雪華
2020-10-10 20:01:11
5445文字
Public テリサイ
 

【テリサイ】愛の証明3【女体化】

※サイラスが後天性女体化。大昔に書いた、水をかぶると女になっちゃう先生1/2ネタのお話です。昔のことと今の話。

自分で言うのもなんだが、サイラスはあまり手がかからない子供だった。
幼い頃は家の書庫、齢が十を超えてからは王立図書館に籠もり本を読んで過ごすことが好きだった。叱られるというより、一度の注意で聞き分けてしまうため両親と衝突することもなかった。
何が言いたいかというと――頬を張られたのはたった一度きりだということ。

『どうして分かってくれないの?』

サイラスの頬を張っておきながら、彼女のほうが痛そうに顔を歪めていた。
あの時もっと別の言葉をかけていたら、運命は変わっていたのだろうか。たらればを言えばきりがないが、彼女の言葉は今もサイラスの胸に深く突き刺さっている。

『分かっているよ。私もキミのことを大切な友人だと思っていると……
『そうじゃないったら! あなたには分からないの?』
『何をだい? キミがどうしてそんなに怒っているのか、説明してくれないと分からないよ』
――サイラス、あなたには愛が分からないのね』

涙に濡れた瞳が、きつくサイラスを睨み付けた。顔を歪め、指先が白くなるほど強く手を握りしめ、憎悪のこもった眼差しを向けられるのもまた初めてだった。
彼女が街を去ったのと同時期に、サイラスの部屋から幾つか私物が消えた。とは言っても所詮十四歳の子供が持つものにさほどの価値はない。ハンカチ、手帳が数ページ、それから――愛用の櫛。どれも呪術的に深い意味を持つものだと知ったときには後の祭りだった。

呪いが発現した後、オデットに付き添ってもらい彼女を訪ねた。
ところがまさか彼女自身も呪いが成功するとは思っていなかったらしく、目の前で水を被り女体になったサイラスに酷く怯えていた。その心労や道理に外れた力を行使したせいか、彼女はその後すぐに病に罹り闘病の末に亡くなったそうだ。あの時、もしくはもっと以前からサイラスが行動を変えていれば彼女は今も生きていたのかもしれない。そう思うと、一方的に憎む気にはなれなかった。

(愛、か……ひとが生きる上で、切っても切り離せないものだ)

友愛、親愛、恋愛。愛には様々な種類のものがある。サイラスの育った環境は温かく正しく愛に満ち溢れていたと思っていたのに、愛が分からないと言われてしまうとは。
ただそれでもサイラスは、愛という名の期待を裏切られた時に、人は失望することを知っていた。

――それなら、俺と試してみないか?』

三つ年上の敬愛する先輩だった。文字通り冷水を浴びせられ、肩を押され硬い床板に背中を強かに打ち付けた。覆い被さった男の生温かい吐息や、素肌を這い回る体温の不快感は今も忘れられない。
当時サイラスは十六歳の子供だったが、体は十分に女の役割を成せる形をしていた。両の手首を掴んで、衣服を剥ぎ取れば大人しくなるとでも思ったのだろうか。サイラスはどこか冷めた目で彼を見上げ、言葉を奪われる前に呪文を口にした。後始末はこれもまたオデットに頼んで、どうにか水面下で事件を処理してもらった。オデットは男を公正な場で裁くべきだと言ったが、サイラスはそれを拒否した。

……彼がこのような凶行に及んだのも、呪いのせいだろう』

この呪いは愛を求めながらも、それを歪めてしまう。術者が亡くなり、返すところがなくなった呪いはいよいよサイラス一人に重たくのしかかった。
オデットはその件に関してはそれ以上何も言わず、ただこの事は自分以外には伏せるよう進言した。サイラスはそれに従い、以後は秘密を漏らさぬように気を付けた。

「サイラス。おい」
「ん……なんだい?」
「ほら」

声を掛けられ、思考が現実に戻ってくる。ポンと手元に飛んできたものを受け取ってから確かめた。それは冷たい水で濡らして固く絞られたタオルだった。テリオンはサイラスと同じ木陰に腰を下ろし、同じもので首筋を拭く。すっかり呆けた顔でタオルとテリオンを交互に見つめるサイラスに、彼は僅かに眉をひそめた。

