬間があったからこそ、今の自分に繋がっていると受け容れられるようになった。
「……ん……」
その時、同じ寝台で眠る男が小さく身動いだ。項を隠すように長い黒髪、桜色のふっくらとした唇、そして今は閉ざされている瞳は晴天の空を思わせる鮮やかな青色。同性だというのにオルベリクよりずっと弱くて脆くて、美しいひと。はじめは仲間の一人であったがいつしか互いが特別な相手となり、そして昨晩とうとう身も心も結ばれたのだった。
するとサイラスの長い睫毛が震え、ゆっくりと持ち上がる。その眼差しにオルベリクを捉えると、彼は柔らかく微笑んだ。
「……おはよう、オルベリク」
「おはよう。気分はどうだ?」
「うーん……少し、体が重いかな」
「無理をさせたな……」
形の良い頭を撫で、額にキスをするとぽっと耳まで赤らんだ。サイラスは普段は冷静で、時にはこちらが肝を冷やすほど剛毅で大胆だが、色恋ごとには疎いと自覚があるらしく、オルベリクの言動に素直に反応してくれるものだから愛おしくてたまらない。
「ううん……。昨日は、今まで見たことのないあなたの姿や、聞いたことのないほど甘いあなたの声を聞けて……私は幸せだったよ」
恥じらいを噛み殺してはにかむような笑みを向けられ、堪えきれずに華奢な体を抱き締めた。翌日に響くほど体に負担のかかる行為だったはずだが、それでも幸福だったと言い切れる彼の内面の強さにはこれまで何度も救われてきた。そういう部分に惚れているのは確かだが、同時に自分の前では弱気なところも曝け出してほしいとも思う。
「……そうか。受け止めてくれて、ありがとう」
「私の方こそ。……また、私を愛してくれるかい?」
「お前が望んでくれるのなら、喜んで。……さ、起きるか」
「うん」
弧を描く唇に自分のそれを重ね、名残を惜しみながらも体を離して起き上がる。いつまでもこの甘い朝を楽しんでいたいものだが、あまりのんびりしていると仲間達を待たせてしまう。仲間といえば――実はオルベリクは一つだけ、この恋人に対して不満というか悩みに近いものを抱いていた。
身支度を整えながら、ソックスガーターを留める姿を窺い見る。すらりと長い脚に黒いソックスとガーターベルトが映え、その姿は扇情的とすら言えよう。サイラスの体の動きは万全とは程遠いが、その横顔は晴れやかで機嫌が良さそうだ。
(……また、簡単にあいつらに喋ってしまうのだろうな)
半ば諦めてはいることだが、胸中でため息をつく。そもそも、オルベリクは二人の関係を仲間に打ち明けるつもりはなかったのだ。決して人に言えない関係だと考えているつもりはないが、年長者の自分たちの色恋を年少の彼らに話すのは少々どころではなく気恥ずかしいと思っていた。しかしサイラスは違ったらしく、オルベリクの思いとは裏腹にあっさりと仲間達に交際していると告げてしまったのだ。
サイラスは口から先に生まれたのかと思うほど話し好きで、かつ真実を述べることに抵抗がない。付き合っているのかと問われれば頷き、どこまでしたのかと聞かれれば、昨日はキスを、なんて頬も染めずに答えてみせるのだ。同じように、今夜のこともそう遠くない内に知れ渡るのは想像に難くない。
(まあ……そういう無邪気なところも、こいつの魅力なんだが……)
それにしたって、交際事情を仲間達に明け透けにすることには抵抗を禁じえない。しかし仲間達にオルベリクのことを語るサイラスは実に楽しそうで、初めての恋愛を心から謳歌しているのだと思うとどうにも強く出られずにいる。結局は、惚れた弱みなのだろう。自分の恥の一つや二つは、呑み込んで然るべきか。
黙考しているうちに互いに身支度が終わり、荷物を持つと部屋を出る。仲間達と宿のロビーで合流し、いつもと同じように朝の挨拶をした。
