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雪華
2020-03-23 22:03:40
3563文字
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オルサイ
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【オルサイ】はじめての
付き合ったばかりで、初めてのキスに挑戦するオルサイです。
フロストランド地方の朝は特に冷え込む。まだ周囲が薄暗い中、剣を振る度に白い息が己の口から漏れる。
オルベリクにとって毎朝の鍛錬は欠かせないものだ。日毎の体調の微妙な変化や感覚の差を確かめ、僅かな躊躇いや迷いを取り払う。慣れたルーティンがオルベリクの自信を形作っていた。
寒い中でもじっとりと汗を掻くほど体を動かし、一息ついて宿へと戻る。流石にもう起きているだろうと軽く部屋の扉をノックするが、返事はない。鍵を開け中に入ると同室を宛てがわれていた男
――
サイラスは扉に背を向けて小さな丸椅子に座り、本を読んでいるようだった。
「サイラス」
当然呼び掛けても返事はない。無視をしているわけではなく、本当に気づいていないのだ。それ程までに熱中する性分が良いか悪いか一概に言うことは出来ないが、せめてもう少し周囲には気を配るべきだと思う。もう一度名を呼んで肩に手を置くと、びくりと黒いローブに包まれた背中が跳ねた。
「わっ
……
ああ、なんだオルベリクか。驚かせないでくれ」
「すまん、先に声はかけたんだがな。お前にしては珍しく早く起きたな」
「昨晩読みかけになっていた本の続きが気になってね。しかし、あなたはもっと早かったんだろう?」
「いつもと変わらん」
栞を挟むこともなくサイラスは本を閉じ立ち上がる。いつだったか栞を使わないのかと問うと、事もなさげに読んだ頁数を忘れたことはないと返されたことがある。
早朝の空と同じ色の瞳がじっとオルベリクを見上げ、そして雪のように白い両手が伸ばされた。
「オルベリク。
……
少し屈んでくれるかい?」
「
……
こうか?」
「ああ」
言われるままにオルベリクが身を屈め、サイラスが少し踵を上げると二人の距離はぐっと近付く。冷え切った頬に触れる指先はいつもより熱く感じ、触れたところからじんわりと熱が広がっていくようだ。サイラスの
――
恋人の瞳に映る今の自分はどんな顔をしているのか。それが見えるより早く、こつりと額がぶつかった。
「
……
サイラス」
「鼻も真っ赤で、頬もこんなにも冷たい
……
鍛錬に精を出すのもいいが、風邪を引かないように気を付けるんだよ」
「あ、ああ」
それきりあっさり離れた指先に、思わずため息をつくと彼は不思議そうに首を傾げた。
紆余曲折を経て先日結ばれた二人だったが、恋人らしいことはまだ殆どしたことがない。例えば華奢な体を強く抱き締めて、その柔らかそうな唇を奪えたら
……
などと甘美な妄想はしてみるが、どうにも後一歩が踏み出せずにいた。
「おや、どうかしたかい? 何か難しい顔をしているね」
「
……
いや、何でもない」
「言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。あなたと私の仲だろう?」
仲間の一人であった時と変わらない顔で、サイラスはそんなことを言ってのける。オルベリクとて慣れているわけではないが奥手でもない。ただ手を出しあぐねているのは偏に、相手がサイラスだからだ。何しろあんな風にいい雰囲気を出しておきながら、彼の気分次第であっという間にいつもの空気に戻されてしまう。
「
……
キスでもするのかと」
「ん?」
「そう思っただけだ」
短くそう告げると、サイラスは腕組みをする。彼にしては珍しくたっぷり間を置いて、やはりまた首を傾げた。
「
……
そういう雰囲気だったかい?」
「俺にはそう思えたが」
「
……
確かに私達が所謂交際を始めて、既に十日は過ぎた。一般的な恋人同士がキスをするには早くも遅くもなく、つまり平均的な時期に差し掛かっていると言えるだろう。だが付き合って初めてのキスというものを、一体どのタイミングで行うのが正解と言うべきかはまた別の問題であり
――
」
「サイラス」
いつもの調子で捲し立てられるのを遮るように名前を呼ぶと、珍しくサイラスは閉口した。その白い頬は見間違いではなく赤く染まっている。一度交わった視線が、彼の方からふいと外される。これはもしかして、もしかしなくとも。
「
……
照れているのか?」
「
……
いけないかな。あなたが急に、そんなことを言うから
……
」