……それくらいなら大丈夫だと思ったが、違うか?」
「ああ……大丈夫だよ、ありがとう」
「今日は暑いからな」

冷たいタオルに顔を押し当て、息を吐く。一行は現在、ウッドランド地方の森のなかで体を休めていた。今日はよく晴れており、太陽光は旅人たちを容赦なく照りつけ疲労感を募らせた。たまらず川のほとりで休憩を取ることにすると、トレサたちは少しでも涼もうと川遊びを始めた。
それを羨ましく思いながらも水に近付けないサイラスのために、テリオンはわざわざタオルを濡らして持って来てくれたのだろう。ぶっきらぼうだが、彼は気遣いが上手く仲間思いだ。その優しさを嬉しく思いながら汗を拭う。

「冷たくて気持ちいいね。……キミは川遊びはしないのかい?」
「そんな歳じゃない」
「はは、私から見ればキミはまだ子供だよ」
……馬鹿にしやがって」

不満げな声に微笑みを返すと、彼は深くため息をついた。アーフェンやトレサのはしゃぐ声と水音に耳を傾けながら、じっとその横顔を窺い見る。俯きがちなこともあり、日に焼けた肌にかかった白い髪が彼の表情を隠していた。
期せずして秘密の共有者となったテリオンは、特に誰かにそれを告げる様子もなく、サイラスが水辺に近づかなくていいように気を遣ってくれるようになった。先日市中で水をかけられた時、仲間に見つからないように手を引いて宿に連れて行ってくれたことは記憶に新しい。

……テリオン、キミは優しいね)

口にしたら絶対に否定するだろうけれど。苦々しげな顔を浮かべるさまは容易に想像がつき、口の端に笑みを浮かべる。
知られたのがテリオンで良かった――そう言ったのはお世辞でもなんでもなく、本心からだ。彼とは共に旅するうちにいつしか言葉に出来ないような信頼関係を築いた、とサイラスは思っている。出会ってすぐの頃は、こうして手を伸ばせば届くような距離で休むこともなかった。

……なんだ」

すると視線に気づいたのか、テリオンが顔を向ける。片方だけ見える翠眼が胡乱げにサイラスを見つめるから、何でもないよと軽く首を横に振った。

「いや、キミの気遣いが嬉しかったんだ。ありがとう」
……礼はさっきも聞いた」
「良い言葉は何度重ねてもいいだろう?」
「どうだかな。重なるごとに価値が下がるだろ」
「ふむ……それは面白い発想だね。そもそも言葉の価値とはなんだろうか? 言葉が含む意味合いだけではなく、時と場合に応じた付加価値があるとも考えられる。形のないものだから受け取った時が価値のピークで、以後は記憶が薄れるとともに徐々に価値は減少してゆき……

つらつらと話し始めたサイラスに、少々呆れた顔をしながらもテリオンはその場に留まり耳を傾けてくれる。旅を始めた頃とは大違いだと改めて思った。時折テリオンがくれる意見は簡素だからこそ、サイラスにはない視点だと感心する。こうして話す時間をテリオンがどう思っているかは分からないが、少なくともサイラスにとってこの時間はとても大切なものになっていた。

――ふと、相槌とともにテリオンが僅かに口角を上げた。それを見て、急に胸が締め付けられたかのように苦しくなった。
もしこの呪いが彼との関係性すら歪めてしまったらどうしよう。そう思うと、感じたことのない胸のざわめきを覚える。勿論、そんなことはないと思って打ち明けたのだが不安は付き纏う。しかしその思いを振り払い、動揺を見せることなくサイラスは饒舌に語り続けた。

***

休息を取りながらも歩を進め、日暮れ頃に旅人たちはウッドランド地方の街に辿り着いた。
店が閉まる前に必要な消耗品などを買い足し、宿の手配を済ませないといけない。買い出しは他の皆に任せ、サイラスは先に宿へと向かった。
広い街だからか日が落ちかけていても人通りは多い。宿の看板を探しながら歩いていると、すれ違いざまに人とぶつかってしまった。軽い衝撃に息を詰め、咄嗟に頭を下げる。

「っと……すまない、よそ見していた」
「いや、俺の方こそ。悪かったな、兄ちゃん」
「こちらこそ」

ぶつかった男は低い声で謝罪し、早足で去ってゆく。向こうも向こうで急ぐ用事でもあって前方不注意だったのかもしれない。そう結論付けたところで宿の看板が見え、扉を押して入る。
まず目に飛び込んでくるのはカウンターテーブルだ。継ぎ目のない木製の大きなテーブルは程よく年季が入っており、机上に置かれた生け花が華やかな印象を与える。カンターの向こうで、ふくよかな女将は柔らかく微笑んだ。

「いらっしゃいませ。宿をお探しですか?」
「ああ。男女四人ずつの八人なのだが、部屋はあるかい?」
「部屋同士は離れますけれど、二人部屋を四つご用意できますよ」
「ではそれで頼むよ」

