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雪華
2020-02-13 23:14:53
4979文字
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テリサイ
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【テリサイ】嫌いにならないで
ハッピーバレンタイン! ※オルステラに当たり前のようにバレンタインデーという行事があり、当たり前にチョコレートが出てきます。
その日は珍しく、サイラスは朝から読書に耽っていた。
八人での旅は賑やかで楽しいが、時に大人数では不都合が起きることもある。そういう時は二手に別れ行動することになり、今日のサイラスは居残り組だ。購入したばかりの本をちょうど読みたいと思っていたところで、願ったり叶ったりである。
――
そう言えば昼食を摂り損ねたと気がついたのは、自分の腹がぐぅと主張したからだった。
「ん
……
少し何か腹に入れようかな。空腹だと脳の働きも鈍るからね」
夕飯までは時間があるから、軽食くらいなら食べても問題ないだろう。部屋を出て宿の厨房へ向かうと甘い香りがふわりと漂ってきた。誘われるままに覗き込むとそこにはサイラスの予想を裏切る光景が広がっていた。
「おや、ハンイット君。どうして厨房に? この菓子はキミが?」
厨房の入り口を塞ぐように座っていたリンデは、サイラスの顔を一瞥して端に避けてくれた。礼を言って通るとハンイットが振り向く。厨房には彼女以外の人影はなく、机の上にはカップケーキやクッキーが並んでいた。
「ああ
……
明日はバレンタインデーという日だから菓子作りを手伝ってほしいとトレサたちに言われてな、練習も兼ねて試作していたんだ」
「なるほどね。そう言えばアトラスダムでもバレンタインデーは盛り上がっていたな。シ・ワルキではあまり馴染みのない行事かい? 昔は花を贈るのが主流だったが、最近はチョコレートを贈るのが流行っているね。ちなみにそもそもチョコレートを贈るきっかけを作ったのは、フラットランド出身の商人で
――
」
そう語ろうとした言葉を邪魔したのは、サイラス自身の腹の音だった。ぴくりと耳を揺らしたリンデがこちらをじっと見ているのが妙に気恥ずかしい。ハンイットは大きくため息を付いた。
「
……
空腹なんだろう? 昼食時は一応トレサが部屋まで呼びに行ったのだが、返事がなかったと言っていたぞ」
「おや、そうだったのかい? 気が付かなかったな。うーん、宿の方に何か作ってもらおうかと思って来たのだが
……
」
「それなら、試食をしてみるか? ちょうど味見役が欲しいと思っていたところだ」
「良いのかい? それではお言葉に甘えて、頂こうかな」
まだほんのりと熱を持つチョコレート色のカップケーキを一つ取り、指先でちぎって口に運ぶ。まずはバターの香りが鼻を抜け、追いかけるようにチョコレートの甘い風味が広がる。一口飲み込むごとに糖分がじんわりと体に染み込み、重たかった頭が軽くなったような気がした。
「うん! 美味いよ。流石ハンイット君、製菓もお手の物のようだね」
「そうか、良かった。菓子はあまり作り慣れているわけではないから、正直に言うと少し不安だったんだ」
「そうなのかい? いや、心配することはないと思うよ。売り物かと思うくらいに美味い。これならいくらでも食べられそうだ」
「だめだ。食べすぎると夕飯が入らなくなって、栄養が偏るからな」
まるで子供に言い聞かせるような言葉に、思わず笑みをこぼす。きっと彼女の師であるザンターに常日頃からそう声を掛けていたのだろう。師匠は子供のような人だとこぼしていた彼女の横顔は、穏やかだった。
ぺろりとカップケーキを平らげ、続いてこちらも美味しいクッキーを齧りながら机の上に未だ残っている食材を見遣る。
「まだ何か作るところなのかい?」
「ああ、最後にチョコブラウニーを作ろうと思っている。暇なら手伝ってみるか?」
「私が? ふむ
……
」
