雪華
2019-02-12 21:31:37
2522文字
Public その他
 

【アーサイ】交換

オルステラ大陸にもバレンタインがきっとあるんだ。細かいことは気にしてはいけない。

二月十四日の今日は、女性にとっての一大イベントであるバレンタインデーだ。八人という大所帯で旅する一行の男女比は半々で、女性陣は楽しそうに酒場の厨房を借りて製菓に勤しんでいた。この行事は地方によって少々意味合いにはばらつきがあるようだが、一同の認識は概ね『女性が好意のある人へ菓子や品物を贈る日』だった。
ハンイットを筆頭に作られた菓子類は女性陣だけで食べるのかと思ったが、有難いことにアーフェンを始めとする男性陣にも振る舞われた。――トレサの来月は三倍返しでよろしく、というウィンク付きで。

「三倍返しか……どうすっかねえ……

宿のベッドに仰向けに寝転がってぼやくと、くすりとサイラスが笑みを零した。
今夜は二人部屋しか空きがなく、アーフェンは自動的に彼と同室となった。二人の関係性はみんなに伝えている訳ではない、が特別秘めているものでもない。勘付いている仲間もいて当然だ。

「トレサ君も厳密な三倍返しを所望しているわけではないよ。ただみんなが時間と手間をかけて菓子を振る舞ってくれた分、私たちにもそれなりの努力が求められるということだろう」
「うーん、そう言われてもぴんとこねえなぁ。先生はアトラスダムにいた頃、どんなお返しをしてたんだ?」
「私は製菓店の菓子を渡すようにしていたよ。どうしても立場上もらう機会は多いが、みんなに平等に返さないといけなかったからね。市販のものなら質や量に差が出ず、かつ美味しく衛生的だ。キミはどうしていたんだい?」
「最近はお返しってあんまりしなかったんだよな。なんかバレンタインデーが、俺とゼフへの日頃のお礼って感じになってて……

いつものお礼だからお返しはいらない、とみんな口々に言いゼフとアーフェンにささやかな贈り物をしてくれた。目を閉じると故郷のクリアブルックの光景を鮮明に思い出せる。

「ふふ、たくさんの人に頼りにされていたキミらしいね」
「よしてくれよ、そんな言い方」
「私は正当な評価を口にしただけだよ。さて、アーフェン君」

ぱたんと本を閉じた音がし、ベッドが軋む。隣りに座ったサイラスの手にはクリーム色の包みがあった。リボンの一つも掛かっていない簡素な包装のそれを渡され、アーフェンは体を起こす。

「これは私から、キミに。バレンタインデーにわざわざ贈るものではないかもしれないが、今日という日をきっかけにしようと――
「えっ」
「ん?」
……えっと、先生。実は俺も、先生に渡そうと思って準備してたものがあってさ」

慌ててベッドから跳ね起き自分の鞄の中から、リボンがかかっただけの小瓶を取り出す。サイラスがわざわざこの日に贈るものではないと言ったように、アーフェンのそれも贈るきっかけをずっと探していたものだった。
互いに質素な包装のそれと顔を交互にみやり、照れ笑いを浮かべた。

「はは、おんなじこと考えてたみたいだな」
「そうみたいだね。では有り難く交換させていただくとしようか」
「おう! 俺のはさ、所謂万能薬だな。万病に効く――なんてもんじゃねえが、戦闘中の状態異常くらいならこれを舐めるだけで治るぜ。俺が一緒にいたら治してやれるけど、そうじゃねえこともあるだろ?」

だから、持ってて欲しいんだ。そう言って小瓶をサイラスの手に握らせると、彼は柔らかく微笑む。サイラスが弱いと思っている訳でも、他の仲間が頼りないと思っている訳でも決してない。それでもどうしたって心配はあるから、自分に出来る最良のことをしておきたかった。
そんな微妙なニュアンスを汲み取ったサイラスは、アーフェンの目を見てしっかりと頷いた。故郷の晴れた空によく似た色の瞳に見つめられると、懐かしさと同時に温かい感情が胸にこみ上げる。たぶん、これが愛しいって感覚なんだと思う。

「ありがとう。キミの薬があればどんな困難も乗り越えられるよ。……勿論、一番は本人がそばに居てくれることだがね」
「そりゃ、俺がいたらなんにも心配はいらねえさ。先生からのこれはなんだ? 開けてみてもいいか?」
「ああ、先日アトラスダムに寄った時に家から持ってきたものだ。キミの役に立つならいいのだが……

そう言えば国外追放されている彼が、先日珍しくアトラスダムに寄ってもいいかと言ってきたのだった。すぐに済むからと言った言葉通り一時間も滞在しなかったのではなかろうか。まさかこのためだったのかと思いながら包装を開くと、中身は一冊の本であった。
その題名は聞いたことがある。絶滅した、もしくはしかけているという植物がまとめられた一冊で、発行された冊数が少なく非常に希少な物のはずだ。数年前にゼフと、一度読んでみたいと話したのを覚えている。

「えっ、先生、こんな貴重なものをいいのか?!」
「勿論だよ。しかし申し訳ないが、これは原書ではなく私が写したものでね。原書はアトラスダムの王立図書館にあり、持ち出し禁止になっている」
「写本?! 一冊全部を?!」
「ああ、まだ学生の頃に写本の課題があってね」

慌てて頁を捲ると、確かに中に並ぶ字は見覚えのあるサイラスのものだ。図も入っている本を一冊写し取るのにどれだけの時間がかかるのかアーフェンには想像も付かない。しかも恋人が手ずから写し取った本なぞ、最早原書より価値がある気がしてきた。

「す、すげえ……世界に一冊だけの本だ……。手が震えるぜ……
「ふふ、喜んでもらえて良かったよ」
「先生、ありがとな。すげえ嬉しいよ、本もだけど、先生が俺のために準備してくれたってことがさ」
……私もだよ、アーフェン君」

静かに本を置き、隣りに座った恋人を抱き寄せる。華奢な体を掻き抱くと背中に腕が回された。そのまま寝台に押し倒すと、彼はぱちくりと目を瞬かせた。

……読まないのかい?」
「本は逃げねえだろ? 今すぐ先生が欲しいんだ。……だめか?」
「そんなことはないよ。……私も、愛しいキミが欲しい」
「へへ、おんなじ気持ちだ。愛してるぜ、サイラス」

こんなに愛おしい人より優先すべきものは何もない。胸にこみ上げる愛おしさと、僅かな欲望に急かされるまま唇を重ねた。




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