ハイランド地方の小さな村、コブルストン。切り立った山々に囲まれた村に都会のような喧騒や賑わいはないが、いつも穏やかな時間が流れている。この村で酒場の娘として生まれ、婿を取って店を切り盛りするようになってから幾年が経った。良い事も悪い事もたくさんあったけれど、わたしはこの村が好きだ。
「それじゃあっ、ウィルの結婚を祝して……乾杯!」
「かんぱーい!」
「おめでとう~!」
「くそ~! 一人だけ抜け駆けなんてずるいぞ!」
自警団の若者の結婚が決まり、今夜は祝杯をあげることになったそうだ。輪の中心にいる青年の肩を叩いたり腕を組んだり、みんな浮足立っている。子供の頃から見守ってきた少年が立派な大人になったと思うと自分も喜ばしいと同時に、どこか寂しげな気持ちになった。
とは言いつつも、自警団の宴会となると料理も酒もとにかく量を要求される。注文が入るまま慌ただしく厨房で働いていると、あっという間に時間が経った。
「……ふう、ちょっとは落ち着いてきたね」
宴会も時間が経つと食事より肴を求め、酒を飲むペースもゆったりと、その時間を噛み締めるものへと変わる。安堵の息を吐いてカウンターに向かい、バーテンダーの旦那に少し休憩したらと目配せをする。彼が裏に引っ込むのと同時に、のそりとカウンターに移動してきた人影があった。
「あら、バーグさん。輪から外れていいのかい?」
「ああ。若いやつだけでしたい話もあるだろうからな」
「ふふ……そうかもしれないね。お酒のおかわりは?」
「まだこいつがあるからいい」
バーグは自警団の中でも一際大柄で、どっしりとした体躯の男だ。ある時ふらりと村に流れ着き長らく自分自身のことを語らなかったが、最近になって本名や亡国出身であることが明らかになった。彼は過去を清算するために旅立ち、ついひと月前に目的を達成したと村に戻ってきたのだ。
「いけないわね。オルベリクさんって呼ばないといけないのに、いつまでもバーグさんって呼んじゃうわ」
「呼びやすい方で構わん」
「おいおい旦那! なに一人で飲んでるんだよ!」
げらげらと笑いながら、ガストンがオルベリクの隣に腰掛ける。ガストンは以前山賊として村を襲ったが、オルベリクに返り討ちにされた。今では改心し、村で用心棒のようなことをしてくれている。はじめはわたしもガストンのことを疑いの眼で見ていたが、話してみたら案外気のいい人で、最近では仕入れた食材や酒を運ぶ手伝いもしてくれる。
「せっかく旨い酒なんだ、もっと楽しんで飲もうぜ!」
「あら、うちの酒はいつも美味いだろう?」
「そりゃそうだ! だが今日は特別よ。祝い酒ってのは一等美味い!」
「そうだな。勿論、俺も楽しませてもらっている」
確かにそう答えるオルベリクの顔は赤らみ、口元も普段は真一文字に引き結んでいるのに今は柔らかく緩んでいる。ガストンはまた大きく笑い、楽しそうにエールを口に運んだ。
「そう言えば、バーグさんももういい歳だろう? 誰かいい人はいないのかい?」
きっと彼は困ったように否定するだろう。そう思ったのに、予想に反してオルベリクは思案するように視線を泳がせる。おや、とわたしが首を傾げるのと同時にガストンが目を剥いて叫んだ。
「なんだぁ?! いるのかよ、水くせえぞ旦那!」
「まぁ……いや、そもそも吹聴するようなことではないからな。聞かれないから言わないだけだ」
「おやおや、こりゃ意外だわ。どんな人なんだい?」
「アトラスダムで学者をしていてな、聡明で話し上手だ。こちらが一言こぼせば、どんどん話を膨らませて十の言葉で返してくる」
それはまた予想の斜め上を行く話だ。なんとなくわたしが脳裏に思い描いた、物静かで少し気弱な女性像はガラガラと音を立てて崩れてゆく。どちらかというと寡黙なくらいのオルベリクと、多弁な恋人はどのように会話するのだろうか。
「俺は賢い女ってのはどうも苦手だな……話すことが小難しいし、つんと澄ました顔してやがって何考えてるか分からねえ」
