夢すら見ないような深い眠りに就いていた。薄いカーテンから差し込む日差しも、窓の向こうで囀る鳥の鳴き声もサイラスには届かない。旅を始めてから知った、きちんとした宿屋で眠れる幸福をただ享受していた。
「……、……」
軽く体を揺すられて、ゆっくりと意識が浮上してくる。それでもまだ覚醒には至らず、布団の中で体を丸めると眠りを妨げる人物の気配が離れる。安心してまた少し身動ぎ、素肌に当たる柔らかな布団の感触を楽しんだ。
しかしそうしていられる時間も長くはなかった。ひやりと冷たいものを突然顔に押し付けられ、サイラスは文字通り飛び起きた。
「うわっ! もう、何するんだい……」
「早く服を着ろ。ついさっきアーフェンが起こしに来たぞ」
こちらを一瞥もせずに、テリオンはサイラスの衣服を投げて寄越す。寝台に落ちている濡れた布巾を見て、先程押し付けられたのはこれだったのかと思い至り、顔を埋めるようにして拭う。
未だ寝起きで回らない頭をゆっくりと回転させ、テリオンの言葉を脳内で反芻する。
「起こしに来たって……もうそんな時間かい?」
「ああ。あいつらはもう食堂で朝食を摂るとこだとよ」
「参ったな、私だけ寝坊してしまったのか……いや、その様子だとキミも寝過ごしたのかい?」
「俺を見てる暇があるなら着替えろ。それとも、着せてやろうか?」
テリオンも未だシャツの前を開けたまま、手櫛で髪を梳いている。どうやら二人揃って寝坊してしまい、珍しく彼も慌てているのだろう。こみ上げる欠伸を噛み殺して、ブラウスの袖に腕を通す。
「いいや、キミと話していると目が覚めてきたよ。早く支度しないと朝食が食べられないね」
「分かってるなら、口を動かす前に手を動かせ」
「はいはい。それにしても、キミまで寝過ごすとは珍しい。疲れていたのかい?」
「……いや」
短く答えて、テリオンはリボンを持ったままサイラスの背後に回る。疲労が溜まっているのなら昨晩は付き合わせて悪いことをしてしまった、そう思いかけてはたと気が付く。そう言えば寝入り前の記憶が曖昧だが、もしやサイラスは行為の後始末もせず寝てしまったのだろうか。だったら疲れているのはサイラスのせいかもしれない。
「……すまない、キミに負担をかけてしまったのは私のようだね」
「別にいい。意識が飛ぶぐらいイイんなら本望だ」
「はは……こんな理由で寝坊したとは、みんなには言えないな。あれ、私の靴下を知らないかい?」
「床に落ちてるだろ」
あったあったと呟きながら靴下に足を通す間に、後ろ髪を掴まれる。どうやらサイラスの身支度が終わらないことに焦れて、結んでくれるつもりらしい。他人に髪を結われるなど、もしかしたら初めてかもしれないと思いながら靴下を膝まで引き上げた。
二人が恋人同士であることは仲間たちに直接話したわけではないが、勘のいい面々には気付かれているだろう。そんな二人が揃って朝寝坊したとなると、妙な勘ぐりを受ける可能性もある。年少の仲間たちの手前、あまり爛れた関係を匂わせたくはない。
テリオンに手伝ってもらいながらどうにかこうにか身支度を整え、飛び出すように部屋を後にする。階下の食堂へ向かうと、トレサがこっちこっちと手招きをしてくれた。既に六人と一匹は揃っており、机の上に並べられた皿は半分ほどが空になっていた。
「やあ、おはようみんな」
「おはようございます。すみません、先にお食事を頂いています」
「構わないよ。寝過ごした責任は私達にあるのだからね」
「まぁ、まだ時間はある。お前たちも座って食え」
空いていた席に腰掛けると、残っていた料理が二人の前に集められた。パンとサラダ、それからソーセージなどどこの地方でもよく見かける類の朝食に、ありがたく手を伸ばす。寝坊したことを咎められることもなくほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、ふとプリムロゼがサイラスの後頭部に視線を遣った。
「あら、珍しいわねサイラス。後れ毛が出ているわよ」
「あ、本当ね。結ぶ位置もいつもよりちょっとずれてるんじゃない?」
「おや、そうかい? 鏡も見ずに下りてきてしまったからな……」
「どうせ遅くまで本でも読んで寝過ごして、慌てて支度してきたんでしょう? ダメよ、しっかり食べてよく眠る! これが旅の基本なんだから!」
自分より一回り以上年下の少女に説かれ、苦笑いを返す。トレサの言うことは尤もで、ぐうの音も出ない正論だ。その場は素直に反省した素振りを見せ、食事を続けた。
***
食事を終えると一行は町を出て平原を歩き始めた。最後尾を歩きながら髪のリボンを解き、口に咥えて手櫛で髪を集め直す。するとテリオンが歩調を緩めて並び立ち、ばつの悪そうな顔で呟いた。
「……悪かったな」
「ん?」
「髪、下手だったろ」
軽く顔を俯けて、いつものようにリボンを結ぶ。顔を背けるようにして結び目を見せると、悪くないんじゃないかとそっけない言葉が返ってきた。
「気にすることはないよ。食事の邪魔にならない程度にはまとまっていたし、助かったよ」
「だが、余計な詮索されただろ」
「寝坊したことは事実だからね。それにしても、少し意外だったな……」
耳を貸してと手招きをすると、訝しみながらもテリオンは素直に距離を詰める。口元を手で隠しながら、無防備な耳に吐息を吹き込むように囁いた。
「……解くのはいつも上手なのにね」
「……!」
「まぁまた、機会があったらお願いしてみようかな」
「……あんたなぁ」
何でも器用にこなす恋人の、不慣れで可愛い部分が堪能できただけでも収穫だ。呆れたようなため息は聞こえないふりをして、微笑みを浮かべた。
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