バレンタインデーという日にどのようなことをするかは地方によってばらつきがある。アトラスダムや恐らくトレサの出身のリプルタイドでは、女性が好意や感謝の気持をチョコレート菓子に込めて贈る行事だ。告白や恋人同士の愛の確認のきっかけともなる行事は、今やサイラスにとっては他人事ではない。
腕を組んで唸り、一つ頷いた。この機会に試みることは悪くないだろう。
「そうだね、是非ご教授願おうかな。上手くいったら、少し分けてもらってもいいかい?」
「ああ」
短く返事をしたハンイットが、どういう意図を持ってサイラスに提案をしたのかは分からない。サイラスの事情を理解してそう言ったのか、それとも何気なく口にしたのか。どちらにしよ彼女の心遣いはありがたかった。
***
サイラスはハンイットの厳しい指導の元、慣れない製菓に勤しんだ。食材を細かく計量する、チョコレートを混ぜる、振るい入れる、どれもこれまでの生活で殆どしてこなかったことだ。だが新鮮で楽しく、焼き上がったナッツがちりばめられたガトーショコラを見ると言いようのない満足感を覚えた。
粗熱が取れたら切り分けて、ハンイットと一口ずつ味見をする。少し甘すぎたかもしれないと彼女は言ったが、贈る相手の事を考えると丁度いいような気もした。彼は決して口に出さないが甘いものは嫌いではないようだから。
「ハンイットさん! 本番用の材料買ってきたわ
……
あれっ、サイラス先生?」
「やあトレサ君。少し手が空いていたから、ハンイット君に菓子作りを教えてもらっていたんだ」
「へー、なんだか先生がそうしてるのって意外ね。あ、悪い意味じゃないんだけど」
「分かっているよ、私自身もそう思うからね。
……
ハンイット君、これだけもらってもいいかい?」
「ああ。それだけでいいのか? 私は横から口を出していただけで、作業は殆どあなたがしたのだから、もっと持っていっても構わないが
……
」
いいやと首を横に振る。一人分なのでたくさんは必要ない。
料理用のシートで切り分けたガトーショコラを包んでいると、トレサが何か閃いたように自身の鞄を探る。大きな鞄の中から器用に取り出したのは藤色の化粧箱だった。
「先生、そのお菓子贈り物でしょう? 入れ物はこれなんかどうかしら! リボンはそうね
……
テリオンさんでしょ? だったらやっぱり紫よね、うん! これなんかどう?」
「あ、ああ
……
」
商人として、そして仲間としてきらきらと眩いばかりの得意げな笑顔を向けられ、サイラスは苦笑いを返すしかなかった。別にテリオンとの交際を隠しているわけではないが、はっきりと断言されてしまうのもどうにも気恥ずかしい。
ロイヤルパープルのサテンリボンを箱に巻き、丁度いい長さを鋏で切る様は随分手慣れていた。
「ありがとう、トレサ君。幾らだい?」
「ふふ、友情価格で安くしておくわ! その代わり、後でテリオンさんがどんな反応だったか教えてね」
「そうだね
……
喜んでもらえるだろうか」
「大丈夫、絶対喜ぶわよ」
箱にガトーショコラを詰めリボンを巻き、トレサに包装代を支払う。サイラスの手に収まったバレンタインデーの贈り物は、なんだか少し可愛らしすぎるようにも見えた。
***
――
万全の準備を整えて臨んだはずの2月14日。
すっかり日は沈み、夕飯も食べ終え各自宿の個室で休んでいた。けれどサイラスの目の前には、未だに例の贈り物の箱がある。端的に言うと渡せなかったのだ。
(どうも、難しく考えすぎているような
……
いや、しかしあらゆる出来事について予想しておくことで、最悪の事態は避けられるはずだ)
言い訳のような言葉を頭の中に浮かべる。本当は朝一番にでも渡せばよかったのだが、ふと考えてしまったのだ。恋人と言えど素人の手作りの菓子など、テリオンは口にするだろうか。幾ら恋人同士とは言え男同士なのに、こんなものを贈ったら嫌がらないだろうか。贈り物は良いかもしれないが手作りなんて、重いと感じるかもしれない。いい大人が浮かれ過ぎだと思われるかもしれない。
一度浮かんでしまうと数多の可能性で頭の中が一杯になり、気づけば身動きが取れなくなっていた。
(
……
菓子自体はトレサ君たちから受け取っているはずだし、無理に渡すこともないか)
今日は朝から女性陣は厨房を借りて、楽しそうに菓子作りに勤しんでいた。それらは彼女たちが食べるのは勿論、日頃の感謝だとサイラスたちにも振る舞われた。と言っても自分は礼もそこそこに、読みたい本があるからと理由をつけて部屋に戻ったのだが。
