雪華
2021-10-26 23:24:17
3370文字
Public オルサイ
 

【オルサイ】秋の香り

先生そういうところですよ、って話です。ヤキモチ焼きなオルいいな~と思うんです。

旅人の歩みが止まらないように、季節もまた静かに巡る。青々しく茂っていた葉は徐々に鮮やかさを失い、風が吹く度に一枚、また一枚と木から離れて落ちる。夜が長くなり、そして早朝の空気は痺れるように冷たい。秋がやってきたのだと実感した時、オルベリクは妙な気分になった。言葉にするなら郷愁でも言うべきような。
ホルンブルグ王国が滅び放浪する最中も、コブルストンで暮らし始めた時も季節は当たり前のようにオルベリクの傍にあったはずなのに、どうしてこのような気持ちになるのだろうか。

「あら、リンデの毛繕いをしているの?」
「ああ。冬毛に生え変わる時期だからな、抜け毛が多いんだ」
「ふふ、とってもリラックスしているみたいですね」

仲間たちの他愛もない会話に耳を傾けながら、手入れを終えた剣を鞘に収める。今日は旅程も順調で、休息を取る皆の顔を眺めてみても極度に消耗している様子は見受けられない。このまま行けば計画通りに街に着けるだろう。
隣に座る男に視線を遣ると、ちょうど手元の本を閉じたところだった。艶のある黒髪が風に揺れ、サイラスは僅かに秀眉をひそめると鬱陶しそうに髪を耳にかける。その何気ない仕草が色香を孕んで見えるようになったのは、ごく最近のことだ。するとサイラスは視線に気が付き、柔らかな微笑みを浮かべた。

「なんだい、オルベリク」
「いや。……涼しくなってきたと思っていただけだ。同時に、妙に懐かしいともな」
「秋が好きなのかい? それとも、何か特別な思い出が?」
「そういう訳ではないんだが……だが、何だろうな……秋が来たと実感するこの感覚を、長らく忘れてしまっていたような気がしてな」

感覚上のものとはいえ、随分と要領を得ない抽象的な話になってしまった。しかしサイラスは真剣にオルベリクの話を聞き、合点がいったように頷く。

「なるほど。あなたの心の機微はあなたにしか分からないことだから、これはあくまでも仮定の話だが……少しだけ、心に余裕ができたのかもしれないね」
……どういう意味だ?」
「人は極度の緊張や恐怖に面している時は視野が狭くなり、周囲の様子に気づきにくくなる。恐らくだが、こうして旅立つきっかけを得るまでのあなたは、精神的に一種の極限状態に置かれていたのではないだろうか。四季を感じる余裕もないほどにね」

サイラスの手にかかればオルベリクの感じた疑問など、簡単に紐解かれて白日の下に晒されてしまう。微笑みを浮かべた唇は言いづらいことまで案外はっきり言うものだ。――その時ふと思い出したのは、コブルストンを襲撃した山賊とのやり取りだった。無法者だが快活で、根は悪くない男だった。

……そうかもしれんな。どうやら俺は、死んでいたらしいからな」
「良い兆候だと思うよ。あなたが自分の足で前に進み始めているという証拠だ」
「ああ。お前たちのお陰でここまで来れた」
「お互い様だよ。私も、あなたがいてくれたからここまでやってこれた」

話をしながらサイラスは本を鞄にしまうと、代わりに見覚えのある容器を取り出した。蓋を開けると、瑞々しい香りが漂う。乾燥に弱いというサイラスが、アトラスダムに居た頃から愛用していたらしいハンドクリームだ。旅を続ける内に残りは僅かになり、なくなったらアーフェンに補充してもらうことになっているそうだ。
サイラスは容器の内側を指でくるりと一周なぞり、クリームをたっぷりと掬い取った。それを白魚のような手に塗り込むと、新緑のような穏やかな香りが広がる。するとサイラスは少し困ったように眉を下げ、周囲を見渡した。そして側で荷物の整理をしていたトレサに目を留める。

「トレサ君、ちょうど良かった。少し手を貸してくれないかい?」
「良いわよ。どうしたの?」
「ありがとう! ハンドクリームを取りすぎてしまったんだ」
「ちょ……っええ?」

