港町の酒場内は潮と酒の香りが入り混じり、船乗りの大声が響き渡る。仲間たちも負けず劣らず賑やかに食事をとる中、テリオンは一人ため息をついた。隣に座る男は、行儀よく口に入っているものを飲み込んでから声を掛けてきた。
「疲れているのかい?」
「違う。またお前にストールを焦がされたんだから、ため息も出るだろ」
「ああ、そうだったかな。確かに今日の戦闘は激しかったからね」
嫌味たらしく言ってやったのに、サイラスはどこ吹く風といった様子でけろりとしている。以前も同じことがあって叱ったが、『巻き込まれるところにいる方が悪い』と宣うものだから本当に可愛くない。この年若い青年が放つ大魔法は確かに重要な戦力だが、前線で戦うテリオンにとっては脅威にも成り得る。
「もう少しなんとかならないか」
「あなたはいつも避けられているから、それでいいのではないかね。焦げたと言っても端だけだろう?」
「……せめてひと声かけてくれ」
「そう言われても、詠唱には時間がかかるからね。連続で魔法を使いたい時に途切れさせたくはないし……」
「たまにやってるだろ、詠唱破棄ってやつでいいんじゃないか」
するとサイラスが片眉を上げ、詰め寄るようにテリオンに近づく。すっかり学者というか、教師の卵らしい表情を見れば自分の発言が軽率だったと悟る。長テーブルの端に座っているテリオンにこれ以上の逃げ場はなかった。
「詠唱が何故必要か、あなたは分かっていないようだね。そもそも魔法とは人の叡智の結晶であり完成された術式なのだよ。もちろん私がするように魔力によって途中式を省くことは可能だが、結果として出力される魔法の威力に支障をきたす上に、時には術者のコントロールを失うなどの失敗を招きかねず……」
「ああ、分かった分かった」
「あなたがそう言うときは私の話を理解したのではなく、聞くのが億劫だから遮りたいだけだろう?」
得意げな講義に水を差されたせいか、サイラスは小さく唇を尖らせむくれてみせた。テリオンがこの若者の扱いを心得たと同時に、彼もまた自分のことを理解しているらしい。
長話を聞くのはやぶさかではないが、今は食事時だ。放っておけばサイラスは好きなだけ喋って食事を疎かにしてしまうだろう。ただでさえ体力がない方なのだから、食事と睡眠くらいはしっかりとらせてやりたい。などと思うくらいにはテリオンは随分と彼に甘くなってしまっていた。
「……では、言い方を変える」
前のめりになっているサイラスの手を、テーブルの下で握る。傷一つない指先は罪を知らず、テリオンに優しい温もりだけをもたらす。その耳元に顔を寄せ、囁いた。
「続きは後で、ベッドで聞いてやるから」
「……!」
まるで火がついたように、白い肌が赤く染まる。サイラスは狼狽しながら周囲を見遣り、小さく開いた唇から出た声はアーフェンの笑い声に掻き消されてしまった。その動揺っぷりを鼻で笑って手を解き、軽く肩を叩いてやる。
「……誰も聞いちゃいないさ」
「急に……変なことを言わないでくれ」
「そうか? お前の講義は寝物語にするくらいがちょうどいいだろ」
「き、聞いてくれるつもりなどないくせに……」
「じゃあ今夜、試してみるか?」
そう言ってやると、ひとつ呻いて俯いた。サイラスは学問や魔法など得意な分野であれば、二十歳そこそこという年齢を感じないほど熱弁を振るい他者を言い負かすが、反面こうして苦手な分野に持ち込んでやれば簡単に二の句を継げなくなる。黙り込んでいるのを良いことに、彼が使っている取皿に勝手に料理をよそって食べるように促した。
アトラスダムという都会で生まれ育ったサイラスは、良く言えば純粋で、悪く言えば世間知らずだ。――だからこんな男に騙される。サイラスとは真逆の世界で生きてきて、本では得られない知識を持つテリオンの姿は余程刺激的に映るのだろう。好奇心が恋心になったと語っていたが、本当かどうかは疑わしい。