腕を組みながら唸る間も、時間は刻一刻と過ぎてゆく。もう夜も遅いから渡すのはやめようと、逃げ腰の思考が弾き出すのは容易かった。しかし食べ物をだめにするのは忍びなく、それなら食べてしまおうとリボンの端を摘む。コンコン、と部屋の扉がノックされたのはその時だった。
「サイラス、今少しいいか」
「あ、ああ
……
待ってくれ、今開けるよテリオン」
どうしてこんな時間にテリオンが? そう思いながらも追い返す道理はない。机の上に出して眺めていた箱をローブのポケットに入れ、扉の鍵を開けた。テリオンは用件を口にする前にするりとサイラスの脇を抜けて部屋へ入り、寝台に腰掛ける。
「どうしたんだい? こんな夜遅くに」
「あんたの方こそ、俺になにか用事があるんじゃないか」
「
……
なんのことだい? まさか、」
咄嗟にローブのポケットに手を遣ったのと、彼が懐から見覚えのある化粧箱を取り出したのは殆ど同時だった。部屋に入る際にすり盗ったのか
――
文句なしに鮮やかな仕事だった。
「これは俺宛だろう? なぜ渡しに来ないんだ」
「
……
どうしてそれがキミ宛だと知っていたんだい」
「昼間トレサが口を滑らせた。先生からもう貰ったか、と」
「ああ
……
そうだったのか」
大きくため息をつく。トレサは勿論悪くない、悪いのはいつまでもうじうじ悩んで渡せなかったサイラスだ。テリオンは手元の箱とサイラスの顔を交互にみやり、態とらしく首を傾げてみせる。
「
……
それとも、俺宛じゃなく他の誰かへの贈り物か?」
「いいや、間違いなくキミ宛だよ。
……
手作りの菓子なのだが、受け取ってくれるかい? その、ハンイット君に教わったから味は大丈夫だと思うよ」
「ありがたく貰うとしよう。今開けてもいいか」
「え、ああ
……
ただ少し甘いから、紅茶と一緒のほうが良いかもしれない」
「わかった。残りはそうする」
するりとリボンを解き、箱を開くと甘い香りが漂う。一切れ指先でつまみ、薄い唇を開いて口の中に入れるさまを固唾を飲んで見守る。好きな人に手料理を食べてもらうことがこんなに緊張するとは、知らなかった。数度咀嚼して喉仏がごくりと動き、赤い舌が唇を舐め取る。
「
……
どう、かな」
「ああ、美味い」
「そうか! 良かった
……
」
その一言が聞けた瞬間、強張っていた体が緩む。じんじんと熱を持つ手の平に、無意識に手を強く握っていたことに気がついた。箱を閉めて懐に仕舞いながらテリオンはサイラスの目の前に立つ。
「さすがハンイットの指導だな。味も見た目も悪くない
……
それなのにどうして、俺に渡すのを躊躇っていた?」
「
……
結果として、キミがちゃんと受け取ったからいいだろう?」
「逆にあんたが同じ立場なら、その答えで納得すると思うか?」
「しないだろうね
……
」
あまりにも真っ当な質問に、サイラスは内心白旗を上げた。サイラスがもしテリオンの立場なら、理由が分かるまで質問したり周囲に探りを入れるだろう。これも普段の己の行いのせいだと腹をくくる事にした。
「
……
理由は多数あるが、その根本は全て同じだ。余計なことをして、キミに嫌われたくないと思ったんだ。くだらなくて笑ってしまうだろう?」
自嘲するように笑うと、下から伸びてきた手に顎を掴まれた。驚いて目を瞬かせるとぐ、と顔を引き寄せられる。
「笑わない。あんたなりに、俺のことを考えてくれたんだ。多少方向性が間違ってても笑うか」
「
……
間違っていたかな?」
「ああ。あんたはもっと、俺の恋人として自信を持ったほうが良い」
間近で見る翠眼は宝石のように煌めいていて綺麗だ。純美な瞳に魅入られていると、縮まっていた距離がゼロになって唇同士が触れ合った。甘いチョコレートの香りが、彼の薄く開いた唇から漂う。
「
……
ありがとう、サイラス。それから、」
耳元で告げられた三文字は、甘すぎてまるで毒のようにサイラスの思考を侵す。もう少しだけ甘美な気分に浸っていたくて、自らねだるようにテリオンの首に腕を回した。
***
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