「これまで直接言っては来なかったが、俺はずっとしたいと思っていた」
「わ
……
私と?」
他に誰がいるというのか、などと喉まで出かかった言葉を飲み込み頷く。いつも堂々としており、探りを入れるのに失敗して怒鳴られようが平気な顔をしているサイラスが、まさかオルベリクの言葉一つでこうも恥じらうとは思ってもみなかった。サイラスはうろうろと所在なく彷徨かせていた視線をようやく上げる。
「
……
それは
……
今、ということかな?」
「いつでもいいが、俺は今したいと思った。嫌か?」
「そんなことはないよ! そんなことはないが
……
は、初めてだから、勝手が分からないんだ。上手く出来るかどうかも
……
」
「技巧の有無は関係ないだろう。他者と比べる必要もない。俺は今、お前とキスをしたい」
勿論嫌だと言われれば引く気はあったが、そうでないのなら少しくらい押したって良いだろう。細い肩を優しく握ると緊張で身を強張らせるが、逃げる様子はない。どくどくと速まる鼓動を落ち着かせようと、深く息を吐く。
「
……
嫌なら嫌だと言ってくれ」
「ううん
……
大丈夫、だ。私
……
どうしたらいいかな?」
「もう少し顔を上向けて
……
そうだ。そのまま目を閉じろ」
「
……
うん」
サイラスは素直に瞼を閉じる。赤く染まった頬やすっと通った鼻筋、長い睫毛を改めて観察しながらゆっくりと顔を寄せ、軽く顔を傾け唇を重ね合わせた。ふっくらとした柔らかいそれの感触を味わうように軽く唇で食むと、小さく声が漏れる。
「んっ」
「
……
サイラス
……
」
サイラスの身から漂うのはインクのような、古書のような不思議な香りだ。懐かしくて、愛おしくて
――
頭の端がぼうっとしてくる。欲しい、もっと欲しいと言う欲望のままにサイラスの腰を抱き、後頭部に手を遣る。
「オル、ぅむっ」
薄く開いた唇に舌を挿し込むと、腕の中で大袈裟に体が跳ねた。咄嗟に引こうとする体を強く抑え込みながら歯列をなぞり、上顎を擽る。
「んうっ
……
! ふあ、おる、ぇ、りく
……
っ」
どうにかオルベリクを引き剥がそうとしているのか、細い指が必死に背中を掻く。けれどそれはまるで縋り付かれているようで、余計に煽るだけだ。口内の奥で縮こまる舌を軽く突いた
――
瞬間、舌に鈍い痛みが走った。噛まれたと気が付き咄嗟に顔を離す。
「む、」
「っぷは、はぁ
……
はぁっ
……
!」
「
……
サイラス、すまな、」
「すまない! び、びっくりして、思わず
……
! あなたを拒絶するつもりはなかったんだ!」
まだ浅い呼吸も整っていない内に、サイラスはオルベリクの胸元に縋り付き叫ぶ。突然深いキスをされた上に、事故とは言えオルベリクに怪我を負わせた負い目で気が動転しているのだろう。宥めるように彼の背を軽く叩いた。
「落ち着け、順番に行こう。
……
まずはすまなかった。突然のことで、お前が驚くのも無理はない。それからこれくらいは怪我のうちにも入らん、出血も恐らくしていない」
「それなら良いのだが。
……
あれ? 何故あなたが謝るんだい?」
「いや、突然のことで驚かせてしまったからな
……
」
「勿論驚いたが、謝ることではないよ。い、いずれはすることなのだから
……
」
消え入るりそうなか細い声で呟き俯いてしまう様子がなんとも可愛くて、拒まれていないと思うと自惚れてしまいそうになる。再び肩を抱こうとした手は、軽いノックの音にぴたりと宙で止まった。
「オルベリクさん! 先生はもう起きてる? 他のみんなも起きてきたみたいだから、ちょっと早いけど朝ごはんにしない?」
「
……
分かった、すぐに行く」
「ええ、待ってるわね!」
扉越しに聞こえるトレサの声は、不埒な空気を吹き飛ばす爽やかな風のように明るい。遠ざかっていく足音を聞きながら同時にため息をついた。
「
……
行くか」
「ああ
……
そうだ、オルベリク」
ローブを翻しサイラスがドアノブを握る。背を向けているから表情は分からないものの、その耳は相変わらず茹でダコのように真っ赤だった。
「
……
次は、もう少しゆっくりしてくれ」
「それは
……
」
「今はこの話はここで終わりだ。続きはまた
……
今夜しよう」
次があるのか。彼の要望を汲めばまた、あんな風に触れてもいいと言うことか。そしてその機会は、今夜にでも訪れるということか。
なんだか現実味がなく、オルベリクは顔も見えていないというのにただ頷き返すことしか出来なかった。
――
そして顔を真っ赤にして現れた二人に、仲間たちは不思議そうに首を傾げたり、ため息をついたりと様々な反応を見せるのだった。
***
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