すると女将はカウンターの内側から四つの鍵を出す。鍵についた木製のプレートに部屋番号が刻まれているが、確かに一つだけ番号が離れていた。部屋同士が離れている分には特に問題はないとそれを受け取り、宿代を払う。

「随分賑やかな旅なんですねぇ。どんなご縁なんですか?」
「これが話すと長くてね。色々あって共に旅するようになったのだが、とても楽しいよ」
「ふふ、そうですか。是非ゆっくりしていってくださいね。……ただ、夜はあまり街を出歩かないほうが良いかもしれません」
「おや、どうしてだい?」
「実は最近、少し柄の悪い人が街に居着いていて……あまり治安が良くないんですよ」

なるほどと相槌を打つ。まぁ多少荒事に巻き込まれても返り討ち出来るような面々ではあるが、無用なトラブルは起こさないに越したことはないだろう。みんなにも話して、今日は早めに宿で休むことにしたほうが良さそうだ。
そう思った時背後で扉が開き、顔を覗かせたのはテリオンだった。一人で来たようで、カウンターに向かってまっすぐ歩いてくる。

「部屋は空いていたか?」
「うん。買い物はどうだい?」
「おおよそ済んだから、あんたを迎えに来た。……どこぞで道草を食わんようにな」
「大丈夫だよ。私だって、油を売って良い時とそうでない時くらいは見極めるさ」

どうだか、と言わんばかりの視線に苦笑いを返す。自分より歳下の人物に子供扱いされるのは不本意なはずなのに嫌だとは思わず、代わりに少しくすぐったい。促されるままカウンターを離れ、宿から出ようと扉を開けた瞬間だった。

「きゃっ?!」
「あっ」

扉の外側に立っていた女性に気づかずぶつかった――だけならよかったが、彼女が持っていた桶が引っ繰り返り、中に入っていた水が思い切りサイラスにかかってしまった。がらがらと大きな音を立て木桶が地面に転がる。

「ご、ごめんなさいっ!」
「アンナ! お前さんったら本当にそそっかしいんだから……!」
「いやいや、私がよく注意せずに開けてしまったからいけないんだ。彼女を叱らないでやってくれ」
「すみませんねえお客さん……あらっ?」

手近なタオルを掴んで飛んできた女将が、サイラスの姿に戸惑ったような声を上げた。それも当然だろう。目の前で人が縮み、顔立ちや声色まで変わってしまったのだから。

「お、お客さん……?」
「話すと長いのだが、少々訳ありでね。テリオン、私は一度部屋に戻ってから向かうよ。キミは先に行っていてくれ」
……いや、あんたを待とう。どうせ例の儀式だろ?」
「儀式なんて大層なものではないがね」

呆然としている女将の脇を通り、宛てがわれた部屋へと向かう。四室のなかで一つだけ離れた部屋に向かうと、テリオンは何も言わずについてくる。そこまでしなくてもいいのにと思いながら、そう言ってやれないのは意地が悪いだろうか。一人で背負っていたものを彼にも背負わせて、楽をしているのはサイラスだけだ。
扉をくぐり、室内に入る。両の壁側に備え付けのベッドがあり、窓際に小さな机と椅子が置かれているだけの簡素な部屋だった。テリオンが後ろ手に扉を閉め、早くしろと言わんばかりに腕を組んでもたれかかる。

……避けようがなかったと思わないかい?」
「そうだな。流石にあれは不運だった」
「ちなみにキミだったら、あのタイミングで扉を開けていただろうか?」
「さぁな。……ま、俺だったら人の気配には気づいたかもな」

自分の不注意ではないと暗にアピールすると、テリオンは同調を示してくれた。それに僅かに安堵しながら懐に手を入れ、指輪を取り出そうとする。――しかし、指先に思うような感触がない。

……あれ」

もう一度手を入れてみても、見つからない。はて別のところにしまっただろうかと、自分の衣服を弄りながら嫌な予感が止まらない。半ば引っ繰り返すように寝台の上で鞄を開ける頃には、額には冷や汗が滲んでいた。すると傍観を決め込んでいたテリオンも、流石にサイラスの様子がおかしいことに気づいたようだ。

……おい、まさか……

硬い声に、そんなわけないと小さく呟く。しかし、サイラスの荷物の中のどこにも指輪は見当たらない。まるで存在自体が幻だったかのように、忽然と消えてしまった。言葉にするとそれが現実になってしまうようで恐ろしかったが、それでもサイラスは震える唇を開く。

「ない。――指輪が、ない」

水分を含んだ学者のローブが、細くて頼りない肩にずしりと重たくのしかかった。




***

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