トレサが困惑したような声を上げたのも無理はない。突然サイラスが、歩み寄ってきた彼女の手をぎゅっと握ったからだ。思わず、と言った様子で翠眼がこちらを窺い見たが、オルベリクもどう反応すればいいか分からずに瞬きを返すだけだ。するとトレサはため息を付き、ゆっくりと首を横に振る。

「はぁ……先生、こういうことアトラスダムにいた頃からよくしてたの?」
「稀にね。ああもちろん、本が濡れないように気を配ってはいたよ」
「そうじゃなくて。あたしじゃなくてオルベリクさんにすればいいじゃない」
「彼はグローブを着けているじゃないか。態々脱がせるのも手間だろう?」

何故トレサがそんなことを言うのか、心底不思議そうに彼は首を捻ってみせる。流石、事実でないとはいえ、王女との浮名が流れたことで国外追放を受けた男だ。オルベリクはそう思うだけで精一杯だった。この手のことは恋人である自分が教えることで少しは聡くなったと思っていたが、まだ足りないらしい。
遠目で状況を見守っていた仲間の踊子が、苦労するわね、と呟いた声は当事者たちには届かなかった。

***

……昼間の件だが」

オルベリクがそう切り出したのは、とっぷりと日が暮れ月が白く輝きだす頃だった。両の壁際に一つずつ置かれた寝台の片側に、二人は腰掛けていた。既に寝支度を整え、サイラスが本を閉じたタイミングで満を持して口にした言葉に、彼はゆっくりと瞬きをした。

「何の話だい? もっと具体的に教えてくれないか」
「トレサの手を握っただろう」
「ああ、ハンドクリームを分けた時のことか。あなた達が不思議な表情をしているとは思っていたが……何か問題でも?」
「要点は二つある。一つは、年頃の女の手を易々と握るな。だからお前は誤解されやすいんだ」

サイラスにとってトレサは生徒と代わりがないのだろうが、それでも彼女はもう結婚できる年齢だ。その気がなくとも、気軽な接触はなるべく避けるべきだろう。説教じみたオルベリクの話を彼は嫌な顔ひとつせず、むしろ興味深そうに聞いていた。

「ふむ、まあ一理あるね。ではもう一つは?」
……分からんか」
「ぜひ、ご教授願いたいね」

深い叡智をたたえた、海のように深い色をした瞳がオルベリクを見つめている。これくらいは察してほしい、という思いが彼に通じないのは百も承知ではある。しかしできるならあまり口にしたくないことでもあった。数拍間を置いて、オルベリクは再び口を開いた。

……お前とトレサにその気がないのは分かっているし、俺にお前の行動ひとつひとつに口を挟む権利はないと思っている。だが……俺が存外、嫉妬深い人間だとは知っておいてくれ」
「そうか。……うん、分かったよ」

するとサイラスは意外なほど素直に返事をして、代わりに顔を俯けた。一瞬、男の醜い嫉妬を嘲笑ったのではないかと思ったが、濡羽色の髪から覗く形の良い耳が赤くなっていることに気付いて思い直す。疑問はそのまま、ストレートに口を衝いた。

「サイラス……照れているのか?」
……すまない。その、叱られていることは分かっているのだが……思っていたよりあなたが情熱的だったものだから」
「当たり前だろう」

顎に指を添えて顔を上げさせると、揺れる瞳と視線が交わる。サイラスは頬を赤らめ、気恥ずかしいのを誤魔化すように艶めく唇を擦り合わせていた。日頃は涼し気な表情を崩さない男が、オルベリクの前ではこんなにも初心な反応を見せると思うと仄暗い優越感が胸を満たす。
たまらなくなって唇を合わると、サイラスは小さく肩を揺らしたものの逃げる様子はなかった。ふっくらと柔らかく、少し濡れている唇を堪能するように長く口付け、ゆっくりと顔を離した。

……もう、せっかくリップクリームを塗ったのに……落ちてしまうじゃないか」
「悪いが、本当に寝る前にもう一度塗り直してくれ」
「開き直らないでほしいものだね」
「俺に嫉妬させておいて、これで済むなら安いものだろう」

こんなものは言葉遊びに過ぎない。サイラスは本気で文句を言っているわけではないし、オルベリクとて無意識下のことを強く咎めようとも思っていない。つまるところ、お互いただ体を温める口実が欲しかっただけだ。おかしそうに笑う唇に、もう一度自分のそれを重ね合わせた。




***

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