4章後にテリがアト……で先生と同棲してる前提です。テリがお買い物したり、仕事で疲れた先生を労うお話。お題いただいた『疲れ切ったサイラスを世話するテリオン』でした!
眩いばかりの日差しが降り注ぐ。すっきりと晴れた冬の朝は気温が低く、指先は強張り吐く息は白い。こんな寒空でも、フラットランド地方有数の都市であるアトラスダムの市は活気づいていた。
舗装された道を歩きながら、テリオンは人波を縫うように歩く。通い慣れた市で目当てのものは簡単に手に入り、後は帰路につくだけ。――帰るという表現には未だに慣れないが。
「おーい、テリオンさん! ちょっと覗いていかないかい」
名を呼ばれて振り返ると、青果店のふくよかな女店主が手招きをしていた。この人混みの中、目敏くテリオンを見つけ態々声を掛けたというのか。訝しみながら近づくと、彼女は人懐こく微笑んだ。
「今日は冷えるねえ。テリオンさん、今日は一人かい?」
「ああ。……名前」
「おや、サイラスさんがそう呼んでいるのを聞いたんだけど……間違っていたかしら」
「……いや、合ってる。態々呼び止めて、どうした」
「そうそう! いいりんごが入ったんだよ、良かったら買っていかないかい?」
――盗賊が名前を知られるなんて。あいつがどこでもかしこでも良く通る声で呼びかけてくるせいだ。
内心悪態をつくテリオンの胸中など知る由もなく、彼女は籠いっぱいに積まれたりんごを指差した。勧められるまま艶のある真っ赤なりんごを一つ手に取り眺める。傷もなくてずっしりと重たく、食べごたえがありそうだ。
「分かった、一つくれ」
「はいよ。その紙袋にまとめてあげるよ、お貸し」
「ああ。……おい、一つでいい」
「これはおまけさ。いつも来てくれてありがとね」
テリオンから代金を受け取ると、彼女は他の食材が入った紙袋に手早く二つりんごを詰めた。手元に戻ってきた袋はずしりと重たい。なんと返すべきか逡巡し、乾いた唇を開いて閉じること三度。
「……礼を言う。良くしてもらったとサイラスにも伝えておく」
「はは、律儀だねえ。でもそれはテリオンさんへのおまけだから、サイラスさんには内緒でいいよ」
「……俺に?」
「そうそう! こっそり食べちまいな」
サイラスではなくテリオンに、名前も知らない市場の者が施すのか。
それは胸のあたりがむず痒いような奇妙な感覚だった。まるで、このアトラスダムでテリオンという人物が受け入れられたような――。
「……ありがとう。また来る」
「ええ、待ってるよ」
今度こそすんなりと言葉が出た。特別ではない、ありふれた礼に彼女は殊更嬉しそうに笑って手を振った。
***
歩き慣れた道を通り、今度こそ屋敷の扉に鍵を差し込む。現在テリオンが寝泊まりをし、生活の拠点にしている場所だ。自宅と呼ぶべきではないと思うのだが、他に呼び方も分からない。
「……ただいま」
しんとした室内に、小さな声は溶けるように消える。
家主であるサイラスはここ数日間、書斎に籠もり仕事に専念していた。決してサイラスの仕事の段取りが悪かったわけではなく、アクシデントが重なったのだ。この時期学院では生徒たちに試験を行っていて、その採点をする学者たちが流行り風邪でばたばたと床に伏したらしい。
どうやら採点し成績をつけることは決められた期間内にしないといけないらしく、結果として残っている者に業務が集中しこのざまだそうだ。
「運がいいのか、悪いのか……」
テリオンと比べると線は細く非力だとは言え、サイラスはその足で大陸中を歩き回ってきた。学院で本を読み漁るだけの学者より健康で基礎体力があるせいか、病魔を退けられたようだ。
――生徒の成績に直結するものだから誰でも彼でも任せられる仕事ではない。その上ただ単純な解答作業ではなく部分点を考慮しだすとなかなか複雑だと、三日前のサイラスは苦笑いを浮かべていた。
買ってきた食材を仕舞い、湯を沸かしながらりんごを洗ってナイフで皮を剥く。真っ赤な皮はくるくると円を描きながら流し台に落ちてゆく。
りんごは食べやすいように一口大に切り、沸かした湯で紅茶を淹れる。サイラスはどうやら最後の大詰めをしているようで、昨夜から一睡もせず今も机に齧りついている。休めないのなら、せめて何か食べたほうがいいだろう。
