アラあい

じっと見る。

 キスのとき、目を開けているのはマナー違反だという。だが、アランはそのマナーのぎりぎりまでに迫り、彩衣雅の唇をかぷりと喰むのが常であった。
……アランさんってよくオレのこと見てるよね」
 長々と交わしたキスによって唇を艶やかに赤くした彩衣雅が照れの混じった顔をして、風に紛れるような声で言う。
 彩衣雅を膝に乗せて向かい合うアランはしっかり聞き取った内容に「うん」とあっさり頷いた。事実であるし、自覚がある。
「えと……それってなんで……?」
「彩衣雅くんが好きだからだけど」
「へ……っ、ぇあ?」
 途端、彩衣雅は顔を真っ赤にして視線をうろうろと彷徨わせるので、アランはにっこりと笑いながら彼の頬に手を添えた。手を添える振りで彩衣雅の視線が自身を向くように固定した。
「彩衣雅くんと視線が合うの嬉しいんだよね」
「それは……オレも嬉しい、けど」
「そっか。両思いじゃん」
 両思い、と繰り返す彩衣雅の目がとろりと夢を見るように蕩けるなかに自身の顔を見つけ、アランは自身が常々美しく整えている彼の髪を手櫛で梳く。
 アランは彩衣雅の目の中に自身が映るのが好きであった。
 彩衣雅と出会ったのは勤め先である美容室に彼が客として訪れ、アランが担当したときのことだ。随分ときれいなお客さんだな、とアランは張り切ったのだが、ふとした瞬間から彩衣雅の視線が一点を見つめだした。一点というと誤りがあるかもしれない。彩衣雅の視線はなにかを追ってゆらゆらと動き、止まるのを繰り返していた。そうなれば自然となにを見ているのか気になるのでアランも同じ方向を見たのだが、そこにあったのは、いたのはふたりの同僚。ネイサンと明璃澄が二人がかりで客に施術しているところであった。
 知り合いなのだろうか。最初、アランがそう勘違いするほどに彩衣雅はふたりを見つめていたのだが、その様子にアランは既視感があった。既視感の正体はまさに視線を向けられている片方、明璃澄である。彩衣雅の表情や視線の熱心さは、明璃澄がもう一人であるネイサンを見るときにとてもよく似ていた。とはいえ、現在の明璃澄のように恋に蕩けた目はしていない。もう少し以前の、まるで崇拝するかのようにネイサンを見ていたときの明璃澄と彩衣雅は似ていた。
 後に聞いたところによれば彩衣雅にとってふたりは崇拝対象が如き「推し」なのだという。
 アランは「推し」という概念に詳しくはなかったが、明璃澄のことを知っているために彩衣雅がふたりの熱烈なファンになったことは理解した。
 それならばふたりに担当してもらったほうが嬉しいのではないかと思ったが、それはそれで「推し」が故に難しいらしい。難儀なものだと思いつつ、アランはせめてとふたりが担当する客と近い席に彩衣雅を案内することで、彩衣雅が彼らを近い距離で見られるようにするようにした。その結果、彩衣雅の視線はますますふたりへ向くようになり、アランはこんなにも担当美容師の手元を気にしない客は初めてだといっそ感心したほどである。
 恋をするひとは魅力的だ。
 彩衣雅はふたりのどちらにも恋をしていたわけではないが、心惹かれる存在へ直向きになる様はとても、とても可愛らしい。少しふたりと視線が合ったり、アランが促して手を振らせたりしただけで感極まったように涙目になる彩衣雅に、アランはしばしば胸を込み上げるくすぐったさを感じた。
 自分のほうも見てくれないかな。そう思い始めたのもその頃かもしれない。
 とびきり可愛くしよう、格好良くしよう。アランが真剣に鋏を動かす最中も薬剤を塗布するときも、彩衣雅は鏡よりネイサンと明璃澄の姿を追っていた。時折話しかければこちらを向くけれど、なるべく「推し」を見ていたいのだろうと思うと邪魔をするようで悪い気がする。
 そんな彩衣雅でも真正面から鏡を見て、アランを見てくれるときがある。
……できたよ」
「わ……可愛い……!」
「でしょ?」
 クロスを外し、本気のスタイリングで仕上げをすれば彩衣雅も流石に意識をこちらへ戻し、その目を先ほどまでとは違う色できらきらと輝かせてくれるのだ。美容師として報われる瞬間で、一番嬉しいことだった。
「俺ね、桐さんのスタイリング一番上手い自信あるよ」
「ふふ、そうかも。いつもありがとう」
 胸を張るアランを見て、彩衣雅がくすくすと笑う。間違いなく彩衣雅が自分を見てくれていると思うと美容師としてだけではない喜びと幸福があった。
 ──このときは「そうかも」と言った彩衣雅が後に言ってくれたことがある。
「オレのこと一番可愛くできるの、アランさんだと思ってるから」
 思わず彩衣雅の手を握ってしまった。
 とびっきり可愛くした彩衣雅が自分を見てくれたなら。視線だけではなく、心を向けてくれたなら。
 強くつよく願ってしまった思いがあるから、アランは恋人になって願いが叶ったあとも彩衣雅の目にいつまでも映っていたくなるのだ。
「──というわけなんだけど、伝わった?」
 かいつまんで話し終え、アランは自分の肩口に顔を埋めてぷるぷる震えている彩衣雅の背中を撫でる。ぎゅう、と全身で抱きついてくれる彩衣雅の体は温かく、見なくても彼が顔を真っ赤にさせているだろうことを想像させた。
「つ……伝わった……
「じゃあ、こっち見てくれる?」
 びくっと跳ねた彩衣雅は数秒経ってからよろよろと身を起こす。ぱちりと合った視線、彩衣雅の紫がかった目が揺れるのにアランの胸は弾んだ。
 ネイサンと明璃澄を見つめるときとは違う熱がある。とろりと蜜がかった輝きがある。恋をするひとの目で、表情で、彩衣雅が自分だけを見てくれている。
「俺ね、いまめーっちゃ幸せ」
…………オレも。オレも、しあわせ……
 伸ばしたアランの手に彩衣雅が頬を擦り寄せる。林檎のように赤くて熱い頬、控えめに弧を描く唇。後頭部を引き寄せてアランは彩衣雅の唇をはむと喰んだ。細めた目は直前まで瞑らない。彩衣雅の目に自分が映っているのを見つめたいから。
 なによりも──愛するひとからは片時も目を離したくなかったから。