***
それから二週間ほどが経った。はじめの数日はいつ仲間達にからかわれるのかと身構えていたものだが、オルベリクの予想に反して彼らから夜伽について言及されることはなかった。その理由を知ったのは、アーフェンに宿の部屋の鍵とともに見覚えのない小瓶を手渡された時だった。
「……これは何だ?」
町に辿り着いた一行は、日が暮れる前に半数ずつに別れて買い物と宿の確保に向かった。オルベリクはサイラス、トレサ、ハンイットと共に買い物組に回ったのだが、合流してから渡されたものとアーフェンの赤い顔を見比べ、疑問を隠さずに問う。
「今日の宿は、二人一部屋だからな。その、先生と……まだなんだろ?」
「……サイラスからそう聞いたのか?」
「いや、俺も聞いちゃ悪いかなと思ったんだけど気になってな……。まあ、これは聞いた詫びみたいなもんだから、気にせず受け取ってくれ! 上手くやれよ!」
言うだけ言って、アーフェンは脱兎のごとく逃げてしまった。当のサイラスは少し離れたところでトレサと先程購入した装備品について話しているため、オルベリクたちのやり取りには気付いていないだろう。
てっきり問われたらまた喋ってしまうものだと思っていたが、そうではなかったのだろうか。しかも、していないと嘘までついた可能性がある。サイラスらしくない言動に疑問を抱きながら、また後で確認しようと受け取ったそれを懐に入れた。
そして夜、部屋で二人きりになってからサイラスにアーフェンとのやり取りを説明した。アーフェンから渡された小瓶の中身は甘い香りをつけられた香油のようで、それが何を意味するかというのは、サイラスとて理解できるはずだ。
「……と言うことでな。俺としては言わないほうがいいとは思っていたのだが……何か心境の変化でもあったのか?」
話を聞く間サイラスはオルベリクの正面に立ったまま、僅かに顔を俯けていた。白魚のような指先は珍しいことに落ち着きがなく、そわそわと学者のローブを握っている。
「……その、嘘をついてしまってすまなかった。先日アーフェン君とプリムロゼ君に聞かれて、咄嗟にしていないと答えてしまったんだ……」
「責めているつもりではない。ただ、お前はそういうのを喋りたいタイプだと思っていたから意外でな」
艶やかな髪を指先で梳いてやると、サイラスはおずおずと顔を上げた。赤らんだ顔はどこか弱っているようにも見えて庇護欲がそそられる。
「過度に恥じることはないと思っていたんだ。恋人同士なら体を重ねるのは至って普通のことだ。私達は健康な成人男性であるし、日頃から接触も多いからなおさらね。ただ……あの行為は、私が思っていたよりずっと……背徳的な快感だったから」
「……だから言えなかったのか」
「私だって、羞恥心くらいは持ち合わせているのだよ。それに……私を抱くあなたがあまりにも格好良かったものだから、誰かに話すことが惜しくなってしまった」
頬を薔薇色に染め、うっとりと語る様に胸の辺りが熱くなる。知識は万人に共有されるべきという考えを持つサイラスが、オルベリクのことは独り占めしたいと思ったのか。自分にだけ向けられる特別な欲を知り、気分が高揚した。頬を撫で、顎に指を添えて持ち上げると彼は素直に顔を上向けた。
「……サイラス、俺もずっと同じことを思っている。俺の前だけで見せる愛らしいお前の姿を、誰にも知られたくない」
「そうだったのか……。では、あなたはずっとこんな気持ちだったのだね。ようやく理解できたよ」
「それは何よりだ。……で、今夜はもらった香油を使ってみるか?」
「どちらでも。あなたの好きなように、私を味わってくれ」
挑戦的な眼差しを覗き込むように唇を重ねる。――その晩はどのように愛し合ったか、知るのは世界で唯二人だけ。後にサイラスは『好きなようにという言葉は無責任だった』と自省めいたことを語っていた。
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