「まぁ人にもよるけどねえ。でもオルベリクさんは静かだし、ちょっと賑やかなお相手の方がバランスが取れてるかもしれないよ」
「俺もはじめは上手くやれるとは思わなかったんだが、あいつはまぁなんとも分かりやすいやつでな。興味を惹かれるものがあると子供みたいに目を輝かせて、俺に教えてくれるんだ」
「へええ。なあっ、ところで美人なのか?!」
普段だったら応じない話題だろうに、やはり今日は随分酔いが回っているらしい。機嫌良さげに笑いながら、オルベリクはエールを呷り大きく頷いた。
「ああ、とびきりのな」
「ほ~! いいねえいいねえ、どんなタイプなんだ? ブロンドヘアか?」
「艶のある美しいブルネットだ。瞳は空のように澄んだブルーで、はっと目を引くような秀麗な顔立ちでな……」
「ベタ褒めだねえ。じゃあ、その綺麗なお顔に惚れちまったのかい?」
茶化すような声色で聞いてみせると、彼は首を横に振る。記憶の海を探るように細められた瞳は慈しみに溢れていた。
「いや、俺が惚れ込んでいるのは……あいつの笑顔だ」
「まあ! こりゃ随分惚気けられちまったね。是非会ってみたいもんだねえ、バーグさんが首ったけの恋人ってのに」
「……そうだな」
無骨で堅物とばかり思っていたオルベリクにこうも柔らかい表情をさせるとは、ますますその恋人とやらが気になる。しかし自警団のものが酔いつぶれた者を運んでくれないかと言いに来たため、それ以上の言及は出来なかった。
***
そんな晩から一ヶ月が経過したある日のことだった。昼過ぎ頃から厨房で料理の仕込みをしていると、ひょこりとアビーが顔を覗かせた。わたしたちは子供がいない夫婦だから、数ヶ月前から彼女に酒場の手伝いをしてもらっている。気立てが良く働き者の看板娘は、村の隠れた人気者だ。
「女将さん、野菜の下処理は私がしておきますよ」
「あら悪いねえ。じゃあちょっと休憩がてら、外の空気でも吸ってこようかしら」
「はい、いってらっしゃい」
酒場から出て空を見上げ、目を細めた。太陽は既に高く昇り、眩い陽射しが降り注いでいる。こういうすっきりと晴れた日は好きだ。なんとなくだが、吉報が舞い込むような予感がするのだ。
なんの気無しに散歩をしていると、村の入口に見知らぬ人物が立っていることに気づいた。ばたばたと風に揺れる黒いローブは、遠目から見てもいい生地を使って仕立てられていることが分かる。
「こんにちは、旅の方かい?」
そう声を掛けると、青年はわたしの方を向く。――そのかんばせは息を呑むほど秀麗で、はるか昔に経験したときめきという感情が戻ってきそうだった。それと同時に自分の中で湧き上がったのは、不思議な既視感だった。
「どうも、こんにちは」
「あら……? なんだか、どこかでお会いしたことがあるような気がするねえ」
「ああ、以前にも一度この村を訪れたことがあるからね。あなたとは酒場でお会いしているよ」
「まぁ、そうだったのかい。物覚えがいいね」
整った顔に浮かべる微笑みは、まるで絵画のように美しい。風で乱れた黒髪を軽く手でかき上げ、青空を切り取ったような瞳は何かを探すように動いている。彼の探しものの正体が判明したのは、聞き慣れた声がした瞬間だった。
「――サイラス」
「オルベリク!」
たったの一声で、ブルーの瞳に星が瞬いた。花が開くような極上の笑顔を浮かべて彼はオルベリクに走り寄る。
――そう言えばあの晩、オルベリクは恋人のことを女性だとは言わなかった。語っていた容姿の特徴とも一致するし、何よりもその柔らかな眼差しを見れば、オルベリクの恋人は彼なんだと確信に至った。
(……うん、お似合いじゃないか)
友人と言うには近い距離で話す二人を見ながら、邪魔者はそそくさとその場を離れる。
もし今夜、彼らが酒場に来たらなんと言おうか。『評判通りの笑顔が可愛い恋人だね』とでもからかってみようか。珍しく慌てふためくオルベリクを想像すると楽しくなって、軽い足取りで酒場へと戻った。
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