大通りの喧騒から離れるように、裏道を静かに歩く。初めて訪れる街であっても、進む足は迷わない。テリオンはただ目的を達成するため歩を進める。
旅人たちがこの街を訪れたのは昼過ぎのことだ。
フラットランド地方の東に位置する街は規模も大きく、活気づいている。今は旅路を共にしている仲間だが、本来生業も興味の矛先も違う面々だ。当然到着してからやりたい事もばらばらで、宿だけ押さえて夕方まで自由行動を取ることになるのは極自然なことだ。
テリオンもとある目的を持ち裏通りを散策していたが、それもつい先程達成してしまった。この時間ではまだ酒場も開いていないし、宿に戻って仮眠でも取るか――。
「う……うっ……」
そう思ったのに、つい足を止めてしまった。子供が道の端に蹲り、嗚咽を漏らしている。近くにはテリオン以外の人影はない、となると迷子だろうか。なんにしろ面倒事であることは間違いない。
(……こういうことは俺の仕事じゃない)
子供受けするアーフェンやトレサなら、簡単に話しかけて事情を聞き出すのだろう。テリオンにそれが出来るとは思わないし、する必要もない。
……ただ気がかりなのは、この街は規模が大きいゆえにか奥まった場所は少々治安が悪い。昼から酒を飲み暴れる男もいれば、半裸のような格好で日が高い内から客引きをする女もいた。衛兵たちも見て見ぬ振りをしているのか咎める気配もない。そんなところに子供が、しかも見るからに身なりの良い少女が一人でいるのはトラブルのもとだろう。
助ける道理はない。見て見ぬ振りをしたところで、聖火神にすら見捨てられたテリオンを誰も咎めはしない。――ただ、丁度たった今用事も済んだところだ。この子供はともかく、その連れとなれば盗みがいのある金品を持っている可能性もある。だからほんの少し、気まぐれを起こしただけのこと。
「……おい」
びくりと小さな肩が跳ね、潤んだターコイズブルーの瞳がテリオンを見上げる。齢はまだ5歳前後というところか、柔らかそうなブロンドには子供らしくない派手な装飾の髪飾りが着けられていた。
「……どうしたんだ、こんなところで」
「っ……ま、ママが……いなくなっちゃったの……」
「迷子か……」
「ちがうの! まいごはママなの!」
弾かれたように少女が立ち上がり、テリオンのポンチョを小さな手で握る。勝ち気なアーモンドアイの嵌った顔は平素なら可愛げもあるのだろうが、泣きすぎて目元は腫れ鼻まで真っ赤になっており、その辺りの子供と変わらないように見えた。
「ママね、すごくおっちょこちょいなの……だからカーラをおいて、まいごになっちゃった……おねがい、いっしょにママをさがして……?」
「……分かったから、そんな目で見るな」
子供の瞳は痛いほど真っ直ぐで、長く見ていると要らないことまで思い出してしまう。テリオンがこのぐらいの年頃の時は、こんな風に助けを求めて泣くことはなかった。そうしても誰も助けてくれないことを知っていたからだ。
(……おめでたいガキだな)
善良そうな仮面を被って悪事を働く大人は山のようにいる。彼女はテリオンを疑いもせず、必死にポンチョを掴み首が痛くなりそうなほど見上げている。疑わずに住む環境で生きられることがどれほど幸福かも知らないまま――。
込み上げてくる感情がなんなのか、テリオン自身にも分からない。どうでもいいことだと軽く頭を振って歩き出した。
――子供の名はカーラといい、行商の馬車で母親とこの街に来たらしい。そう聞き出す頃には歩き疲れたとぐずりだしたので、仕方なく片腕に座らせるように抱え上げてやった。
歩かなくて良いとなると途端に機嫌を直したが、今度はテリオンの髪を引っ張ったりととんでもないお転婆で、何度このまま道に捨てようかと思ったことか。けれどそれをぐっと堪え大通りを歩いていたが、一向に少女の母親と思わしき人物は見つからない。探しものをする人間は歩き方や視線の遣り方で分かるはずだが、そんな気配もない。