そう思っていたが、扉の開く音に顔を上げる。いつもより随分鈍い足音がゆっくりと階段を下り、匂いに引き寄せられるように台所を覗いた。
「おはよう、テリオン……」
サイラスは今にも倒れ伏しそうな青白い顔をし、目の下には濃い隈が滲んでいる。常ならば弧を描くだけで女達が放っておかない唇もかさつき、浮かんだ笑顔には生気がない。こちらの方が余程病人じみているではないか、と彼に仕事を押し付けた見知らぬ者たちに悪態をつきそうになった。
「酷い顔だな。終わったのか?」
「ああ……昼過ぎにテレーズ君が訪ねてくるから、この封筒を渡してくれ……」
「わかったわかった。とにかく座れ」
サイラスが抱えてきたのは厚みのある封筒で、態々封蝋で閉じられていた。とりあえず椅子を引いてダイニングテーブルに座らせ、その唇にりんごを一切れ押し付ける。最早抵抗する気力もないのか、口に入ったそれをゆっくりと咀嚼した。
「ここまで大仰にする必要があるとは思えんがな」
「……まぁ、キミにはそうかも知れないが……人によっては人生を左右しかねないものだからね……」
「へえ。急ぐのなら俺が届けてやろうか」
「いや、大丈夫だろう。紅茶、頂いてもいいかな……」
「ああ。まだ少し熱いぞ」
両手でカップを支えるように持ち上げ、軽く息を吹きかけ冷ますと徐にカップに唇を付ける。テリオンは隣に座り、その喉仏が上下するのをただ眺めていた。カップの半分ほど飲み干しほうと息を吐くサイラスの頬には、ほんのりと赤みが戻っていた。
「……はぁ、落ち着くよ……ありがとう」
「よかった。空腹だと休むに休めないだろ、少しでも胃に入れておけ」
「そうさせてもらおうかな……」
「ほら、口開けろ」
そう言うと彼は素直に唇を開き、赤い舌を覗かせる。再びりんごを口に入れてやりながら、雛鳥に餌付けをするのはこんな気分かと思いを馳せた。気怠げな恋人を前にして、色っぽいと思うより先に心配が来てしまう。
机の上に置かれたサイラスの右手を取り、両手で包み込む。手の甲を丸めるように撫で、労うようにマッサージを始めた。
「疲れただろ、手」
「うん……」
手首を軽く掴み、血行を促進するようにサイラスの親指を軽く引っ張る。女のように細くはないが、傷一つない滑らかな手はテリオンのそれとは随分違う。眠いのかいつもより体温は高く、指を揉み解す内に堪えきれなくなったのか次第にうとうとと微睡みだした。
「……サイラス、もう眠いのか?」
自分の喉から出た声は、笑ってしまいそうなほど甘く蕩けていた。普段は学者として背筋を伸ばして歩き、快活に喋る姿からは想像もつかないほど無防備な姿が愛おしくて仕方がない。
「ん……でも、もう少しキミの顔を見ていたいな……」
「休んだ後でいいだろ。起きたらまた甘やかしてやるから」
「本当かい?」
「あんたに嘘はつかない」
惚けた唇にキスすると、青空のような瞳が柔らかく細められた。サイラスはマッサージしていた手を握り返して、甘えるようにテリオンの肩に頭を乗せる。
「それなら休もうかな……ベッドに連れて行ってくれるかい?」
「仕方ないな。ほら、掴まれ」
「うん」
サイラスは素直にテリオンの首に抱き着くように腕を回す。薄い上半身を支えながら膝の裏に腕を入れて持ち上げると、いとも簡単に抱えられた。これまでも何度も、意識のない彼をこうして抱えて運んだことがあるからお手の物だ。
寝室まで連れていき、寝台に優しく下ろしてやるとサイラスは薄く瞼を開く。
「テリオン……」
「ん?」
「目が覚めたら……キミがご機嫌な理由を、聞かせてほしいな……なにかいいことでもあったのだろうか……」
「……わかった。いいから、もう休め」
肩まで布団をかけてやると、瞼を下ろしすぐに静かな寝息を立て始めた。――ここまで疲弊していてもテリオンの様子を観察しているのだから、全く恐れ入る。そういう時に、愛されていると……ここにいていいのだと感じる。
「おやすみ、サイラス」
眠る愛しい人の額に、唇を落とす。絹のような髪を指先で梳き、暫くその寝顔を眺めてから階下へ向かった。
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