(恋に恋する、なんて言葉もあるくらいだしな)
時々考えることがある。いつかサイラスがテリオンという人物を知り尽して満足したら、もしくはより彼の好奇心をくすぐる人物と出会ってしまったら。その時には自分は用済みになるのではないか。テリオンとしてはそれでもいいと思っていた、はずだった。
結局その夜は四人部屋で、明日に備えて早くに眠った。
***
一行が次に目指しているのは、コーストランド地方のなかでもかなり東に位置するグランポート。ここ数日間移動に徹したお陰か、今日明日には街にたどり着く見込みだ。そんな旅人たちの前に立ちはだかったのは、黒々とした堅い外皮に覆われたブラックシザーの群れだった。
「チッ、こうも群れられると厄介だな……」
悪態をつきながら振り上げられたハサミを避け、比較的脆い部分である関節を短剣で断つ。頑丈な外皮を斬りつけると短剣の方が刃こぼれを起こすため、できる限り柔らかい箇所を狙って攻撃を繰り返さなければならない。数体程度ならこれくらいの芸当は楽にできるが、十体を超えてくるとさすがに疲労がたまる。
「オルベリク、あんたはまだやれるか?」
「ああ……。どうやら群れもこれで最後のようだな、気を抜かずに行くぞ」
「分かった」
二人は共に年長者として、そして前衛として仲間たちの前に立つ役割を持つ。テリオンやオルベリクが普段ほどの力を発揮できていないのは、できる限り魔物を後ろに通さないように牽制しながら戦っているせいでもある。まだ二桁ほどはいそうな魔物を前に短剣を構え直した時、項を刺すような激しい魔力を感じた。
「テリオン」
金属と甲殻がぶつかる硬質な音、乱れた自身の息遣い、波のさざめき。様々な音がひしめき合うなかでも、その凛と張った声は真っ直ぐにテリオンの耳に届いた。振り向くことはせずに、オルベリクに合図を送る。
サイラスの詠唱が始まるのに合わせ、鬼火を放って魔物の足を止め退避の準備を始める。彼のそれは流水のように淀みなく、雷のように素早く、そして練られた魔力は燃え盛る炎のように苛烈に立ち上る――。
「アールデー・イグニス!」
テリオンが飛び退き、その一拍後に放たれた特大火炎魔法はあっという間に魔物の群れを飲み込んだ。斬撃を通さない外皮も熱には弱いらしく、炎が小さくなる頃には魔物たちは焼き尽くされ灰となった。歓声を上げるトレサを横目に、額に滲んだ汗を拭った。
「さすがね、サイラス先生!」
「ああ。テリオンたちが上手く魔物を一箇所にまとめてくれていたから、攻撃範囲を絞って魔法の出力をあげられたよ」
「すごかったなー。さて、怪我したやつはいないか? 先に治療してから進もうぜ」
「アーフェン、リンデを診てやってくれないか。腿を斬りつけられていて……」
戦闘が終わってからも、アーフェンやオフィーリアの仕事は終わらない。擦り傷程度でも治療すべきと言われることには、はじめのうちは甲斐甲斐しすぎると呆れたが、特に旅路が苛烈になってきた今ではその必要性が理解できる。魔物の中には毒を持つものもいて、掠り傷が重傷に至ることもあるからだ。すると残党がいないか周囲を確かめていたオルベリクが、テリオンに声を掛けた。
「テリオン、先程はお前の合図に助けられた」
「お互い様だろ」
「フ、……そうだな」
「あっ、オルベリクの旦那も怪我してるよな?! こっち来てくれー、一緒に診るから」
「これくらいはいいんだがな……」
苦笑いを浮かべながらも、オルベリクはおとなしくアーフェンに従った。恐らくテリオンが同じ立場でもそうしていただろう。薬師としてのアーフェンは妙に強情で、治療を拒むと大袈裟に騒ぎ立てる。それくらいなら黙って手当を受けた方が懸命だ。
とりあえずは暫し、治療がてら休息の時間だろう。敵の接近に気付けるように仲間たちとは少し離れた場所に腰を下ろすテリオンに、一つ影が近付いた。その全身を一瞥し、傷を負っていないことを確かめる。
