しなやかな指先が丸められ、金属製のやすりが当てられる。小さく擦れる音を立てながら爪の白い部分が削れてゆく。向かい側の寝台の上で行われている作業をじいと見ていると、視線に気付いたのか不意にテリオンが顔を上げた。
「……何だ、サイラス」
「キミの綺麗な指先がどうやって作られているか、興味があってね。私のことは気にせず続けてくれ」
「面白くもなんともないだろう、こんなもの」
呆れたように溜息を吐きながらもテリオンの手は仕事を続ける。サイラス自身は爪が伸びていることに気が付かずに人に指摘されたり、割れて痛い思いをして気が付くことも多かった。けれどテリオンの指先はいつ見ても綺麗に丸く整えられており、どうやって保っているのか、またどうしてそこまで気を配るのか――サイラスには興味があったのだ。
「面白いよ。また一つ、キミのことを知れるのだから。これ以上に胸が躍ることはないくらいさ」
「ふん……そんなに興味があるのなら、もっと近くで見てみるか?」
「いいのかい?」
テリオンの気が変わる前にと早速彼の隣に腰掛けた。するとテリオンは左の手の平をサイラスに向けて見せた。首を傾げると、ほらと小さく声がかけられる。
「近くで見たいんだろう。あんたの手にもやってやる」
「えっ、私はいいよ」
「そう言うな。以前からあんたの爪が気になってはいたから、丁度いい」
「そうだとしても、キミの手を煩わせるわけには……」
「……サイラス、良い子だから」
甘く名前を呼ばれると、どきと心臓が跳ねて言葉に詰まる。最近知ったことだが、サイラスはどうも、彼が悪戯っぽく覗かせる恋人としての顔に弱かった。
ずるいと零すとテリオンは小さく笑いながらサイラスの右手を取る。結局サイラスは手を引っ込めることも出来ず、態とらしく唇を尖らせた。
「……人に爪を整えてもらうなんて、幼子ではあるまいし、恥ずかしいのだが」
「恋人同士なんだから問題ないだろう?」
「……そういうものかな」
「そういうものさ」
こういう事も恋人同士の触れ合いに入るのだろうか。サイラスにとっては誰かを愛するのも愛されることも、全てテリオンとが初めてだ。だから恋愛のそういった『普通』や『一般論』と言った感覚はあまりよく分からなかった。
やすりが爪に当てられ、引く度に小さな音が鳴る。鋸のように押して引いてと当てるわけではなく、テリオンは一方向にのみやすりを動かした。やすりの粗い目である程度削ると今度は細い目の方で整えてゆく。
「……キミが爪を整えるのは、やはり指先の感覚を大切にしているからかい?」
「それもあるが……半分は験担ぎのようなものだな」
「爪を整えることが、成功へ繋げるための一つのルーティンになっているんだね。そういうものはとても大切だと思うよ」
「意外だな、学者先生は験担ぎなど効果がないと言うかと思ったが」
視線は手元に落としたまま、指先と口先をテリオンは器用に動かす。意外と言われたことに少し苦笑してしまった。
「そんな事はないよ。確かに一つ一つを取れば迷信じみていて効果がないものもあるかもしれないが、本人がそれを行って目的に集中できるのならば効果はあると見ていいだろう」
「あんたはそういうのはないのか?」
「うーん、いざ問われるとあまりピンと来ないね。意識的にしていることはないのではないかな……」
「あんたらしいな」
下から支えるように手を握られ、一本一本丁寧に爪が整えられていく。次第に自分の指先がテリオンの指先と同じように綺麗に丸くなっていくのは、なんとも不思議な光景であった。
右手が終わったら次は左手を。美しい翠眼が伏せられじっとサイラスの指先を見詰めている――意識するとなんだか無性に恥ずかしいような照れくさいような気持ちになり、じわと頬が熱くなっていくのが止められない。
どうかそのまま顔を上げないで欲しいと祈っていても、左手の小指からやすりが離れると同時にテリオンは顔を上げた。
「終わったぞ」
「あ、ああ……ありがとう。まるで自分の爪じゃないように綺麗になったよ」
「そりゃ良かった。……ところでサイラス、俺が爪を整える理由はもう一つあるんだが」
「おや、それはなんだい?」
顔の火照りを冷まそうとぱたぱたと手で仰ぐサイラスの耳元に唇を寄せ、内緒話をするように囁く。見せ付けるように宙を掻くテリオンの指先はまるで、あの行為を思い出させるようで――幾度も過ごした激しい夜の記憶が蘇り、かっとまた顔に熱が昇った。
「分かるだろ? ……あんたを傷付けないためだ」
「……っ!」
赤面し言葉を失ったサイラスの唇に軽くキスをし、整えられた指先同士を絡めるように手を合わせられた。
「……サイラス、あんたに触れても良いか?」
もう触れているじゃないか、なんて野暮なことは口には出さない。彼が求めているのはもっと内側、テリオンにしか許したことのないサイラスの体の奥の奥なのだから。澄んだ翠眼の中に揺らめく情欲の灯火を見てしまったら、拒絶など出来ようもない。
「……うん、テリオン……もっと、触ってくれないかい?」
一つの芸術品のように美しい指先が自分に触れる、その想像だけで体の中が熱くなる。今度はサイラスから愛おしい恋人へ口付けを贈った。
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