(こいつが外に行ったと思って、先走って街の外へ……? いや、どこかで入れ違いになったか? 行商の馬車とやらを探すほうが早いか……)
しかしこの子供が、自分がどの馬車に乗ってきたか覚えているだろうか。宿泊予定の宿が分かれば先回りして預ければいいが、カーラは分からないの一点張りで役に立たない。宛もなく歩き回る内に、少女も疲れたのか次第に大人しくなってきた。
「ママ……」
「……」
「あたし、ママにすてられちゃったのかな……」
「……どうしてそう思うんだ」
新品に近い、艶のある赤い靴をぶらぶらと揺らしながら少女が呟く。すると、瞬きの拍子に大きな瞳からまたぼろぼろと涙が溢れた。
「あ、あたし、わがままばっかり……いったの……おにんぎょうほしいっていうし、いつも……ママ、おこるし……にんじん、たべなさいっておこるのぉ……」
「はぁ……?」
「あのねえ、それでえ……っ」
泣き出した子供の話は要領を得ない。大声で泣き喚かれるよりマシだが、最早言葉としての体をなしていないそれを延々聞かされるのも億劫だ。泣いた少女を連れたガラの悪い男を、通行人はぎょっとした顔で見遣る。これでは衛兵に突き出されるのも時間の問題かと、少女を宥めにかかった。
「分かった、分かったから。それで? お前は捨てられたと思ったのか」
「うん……あたしっ……すてられたんだ……ママに……」
以前のテリオンだったら、そうかもしれないと答えただろうか。いいや、そもそも少女の存在すら目に入っていなかっただろう。
目を向けるための心の余裕を作ったのは、柔らかく微笑む恋人の存在だった。――あいつだったら。サイラスだったらどう答えるだろうか。テリオンからすればあまりにも馬鹿馬鹿しいが、少女にとってはこの世の終わりにすら匹敵する短絡的な結論をどう覆すか。
「……それは違う」
「えっ」
「どんなにお前がわがままでも、泣き虫でも、好き嫌いが多くても、ママはお前のことを捨てやしない」
「ど、どうしてわかるの……?」
分かるものか。こんなものは理想論で、願望の押しつけだ。故意にしろ過失にしろ、子供を捨てる親は大勢いる。それでもテリオンは、静かに落涙する少女の親がそうではないことを祈った。
「新品の靴を与えて、髪を丁寧に結って、こんなに刺繍の多いスカートを履かせて……愛していないやつにこんなことしない。お前の装いは全てママの愛情なんだ。分かるか?」
「……むずかしくて、よくわからない……」
「もう少し易しい言葉にしてあげたほうが良いんじゃないかな? 6歳の子供に『装い』はまだ難しいと思うよ」
突然背後から割り込んできた声にぎょっと目を見開く。振り返ると何やら嬉しそうに微笑むサイラスがいて、テリオンが口を開く前に腕の中で少女が叫んだ。
「ママ!」
「カーラ! 探したのよ……!」
「ママぁ……!」
サイラスの隣にいたブロンドの女が少女を奪うように抱き上げる。涙を流し抱き合う二人を呆然と見ていると、聞いてもいないのにサイラスが語りだした。どうやらサイラスは散策中にカーラの母親から声を掛けられ、迷子の少女の存在を知り一緒に探すことにしたらしい。
「既にトレサ君とプリムロゼ君には声を掛けて、彼女たちにも捜索を手伝ってもらっていてね。キミにも手伝ってもらおうと、少女を探すというよりキミの足取りを追ってきたのだが……こんな形で解決するとは流石に思ってもみなかったな」
「……手間が省けてよかったな」
「ああ。しかしキミが見つけたということは、少々奥まったところに居たのかな。何事もなかったようでなによりだ」
「お二人共、本当にありがとうございました! なんと感謝したら良いのか分かりません……」
ぺこぺこと頭を下げる母親に、サイラスはにこやかに気にすることはないと答えた。後はこの男に任せておけば丸く収まるだろうと口を挟まずにいると、くんとポンチョを引っ張られた。少女は先程までわんわん泣いていたくせに、今はけろりとした顔で笑っている。