「隣、いいかな」
「ああ」
「どうだい、上手くいっただろう?」
サイラスは隣に腰を下ろすと、少し胸を張って得意げな笑みを見せた。じっとテリオンを見つめ、言葉を待つ姿はまるで尻尾を振る犬のようでおかしくて仕方がない。まあなんとも、素直な男だ。二人きりなら頭を撫でてやったところだが、柔らかく背を叩く程度のスキンシップに留めた。
「やればできるじゃないか」
「そうだろう! 確かにあなたの言うことは尤もだったからね。仲間を守るための魔法で傷つけてしまったら本末転倒だ。ちょうど詠唱の間ということもあったから実践してみたが、想像以上にいい成果が得られたよ」
「是非、次回以降もそうしてくれ。さて……上手くやれた優等生君には、ご褒美をやらないとな」
そう言うと、サイラスは不思議そうに瞬きをした。そんなものがもらえるとは思っていなかったと、欲を知らない顔には書いてありそうだ。
「もうすぐ街に着くだろ。何か欲しいものはないのか? お前が欲しいと言うなら、何でも盗ってきてやるさ」
「……何でもいいのかい?」
「ああ、言ってみろ」
褒美を与えることで次に繋げられれば戦闘がより安全になる。どうせ本か何かだろうと軽い気持ちで提案すると、サイラスは考え込むように顎に手をやった。閉ざした瞼の裏で頭の中の書庫でも探っているのだろうか。
長い睫毛がおもむろに持ち上がり、早天の空と同じ色をした瞳がテリオンを見つめる。今まで数々の宝石を見てきたが、彼のそれと比べてしまうとどれも陳腐に思えてならない。未来への希望を抱き、信念を燃やして煌めくさまは言葉にできないほど美しい。
「……耳を貸してくれるかい」
「ん」
見惚れていたことに悟られないよう、さり気なく視線を外して耳を傾けてやる。細い指がそっとテリオンの頬に添えられ、微かな吐息が耳朶をくすぐる。普段の自信に満ちた声と打って変わって、サイラスの囁き声は弱々しく掠れていた。
「今夜は……したい、な」
一瞬都合のいい幻聴かと思ったが、彼の薔薇色に染まった頬を見れば現実だと理解する。どういう意味だと追求するほどテリオンも野暮ではなく、ため息混じりに返答した。
「……だめだ」
「な……何でもいいって言ったじゃないか」
「あのな、それは俺の褒美になるから意味ないだろ。もっとお前の得になるようなことを……」
「どうしてだい? 二人共の褒美になるなら、いけない理由はないだろう?」
むきになって反論され言葉に詰まる。こんなにも一生懸命に自分が好きだとアピールされると、ついのぼせてしまいそうになる。年下の青年に対して、みっともないほど夢中になっているという自覚はある。忘れかけていた恋情に火をつけてしまった彼を、雁字搦めにしてでも手元に置いておきたくなってしまう。
黙り込んでしまったテリオンの肩に手を添えて、サイラスは身を寄せてくる。こういうことを覚えさせたのは自分だと思うと、そんな動作が尚更蠱惑的に感じた。
「テリオン。……お願いだから」
テリオンが恋人の懇願に弱いと知っているのかどうかは定かではないが、とどめの一声にとうとう観念した。少々思惑と違っただけで別に嫌なわけではなく、寧ろ自分も望んでいる行為なのだから。
「……仕方ないな」
そう呟くと、サイラスははにかむように唇を緩ませた。それなら今日は褒美らしく、ひたすら優しく甘ったるい夜を演出してやろう。――夜を重ねるたびに覚え込まされる甘美なそれが毒だと気付いた時、サイラスはどんな表情をするだろうか。猛毒によって翼をもがれたと理解してなお、テリオンに向かって微笑んでみせるだろうか。
自身に向けられている感情が汚泥のように醜悪で濁ったものだとも知らず、サイラスは無邪気に笑っていた。
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