コンコン、と控えめなノック音でアーフェンは目を覚ました。窓の外を見るとまだ朝日が昇ったばかりの時間のようだ。一体誰がこんな時間に訪ねてきたのだろう?そう思いながら宿の個室の扉を開ける。
「アーフェン君、すまない、こんな朝早くに……」
扉を開け、アーフェンはぱちぱちと瞬きをした。艷やかな黒髪を背中に流した女性が申し訳なさそうに眉尻を下げている。白い肌に整った顔立ち、ふっくらとした唇が動くのをぼんやりと眺めていた。
(すっげえ美人……でも、どっかで見たことがあるような……?)
アーフェンを知っているような口振り、彼女の体には随分と大きい黒いローブを羽織っていて――ローブ?そのローブは普段仲間が見に付けているもので……そこではたと気づいて、あっと思わず声が出ていた。
「サイラス先生?! ど、どうしたんだよその格好!」
「それが、目が覚めたら急にこのような体になっていたんだ。キミに診てもらおうと思って来たんだが、やはりこんな朝早くには迷惑だっただろうか?」
「そんなことねえよ! 兎に角中に入ってくれ」
「ああ。すまない、失礼させてもらうよ」
普段のサイラスの穏やかな声は、口調はそのままに甘く高くなっている。すれ違う時になんだかいい匂いがしたような気がしてなんとも言えない妙な気持ちになった。
後ろ手に静かに扉を閉める。サイラスが羽織っていたローブを床に落とすと、隠されていた膨らんだ胸元が露わになる。もちろんシャツは身に纏っているが、男性物の衣類はほっそりとした体には合わずぶかぶかだ。
「……見ての通り、気が付いたら女性になっていたんだ。何かの病なのだろうか?」
「いや、聞いたことがねえ……昨日何か変なもの食ったり……は、してないよな」
「心当たりがないね。アーフェン君、すまないが診てもらってもいいだろうか」
「それは勿論、って……ええっ、ちょ、先生?!」
次いで白いシャツまでもが床に落とされ、アーフェンは思わず驚き後ずさってしまった。背中がごんと扉にぶつかるが構っていられない。
傷一つもない滑らかな上半身が晒され、サイラスもとい美女は恥ずかしげに頬を赤く染める。
「な、なんでいきなり脱ぐんだよ……!」
「なんでって、薬師であるキミに診てもらわないといけないだろう? 恥ずかしいけれど……私も一人で確かめる勇気がないんだ」
「先生……」
そうだ、サイラスだって戸惑いもあるし恥ずかしいに決まっている。それでも薬師であるアーフェンを信頼してこうして相談しに来てくれたのだ。なのに自分がこんなに動揺していてはいけない!
ぶるぶると頭を振り、ごくりと唾を飲む。じゃあまずは彼女にベッドにでも座ってもらって……と思った時、カチャカチャと金属音がした。へっと間抜けな声が漏れる。
「アーフェン君……その、下も診て……くれるかい?」
「ぅええっ?! いや、ちょっとさすがにそれはまずいっていうか、間違いが起きちまうかもしれねえっていうか……!」
「大丈夫だよ、私は……キミとなら、間違いが起きたって……」
繊細な金具のついた彼女のズボンのベルトが外され、下着と一緒にそれが下ろされ――いくらなんでもそれはまずい、止めなければ!
「っだあああああ!!!」
――絶叫と共にアーフェンは寝台から体を起こした。
伸ばした両手が虚しく宙を掻き、一人きりの部屋でアーフェンは自分の頬を抓る。痛い。どうやら夢を見ていたようだ。
「……はー……変な夢見ちまったな……」
欲求不満なのだろうか?それにしたってサイラスには申し訳ない夢を見てしまった。
ちらりと窓の外を見ると、まだ日が昇ってそう時間は経ってなさそうだ。しかし起き抜けに大声を上げたせいか完全に目が覚めてしまった。
(顔でも洗って来るか……)
くあと大きく欠伸をし寝台から出る。部屋の扉に手をかけ開ける、と……。
「おや、おはようアーフェン君。すごい声がしたけど、悪い夢でも見たのかい?」
いつものローブを着用したサイラスが、不思議そうに首を傾げ廊下に立っていた。
背丈はアーフェンとほぼ変わらず、華奢ではあるが骨格はやはり男性のそれだ。喉仏もあり、整った端正な顔立ちも日頃と変わりがない。顔を寄せまじまじとサイラスの顔を眺める。
「……アーフェン君?」
「うーん……」
「私の顔に何か付いているかい?」
「……やっぱいつもの先生が一番綺麗だよな、うん……」
わざわざ女性にならなくとも、サイラスは十二分に美しい。心の中でそう呟いた。
するとサイラスの頬にじわりと朱が差す。少し丸くなった碧眼が驚いたようにじっとアーフェンを見つめた。
「ん? 先生、どうした? 熱でもあんのか?」
「い、いや、大丈夫だよ。寝惚けているんじゃないかい? 顔を洗ってくるといいよ」
「おう、そのつもりだぜ。じゃ、また後でな!」
「ああ、また後で……」
軽く手を振って、宿の階段を下りていく。顔を洗ったところで、もしかしたら先程思っていたことをそのまま口に出していたのではと気づいたアーフェンは、暫く洗面台の前で一人慌てる羽目になった。
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