「おにいさんあのね……あのね、おうじさまみたいでかっこよかったよ!」
「はぁ?」
「だからね、あたし、おおきくなったらおにいさんとけっこんしてあげる!」
「こら、カーラ! すみません失礼なことを……」
してあげるとはまた随分な物言いだ。慌ててまた頭を下げる母親はいいが、含み笑いを浮かべるサイラスが気に入らない。妙に生温かい目線を向けて、教師の顔をされるのは不本意だ。
地面に膝をついても、まだ少女と目線は合わない。あまりにもひ弱で小さな存在に、態とらしく作り笑顔を浮かべてみせる。
「……悪いが、俺にはもうわがままなお姫様がいてな、そいつで手一杯だ。だからお前さんは、自分だけを大事にしてくれる王子様を見つけな」
「ええ……? そのひとって、カーラとおなじくらいわがまま?」
「いいや、もっとわがままで意地っ張りで、たちが悪いな」
「ふふ……御苦労なさってるんですね。ほらカーラ、行くわよ。もう一度お兄さんたちにお礼言ってちょうだい」
「はぁい……おにいさん、ありがとう!」
最後に親子はもう一度頭を下げて礼を言い、二人の元を去ってゆく。それを見送ってサイラスは大きくため息をついた。不満そうに唇を尖らせる様に、少々溜飲を下げる。
「……誰が意地っ張りでわがままなお姫様だって?」
「嘘は言ってないだろ。自分で決めたことは譲らない上に、こういう厄介な仕事を俺にさせるんだから。ほら、あんたのお目当ての物、見つけてやったぞ」
「あっ、それは……! 見つかったんだね、やはり噂通りこの街にあったのか……!」
懐から取り出した本を見せると、ぱっと表情が輝く。子供より素直な反応に笑ってしまいそうだ。差し出された手に素直に本を乗せてやると、好奇心を隠しもしない瞳で表紙を眺めタイトルを確かめる。
「ああ、間違いないよ! ありがとう、テリオン! 探すのは骨が折れただろう?」
「そうでもない。ま、あんたには見つけられなかっただろうがな」
この街は古書の流通が盛んだが、中には表に出ずに裏だけで流通している稀少本もある――近くの街でそう噂を聞いたサイラスが、何とか手に入らないかとテリオンに頼んだのがこの一冊だった。なんでもアトラスダムの王立図書館にも存在しない本らしい。
興奮した様子で本について語るサイラスの話を聞き流しながら、高揚し赤くなった頬を眺めていると、まぁ悪くはないかと思ってしまうから我ながら甘い。
「で、これからどうするんだ?」
「早く読みたいから宿へ……と言いたいところだが、まずはトレサ君達に少女が見つかったことを教えてあげなければいけないね。彼女たちを探そう」
「わかった。それは俺がしてやるから、あんたは先に宿に戻って本でも読んでいたら良い」
「いいのかい? 悪いな、キミにそこまでしてもらって……」
「ハ、珍しく殊勝な態度だな」
そんなこと今更だろう。振り回されている自覚はあるが、これも好きでやっていることだ。大袈裟なほど恭しく頭を下げ、手を差し出す。
「宿までエスコート致しましょう、お姫様」
「……では、お言葉に甘えるとしようか。私の王子様」
重ねられた手を握り、視線を交わらせ同じタイミングで吹き出した。こんな些細なやり取りがただ愛おしい。
「柄じゃないな」
「お互いね。行こうか」
「ああ。そうそう、礼は後でたっぷり……体でしてもらうからな」
強く腕を引き、耳元で囁くとカッとその顔が真っ赤になった。サイラスは困ったように少し視線を落とし、握った指に力を込める。
「……テリオンのえっち」
いつまでもそんな初な反応をするから、からかわれるのだと気付いていないのだろうか。
小さな抗議に笑い返し、二人並んで歩き出した。
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